第49話「前兆」
「アキラ様あぁぁぁぁ!」
アステリアの悲痛な絶叫が霧の中にこだまする。
追いすがるように手を空に向け、黒い霧となって天に消えつつあるアキラの名を、なおも呼び続け吼えた。
「いやああああああああああ!
私を置いていかないでぇぇえ!!!」
アステリアは天に向かって大きく跳躍する。
その手が上昇していく黒い霧に触れ、その瞬間に灰へ変わる。
顔の一部も灰と化して彼女は墜落し、地面に叩きつけられた。
それでも立ち上がり、負傷を顧みることなく再びジャンプした。
だがすでに黒い霧ははるか上空へ立ち上っていき、その姿を消してしまった。
「アキラ様ぁぁ! 嫌です! 嫌です!!」
アステリアだけでなく全員が空を見上げて呆然とする。
その時、霧の中から笑い声が聞こえ、ダーツたちは再び身構えた。
いやらしく、人を小バカにしたような笑い方だ。
「ひっひっひっひ」
ダーツは霧の先のぼんやりとした影を鋭く睨みつけ、憎しみを込めた呪いの言葉を吐き捨てる。
「てめぇがカザリを……許さねぇ……」
いつもは冷静なネロと温厚なタイラーも、怒りをあらわにして睨みつけている。
深い霧の中からペタペタという音を立てて現れたのは、逆立ちをして長い髪を振り乱した全裸の若い女性だ。
足首があるはずの箇所には、年老いた男の顔が2つ鎮座している。
女が動くたびにグラグラしているのは、足首と一体化しているのではなく、ただ足首の先に男の頭が乗っかっているだけなのかもしれない。
くるぶしからは老人のしわくちゃな手が生えていて、たまに落ちそうになる顔を支えている。
老人の指先からは無数の糸が垂れていて、糸の先は逆立ちした女の顔へ神経のように張り付いている。
指先がクイッと動くと、女の口角が引っ張られて笑顔になった。
突然、女の口から勢いよく投網が吐き出された。
「……ふん」
クトゥルーは一瞬にして魔法を発動させた。
オレンジ色に光るドーム状の防護壁がヒュプテたち全員を包む。
防護壁の上に次々と投網が降ってくる。
「ごあえぇえええ!」
苦悶ともとれる声を上げながら、逆立ち女は次々と投網を発射してくる。
ネロが投網を睨みつけた。
「これがカザリを細切れにしたやつだ」
投網は空中で5メートル四方にまで広がり、クトゥルーの障壁を覆った。
「2度同じ手を食うわけがなかろう。尻を見せ続ける痴女よ」
しかしジュウウウという音をたて、投網がオレンジの光の膜を抜けてこようとしていた。
「うぬっ!? バカな、我が防護が破られそうだ!
みな下がれ!
アステリア様もお早く!」
しかしアステリアは、アキラが黒い霧となって消えていった天をいまだ見つめ、呆然と座り込んでいる。
「ここを切り抜け、陛下を探しにいきましょうぞ!」
アステリアは、はっとしたようにクトゥルーを見た。
コクリとうなずき、立ち上がる。
老人たちの顔はずっと無表情のままだが、糸を操って女の顔で感情を表している。
アステリアたちの様子を見て女に笑わせていた。
「あひっひっひっひ」
逆立ち女は再び投網を吐きかけてきた。
「私がやりましょう。クトゥルー、皆の守りをお願いします。
彼らの命を守るのは陛下の厳命ですからね。
次の失敗は許されません」
タイラーがふと思いついたことを口にした。
「地面に落ちた網の中に俺たちが入れば、かなり丈夫な防御にならないか?」
クトゥルーが小バカにしたように笑う。
「愚かな。あの投網の自重だけで我が障壁が破られそうなのだぞ。
網の中に潜り込んだらどうなるかわかるだろう。
仮に入れたとして、敵が網を引っ張ったりすればやはり肉片だ。
あの網自体に特殊な力があるのだろう。
ただの丈夫な糸と思わぬほうがいい」
「そ、そうか……すまない。なんとなく思いつきで言ってしまった」
ヒュプテはタイラーのアイデアを面白いと笑った。
「できれば持ち帰りたいものだね。かなり強力な武器や防具になると思うがね」
アステリアが苦笑し、オレンジ色の防御壁の外へ静かに歩き出す。
「意外と余裕があるようで良かったわ。では全員生き残ってください」
アステリアが簡単に障壁を抜けたのを見て、ダーツが疑問に思う。
障壁は外からの攻撃は防ぐが、中からは自由に出られるとクトゥルーに説明された。
アステリアは逆立ち女の前に立つと、息を大きく吸い込み、火炎放射器のように炎を吐きかけた。
ゴアアアアアアアアアア!
