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第50話「暗黒の巨人」

「こいつらがもしもだ…

 さっきの化け物くらいに強かったら、とんでもなくやばくないか?」


目の前の化け物たちを見て、誰もが思っていることをタイラーが口にする。

ネロは一瞬眉をひそめてから苦笑する。


「もしもじゃなく、確定だろうさ」


霧の中から化け物たちがぞろぞろと現れたが、すぐには襲いかかってこない。

逆立ち女との戦いでアステリアの力を見せつけられ、警戒しているようだ。

アステリアやダーツたちの周りをウロウロしているが、

ある一定以上の距離からは近づいてこない。


クトゥルーにも敵の(おび)えが見て取れた。化け物たちが慎重になっているのは好都合だが、敵が気づいていない弱点を背負っていることに変わりない。


「アステリア様、いかがいたしましょうか。

 あなたの(ほのお)一掃(いっそう)はできましょうが……今度こそ人間たちが耐えられませぬな」


アステリアはため息をついて考え込む。


「私ではなくあなたが戦えばもっと安全に片はつくでしょうけど…

 その間の防御は私にはできないわ」


炎が司るのは破壊と再生。

アステリアは圧倒的な破壊力での攻撃と倒れた仲間の治癒は得意なものの、誰かを守るのは苦手だった。

クトゥルーは多数の相手を一挙に殲滅(せんめつ)することと仲間の防御に長けている。

集団戦ではクトゥルーが圧倒的に強いだろう。

アステリアの炎は味方まで巻き込んでしまうので、戦闘では単騎でこそ力を発揮する。

アステリアが剣、クトゥルーが盾というのがこの場で最良の役割分担だが、強敵の前では相性としては最悪に近い。


「次元が閉じられておるので、眷属(けんぞく)召喚もできませぬ」

万策(ばんさく)()きたってところですか」


ダーツは不敵に笑うが、口から吐き出された言葉は絶望に満ちていた。


ネロがある決意を秘めてその話に加わる。


「クトゥルー様、この障壁は発生後の維持(いじ)にもあなたの力が必要なのですか?」

(いな)だ、性別不詳のエルフよ。

 強力な攻撃に耐えるため、我が力を流し込んでいたに過ぎぬ。

 一度発動すれば、維持そのものに我の力は必要ない」

「なるほど……では、クトゥルー様の代わりに私が維持(いじ)させてみせます。

 ほんの少しの時間かもしれませんが」


ネロが精霊魔法を詠唱し、クトゥルーの障壁にさらに風の障壁を重ねた。

クトゥルーが目を(みは)る。


「これは、我が障壁がかなり強化されておる。

 エルフよ、まさかこんなやり方があるとはな」


ネロは魔法を使った負担で少し汗をかきながらも、ニヤリと笑う。


「我らは弱いですからね。工夫が人類を存続させてきたんです。

 しかしこの魔法は消耗が激しいので、何度も使えるわけじゃありません。

 それに私の使える風の精霊魔法では、熱は大して防げないですから。

 それよりは物理的な攻撃に強いんです。

 人間の使う黒魔法なら熱への耐性も高いのですが」


クトゥルーは重々しくうなずき、人間の工夫に感心する。


(下等と(あなど)っていたが、なかなかどうして……

 我が眷属(けんぞく)召喚が使えれば、眷属どもに障壁を重ねさせれば、さらに鉄壁となるか)



