第5話「古き神」
「で、いかがでしたか?」
「ナイアーラ…お前にもすでに分かっているのだろう?」
ここはクトゥルーの居城である神殿。アキラの居城からは遠く離れた場所にある。
普通の人間が徒歩で行くと一週間はかかるだろう。
半ば水没しかけた神殿の一角にあるクトゥルーの自室で、
ナイアーラは楽しそうにクトゥルーへ艶然とした笑みを浮かべる。
ナイアーラと呼ばれた女性、その姿は漆黒。顔も体も全てが漆黒。
いや、目も鼻も口もないそれは顔と呼んでいいのだろうか。
墨を流したような真っ黒なシルエットにしか見えないが、
完璧な黄金比のプロポーションは美しい女性であることを示している。
「8:2……と言ったところだろう。」
「まぁ! あなたがはっきりしないなんて…それで8はやはり?」
「ああ、あれはただの人間だろう」
「フフフ。ワタクシも人間だと思ってましたわ。
ほとんどの者は、なんらかの理由で陛下がわざと人間のフリをしている……
そう思っていますね」
ナイアーラはクトゥルーのタコの頭に手をずぶりと埋め込む。
その手は抵抗を受けることなくクトゥルーの頭にめり込んでいく。
クトゥルーは歓喜のうなり声を上げつつ、ナイアーラの右脚を口の中に入れて
食べだした。
彼の口は頭部の真下、触手の付け根にある。外側からでは口腔は見えない。
ナイアーラも右脚が食われながらもクトゥルーの頭部に食らいつく。
愉悦の嬌声を上げながら、お互いを食べる。
荒い息をつきながら、ナイアーラはクトゥルーに尋ねた。
「ハァハァ……それで……2はどういう理由なのですか?」
「陛下の側近、アステリアだ。
あやつは王にもっとも忠実なる者だ。
陛下への恋慕は間違いなく本物だ。
あやつが今の陛下にあれほど陶酔しているのだ…偽物であるとは思い難い。
ククク、しかし恋慕もあそこまで行くと…な。
聞いたことがあるだろう? 陛下監禁事件……をな」
「ウフフ…アステリア様は狂神ですからね…
確か…専用の拷問部屋に数か月監禁していたとか……。
陛下もよくその所業をお許しになったものですわ」
「さすがに激怒しておられたが……な。しかしほかの者にとっては
罰に値するものであっても、あやつにとっては褒美にしかならないからな…
陛下から与えられたら恥辱であれ苦痛であれ、すべて喜びに変わってしまう。
確かあの時の罰は…1年間自分の前に姿を見せないこと……だったか。
1年ぶりに陛下の前に現れた時を思い出すと……
今でもあの異常ぶりは、我ですら身震いがする」
「ええ、恋慕が募り過ぎて狂ってしまわれていました……
陛下に飛びつき、全身をめった刺しにしてましたね。
アステリア様を止めるために本気の戦が起こり、城の半分が吹き飛び、
軍団の1/3が壊滅したとか」
ナイアーラはがぶりとクトゥルーにかぶりつき、肉を食いちぎる。
クトゥルーは痛みなのか、快楽なのか…どちらともつかない呻き声を上げる。
「では、やはり陛下はわざと人間のフリを?」
「そこが分からぬのだ。陛下には力の片鱗も感じぬ。
さあナイアーラ、我をもっと食せ。もっと我を悦ばせよ。」
「ああ、クトゥルー様……愛しいお方……」
ナイアーラはまたクトゥルーを貪りだした。
おぞましく歪んだ愛のカタチ。
彼らはお互いを食べることでそれを確認しているのだ。
クトゥルーは愛おしそうにナイアーラへ触手を絡める。
「ほかの軍団長はどうお考えになっていると思われまして?」
「うむ。ルーシーは陛下を試していたが……
いや、あれは試すのではなく、楽しんでいる…だな」
「ルーシー様も判断しかねているのでは?」
「あの悪魔は自分の興味のためだけに動くやつよ。
陛下の臣下になったのも敗れたからではない。
その方が楽しいからだよ」
「そして魔法少女レレナ…か。奴はなぜ今でも陛下へ忠誠を誓っている?
正義と平和の為に戦っているとほざいていたが……
陛下は力と恐怖で支配するお方。あやつの敵ではないのか……
陛下失踪の時は、真っ先に離反すると思っていたが。
レレナが今どう判断しているかは測りかねるな」
「もしかすると、陛下だけではなく我らも一挙に滅ぼすべく
虎視眈々と機会を狙っているのかもしれませんわ」
ナイアーラは楽しげにクスクスと笑った。
「あの機械たちはどうなのですか?」
「フ、陛下ご帰還の謁見時、レイザノールは陛下を殺そうとしていたよ」
「まぁ、さすが機械ですわね。殺気をまるで感じさせませんでしたわ」
「機械とはいえ奴の動力は魔力だ。
その魔力の微細な動き、それでわかる。レイザノールは隙あらば動いていた。
だが側近のアステリアがその隙を与えなかっただけだ」
「フフフ、ぜひ動いて欲しかったものですわ。
ワタクシも気がついていれば、きっかけを作って差し上げたものを」
クトゥルーはふと思う。
(陛下という柱を失った後も、よくぞ軍団の崩壊が無かったものだと。
しかし、陛下は……姿形は瓜二つだ。声も……な。我は数多くの次元を探したが、
あれほど似ている者は見たことがない。
わからぬ…本物である可能性が万に一つでもあるならば、下手なことはできぬ)
そしてもう1つの疑問がある。
(アステリア……
1年会えないだけで見境なく狂ってしまったあの女が、
なぜ15年も正気でいられた?
