第52話「自衛隊出動」
街から山奥へ向かった郊外に陸上自衛隊の駐屯地がある。
臨時の統合任務部隊からの命令を受けて、そこから戦闘ヘリが何機も慌ただしく飛び立つ。
地上では戦車や普通科の隊員を乗せた装甲戦闘車が何台も走り出した。
臨時統合任務部隊司令、山岸一徹陸将は観測ヘリから送られてくる映像をモニターで眺めている。
そこには巨大な魔神が映し出されていた。
「こんな怪物が今までどこにいたというのだ……」
日本各地の駐屯地や基地はほとんど死んでいたが、この未曽有の災害の中で機能している部隊もまだ存在していた。
指揮系統のトップである首相は、化け物が日本各地に出現してから数日後、警察力では到底対応できないと判断し、事態対処法に基づいて防衛出動を発令、さらに翌日には無制限の武器使用許可を下した。
首相以下の閣僚は、安全を最優先にして防衛省の地下深くにある中央指揮所に移って指揮を続けていたが、ある日、怪物が出現したとの無線を最後に連絡が途絶えた。
理由を詳しく知ることはできなかったが、怪物のほとんどが虫のような存在だ。
地中を活動の場とした化け物が地下シェルターを襲ったのかもしれない。
核攻撃にも耐えられるシェルターを破壊するほどの襲撃があったとは、にわかには信じられないことだったが、そもそもこの状況こそがまさに信じられない事態ではあった。
在日米軍は当初こそ自衛隊とともに怪物たちのせん滅を行っていたものの、アメリカ本土にも化け物が現れたこともあり、首相との交信が途絶した直後に大統領から引き揚げ命令が出され、慌ただしく日本を離れていった。
それでも日本人と結婚したなどの理由で、自発的に日本に残った米軍兵もいた。
それら兵士はオブザーバーとして自衛隊に合流している。
しかし空母や戦闘機などの兵器はすべて引き揚げられてしまった。
首相らとともに統合幕僚監部も音信が途絶、指揮系統が崩壊していく中、生き残った一部の将官らが護衛艦に座乗、臨時の統合任務部隊として護衛艦の戦闘指揮所から各地へ指令を出していた。
だが、今度は各駐屯地からの連絡が次々と途絶えていった。
ローレライのような人を操る化け物も存在し、なす術もなく壊滅した場所も少なくはないだろう。
だが、ほとんどの駐屯地が壊滅したのはそれとは違う理由からだった。
化け物に対して最も安全な避難場所として、一般市民らが自衛隊に助けを求め、無数の人々が押しかけた。
最初は受け入れていたが、さすがに数が多すぎてパンク状態になる。
避難所はほかに確保されていて、そこに誘導することになっている。
しかし誘導先は地震や台風に対する災害避難所、つまり学校や公民館などだ。
怪物の襲撃から避難する場所など、日本のどこを探してもあるはずがなかった。
世界中どこを探してもあるわけがない。
個人シェルターも日本ではほとんど普及しておらず、必然的に人々が逃げる先は自衛隊の基地や駐屯地になる。
なんとか入れてもらおうと必死になるあまり暴動の群れと化した人々に、ついには空に向かって威嚇発砲して、受け入れができないことが伝えられるが、人々がそれで納得して帰るはずもない。なにしろ命がかかっているのだ。
そして人々がひしめき合っている場所を、怪物たちがみすみす見逃すはずがなかった。
怪物たちが殺到し、駐屯地の前では阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられた。
駐屯地内まで襲撃が及ぶのを防ぐには、一般市民もろとも化け物を倒すしかない。
せめて避難が完了した民間人だけでも守り、化け物の今後のさらなる被害を避けるためには、非情のようだがそれしか選択肢はない。