「よし、では任せたぞエルフよ」


クトゥルーは防護壁を抜けて空中に飛び上がる。

防御壁の魔法は外からは鉄壁の守りを誇るが、内側からは容易に出られる。

まるでヘリコプターのブレードのように触手を回して空を飛んでいる。

すべての触手を一つにまとめ、螺旋状(らせんじょう)にねじり始めた。

クトゥルーはそのまま急降下するとドリルのように触手で敵を貫いた。

アステリアの(ほのお)をあれだけ耐えたはずの魔物が、あっさりと体を貫通されて息絶えていく。


クトゥルーのドリルは勢いを増して敵を貫き、()ぎ払っていく。

貫かれた化け物は(みにく)い悲鳴を上げ、肉片をまき散らした。

クトゥルーがさらに回転を増していくと、敵が触手に吸い込まれはじめる。

その様子はまるで、全てを巻き込み、形あるものを砕く竜巻だ。

敵の反撃を受けて体が斬り刻まれても、すぐさま肉片はクトゥルーに融合して再生していく。

アステリアと同じく、もはや出鱈目(でたらめ)な強さだ。

さらに恐ろしいことに、クトゥルーが逆立ち女の攻撃を受けた瞬間その力を我が物とし、触手から投網(とあみ)を放出した。

周りにいる敵が一瞬にして細切れにされていく。


「グッグッグ。愚かしい。神に逆らう者よ、滅びよ」


無数にある触手の吸盤から、大量の投網や毒液がまき散らされる。

それを浴びた魔物たちが次々に(たお)れていく。

クトゥルーは着地すると、積み重なった化け物たちの死体を(むさぼ)り食って巨大化していく。

今やその大きさは10メートルを越していた。

クトゥルーの蹂躙(じゅうりん)が始まった。



「すげぇ」


思わず皆の口から感嘆(かんたん)の声が()れる。

ほとんどの怪物たちはクトゥルーに襲いかかっているが、ダーツたちに向かってくる敵も現れはじめる。


「なるべく近づく敵を牽制(けんせい)しますが、もしここまで到達することがあればなんとしても耐えなさい。

 では、人間たちよ。がんばりなさい」


アステリアが美しく長い髪をたなびかせ、化け物たちに向かって歩き出した。

ダーツたちのすぐ目の前にいた彼女は、一瞬で怪物たちのそばまで移動すると、その美しい均整(きんせい)の取れた肉体を駆使(くし)して攻撃を始めた。

白い太ももの付け根まで見えるほど高く脚を上げて蹴り、間髪(かんぱつ)を入れずに殴りつけて吹き飛ばす。

吹き飛ばされた化け物の体は原型を留めないほど歪むが、すぐさま平然と立ち上がる。

怪物たちがクトゥルーだけでなく、アステリアにも群がって攻撃する。

ダーツたちに向かおうとする怪物をアステリアが牽制(けんせい)して蹴り飛ばす。

しかしあまりにも数が多いため、アステリアの力ををもってしても次第に(さば)けなくなっていく。


「ちっ、この無礼者が! さがれ!!」



ダーツたちの元へ2匹の化け物が勢いよく走り寄ってくる。

近づいてきたのはスケルトンだった。当然、皮も筋肉もない。

だが神経や血管、内臓はしっかりと残っている。

心臓が脈打つ(さま)が見える。血管を流れる血が妖しく光を放っているため、まるでイルミネーションで飾り付けされた骨のように見えた。


取りついたスケルトンたちは障壁に阻まれて入って来れないが、何度も体当たりを繰り返す。

体ごと幾度(いくど)もぶつかったせいか、スケルトンの血管が切れて血しぶきをあげる。