背筋の凍る音をさせる。
あっという間に逆立ち女が業火に包まれるが、まるで意に介さずなおも投網をアステリアに吐きかける。
火に耐性でもあるのか、炎を浴びても逆立ち女はまったくの無傷だ。
投網に向かって火炎を吐き出すが、網はまったく燃えずにアステリアを襲う。
高速の動きで網を避けるが、炎が効いてないことでアステリアの顔は憎々しげに歪んでいる。
「おのれ!」
アステリアの身に纏う焔が、赤から白へと変わっていく。
吐き出す炎も白くさらに高熱になるが、それでも網は燃え上がらず、アステリアをさらに苛立たせる。
彼女は魔王の近衛騎士であり、軍団の筆頭でもある。
並みの魔物ならば、アステリアの炎の前に数秒も立っていられない。
いつの間にかアステリアの周辺には、大量の網の山ができていた。
細い糸の網が山になるほどだ。一体どれだけの量が吐き出されたのか。
そして1つとしてアステリアを捕えた網はない。
ダーツたちの目には、いつの間にか投網が増えたようにしか映っていない。
勇者メーヤ戦の時のような、目にも止まらない速度での攻防だ。
「ちきしょう、俺たちはなにもできねぇ。
カザリの仇もとってやれないなんて、情けねぇ……」
タイラーもうなだれ、肩を落としながらも剣を握りしめる。
「戦士の俺が戦えないなら、なんのためにここにいるんだ。
見てるだけのために来たんじゃない。戦うために来たはずなのに……くそっ!」
ネロもただうつむきき、首を横に振った。
「ただの足手まとい……か」
クトゥルーがグッグッグと笑う。
「己の弱さを嘆くか。それもまた弱さだ。悲しき生き物よな」
ダーツには何も言い返すことはできなかった。
その通りだったからだ。
力がないから、なにも守れない。
自分の家族も、カザリも死なせてしまった。
「そうかもしれない。だが、俺は人間に生まれて悲しいと思ったことはない。
かけがえのない仲間がいる。
カザリが死んだのも仲間のため、アキラ……陛下のためだったんだ。
どうだ、魔族に真似できるかい?