それでも自衛隊員たちは、人々を巻き込んで撃つという選択肢を選ばなかった。
いや、日本人を守るために訓練を積み重ね、それでいて実戦を経験していない自衛隊員たちには、人を撃つという決断は選べなかった。
ほとんどの駐屯地や基地は、住民を撃てずに崩壊していった。
生き残ったのは、人里離れた場所に存在している駐屯地だけだった。
統合任務部隊の命令の下、航空自衛隊は大型の飛行怪物が現れた時のみ出撃している。
地上での巨大な化け物への対応は、陸上自衛隊のヘリや戦車に任せられている。
山岸陸将は大型モニターに映し出された悪魔をじっと見ていた。
今回現れた怪物は明らかに今までとは違っていた。
モニターに映る悪魔の姿はあまりに恐ろしく、とてつもなく大きい。
魔神の姿を見、正気を失った人間が多数現れてパニックになった。
戦闘指揮所の人間は半数以上が倒れ、いまはベッドの上だ。
ここに残る数名こそ、恐怖を乗り越えた勇士と言えた。
魔神の対応にあたる駐屯地では、パイロットや普通科隊員にも魔神の姿を見せ、
恐怖を乗り越えた者だけが出撃していった。
(とはいえ、直接アレを正視しても正気でいられるのかは分からないが……)
自衛隊員たちの勇気を信じるしかない。
今まで現れた怪物は、巨大な虫にイタズラで人間の顔や手足が付けられたような、冗談のきつい魔物ばかりであった。
だがこの化け物はまったく違う。
見た目からして、絵画に描かれた伝説のイメージにある悪魔そのものの姿である。
だからこそ、今回は持てる戦力を出し切る必要があると踏んだ。
残る弾薬をすべて使ってでも、アレを倒す必要があると山岸の直感は訴えていた。
あれは魔王だ……と。
(アレがもし、ただの魔物の1匹であるならば……
あのような恐ろしい存在が数多くいたとしたら、どのみち人類は終わりだ)
山の麓にある駐屯地から全ての戦闘ヘリ、そして戦車が出撃していた。
普通科の隊員を乗せた装甲戦闘車も出撃する。
この数の出撃は、大異変後初めてのことだ。
駐屯地司令田島五郎陸将補も、山岸陸将と同じ直感を感じていた。
あれこそ元凶の悪魔だと。
アレを倒せば、この長かった戦いを終わらせることができると信じた。
平和だった日本からはあまりにも変わり過ぎた世界、その世界での戦いを早く終わらせたいと願う、
藁という希望に縋った幻想であり、判断ミスなのかもしれないと田島陸将補は思う。
それでも、元凶だと感じさせるものをあの悪魔は確かに持っていた。
まさに魔王の風格と言っていいだろう。
そう感じさせるほどの、圧倒的なまでの威圧感と存在感。
田島陸将補の体は、魔王を見たときから震えが止まらなかった。
(あれがもし、元凶でなければ、魔王でなく今までの怪物の1匹に過ぎないのであれば……世界は終わる)
田島と山岸が同じことを感じていたとは、彼らは知らない。
いや、彼らだけではない。
あの魔王の姿を見た者全てが同じ思いを抱いていた。
「ミサイル発射」
戦闘ヘリから発射されたミサイルが、魔王へと向かい炎を噴き上げ飛んでいく。
戦闘指揮所にてほぼ毎日繰り返されてきた、パイロットからのミサイル発射の無線報告。
山岸陸将はカラカラに渇いた喉に唾を流し込む。
無線の報告を聞き、モニターに映る悪魔を見つめる。
これで長い戦いは終わる。戦闘指揮所の人間全てがそう確信した。
巨大モニターには、ミサイルが魔王に吸い込まれていく映像が映し出されている。
やがて起る閃光を予想し、戦闘指揮所の者たちは目を細めて画面を凝視していた。
――――だが、ミサイルが爆発することはなかった。
攻撃の失敗、不発。
そうであれば納得もできた。
しかし、ミサイルは――――
