第53話「西野対アキラ」
「くそ、メーヤを連れて来いって……一体どうすりゃいいんだ」
ダーツが誰に言うともなくボヤくが、誰も策は思いつかない。
あのヒュプテですら、手がかりがなさすぎて知恵を浮かべようもない。
勇者メーヤを探せと言われても、そもそもこの異世界にメーヤがいるのかすらわからない。
しかも魔神は……いやアキラはどこかへ飛んで行ってしまった。
「ああ、ちくしょう! とりあえずアキラ陛下を追いかけるか」
一人を除いたメンバーがはっきりとダーツに同意したが、アステリアだけは違った。
彼女の性格ならば、ダーツに言われるまでもなく真っ先にアキラを追いかけたはず。
まだ魔神がアキラであるということにためらいがあるのだろうか。
「アステリア様……?」
いや、アステリアの様子がおかしい。
宙を睨みつけ、身体がわなわなと小刻みに震えている。
そのままその場に力なく尻もちをついたアステリア。
その体の震えが次第に大きくなっていく。
思わずダーツが声をかける。
「ど、どうしました?」
「うぅ……
だ、誰だお前は!!」
アステリアは荒い息をつきながら空の一点を見続けている。
ダーツたちは何事かと空を見た。
そこには――――
誰もいなかった。ただ茫洋とした闇夜が広がっていた。
いや、クトゥルーとエリュシオンだけが反応した。
「ぬ、面妖な……アストラル体か」
エリュシオンは何かを思い出したのか、驚きに目を見開いた。
「貴女様は……」
ダーツたちはこの現象を知っている。
アストラル体。
エリュシオンが霊の体になって、異世界からアキラの前に現れたことがある。
今もきっと、その霊体と思われるものが悪魔2人とエリュシオンに見えているのだとダーツは察した。
だが、それにしてもアステリアの怯える様はどうだ。
一体彼女にはなにが見えているのか。
☆
「や、王女お久し。いつ以来だ」
「はい、もう5年になります……」
「そっか、私、年取るわけ」
「あの時は本当にありがとうございました……
今の私やタトスがあるのは、あなた様のおかげです。
カミシロメイヤ様」
以前、エリュシオンのせいでタトスが死にかけたことがあり、その時に命を救ってくれたのが、神代命夜だった。
ダーツの耳にメーヤと聞こえ、思わず王女に問うてしまう。
「王女殿下、メーヤ様と仰いましたか?
まさか勇者メーヤ様?」
エリュシオンはダーツを見て首を横に振ると、また視線を命夜に向ける。
「いいえ、彼女はメイヤ様。私とタトスの命の恩人です」
命夜の相変わらず感情のこもらない口調に、少し不気味さを感じるものの、やはり久しぶりに会えた命の恩人だ。
微笑み、そして深々と頭を下げた。
命夜は静かに舞い降りて着地すると、無表情ながらも、挨拶を返すかのようにエリュシオンに向けて手を上げ、振った。
その命夜に、それまでぶるぶると体を震わせていたアステリアが、突然攻撃を仕掛けた。
「死ね!」
目から炎を噴き上げて命夜に掴みかかるが、彼女はアステリアを軽くあしらう。
アステリアの手首をたやすく掴み、軽くひねり上げる。
「なに? アステリア。覚えてる?」
「お前なんて知らない! だがイラつく! 貴様は殺す!!」
アステリアは恐ろしい形相で命夜を睨みつけた。
初めて会ったはずなのに、命夜の存在そのものに無性に苛立ちをおぼえ、どこからともなく怒りが湧き出て沸騰した。
ダーツたちにはワケが分からない。
王女の命の恩人に対し、突如としてアステリアが怒り狂って攻撃を仕掛けた。
アストラル体の件といい、カミシロメイヤとは何者なのかと問いかけたいが、それどころではなく、ダーツたちはただアステリアを見ているしかできなかった。
「アステリア様、周りには人間もおります。
心安らかに鎮めるよう」
どうやら命夜を目にした同じ悪魔でも、クトゥルーは何も感じていないようだ。
アステリアをたしなめるが、その怒りは収まらない。
それどころかアステリアの火炎がさらに勢いを増していく。
体中から火炎が立ち上り、口から炎の息吹が漏れ出す。
それをそのまま命夜に吹きかけた。
その熱量にダーツたちは思わず退る。
あの白い霧の世界の時のような事態が訪れるのかと身構えた。
彼女の焔は苛烈で、ダーツたちには熱量を防ぐ手立てがない。
ダーツは彼女が荒れ狂っているのが不思議だった。
アステリアは目の前に現れた存在を知らないと言った。
それならば、なぜこんなに怒りを駆り立てているのか。
早くアキラを追いかけたかったが、肝心の彼女がこの状態では不可能だ。
アステリアは今なお攻撃を続けている。
まるでじゃれつく子供を追い払うように、命夜は軽々といなしていく。
アステリアの攻撃を受け流しながら、命夜は小首をかしげる。
そして、なにかに思い至ったのか、突然笑い声をあげた。
「あはははははははははは!