俺は人間で良かったさ」
ネロもタイラーも自信を持って力強くうなずく。
クトゥルーはダーツたちを眺め、目を細める。
「仲間か……弱者の群れという認識しかないが。
我は陛下のためには死なぬ。死ねばもうお役に立てぬからだ」
ダーツはふと、クトゥルーとアステリアのやり取りを思い出した。
「アステリア様とは仲間じゃないんですか?」
「……わからぬな。我とアステリア様の関係は、王に仕える者同士」
「先ほどアステリア様に、ここを切り抜け陛下を探しに行こうと言ったあなたは、アステリア様に仲間意識を持っているのかもと思ったんですがね。
あれはアステリア様を心配した言葉に聞こえましたよ」
「ふん、くだらぬ。
ここを切り抜けるためには、アステリア様の力が必要だから言ったまでだ。
我自身が戦うことが今はできぬ。
お主らを守れとの陛下の厳命があるのでな」
「そうですか……」
しばしの沈黙のあと、クトゥルーが微かに呟いたのをダーツの耳は捉えた。
「いやしかし……心配だと? だが、そんなはずは……」
クトゥルーが少し困惑していた。
ダーツはそれを見て、絶対に理解できないと思っていた悪魔に、ほんの少しだけ人間味を感じた。
アステリアの纏う火炎が白から青へと変化していく。
今のままでは攻撃がまったく通用しないため、炎の温度をさらに上げたのだ。
メーヤすら撃退したあの劫火だ。
高熱で空気が揺らいで視界が歪み始め、大地が沸騰し液状化していく。
クトゥルーがダーツたちを防御しているから無事でいられるが、結界が解ければあっさりと溶けて蒸発してしまうだろう。
エリュシオンは恐怖に顔をゆがめ、ヒュプテは興味深そうに戦いを見守っている。
ヒュプテはこの流れを分析する。
アステリアたち高位の悪魔は、あまりの強さゆえに相手を知ることもせず、また、なめてかかる。
それは負けることがまず考えられないからだ。
戦略も戦術も持たず、ただ力を揮うのみ。
この場合の最善は、アステリアたち2人で一気に化け物を倒すことだった。
2人でかかれば、戦力外であるヒュプテたちを攻撃する余裕も生まれない。
そもそも共闘などという概念が悪魔にはないのであろう。
命令なくば、悪魔はただ一人で戦う。
魔王であるアキラの命令を忠実にこなすため、人間の命を守ることを優先した。
それはカザリを殺され、慎重になった悪魔の愚かな選択であった。
なにかを守りながら戦うことは、悪魔には経験がないだろう。
しかし生命の危険に晒されながらも、ヒュプテは楽しかった。
これほど間近で高位悪魔の力を知ることができるのだ。
こんなチャンスは滅多にあろうはずがない。
だから彼は、何も伝えず見守ることにした。
これまでの火炎攻撃に平然としていた逆立ち女が怯み始める。
女の皮膚が焼かれ、皮がベロリとめくれあがり、地に落ちていく。
老人の顔は無表情のままだったが、女の顔は苦痛に歪んでいる。
網はそれでも燃えていなかった。
アステリアの超高熱をもってしても、逆立ち女も網すら燃やすことができない。
その事実にアステリアがいよいよキレ始め、炎を何度も吐きかける。
あまりの敵のしぶとさにダーツが舌を巻く。
「勇者メーヤさえ耐えきれなかった炎が効かないなんて……そんな生物いるのか」
クトゥルーが敵を睨み、忌々しげに吐き出すように答える。
「我が防御壁を越えてくるほどの糸だ。
アステリア様の炎を耐えてもおかしくはない。
まさかこれほどの敵が存在しようとはな。
我等も長く戦ってきたが、次元世界は広いと痛感させられる」
「だが、これでも燃えないって、どうやって倒せば……」
クトゥルーの大きな目が細められる。
「アステリア様、我が全力をもって防御魔法に専念いたします。
少しだけ本気を出してください」
「え? こ、これで本気じゃないのか?」
「アステリア様が本気になれば、我の防御はあっさり突破され、瞬時に溶け崩れるだろう」
「まじかよ……」
アステリアはクトゥルーの方をちらりと見てうなずいた。
クトゥルーとダーツたちはゆっくり後ろに下がって距離を取る。
逆立ち女が後退するダーツたちを牽制するように網を吐きかけるが、アステリアがその隙に女の横腹に蹴りを入れて吹っ飛ばす。
激しく地面を転がったものの、まるでダメージは無く、ケロリとしていた。
何度も投網を邪魔するアステリアが鬱陶しくなったのだろうか。
ダーツたちを攻撃するのを止め、アステリアだけに集中して攻撃を始めた。
アステリアが豆粒ほどの大きさに見えるまで後退し、クトゥルーは地を轟かすほどの大声を上げた。
「アステリア様、ここで耐えます!」
クトゥルーの声が聞こえた瞬間、アステリアが不敵に微笑む。
彼女の服が形を無くし、すべてが青い炎に変わっていく。
美しい顔や体の輪郭がおぼろげになっていき、炎の体へと変化していった。
人の形をした焔。
その状態になった途端、怪物がもがき苦しみだした。
山盛りになった無数の網もついに溶け出す。
アステリアの下にあった大地がボコリという音を立てて、巨大な空洞になった。
次の瞬間、マグマが下から噴き出した。
逆立ち女の悲鳴が霧の中に響き渡る。
「フフフ……苦しい? そお。じゃあもっと苦しんで」
勝利を確信したアステリアだったが、ダーツたちの状況を心配した。
(この熱量で大丈夫かしら……もっと離れて戦わないと……
いえ、はやく決着をつけるべきね)
クトゥルーが苦悶の呻きを上げた。
「ぐおぉぉ!! 人間よ、障壁から出ぬようにゆっくり下がれ!
