第56話「愛する皆へ」
うあああああああ!
に、西野さんを殺しちゃった!!
ボク、なぜこんなことを!?
あああ……
そんなバカな。
だって、西野さんがボクを殺そうとしてきたんだ。
あの優しい彼女がなぜ?
【原初】、お前なのか。
古きボクの宿敵。お前が彼女に命じたのか?
許さないぞ! ボクの大事な西野さんを……
あれ? 西野さんを殺せたのは、むしろ良かったじゃないか。
そうだ。ボクはすべてを滅ぼさなくちゃ。
命を弄ぶ【原初】。お前のやっていることは間違っている。
ボクがなんのために死を与えているのか。皆を苦しませないためだ。
西野さん、キミも死の安寧に浸れるんだ。
キミはもう味わわなくて済むんだ。
やがて訪れる恐るべき――――
ちがう!……西野さん死んじゃイヤダ。
ボク、どうしちゃったんだ。西野さんが好きなのに……
大好きなのに、なんで死んだ方がいいなんて思うんだ。
死なせることが慈悲だって? そんなバカな。
いまは頭の中の霧が晴れ、記憶もはっきりしている。やるべきこともだ。
それなのに、心だけがいまだ晴れず一つにならない。
なぜボクの中に相反する心があるんだ?
こんなことは今までなかった。
ボクはたった一つの目的のためだけに存在するのに。
心の中にあるもう一つの想いが募ると、ボクの存在を否定することになるんだ。
ボクは本来死を与える存在じゃない。
ボクは――――
あれ?
ボクって何者だっけ?
あはは、何言ってるんだ。ボクはアキラだ。神代アキラ。
違う……
おかしい、思い出せない。
なぜだ……さっきまではっきりしていた記憶が、
まるで目が覚めたときに夢の内容を忘れるように曖昧になっていく。
ああ、記憶が零れ落ちていく……
誰だ、ボクの記憶を封じてくる奴がいる。
分かるぞ……ずっとボクの記憶を封じていた奴だ。
やめろ!
「アキラ、聞こえるか」
ん? 誰だ……この声……懐かしい、暖かい声。
ボクがずっとずっと昔から聞いてきた声だ。
「命夜だ」
え? うそ……なんでここに……
お母さん!!
そうか、お母さんがボクの記憶を……
なんでそんなひどいことするの?
「アキラ、帰っておいで。
お前のこと愛する者たち、待ってる」
ボクを……? 誰が?
「西野ちゃん、カノンちゃん、アステリア、
ダーツくん、タイラーくん、ネロくん」
西野さんにカノンが? ボクを待ってるの?
アステリア……キミもボクを愛してくれてるんだ……嬉しいな。
ダーツさん、タイラーさん、ネロさん……
ボクも皆に会いたい。
あ、でもお母さん、ボク……西野さんを……
この手に感触が残ってるんだ。
ボクの大事な人を殺した感覚が……
西野さんの体がだんだん潰れていくのを感じながら、止められなかった。
あれれ、でもお母さん。
西野さんが大切だから殺めてあげたのに。
ちがう、ボク殺したくなかった。
大好きな人を死なせちゃうなんて、心が……張り裂けそうに苦しい。
いやだ、もう生きていたくない。
西野さんがいない世界なんて……
大事な人を殺すボクなんて、存在しちゃいけない。
「西野ちゃん生きてる。
カノンちゃんが助けた」
え? 生きてるの? ああ……ああ、本当に良かった……
西野さん、こんなヒドいことしたボクを許してくれるかな。
会いたいよ……会って謝りたい。
カノン、すごく会いたい。
キミがいるとボクの心は満たされるんだ。
食べ尽くしてあげたい。
カノンの肉は美味しそうだもの……
カノンの柔らかそうな肉にかぶりつくところを想像した途端、激しい破壊衝動がボクの中でふたたび嵐のように吹き荒れだした。
抑えられない……
まただ。なぜそんなこと思うんだ!?
ううう、お母さん助けて……
苦しい。ボクはイヤだ。皆を殺すなんて嫌だ。
あはは、でも大好きなら殺してあげるべきじゃないか?
ちがう! 愛する人たちだからこそ、守ってあげなくちゃいけないんだ!
「アキラ、皆でお前助ける。
だから、がんばれ」
……え?
ボクを助けてくれる? この苦しみから助けてくれるの? 皆が?
……またボクは一方的に助けられるだけなのか。
ん? 目の前に小さな炎が……松明?
あ、アステリア……
どうしてここに。
なんでそんなに悲しそうな顔をしているの?
誰だ、アステリアを悲しませるやつは。
そんなやつ始末してやりたい!
そのとき、ボクの耳に轟音が響く。
うぐぐ、胸が痛い。
なんだ?
ボクに攻撃できる存在なんているのか?