そっか、怖いか。
はははははは!!」
命夜は無表情のまま高笑いを上げ、アステリアを見ている。
口角も上がっておらず、ただ口を開けて笑う命夜は非常に不気味だ。
その様にエリュシオンは言い知れぬ不安を感じる。
「貴様!!!」
命夜は一瞬のうちにアステリアへ接近すると、片手を突き出して怒りに歪んだ顔を掴む。
アステリアは命夜の腕をつかみ引きはがそうとするが、まるでほどけない。
怒りでアステリアの炎が激しく吹き上がるが、その炎が徐々に弱まっていく。
「うぐ、なに? 力が……」
アステリアの炎が消えていく。
いや、それどころかアステリアの真っ白な髪が黒く変わっていく。
クトゥルーはそれを見て一瞬驚愕したが、すぐに冷静になると命夜を敵と認識してアステリアの加勢に入った。
空中へと音もなく飛び上がり、触手を何本も振り上げて命夜に叩きつける。
白い世界の化け物たちを一撃で潰し猛撃を、命夜は一瞥すらせずに、軽々と片手でさばき、繰り出された触手の1本を受け止めた。
「うぬ!? バカな!」
ダーツたちには命夜が見えないため、アステリアは見えない壁に阻まれ、クトゥルーの触手はただ動きを止めているようにしか見えない。
(おいおい、どうなってやがるんだ。王女殿下の命の恩人じゃねぇのか?
悪魔2人が手玉に取られてる気がするぞ……)
命夜がまた口をパカっと開けると、アステリアを見て笑い出した。
その笑いには感情がこもっておらず、笑おうと演技しているかのように、わざとらしく不自然だ。
「ははははははは。
うんうん、わかる。
キミ、数千年、キミだった」
どれだけ力を込めようと、ピクリとも動かない体にクトゥルーは驚愕していた。
力が込められている証拠に、足元の地面だけがひび割れ、砕けていく。
自らの触手を切り離して飛び退るクトゥルー。
クトゥルーは気づく。
自分の触手が命夜に触れた瞬間、その部分の魔力が限りなく無にされたことを。
「おのれ……何者だ、貴様」
「命夜は命夜だよ」
命夜は少し考えたあと、クトゥルーに微笑んで見せた。
口元が笑みの形になっただけで、目が笑っていないおかげでやはり不気味だ。
「アステリア、安心して。まだ、キミ、そのまま」
命夜がアステリアを解放すると、また彼女から炎が噴き出し、透き通るような銀髪に戻った。
アステリアは命夜から飛び退き、睨みつける。
「今日来た、アキラ、救うため」
命夜はエリュシオンへと近づき、彼女の手を優しくとり握った。
「王女、体、貸して」
「え!?」
「必ず、返す」
そう伝えた瞬間、返事も聞かずに命夜の腕がエリュシオンの胸に入り込む。
「あああああ!」
エリュシオンは悲鳴を上げるが、体が動かない。
命夜は彼女に口づけするように顔を近づけ、そして中に入り込んだ。
体が淡く光を放ち、エリュシオンの意識は闇へと落ちていった。
エリュシオンが自分の体を眺めまわし、満足したようにうなずく。
「うん、これでいい……
あれ?」
喉を抑え、ああああと発声している。
「こりゃ、不便」
ダーツたちにはエリュシオンが一瞬苦しそうな表情を見せ、その体が淡く光ったことは分かったが、なにが起きたのか理解はしていない。
「王女殿下、一体なにを?」
「あああ、あああああ、あああああああ」
ダーツたちは目の前で起こっている信じられない出来事に驚く。
かぼそい蚊の鳴くようなエリュシオンの声が、みるみる大きくなっていき、一般人と変わらぬ声量になる。
「な……」
エリュシオンの声が生まれついてのものであり、治療の施しようがないと知っていたヒュプテは思わず驚きで絶句する。
「あーあー、これくらい?」
エリュシオンの声はほとんど呼吸音と変わらぬウィスパーボイスだった。
それが今、美しい小鳥のさえずりのような声音となった。
その音を聞く者の心を癒す、天使のごとき声だった。
「さあ、アキラ、助け行く」
☆
「グオアアアアアアア!!!」
西野とタトスが立っていた場所が瞬時に灰塵と化した。
魔神と化したアキラの口から吐き出された黒い霧が、化け物たちの死体を一瞬にして灰へと変える。
西野はタトスをわきに抱え、瞬時に移動して黒い霧をかわしていた。
「うは~~、相変わらずえげつな~~。
タトスさんは~、ここにいてね~」
「アヤメ! 気をつけろ!」
西野は目にも止まらぬ速度で魔神へと間合いを詰める。
「アキラくん~! おいたはダメ~!」
西野が右手に光を集めて握りつぶすと、指の間から閃光がほとばしり、剣の形をとった。
それを魔神の脛へ横なぎに斬る。
たったの一撃で魔神の脛から下が消失した。
「グオオオオオ!」
魔神はバランスを崩し、アスファルトの地面に両手をついた。
「ふひひ~」
漆黒の魔神の腕がより黒く染まり、ぼやけていた輪郭がはっきり形を取りだす。
完全に実体化させた巨大な腕を西野に振り下ろした。
西野はそれを迎え撃って光の剣で切り裂こうとしたが、先ほどとは違って弾かれてしまった。
「うわ~やばい~」
西野はとっさに後ろに飛び退き、空中で体勢を整えて着地した。
ドズズゥゥゥン!