悪魔に届く前に忽然と姿を消した。
「――――は?」
指揮所の全員が大口を開け、魂が抜けたように呆然とした。
どれだけの時間呆けていただろうか。
我に返り、今のよくわからない状況を必死に整理する。だが……
考えてもよくわからない。いや理解できない。
パイロットからの無線報告にパニックになりかけた意識を取り戻した。
「攻撃失敗。機銃攻撃に切り替えますか?」
全員が山岸陸将を縋るように見ていた。彼は間抜けな顔を晒していることを恥じた。
咳払いし、すぐに命令を出した。
「ミサイルを、も……もう一度発射だ。
次は全機攻撃開始せよ」
先程の消失は気のせい、いや不発だったと思い直し、もう一度攻撃命令を下した。
だが、それは再び実行されることはなかった。
魔王の手がぼやけはじめ、そして掻き消えていく。
黒い霧となって霧散し、霧は空中へと伸びて広がり、空一面を覆っていく。
「あの雲? 霧なのか? まずくないか?」
パイロットはそう疑問を口にしながら、緊急回避を開始する。
だが、ヘリの速度より霧の広がる速さが勝る。
ヘリの後部が霧に触れた瞬間、テールローター部分が静かに消失した。
バランスを失ったヘリは、そのままコマのように回転しながら破壊されたビルの上へと墜落し、激しい炎を噴き上げ、大爆発を起こした。
「グオアアアアア!!」
心の底まで凍りつくような雄たけびを上げた後、魔神の姿が揺らいでいく。
全身が黒い霧となって上空へと向かう。
雷光を纏う暗雲となり、残りの戦闘ヘリに向かっていく。
山岸陸将は体中から汗を噴き出しながら叫んだ。
「な、なんなんだ!?
一体どういうことだ! 雲? になるだと?」
10機からなる戦闘ヘリが次々と黒い霧に襲われて消滅していく。
戦闘ヘリは最後の抵抗のように機銃やミサイルを発射するが、それらは音もなく消え去っていく。
無線から次々とパイロットの悲痛な叫びが聞こえてくる。
だが、さほど間を置かず、静かになった。
戦闘指揮所にも、ただ重苦しい沈黙が下りている。
山岸は、終わったと感じた。
それはそうだろう。現代兵器が通じないのだから。
これでは戦車の砲撃もすべて無効だろうと思うと、力のない笑いがこみ上げた。
山岸陸将の思った通り、再び姿を現した魔王へ戦車砲が発射されたものの、魔王へはなんらダメージを与えないどころか、砲撃はすべて消えてしまった。
蝙蝠の翼を大きく羽ばたかせ、魔神が空を飛ぶ。
その質量が本物であると実感させる恐るべき突風が吹き荒れる。
崩れかかったビルがその暴風で瓦礫と化す。
木々は大きく曲がり、無人の地に放置された自転車や車が紙切れのように空に舞う。
看板が弾丸のように吹き飛んでいき、ビルへとぶつかり原型を留めず破壊された。
戦車隊のそばに現れた魔王へ攻撃が開始されるものの、ヘリと同じ結果が待ち受けていた。
魔王の口元が大きく歪み、まるで笑っているかのように見えた。
蝙蝠の翼一面に、巨大な目が出現した。
その瞳が戦車を見つめると、空間が渦を巻くようにねじれ始めた。
戦車も中の人間たちも、道路も家々も、何もかもがねじれだす。
歪みが限界に達したとき、肉体はひしゃげ折れ、戦車もただの鉄塊へと変わる。
呆然と見ているしかない生き残った普通科の隊員たちは、魔王の体から何かが出てくるのを目撃した。
黒い霧に体を包まれた何十人という人間だ。
まるで黒いローブを纏っているかのように見えた。
黒ローブの人間たちは普通科部隊へと近づく。
自衛隊員の一人が呆気にとられながらも呟く。
「い、一ノ瀬? お前……なんで……」
一ノ瀬と呼ばれた男は、戦車の中にいたはずだった。
だがその戦車は……