少しでも距離を取り、熱源から退避するのだ。
気休めかもしれんがな……」
オレンジ色の防護壁はさらに輝きを増していく。
それでもアステリアの圧倒的熱量が防御結界を超えて伝わってくる。
あまりに激しい熱で、ダーツたちの服が燃えだした。
「うおっ!! ウソだろ! こんなところまで熱が!!」
すかさず燃えた部分を手で払い、地面に転がって炎を消す。
腕の皮膚が赤くただれ、水膨れができているのを見てタイラーがぼやく。
「くそ、焼け死にそうだ。とんでもないぞ……」
タイラーはすでに金属の鎧を外している。
戦場で鎧を捨てねばならないことに、かなり憤りを感じていた。
ネロは精霊魔法の風防御を全員にかけてはいたが、焼け石に水だった。
「もっと上位の魔法はあるが、ここまでの熱では役に立たない……
アステリア様の風魔法でどうにかならないのか」
クトゥルーが苦々しく答える。
「アステリア様は炎の化身である。
その他の属性も扱うことはできるが、かなり苦手である。
我の防護以上に守れるとは思えぬ」
ヒュプテが水袋を取り出し、布に水を含ませてエリュシオンの口に当てる。
「熱気で肺がやられます。
いや、すでに少し焼けているでしょうが。
皆、布に水を含ませて口に当てろ。
すぐに蒸発して乾く。常に布に水を含ませ続けろ。
あとは水がなくなる前に勝負がつくことを祈ろう」
エリュシオンの布が真っ赤に染まっている。
血を吐き出したのだ。
全員の布も同じく真っ赤に染まっていく。
目も開けていられなくなり、エリュシオンが倒れた。
ダーツたちも全員倒れ伏すが、なんとか這いずってアステリアから少しでも距離を取ろうとする。
ヘイラがエリュシオンを引っ張って後ろに下がる。
全員の目からは血が流れだし、限界が近い事を教えている。
ダーツは動けなくなったヒュプテを引きずる。
タイラーもネロを引っ張るが、ほどなく力尽きて倒れる。
アステリアがまだ焼け死なぬ逆立ち女に苛立ちを覚え、そして焦る。
(このままでは人間がもたない。危険すぎる。
ここで炎を抑えるべき? しかし倒さねば、こいつはずっと襲ってくる)
多少の距離を稼いだ程度では、もはや誤差でしかない。
焦るものの、勝負を早くつけるためにもっと温度を上げることもできず、かといって長引けば人間が先に参ってしまう。
逆立ち女を倒せても、アキラの命に背くことになる。
(ダメ、これ以上は先に皆がやられてしまう)
アステリアは仕方なく炎の温度を下げ始めた。
逆立ち女が笑い出した。
自分を燃やす前にアステリアの力が尽き始めたと勘違いしたのかもしれない。
憎々しげに逆立ち女を睨みつけ、打撃技で攻撃するも逆立ち女にはまるで通用しない。
そのとき、クトゥルーの咆哮のような大声がアステリアの耳に届く。
「アステリア様! こちらは大丈夫です!」
人間を心配してアステリアが攻撃の手を緩めるのを感じたクトゥルーが、続行するようにと声をかけたのだ。
アステリアはそれを聞き、敵を倒すことに専念すると決心した。
どうやって人間を守っているのか謎だったが、クトゥルーが言うのであれば間違いないと信じた。
そして再び温度を上げ始めると、逆立ち女は苦しみもだえた。
「今度こそ死んでもらうわ」
クトゥルーは信じられぬ光景を見ていた。
カノンの体が焼けていくと同時に、自然回復していた。
まるで不死身の肉体のようなカノンは、治癒魔法を唱えて皆を癒していった。
クトゥルーが全力で防御魔法を使っているいま、カノンにしか回復できない。
一瞬でも治療が遅れれば焼死という、危険な綱渡り状態での治癒だった。