アステリア……キミか。なんでボクを攻撃するんだ?
鬱陶しいな。
滅びろ。
ボクの意思通りに体が反応して腕が動く。
そうだ、そのままアステリアを叩き潰せ。
グチャっという肉の潰れる感触がまた手に……
あ!? アステリア!!!
ボ、ボクは……なんてことを。
アステリア! 大丈夫か!?
だけどボクの口から発せられるのは咆哮だけだった。
アステリアの体が砕け散り、炎の残骸が空中に散らばっていく。
アステリアああぁぁぁ!!
その時、ボクの心にアステリアの心が伝わってきた。
ボクを愛しいと思ってくれる彼女の想いが。
彼女の心を嬉しいと感じれば感じるほど、万古の記憶に霞みがかかっていく。
くそ、やめろ……
やめろ、やめろ! ボクを止めようとするな!
ボクは皆を殺さなくちゃいけないんだ!
愛しているからこそ……
おかあさん、やめて! ボクがやらなきゃ、もっと皆が苦しむことになるのに!
そのとき、激しい痛みが全身を襲った。
なんだこれ!?
ボクの体を包む、得体の知れない光はなんだ?
うあああ!
体が……溶ける! 消える!!
ウソだろ、なぜボクを傷つけることができる?
カ、カノン……キミなのか!?
ウソだ、なんでカノンがボクをこんな目に合わせる?
あ、カノンの心が流れ込んでくる。
え? カノン、ボクのことを……こんなに大切に想ってくれてるの?
ボクもカノン、キミのことがとても大切だ。
キミがいなければ、ボクは生きていけなかった。
カノンのために強くなろうと思った。キミのためなら何でもするって決めた。
そうだ……なぜこんなに大事な人なのに、殺そうと思ったんだボクは。
西野さんがボクに斬りかかってくる。
やめて……痛い……苦しい。
ごめんよ、さっきボクがひどい目に合わせたから……
ダーツさんやタイラーさんまでボクを攻撃してくる。
ううう、やめて……またボクをひどい目に合わせるの?
ああ、また流れ込んでくる……皆の心が。
西野さん、ダーツさん、タイラーさんのあたたかさが、想いが心に沁み込む。
西野さん、初めて会った日のこと、こんなに大事に思ってくれてるんだ。
ボクにとってもあの日の出来事は宝物なんだ。
あの日からボクの人生は変わったんだよ。
どんなに辛いことがあっても、キミとの思い出がボクに生きる力を与えてくれた。
西野さんとカノン、2人ともボクにとってかけがえのない宝物なんだ。
キミたちと出会えたことを運命だと感じるほどに。
ダーツさん、ほんとにボクにとって尊敬すべき父親であり、兄なんだ。
ダーツさんもボクのこと、同じように思ってくれてたんだね。
弟のように、息子のように。
うれしい……
タイラーさんの大剣が当たる度、ボクの心に想いが流れてきた。
そっか……
妹さんがいたのか。亡くなった妹さんをボクと重ねてたんだね。
ボクには兄弟がいないから、タイラーさんの気持ちはちゃんと理解できないけど、ダーツさん、ネロさん、タイラーさんのことは本当の兄さんたちだと感じてた。
カザリさんは本当のお姉ちゃんのように慕ってた。
カザリさんが死んで、心にポッカリ大きな穴が空いた。
実の妹を亡くしたタイラーさんは、ボク以上の悲しみを背負ったはず。
だけど、タイラーさんはボクを妹さんと同じくらい愛してくれてる。
それが伝わってくるんだ。
皆……ありがとう……
ボクはなんて幸せ者なんだろう。
こんなに大事だと思える人たちに出会えるなんて、ありえるんだろうか。
ボクが宝物だと思ってる人たちから、大切だと思われている。
こんなに幸せなことがあるだろうか。
ポッカリ空虚になっていた心が、いつの間にか……とても満たされている。
その代わり、なにか大事なことを忘れた気がするけど。
「それでいいアキラ。
安心して戻っておいで」
お母さん……でもボク、大切なことを忘れたんだ……
「それは大切じゃない。
さあ、皆の心を素直に受け取って」
大切じゃない? そうなのか……
思い出せないってことは、その程度なのかもしれない。
うん、ボク戻りたい。
☆
「皆、もう少しだ!」
命夜の声が廃墟となった街にこだまする。
ダーツたちはその言葉に勇気づけられる。
アキラから黒い霧が取り払われていき、巨大だった魔王が小さくなっていく。
いまでは人間サイズまで縮んでいて、西野たちもあと少しだと感じている。
「アキラくん! 戻って!」
西野が手に持つ輝く剣が一閃されるたび、魔王が苦しみから絶叫する。