彼は戦車があった場所に目を移す。何も無くなった場所から一ノ瀬へと視線を戻すと、彼のアゴが人間の限界を超えて開き、隊員の顔を覆い込んだ。
バクンと音がしたあと、自衛隊員は首なしの人間へと変わり果てた。
残った隊員たちが絶叫をあげ銃を撃つが、次々と黒ローブの犠牲になっていく。
彼らは人間たちを食い尽くすと、満足げな表情をして黒い霧へと変じ、空を飛ぶ。
それは戦車隊が出撃した駐屯地へと向かって行った。
その映像を見ていた駐屯地の隊員たちは、いまや大パニックを起こしていた。
あまりにも理解を超えた存在である魔王は、辛うじて理性を保っていた人々を絶望へと叩き落とす。
「終わりだ! 人類の終わりだ! 滅亡だ!!」
黒ローブの男たちが、駐屯地の内部に現れた。
「お、太田……赤井……」
黒い男たちは駐屯地の人間を食いだした。
女性隊員の腕に噛みつき、骨ごと噛み砕く。
「ひぎゃあああああ!!」
彼らは無言でただ食べる。
爽やかな笑顔を浮かべて人々を襲い、避難していた市民たちをも襲った。
人間の歯は肉食獣と違い、鋭く尖ってはいない。
力任せに噛みつき、バキバキと骨を砕き、肉を引きちぎるのだ。
首を噛まれて即死した者は幸運だと言えた。
体中を食われながらも、なかなか死ねない者も中にはいた。
徐々に食われていく恐怖を味わい、痛みに絶叫しながら死んでいく。
黒ローブに銃火器は効かず、火炎放射も効果がなかった。
男も、女も、子供も、全て等しく食われ、ただ逃げまどうのみ。
おびただしい血と苦悶の悲鳴が飛び交う。
黒ローブの男たちは喜びで哄笑する。
その哄笑は魔神にも伝わり、魔神が声を上げて笑い出した。
「グッグッグッグ……」
☆
なんかボク、久しぶりに美味しいもの食べた気分。
お母さんと一緒にステーキを食べに行ったときみたい。
あの肉もすっごく美味しかったんだよね。
悲鳴を上げながら逃げ回ってるのを捕まえて、かぶりついた瞬間の悲鳴が最高のスパイスだったな。
そういえば、この手に持ってる肉……なんだっけ……
ただの死肉なんて、何で持ってるのボク?
捨て……
いやいや、なんで捨てようと思ったの!
カザリさんじゃないか!
危ない危ない。
どうせなら生き返らせた後で食べた方がいいじゃないか。
ん? カザリさんを食う?
どうして……? 美味しいから?
そんな理由だったっけ? おかしいな……
違う……なにか違う。
だってカザリさんを食べようと考えたら……悲しくなった。
きっとそれは間違ってるんだ。
頭はスッキリしたのに、なんだ……
心がモヤモヤする。
クソ……さっき、青い髪の女……あいつが現れてからモヤモヤするようになった。
だれだっけアイツ。
そうだ、エリュシオン王女だ。
皆が悲しんでるから元に戻ってと願ってきた。
元にって、これがボクの元の姿なのに。おかしなことをいう女だ。
喰ってしまえば良かった。
あれれ……
おかしいな。人を食うたびに悲しくなってくる。
涙が……
あ、そうだ……
光だ。あの光のところに行かなくちゃ。カザリさんを助けないと……
メーヤ、助けてくれ。
ん? メーヤ? あれ、あいつの名前ってメーヤだっけ?
もっと違う名前だった気がするのに。
なんで思い出せないんだ。
そうだ。まだ復活したばかりだもの。
記憶が少し混乱しているんだ。
いや、今はそれはどうでもいい。とにかくボクのカザリさんを……
見えてきた……
メーヤだ。久しぶりだ。
ん? 隣にいるやつは誰だ? 男?
許せないな。メーヤの隣にいる資格があるのはボクだけだ。
まぁ、男はあとで食えばいい。さあメーヤ、カザリさんを……
あ、あれ?
ちょっとまって。
キミはだれだ?
メーヤじゃない。
に、西野さん?
あれれれれ?