全員の服はすでに燃え尽きて全裸で、身体が燃え出している。
回復量とダメージ量が均衡を保っている。
ダーツが朦朧とする意識のままでクトゥルーの声を聞く。
「人間たちよ、よくぞ持ちこたえた。勝負は決した」
老人の顔が女の足首から転げ落ちる。
女の顔の肉は骨が見えるほど溶け、口が融解して開かなくなり、網を吐き出すこともできなくなっていた。
逆立ち女は倒れてバタバタともがいているが、炎は消えずに身体が焼けていく。
その動きは次第に小さくなり、そして完全に動かなくなった。
アステリアは魔力を抑える。火焔の化身となった体が、美しい姿に戻っていく。
「皆は無事かしら……
あまりにしぶとすぎたわ」
皆の元へ急ぐ。
アステリアがクトゥルーたちの元へ近づくと、信じられない光景が見えた。
かなり焼け焦げている全員の肉体にカノンが回復魔法をかけ、重傷の体を治していた。
アステリアがカノンを不思議そうに見た。
「カノン、あなた……無事なの? それにそんな回復魔法が使えたの?
なかなか強力ね」
「あ、はい。昔から回復魔法だけは得意です……」
クトゥルーも驚きの声を上げる。
「我が体すら焼けたというのに、カノンはまるで無傷だ。
しかし彼女のおかげで人間たちは死なずに済んだ」
アステリアも回復魔法を全員にかけながら謝罪する。
「ごめんなさい、敵が想定以上にしぶとかったわ。
あんなものがいるなんて聞いたこともないわ。
でも皆無事で良かった」
アステリアがカノンをじっと見つめる。
「でも、なぜかしら……あなた、メイドよね?
その魔法は千人隊長クラスじゃないと使えないものじゃなかったかしら」
「あ、私……なぜか前より治癒が得意になっているみたいです」
カノンがぎこちない笑顔を浮かべている。
「不思議ね……なぜそれほどの魔力を持ちながらメイドだったのかしら……」
治癒を終えた後、アステリアが胸元から全員分のローブを取り出し、皆の体の上に被せた。
「我、常々思っておるのですが、どうやって胸元にそれほどのアイテムを収納しておるのですか?」
アステリアはふふんと鼻で笑う。
「乙女の谷間には秘密が一杯なのよ」
☆
カノンとアステリアの魔法のおかげで、さほど時間を置かず、全員がうめき声をあげながら目を覚ました。
ダーツがローブを羽織り、自分の体の様子をチェックする。
「おいおい……裸になってるじゃねーか。
まさか装備が全部燃えちまったのかよ。
それでも助かったのか、俺たち……信じられねぇ」
ダーツはそう言いながらカザリの体を探した。
だが燃え尽きたのか、どこにも見当たらなかった。
ダーツは首を横に振り静かに目を伏せた。
クトゥルーは防御魔法を解除せぬまま、辺りを油断なく見回している。
「うむ、ローブ一枚の変質者たちよ、カノンに感謝するといい。
脆弱なるお前たちを救ったのはカノンだ」
「まじか……カノン、感謝するぜ」
皆、一様に驚きの目をカノンに向け、感謝の言葉をかけた。
カノンは頬を赤らめ、慌てて顔をうつむかせて照れていた。
そんな中、ネロが不思議そうに尋ねる。
「しかし、誰がこんなにローブを持ってたんだ?」
確かに……と全員が首を傾げた。
アステリアがえっへんと胸をそらして自慢する。
「私よ。こんなこともあろうかと用意しておいたのよ!」
ヒュプテが眉をしかめ、悔しそうに唸った。
「そんな想定をしていたとは。
私もまだまだ甘いということですか」
☆
皆が安堵する中、ダーツの背筋に悪寒が走り、小声で叫ぶ。
「やばい、また嫌な気配する!