実体化した腕はさらに質量を増し、破壊力は何倍にも膨れ上がっている。
ただ叩きつけただけで大地は大きく揺れ、空中にアスファルトや石や土が弾丸のように噴き上がった。
地面は波打ち、耐えきれなくなった大地が地割れを起こす。
この世の終わりかと思わせるような激しい震動で、周りのビルが次々と倒壊する。
西野は激震でバランスを崩し、大地からの破片を避け切ることができず、体中に無数の穴を空けられていく。
「うああああああ~~~!」
タトスの隠れていたビルも崩れていく。
たった一撃振るわれた魔神の巨腕の余波は、市内全域に渡っていた。
「くそ! なんてやつだ!!」
タトスは崩れてくる破片をすべて避けながら悪態をついた。
西野の手助けをしたいとは思うが、あれに何ができるのだと己の無力を噛みしめる。
しかし、西野はなぜあれほどの化け物と互角に戦える力を持っているのか。
あれだけの力があれば、学校に立てこもって怪物から逃げる必要はなかったはず。
つまり、西野自身も今まで知らなかった力なのか。
性格も雰囲気も変わった気がする。
(人間性が欠如しているというか……)
人々の大量の死体の中から現れた西野。
あれは本当に西野がやったのだろうかと悩むタトス。
(まるで大勢の命を吸って強くなったかのようだ……)
いろいろと気にはなるが、やはり一番気がかりなのはエリュシオンのこと。
化け物の残骸とともに残されていたすべての死体を調べ終わる前に、魔王ともいうべき悪魔がやって来た。
死体はすべて灰となり、風に飛ばされていった。
(くそ! エリュシオン……無事でいてくれ)
限りなく低い可能性に賭けてはいるが、やはりその生死を直接この目で確かめるまでは、絶対に諦めるわけにはいかない。
もしも彼女が死んでいたのなら、タトスは生きる意味を無くしてしまう。
エリュシオンの盾として、守護者として生きると誓ったのだ。
それ以外に生きる道はない。
今もあがいているのは、エリュシオンのため。ただそれだけ。
だからこそ、西野が大量の人間を殺していたとしても……
自分の敵とならず、エリュシオンを探す力となるならば、そう考えて受け入れているに過ぎなかった。
己を卑怯だとも、情けないとも思っている。
(だが、それがなんだというのだ)
自分の命より大事な存在のためには、些細な事だった。
タトスは瓦礫に身を隠しながら、再びエリュシオンを探し始める。
(西野にはここにいてくれと言われたが、そんな時間はない)
とにかく、先ほどの建物があった場所まで行ってエリュシオンの痕跡を見つけなければいけない。
灰と化した地にあるとは思えないが、しかし行かずにはいられなかった。
魔神は西野に向けて、全てを灰へと変える黒い霧を口から吐き出した。
体中が血まみれになりながらも西野は笑う。
「ふふふ~」
黒い霧が西野を直撃し、彼女の周囲の植え込みの木々が灰と変じる。
生きとし生けるもの全てを灰へと変える恐るべき攻撃。
だが、霧の中で彼女は涼しい顔をして立っていた。
「嬉しいわ~アキラくん~。
やっぱり私を愛してるのね~。
言ったでしょ~私~。
黒い霧はあなたの心なの~」
白く光っていた西野の目がさらに強く光り輝きだした。
「あなたには~私は殺せないわ~」
西野は勝利を確信する。
目を見開き、口角は耳元まで裂け、狂気の笑みを浮かべた。
「でも~私はあなたを~殺せるのよ~~」
西野ははるか高く、魔神アキラの頭上よりも高く飛翔した。
光は輝きを増し、まるで太陽のように世界を照らしだす。
「こんな~世界にした~あなたを許せない~~~~!」
西野は魔神の頭へと剣を振り下ろし――――
「に……しの……さん……」
西野はビクリとし動きを止めた。
魔神となったアキラが自分の名を呼んだ。
たったそれだけで、西野の心から狂気が祓われてしまった。
彼女はそのまま落下する。その途中で西野と魔神の目が互いを見つめ合った。
「アキラ……くん……」
西野には、それが途方も長い時間にも感じられた。
西野の心が激しく波打つ。
「わ、私は……なんであなたを殺そうとしたの……
アキラくん……」
アキラは恐るべき咆哮を上げた。
一瞬にして体中の黒い霧が質量を増していき、虫を潰すようにその巨大な掌で、まだ空中にあった西野の体を地面へ叩き落とした。
強烈な勢いで地面に叩きつけられた西野の体は四散し、ただの肉片と成り果てる。
元がどんな生物だったのか痕跡すら残していなかった。
魔神は自分の手を見つめ、それから天を仰ぐと激しく咆哮した。
その絶叫にも似た咆哮は、まるで悲しみを表す遠吠えのようにも聞こえた。