やはり動くにしても、もう少し様子を見るべきか……)
クトゥルーはナイアーラの胸を食らう。
ナイアーラは悲鳴を上げながらも、クトゥルーの触手を口にする。
彼らの身体が半分ほど無くなった頃、お互い絶頂の叫びを上げ、
その行為は終わりを告げた。
残されたのは食い散らかされた無残な死体にしか見えない二人だった。
しばらくするとクトゥルーの体から、もぞもぞと真っ黒な腕が這い出してきた。
それはナイアーラの残骸の元まで行くと、ヌチャっという音と共にくっつく。
食われたはずのナイアーラの脚や内臓がクトゥルーから這い出し、
ナイアーラの亡骸と融合していく。
ナイアーラの体からもクトゥルーの体の一部が這い出し、融合していく。
さほど時間もかからず、彼らは元の姿に戻っていた。
「クトゥルー様」
ナイアーラはクトゥルーにすり寄り、甘えるように話かける。
「それで……
私をお呼びになったのは、ただ愛し合うためだけではございませんでしょう?」
「察しが良いな」
ナイアーラはいたずらっぽく笑い、お話される内容にも察しがついております…
と言った。
「陛下はこの世界、ミッドガルの調査に向かわれる」
「……まぁ、やはり人間の考えそうな事ですわ。
陛下は自分を本物の王ではないと分かってらっしゃいますわ。
となれば、この世界にいる噂の勇者の元へ行って保護を求めるでしょう」
「まだ8:2だ。完全に偽者とわかったわけではないぞ?」
「これは失礼を……フフフ。で、陛下の護衛はどうなっておりますの?」
「陛下がおっしゃるには、目立つわけにはいかぬゆえ、カノンという
メイドだけを連れていくと」
「まぁ……アステリア様は大反対したのでは?」
その時の光景を思い出したのか、クトゥルーは笑い声を上げた。
「大反対だったとも。陛下がこの世界で決戦前に失踪した件もあるしな。
それで護衛がメイド一人だからな。
まぁ、泣くわ喚くわ……」
「ウフフ、ご自分が一緒に行けず、他の女と行く事が一番許せないのでしょうね。
……それで、よく納得されましたね?」
「……うむ、あれはなんだろうな……
我が8:2と言った理由のひとつではあるのだが。
陛下がアステリアの手を握り、ボクを信じて…とたった一言つぶやいただけで、
あやつが卒倒して痙攣しおった。
あれは陛下が何かの力を使ったのか?」
ナイアーラは思わず吹き出した。
「なんだナイアーラ、何がそんなにおかしいのだ?」
「私もクトゥルー様にそう言われたら、同じようになりますわ」
クトゥルーは何の話だ? と問うが、ナイアーラはクスクスと笑うだけだった。
「では、ワタクシはどう動きましょうか?」
クトゥルーはテーブルに置かれた手足を切断された人間に触手を伸ばした。
触手に少し力を入れると、手足の切断面から血が噴き出す。
「ぐがあぁぁ!」
テーブルの上の人間が苦悶の叫び声を上げる。
流れ出す血を2つのグラスに注ぎ、1つをナイアーラに渡す。
クトゥルーはグラスの血を一気に飲み干し、しばらく思案した。
「陛下を勇者に会わせてみるか……」
☆
ボクが旅立ちの準備を始めて1日が経った。
調査という名目で。
ボクとカノンは必要なものを幌馬車に載せていく。
当然アステリアからは猛反対を受けた。
ボクをだまし討ちした勇者とその仲間がいる世界だ。
そりゃ心配もするだろうね。
なんとかアステリアは説得できたんだけど、それでも一人では絶対ダメと
言うのでメイドのカノンの同行を許した。
彼女ならボクへの危険度は低い……と思うからね。
アステリアは私以外の女はどうかと思う! と叫んでいたが…
ボクが手をぎゅっと握ってお願いすると、あっさりOKをもらえてしまった。
見送りはいらないって軍団の者たちには伝えてあるので、この場にいるのは
ボクとカノン、アステリアだけだ。
君の見送りもいらなかったんだけど……
まぁ止めても来るだろうから。
「あ、そうそう。ボクへの監視は絶対禁止だからね?