さっきよりも……だ。こりゃやばい。
くそ、死神が背中に張りついてる気分だぜ」
ダーツたちの顔色が真っ白になり、脂汗がしたたり落ちる。
「王女殿下、もっと皆の中心に寄ってください」
カノンやヒュプテ、エリュシオンを中心とし、他の皆が周りを固める。
アステリアがダーツたちを横目で見、感心した声を上げた。
「本当に便利な力ね。
私たちには危機を察知できないから、こんなときは不便だわ」
あまり喋らないタイラーが珍しくそれに答えた。
「ある冒険者の魔法使いが言っていました。
人間には元々死を感じる能力があると。
死と隣り合わせの中に生きていると、さらに研ぎ澄まされるそうです。
微弱ながら人間に流れている魔力が、発揮されているのではないかとの話でしたね」
「人間に魔力……? へぇ、面白い説ね。
人の魔法とは精神力を魔力に変えると聞いたことがあるわ。
もしかすると無意識に魔力に変換し、感知能力を上げたのかもね」
ペタペタという音が再び全員の耳に響く。
アステリアたちも最大レベルに警戒し、気を引き締めた。
ダーツがゴクリとつばを飲み込む。
「この音、まさか、逆立ち女がまた?
まて、こりゃ……うそだろ……」
霧の中に無数の影が見える。
「ま、まさかこれ、全部……」
ダーツの予想が的中する。
ゆっくりと霧の中から現れる化け物たちの群れ。
何百という数の化け物たち。
その姿はどれも神の失敗作としか思えない奇怪なものだ。
20メートルは越す大蛇の鎌首が持ち上がり、その口が大きく開くと、口内から人間の骨が上半身だけ現れる。
喰った人間を吐き出したかのように見えた。
またある怪物は、まるで内臓の集合体のような馬が、血を吐きながら嘶きを上げている。
腹部のない人間もいた。
いや腹の部分で血管のような赤黒く手細い管がウネウネと無数に蠢き、上半身を支えている。
二人三脚をしているように、肩を組んだ笑顔の人間もいる。
まるで場違いに見えたそれが、人間でないのはすぐにわかる。
顔が突然地面に落ちた。
人間の顔だと思ったそれは、フナムシのような生き物であり、ビクビク動いた。
フナムシは顔の部分に戻ると、人間の顔のように姿形を変化させる。
よく目を凝らせば、体中の至る所から触覚が動くのが見えた。
フナムシの集団が擬態しているのだ。
怪物の集団の中には逆立ち女も混じっている。
見るに堪えない異形の者たち。
アステリアたちですら見たことがない魔物たちが、無数に現れたのだ。
さすがのアステリアとクトゥルーも絶句していた。
このとき、誰も気づいていなかった。
白い霧の上空に、黒い霧が広がっているのを。
黒い霧は暗雲のように雷を纏い、どんどん質量を増して地上に近づいていた。