いや、それは骸骨(がいこつ)たちの攻撃だった。

飛び散った血が障壁を徐々に溶かし、穴を開けていく。


「うぐぅ!」


ネロの顔が苦悶(くもん)に歪み、喉の奥からうめき声が()れ出る。

魔力を流し込んで障壁を強化させるが、かなり消耗が激しいようだ。

この攻撃をあと数回も受ければ破られそうだとダーツは判断する。


「ネロ! 大丈夫か!?」


ネロの口から大量の血が吐き出された。


「ああ、まだやれるっ!」


タイラーは何もできない自分に歯がゆい思いをして、地面を殴りつける。

エリュシオンは恐ろしい化け物の体当たりを目の当たりにし、今にも破られるのではないかと、顔色を真っ白にしてカノンにしがみついていた。

そのカノンはネロの体を魔法で(いや)すが、治癒(ちゆ)できるのは肉体のみで、精神力の回復まではできない。


アステリアが怪物たちの猛攻をかいくぐってダーツたちのところへ戻り、骨の化け物を蹴り飛ばす。

障壁を攻撃されていた時間は10秒もなかったはずだ。

それなのにアステリアの援護がやって来るまでの時間が、10分にも20分にも感じられた。

吹き飛ばされたスケルトンは、平然と起き上がって再び向かってくる。

アステリアが炎をまとっても、加減しているために化け物たちをほとんど傷つけられず、力任せに殴って遠くに吹き飛ばすしかできなかった。

次に彼女が抜かれることがあれば、ネロがもたないかもしれない。

クトゥルーは今も次々と化け物を(ほうむ)っているが、その数は一向に減っている気配がない。



「ふうぅぅ……」


ダーツは深呼吸すると、ネロたちを見回して自分の決意を伝える。


「今度抜けてきた敵は、俺が引き受ける」


ネロとタイラーは、ダーツがそう言い出すだろうとわかっていたのか、慌てることなく落ちついた声で静かに(たず)ねた。


「自信あるのか?」


ダーツは不敵に笑って見せる。が、口にした言葉は頼りないものだった。


「ねぇな。

 あっさり死ぬかもしれねぇ。そのときはすまねぇ」


タイラーは自分にできることはないかと()いたが、ダーツは首を振る。


「お前の番は俺の次だ。頼んだぜ」


タイラーは力強くうなずいた。

ヒュプテはダーツの決意の表情を見て、妄言(もうげん)でないことを見出した。


「ただの無謀というわけではなさそうだな。なにか秘策はあるのかね?」

「ええ、うまくやれるかは…まぁそれはおいといて。

 なんとかやってみます」


アステリアですら肉弾戦では苦戦している化け物を前に、無謀な決意に見えたが、ダーツには自分が(おとり)になれるかもしれないという根拠があった。

それは以前、カザリに教わった【心眼(しんがん)】の存在。

カザリが使うその技は、悪魔の動きすら(とら)えられる神技(しんぎ)だ。

ダーツはこれまでにもカザリに何度も特訓してもらっていたが、いまだ発動のきっかけは(つか)めていなかった。

だがカザリの昔話を聞いた時、ふと(ひらめ)いたのだ。


危機察知能力。人間が持つ勘を超えた力。

これは心眼に近い力なのではないかと。

カザリは幼少の頃、殺されかかった時に心眼が開いた。

幼い時になんの訓練もせずに心眼を開けたカザリは、天才だったのだろう。


(俺も無意識に精神力を魔力に変えて使ってるとカザリは言っていた。

 あとはきっかけだ)