この調査で、再侵攻の前にボクが直接この目で勇者を調べ、
そして確かめたいことがあるんだ。
ボクの周りにいる魔物の存在や力、それらが勇者陣営に気がつかれれば、
計画が破綻するからね。
つまりこの旅では、ボクはただの人間を装う必要があるんだ」
何時間もかけて考えた作戦だ。我ながら素晴らしいと思うんだけど……
アステリアは手に持っていた黒い玉のような物体をそそくさと後ろ手に隠した。
「も、もちろんですわ」
あれはあの玉で絶対監視するつもりだったな……言っておいて正解だった。
旅立ちの準備が整い、ボクは幌馬車に……御者はできないので客車に乗る。
カノンが御者を務めてくれる。
「それじゃボクの留守の間、頼むよ」
「あうあうあう……アキラ様……絶対無事にお戻りください……」
アステリアが口にハンカチをくわえて涙を流し、おろおろしながら
ちぎれんばかりに手を振っている。
アステリアが、最後にボクを潤んだ瞳で見つめ呟いた。
「お大事に~……」
……医者かよ……
そういや、アステリアはボクをアキラ様って呼んだけど……
本物の王の名前もアキラだったのかな。
黒い塊に追いかけられる夢は何度も見ていたし、この世界に連れてくる前に
ボクのことを調査していた……とか?
カノンが馬に鞭を入れると、幌馬車がゴトゴトっと揺れて動き出す。
振り返るとアステリアがこっちを見てずっと手を振っている。
ああ、とりあえず目標の一つ『逃げだす』……のは達成だ。
でも悪魔たちの監視から逃れきったわけじゃない。
まだまだ安心はできない。
監視はするなって言い含めたアステリアは多分大丈夫…
と思いたいけど、あのタコのクトゥルーや悪魔の紳士ルーシー、
それに得体のしれない嘘発見器を持ってた魔法少女。
ロボット騎士もドローンとか持ってそう……
彼らの監視はあると見た方がいいと思っている。
だけど、第一段階は達成した。
この世界の噂の勇者メーヤ…彼女に会いたい。
そして谷口くんを救い出し、元の世界へ戻る方法を考えるんだ。
待っててね谷口くん。
ガタゴト、ガタゴト。馬車は行く。
「尻が痛い……
腰も肩も……」
そりゃそうだ……ボクのいた世界では乗り物ってのは快適なものだ。
まぁとにかく揺れる。地面が整備されてないから当然だけど。
うぅ、気持ち悪い。
それにずっと硬い荷台に座ってるからお尻が痛い、腰も痛い。
毛布とか柔らかい布をお尻に敷いてるけど、少しマシになるくらいだ。
カノンはあわあわ慌てふためきながら、申し訳ございませんと
御者台から謝ってくる。
「いや……カノンが悪いわけじゃないよ」
「少し……休憩いたしましょうか?」
まだ出発して1時間も経ってないのに、もう休憩とか……
さすがにないだろ。
それに、ここで休むと城からあの化け物どもが追いかけてくるんじゃ?
って恐怖のほうが勝ってしまう。
いまは少しでも遠くに離れたい。
青い空、そして延々と広がる鬱蒼とした森。
魔族がこの世界にやってくる前まではこのあたりはどこぞの王様の領地で、
あの城があった場所も地方領主の館が建ってたらしい。
だから一応街道はある。なので馬車が行くには問題ない。
一応って付けたのは、街道といっても舗装も整備もされていなくて、
土がむき出しの道が傷んでいるから。
つまり現代っ子のボクからしたら相当の悪路って事だね。
当分の間、この揺れに付き合うしかないんだろうな……
うう…じゃじゃ馬とはこのことか。
それにしても……どこまでもどこまでも森…なんだここ、森いつ抜けるんだよ……
あれから数時間は経つのに、一向に森が終わらない。
本当にちゃんと進んでるのか疑いたくなる。
だって日本だとこんな森ばかりって見たことないし…富士の樹海?
「ね、ねぇカノン。人間の街までどのくらいかかるんだろう?」
「はい、このペースでいけば1週間もあれば村には到着すると思います。
街となると数か月かと」
ああ~~まただよ…
ってかそうだよね…魔族の領土のすぐそばに人間が住んでるわけがない。
それに自動車じゃないし、自転車みたいな速さの馬車じゃそんな程度なのかもね。
先を考えると主にお尻が憂鬱になるけど、それでもあの城にいるよりは断然いい。
ぐぎゅるるる……お腹が鳴る。
お腹空いたな……
「カノン、そろそろお昼だし、ご飯にしようか?」
「はい、陛下」
「いや、これから人間の街に行くのに陛下はまずいから、アキラって呼んでよ」
「ははは、はひ! ア……ア……ア……キキキ……ラ様……」
……誰だよ。
馬車を降り、背伸びをした。
うん、自然に囲まれて、なんかピクニックっぽいね。
と思っていると、目の前にバサっと黒い影が舞い降りる。
わわ! なんだ!?
「アキラ様っ! お昼ご飯お持ちしました!」
まぶしい笑顔を振りまき、アステリアが当然のようにボクの前へ現れた。
あうあうっと戸惑いながら、こりゃ逃げるのに相当苦労しそうだ……と思った。