そのたびに剣を振るう西野の顔も苦々しく歪む。
「ごめんねアキラくん、苦しいだろうけどがんばって……」
カノンも祈るように手を組み合わせ、涙を流しながら呪文を紡ぐ。
ダーツやタイラーも攻撃の手は休めない。
全員がアキラの名前を呼び続けながら戦う。
魔王とて一方的に攻められ続けるだけではない。
その反撃は苛烈を極め、腕の一振りで西野の体が半分以上吹き飛ぶ。
そのたびにカノンが回復魔法で瞬時に癒す。
カノンの体がわなわなと震えだし、よろめきながら地に倒れ伏した。
強烈な魔法を酷使したため、肉体がついていけなくなった。
カノンの目や口からは、おびただしい量の血が流れ出している。
大地に血の池を作りだし、その中に横たわりながら、それでも必死に呪文を唱え続け、黒い霧を吹き飛ばしていった。
「アキ……ラさん、また笑顔が……見たいんです……
私、わがままなんです。ずっとずっと……見てたいんです」
アステリアたち悪魔も、はじめて共闘していた。
人間はもちろん、魔族同士ですら協力しあうことはない。
しかしいまは、西野やダーツたちが反撃を受けそうになると、
アキラの腕を弾き飛ばし、顎を蹴り上げた。
アキラの気を惹いて、西野たちが攻撃しやすくしている。
「アキラ様、私の頭をもう一度……撫でてくださいませ……
私を愛してください! 私は……私は……
永遠に叶わぬ想いで焦がれ続けたくない……」
クトゥルーは一人一人が最小の被害で抑えられるよう、魔王からの攻撃を食らいそうになる箇所へ防御魔法を一点集中させていた。
体全体を守るより、より堅固な防護ができている。
それでも魔王の一撃で西野の体が半分吹き飛ぶほどだ。
しかしクトゥルーが集中させた防御魔王が無ければ、体のすべてが吹き飛び、跡形もなく消滅しているだろう。
防御魔法だけではない。邪眼を使って気を逸らせて一瞬の隙を生み出したり、動きを鈍らせたりもしている。
つねに魔王の死角に入り込むよう、全員へ的確に指示を出していく。
西野やダーツたち各人の力量を把握し、最大限の能力を引き出している。
彼は戦場の支配者としての能力を急速に成長させていた。
魔王へ一撃が当たる度、その動きが鈍っていく。
一瞬とはいえ、完全に動きが止まる場面も出てきた。
アキラの意識が戻りつつあるのか、西野たちへの攻撃をためらっている
そぶりも見られる。
アキラも魔王の心の中で戦っているのだと全員が理解する。
タイラーは進んで盾になって戦う。
魔王の一撃に剣を叩きつけて封じる。
大地を砕くほどのタイラーの豪剣を受けても、アキラは少しよろめくだけだった。
魔王の連撃が激しくタイラーを打ちつけてくるが、タイラーは力任せに弾き、受けきった。
エリュシオンの中に宿る命夜の力が、魔王の膂力を著しく弱めている。
それでも一瞬でも気を抜けば、その瞬間にタイラーの体がこの世から消え失せるほどの力を秘めている。
「アキラ! がんばれ……お前は俺の弟だ。
妹は死を目の前にしても生きることを諦めなかったんだ。
お前も諦めず、帰って来い!」
「その通りだアキラ!」
いつものようにニヤリと不敵に笑いながら、ダーツもアキラに語りかけた。
「お前は強くなりたいんだろう?
思い出せ……誰のために強くなるんだった?
お前を想う人を見ろ! お前のために戦う人を見ろ!
戻って来いアキラ!」
☆
巨大な体躯では小さな雑音にしか聞こえなかった皆の声が、いまでははっきり聞こえた。
嬉しさで涙があふれる。
みんな大好きだ。
だから……ボクは忘れちゃいけないんだ。
お母さんは、忘れた記憶は大切じゃないって言ったけど。
違うんだお母さん。皆が大事だからこそ、やるべきことがあったはず。
皆への愛しい気持ちが高まっていくほど、ボクの心が焦燥に駆られてしまう。
ボクはなにをやろうとしてたんだ。
大切なことだったのに。
「アキラ、それは大切じゃない!」
ちがう、大切なんだ。
「アキラ! 皆を見ろ! さあ帰って来い!」
見てるよお母さん。皆が大好きだ。
心がとても暖かくなるよ……
ああ、そう……そうだ。
お母さん、ボク思い出したよ。
――――殺すことだ。
皆を殺してあげなくちゃ。
大好きだよ、ダーツさん、タイラーさん、ネロさん。
西野さん、カノン、アステリア……
だからキミたちを永遠の安らぎの世界へ導くよ。
☆
「いかん、やばい……」
何かを悟ったのか、命夜の顔色が一瞬にして絶望で青ざめた。