自身が死に直面すれば、カザリのように開眼できるかもしれないという淡い期待。

分の悪い賭けだとはわかっていた。

しかしなにもしないよりは、はるかにマシだ。



そしてダーツの出番はさほど時間を置かずにやってきた。


「おのれえええ!」


アステリアの悔しそうな声が聞こえてきた。

必死に怪物たちをなぎ倒していくも、身動きが取れない程に囲まれて押しつぶされる。

(あせ)る彼女は本来の動きができていなかった。

何かを守りながら戦う、それはまったく経験のない行為だったからだ。

1匹の魔物がアステリアの攻撃をすり抜け、ダーツたちの元へ勢いよく駆け寄ってくる。

まさに殺到するという言葉がふさわしい。


ダーツはその様子を見た後、もう一度皆を見回して力強くうなずいた。


「死ぬなよ、ダーツ」

「俺の出番がないことを祈っているぞ」

「ダーツ、キミが今からやろうとすることを興味深く見物させてもらうよ」


ダーツは仲間たちに笑ってみせた。そしてカノンに顔を向ける。


「カノン、俺が死ぬ前に回復頼むぜ。

 まぁ間に合わなくても恨まねぇから。気楽にやってくれ」


カノンは静かにうなずき、ダーツの無事を祈る。


「絶対に死なせません!」


いつもおどおどしているカノンの表情が、今は(けわ)しく引き締められていた。



やってきたのは1匹の犬だった。

しかしただの犬であるはずはない。犬の頭が3つあり、胴体は人間だった。

骨格的にバランスが悪いだろうに、それは四つ足で駆けてくる。

その大きさは(ゆう)に5メートルを越し、その威圧感は見る者をすくませるだけの迫力があった。

まさに伝説の地獄の番犬ケルベロスを思い起こさせる風貌(ふうぼう)だ。

ダーツは障壁から飛び出して走った。

ケルベロスは獲物を見つけたとばかりにダーツを追いかけだす。


「ははは! さすが犬だぜ、走るものを追いたがるってな!」


ネロたちは顔をしかめ、ダーツの無事を必死に祈る。

エリュシオンはダーツの勇敢さをただの無謀だと解釈した。


「彼はなぜあんな無茶を。命を落とすだけなのに」


誰も何も言わなかった。誰しもが思っていたことだから。

しかしエリュシオンと違い、ダーツなら生き残ってくれると信じてもいた。


「ダーツ……」


タイラーは今にも飛び出したくなる己を止めるのに必死だった。



ケルベロスは瞬時にダーツに追いついた。

アステリアと同じ疾風のごとき速さ。

巨大な(あぎと)でダーツをかみ砕こうと口を開き、したたる唾液が大量に大地へ()き散らされる。

ケルベロスの口端(くちは)は首の付け根まで裂けていて、開ききった口は、大輪(だいりん)の花が狂い咲いたように大きく開かれた。

ガチンという金属のような鋭い音が聞こえ、ダーツの足に激痛が走る。

太ももの肉が(えぐ)られた。転びかけるが、待ち構えていたカノンから回復魔法がすぐに飛び、よろけただけで済んだ。


「うおおおおああああああああああ!!!」


ケルベロスのフッフッという、笑い声にも似た(おぞ)ましい吐息が首元にかかる。

後頭部が押し(つぶ)される、なんともいえない嫌な感触の後、狂犬が巨大な(あご)が肩を(とら)えた。

押し潰される圧力をダーツが感じた瞬間、自らの体を鋭い刃が無数に通り抜け、重要器官が悲鳴を上げる。

胸部から腹にかけて、半分以上が一撃で食いちぎられた。

しかしカノンが必死に治療(ちりょう)(ほどこ)す。

それは奇跡のタイミングだっただろう。一瞬でも遅れれば死んでいた。

それほどの重傷を瞬時に治すカノンの魔法は、アステリアの究極回復魔法に限りなく近いといえた。

一瞬の好機を見極められたのは、カノンにも黒いモヤが見え始めていたからだ。

ダーツに振り下ろされた死神の鎌を、黒いモヤとして見ていたのだ。

だが必死でダーツを回復させているカノン自身は、そのことに気づいていない。


ダーツを死の(ふち)から救い出した直後、カノンの体から一気に力が抜けてそのままくずおれそうになった。

魔力を大量に消耗する究極に近い魔法を使っているのだ。

カノンの顔色があっという間に白くなった。

彼女の身体から大量の脂汗が流れ落ち、大地に染みをつくっていく。

意識が飛びそうになり、目が(かす)んでダーツがはっきりと見えなくなっていく。



ダーツは自分が死の一歩手前まで落ちたことを悟る。

目の前が真っ暗になっていき、意識が飛ぶ瞬間をスローモーションのように感じていたのだ。

ダーツは知らず無様に悲鳴を上げた。


「ぎゃあああああああああああ!!!!!!」


なりふり構わぬ絶叫。

死を覚悟していたとはいえ、本当の死の恐怖をダーツは知らなかったのだ。

そこにあったのは、孤独と絶望。安寧(あんねい)とは正反対のどこまでも冷たい世界。

それが死だ。

自分という存在が消えていく恐怖。本能が狂おしいほどの絶叫を上げさせる。

死にたくない……と。

圧倒的な死の恐怖の前に、ダーツはいつの間にか涙を(あふ)れさせ、正気を失いかけていた。


次にガチンと音がしたとき、ダーツの右腕がちぎれ飛んだ。

だが痛みは感じていなかった。いや、腕が取れたことにすら気づいていなかっただろう。

カノンからの回復が飛んで、失われた腕が再び元に戻った。


アステリアは次々と回復魔法を使うカノンを、信じられない面持ちで凝視(ぎょうし)した。


(失った肉体を復元? 私の究極魔法だからこそ可能なはずなのに……

 カノンの魔法は私の知らないものだわ。

 一体なんなのあの力。

 クトゥルーの復元も千切れた肉体を戻す能力だし。

 失った肉体を戻す技の存在は知らないわ……)



ダーツが魔法の障壁から走り出て、まだほんの20秒程度しか経っていない。

しかし、もう何時間も逃げ続けている気がした。

ダーツの目にはケルベロスは映っていない。

死神が鎌を振りかざし、今にも振り落とさんとする姿が見えていた。


死神が鎌を振るい、ダーツの肩を斬り落とそうとした。

ダーツはそれを避けた。

金属音だけがその直後に聞こえた。

また鎌が振られるが、ダーツはそれも避けた。

鎌が振り下ろされる直前、自身の体に重なって黒いモヤが見えたのだ。

それに気がつくと、失いかけた正気を急速に取り戻した。


「まさか、まさか! これか! カザリ! これがそうなのか!!!!」


ダーツは喜びとも驚きともつかぬ叫びを上げていた。



クトゥルーは魔物たちを斃しつつも、ダーツとネロを横目で見、2人の活躍に舌を巻く。


「人間の戦闘は初めて見たが、これほどやるとはな。

 我はいつも眷属(けんぞく)召喚だけで終わらせるからな……

 陛下の命だからこそ守らねばと思っていたが、人間よ、なかなか気に入ったぞ」



アステリアもダーツやネロの働きに驚愕していた。

人間ごときと(さげす)んでいた下等生物が、自分と同じ領域に達するかもしれない魔物の攻撃を何度も避け、そして防いでいるという事実。

それは信じられない光景だった。


「ゴミはゴミね。でもまぁ上等なゴミってところかしら」


アステリア自身も、自らが戦うことはほとんどない。

彼女自身が戦場に立つほどの敵はおらず、王城で部下たちから勝利の報告を聞くだけであった。

だが今は、アキラの(めい)がある。

彼らを死なせるわけにはいかなかった。

アステリアは津波のように怒涛の攻撃を回避して殴り飛ばす。

一刻も早くダーツの救援に向かいたかった。

ダーツは懸命に回避しているが、その限界は近いだろう。

心眼の力はあるものの、回避できているのは、ほぼ奇跡と言えるほどの偶然が重なっているに過ぎない。

幸運の女神が一瞬でも目を()らせば、そこには無残な死が待っている。


「どけえええええ! クソ虫どもがぁぁ!!」


アステリアの(あせ)りがさらに(つの)り、いつもの実力をほとんど出せていなかった。


クトゥルーも人間を救いたいと思い始めたが、今自分が攻撃の手を緩めるということは、眼前の魔物たちの気を()けなくなるということ。

ダーツの命を救わねばならない。

先ほどまで冷徹と言えるほど冷静だったクトゥルーは、人間への興味によって焦燥(しょうそう)というものを初めて感じた。

彼ら悪魔の(あせ)りと迷いが、敵の攻撃を喰らってしまう大きな隙を作りだした。

アステリアの四肢(しし)が切り裂かれ、大地に(くず)れ落ちる。

クトゥルーの触手も投網(とあみ)をまともに喰らって細切れにされた。

巨大な体が地に沈んでいく。


「ぐうぅ!」

「きゃああ!!」


アステリアはすかさず体を炎に変化させて復元し、クトゥルーもあっという間に肉体を再生するが、化け物たちへの妨害が一時的に止まることになった。

アステリアたちが再生している隙に、ネロやダーツへ化け物たちが襲い来る。



障壁へ大量の怪物が群がり、ネロは血を吐くほどの雄たけびを上げる。


「うおおおおおおおおおおお!!!」


体が言うことをきかなくなって倒れ、痙攣(けいれん)しはじめた。

それでも魔法壁を維持するために精霊魔法を使い、障壁を修復して強化する。

数十の化け物が一斉に攻撃を仕掛けるが、強固な防御を突破することができない。

ネロの目は血走り、血の涙が流れ始める。

声を出す体力を惜しみ、ただ歯を噛み締める。

アステリアたちが慌てて駆けつけて魔物を蹴散らすものの、一度崩れた陣形はもはや修復不可能になっていた。

魔法壁のまわりにアステリアとクトゥルーが立って敵を蹴散らしているが、ダーツの(おとり)はすでに役に立っておらず、防護壁への攻撃も食い止められなくなる。

タイラーが絶叫して飛び出そうとするが、ヒュプテに抑えられる。

ネロはすでに意識を失いかけていて、まだ魔法が使えているのは、仲間を守ろうとする執念でしかなかった。

ダーツも皆に合流して、少しでも自分に的をそらそうととしたが、乱戦状態になったいま、なにもできていないに等しかった。


誰もがこれ以上はもう無理だと諦めかけたその時――――



激しい光が霧に覆われた白い世界をさらに白く染め上げ、耳をつんざく轟音が鳴り響いた。

ゴロゴロゴロロロ……という雷のような異音が空にこだまする。



白一色だった世界に、黒い染みが現れた。

空の一画に広がるただの黒い染みに、化け物たちが攻撃の手を止めて異常にうろたえ始めた。

白いキャンパスを真っ黒に染め上げるように、ゆっくり広がっていく。

黒い染みだと思われたものは暗雲だった。

アステリアたちの上空に巨大な(いかづち)(まと)った暗雲が現れ、空一面へ急速に広がっていく。

巨大な質量を持つかのように厚みを増し、雷によって黒雲が妖しく輝く。

天の怒りを(あらわ)すように、地上に向かって十数本もの雷が落ちる。

雷鳴が轟き、大地を激しく打ちつけ、地を(えぐ)っていく。

雷に打たれ、一瞬にして灰と化す魔物たち。

怪物たちはパニックになった。

あらぬ方向へと一目散に逃げ出している。


ただの落雷ならば、怪物たちは平然としたまま無傷であっただろう。

アステリアたちは化け物の様子から、これがただの雷で無いことを理解する。

クトゥルーは人間たちの周囲に光の障壁を張り、アステリアにも防御魔法をかける。

それが果たしてあの雷に対して効果があるのか、クトゥルーにもわからなかった。

彼女たち魔族はなにか未知のモノが現れたのを悟り、油断なく身構える。


「クトゥルー、人間たちを守って」

「承知」


空が暗雲の重さに耐えられなくなったかのように、黒い雲は地上へと()れ下がり、地上に流れ込んでいく。


化け物たちも、悪魔たちも、人間たちも、全員が見た。

それは暗雲などではなかった。

大型トレーラーほどもある巨大な黒い足甲(そっこう)、それが2つ現れて大地を踏みしめた。

いや、足の形をした雲というべきか。


だがそれは確かな重量を(ともな)っていた。

黒雲の足が大地を踏みしめた瞬間、立っていられないほどの震動が起こり、地面にいくつもの亀裂(きれつ)が走った。

大地が崩壊していく轟音は、世界の終わりを告げる悲鳴のように聞こえた。

暗雲はいくつもの稲妻を(まと)い、巨大な人の形をとっていく。

比較するものがない白い世界では、その大きさを測ることはできないが、この巨人からすれば、アステリアたちは(あり)にしか見えないだろう。


黒の巨人の背中にコウモリの翼が生えて広がった。

途方もなく巨大な翼は、広げられた先端が白い霧に(かす)んでいる。

全長を知ることは難しいが、さっと100メートル以上はありそうだ。

赤黒く光る巨人の目は憎悪に満ちていて、耳まで裂けた大きな口を開くと、ただ生物を殺すためだけに作られた凶悪に光る牙が見える。

アゴの限界が無いのではと思わせるほど、口が開いていく。


「グオアアアアアアア!!!」


黒の巨人が世界中に響き渡るような咆哮(ほうこう)(とどろ)かせた。



アステリアとクトゥルーですら、現れたモノに恐怖していた。

(まぶた)は瞬きを忘れ、体が大きく震え出し、凍らされたかのように筋肉が硬直する。

彼女たちほどの高位の悪魔になると、自らが死を迎える時ですら、恐怖を覚えることはない。

だからいま、初めて感じている恐怖に戸惑う。


震える体を意志の力で止めることができず、歯の根が合わずカチカチと鳴る。

周りにいる化け物たちも恐怖に(おび)え、動けなくなるモノや地面をひたすら転げまわっている怪物もいた。

ある化け物は錯乱したのか、黒雲に向かって走り出し、そのままあっけなく滅びていく。

アステリアたちを襲おうとする化け物はすでに1匹もおらず、この場にいる全ての者が、世界の終焉(しゅうえん)をもたらす闇の(かたまり)にただ(おび)えるだけだった。



ダーツたちはなんとか正気を保つだけで精一杯だった。

気力を振り絞らないと狂い死んでしまいそうだった。

悪魔たちの殺気が優しいと思えるほどの圧倒的恐怖。

エリュシオンのようにあっさり気絶できるほうが、どんなに楽だろう。

ネロは先ほどの魔法ですでに意識を失って倒れていた。

それはある意味幸運でもあった。

精神力を消耗した状態であれば、目の前に顕現(けんげん)したモノに発狂していたかもしれない。

タイラー、ヘイラ、ダーツは(かろ)うじて耐えている。

いや、もしあの赤い瞳がダーツたちに向けられれば、恐怖のあまり失禁し、恐慌(きょうこう)をきたして、ただ闇雲に逃げ出したかもしれない。

ヒュプテはいつもと変わらず…いやこの事態の中で笑みさえ浮かべていた。

そして、カノン。

彼女はなぜか、巨人を見て悲しそうに涙を流していた。



だから誰も気がつかなかった。

いつの間にか白い霧が払われ、周りに崩壊(ほうかい)した巨大な建物が立ち並んでいることに。


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