第43話「金色の輝き」
「ちっ、またヤツだ」
ウジ虫の集合体の怪物妖蛆だった。
こいつらはどこでも見かける。
動きは鈍いので気をつけていれば大して危険ではない。
しかし剣で倒すことはできないので、足止めは喰らってしまう。
「あそこから動く気配ないわね……」
スーパーから出て、学校に帰る際中に出くわした。
マンホールへ入る予定が、妖蛆はその周辺で蠢いていた。
他の場所からも入れないか確かめたが、やはり妖蛆が複数いた。
これ以上移動するのは危険なのでスーパーへ戻る。
スーパーの食品棚に隠れ、腰を下ろした。
タトスは何度も外を見やり、妖蛆が移動していないか、様子をうかがっていた。
「タトスさん、エリュシオンさんが心配なのはわかるけど……
あいつは獲物を見つけないと移動しないわ」
「……
わかっているが……」
タトスは1秒でも早く戻りたかった。
明らかに限界を超え、壊れていくエリュシオン。
彼女の心の平穏のため、少しでもそばにいてやりたかった。
(あそこまで悪化するまで気がつかなかったなんて……)
最近は物資の調達でほとんど外にいることが多かったため、
気づけないのは仕方ないことではあった。
それでもタトスは自分を責めた。
すべての行動はエリュシオンのためであったはずなのに。
自分がそばにいなかったことで、彼女の精神は急速にすり減っていった。
だが彼にほかの選択肢はなかった。
食糧がなければ死ぬ。西野を失えば、居場所を失う。
エリュシオンを共に連れていけば、死んだ可能性は高い。
最善と思われた行動が、結果として最悪を迎える。
彼女のことを思えば、危険を冒してでも一緒に行くことが最善だったのでは?
と後悔する。
どれを選んでもダメだったのかもしれないし、どれかが正解だったのかもしれない。
タトスは焦燥に駆られ、思わず立ち上がる。
「タトスさん、ダメ。今は行動できないっ!」
歯を食いしばり、外でウロウロしている妖蛆を睨む。
また脱力するように座り込んだ。
「落ち着いて……と言っても無理かもしれないけど。
でも、生きて帰らなければエリュシオンさんは一人ぼっちになるわ」
当たり前のことを言われただけだったが、西野の言葉にぎょっとして顔を向ける。
「キミの……言う通りだ……」
一般人の西野に指摘されるほど、自分の判断が甘くなっていた。
「せめて、夜を待ちましょう?」
蛆の化け物は暗くなると動きを止めるから、それを待とうとの提案だ。
本来夜の行動は控えるべきだった。化け物の多くは夜に活動するからだ。
しかし一刻も早く戻るにはそれしかない。
「エリュシオン、すぐ帰るからな……」
タトスは夜が訪れるのを待つ間、昔のことを思い出す。
王女と同じ年齢で頭も良い。そのため遊び相手に選ばれただけだった。
他の貴族の子供はわがままであるか、活発すぎたため、王女にふさわしくないと判断された。
タトスは大人しく物静かな子だったため、無害と判断されたのであろう。
初めてエリュシオンと会ったとき、あまりの美しさに見惚れてしまった。
最初の頃は会話もできず、ただ黙って過ごす時間が多かった。
ある日、2人が無言の日向ぼっこをしているとトンボがタトスの脚に止まった。
トンボの目の前で人指し指をクルクルと回すと、トンボの頭もクルクルと動いた。
彼の隣でその様子を興味深そうに見つめるエリュシオン。
タトスはその後、簡単にトンボを捕まえた。
エリュシオンはその様子に目を丸くし、すごいと褒めたたえて拍手した。
その声は鈴の音のように美しく、しかし声量は小さかった。
タトスは頬を赤く染めながら、ありがとうと小さくつぶやく。
「なにこれ、魔法なのか? トンボがすごく大人しかった」
エリュシオンは満面の笑顔でタトスに語りかけた。
魔法じゃないよと答え、それがきっかけとなって色々な話に花が咲く。
タトスはいつしかエリュシオンと会う時間が楽しみになった。
エリュシオンは普段とても美しい。
しかしコロコロ変わる表情がとにかく変顔で、笑いが止まらなかった。
そのせいかタトスが少しでも笑うと、顔のせいかと勘ぐって怒りまくった。
彼女はとにかくよく怒り、泣き、笑った。
大人しいタトスには、彼女の天真爛漫な性格はとても魅力的だった。
気がつくとエリュシオンに夢中だった。
彼女に振り回されっぱなしだったが、それもタトスには楽しかった。
エリュシオンがいつしか、自分へ仄かな想いを抱いているのは気がついていた。
だが受け入れたくとも、それを受け入れることはできない。
彼女は王女であり、タトスは身分がそう高くない騎士だったのだから。
そして、ある事件をきっかけにタトスは強くなることを心に決める。
最強の騎士となり、エリュシオンを守ると誓う。
彼女の幸せこそ、タトスにとって最も尊いものだった。
(それなのに……俺はエリュシオンを守れていない)
情けない自分が許せず、弱い自分にはらわたが煮えくり返る。
なんのために強くなったのか。
彼の苦悩と関係なく、妖蛆は移動することなく時間だけが過ぎていく。
辺りは暗くなり始め、次第に妖蛆の動きが鈍くなり、やがて動きを止めた。
タトスたちは、白い山になっている妖蛆の横を通り過ぎ、マンホールまで移動する。
学校へ戻った2人は、非常口をコンコンと軽くノックする。
「新しい朝がきた」と小さく合言葉を口にする。
しかし返事は返ってこなかった。
西野がもう一度合言葉を口に出す。
タトスは無駄だと西野に声をかけた。
「扉の向こうに人の気配がない」
「え? なぜ?」
タトスたちは静かにドアを開ける。嫌な予感が2人の心を締めつける。
辺りの気配をうかがい、廊下を静かに走る。
そして見てしまった。
保健室のドアが無残に破壊されているのを。
嫌な予感が現実へと変わり、タトスは知らず走り出した。
「タトスさん! 気をつけて!」
小さいが鋭い声で注意を促す西野。
タトスは後を追いかけてくる西野をあっという間に引き離し、階段を駆け上がる。
見張りにいるはずの立花の姿が、そこには無かった。
「エリュシオン!」
大声で叫ぶという愚を犯すタトス。
慌てて口を押えるも、そんなことに構っていられなかった。
3階の女子部屋にたどりつく。
中から人の気配がしないのはわかっていたが、タトスはドアを開けた時、「エリュシオン……」と静かに呼びかけた。
やはり中には誰もおらず、もちろん返答もなかった。
女子部屋が荒らされている形跡はない。
タトスはふとエリュシオンとの会話を思い出す。
帰ってきたら結婚式をしようという言葉。
まさかサプライズで式場を見せて、驚かそうというのか?
タトスはふとそう考えた。
いや、そうでないことはわかっていた。
保健室のドアが破壊されていたのだ。そして校内には人の気配がしない。
そもそも、隠れる意味もなかった。
ただ、現実を見たくなかっただけだ。
彼は次々と教室を調べていく。
だが、どこにもエリュシオンの姿はなかった。
息を切らし、追いついてきた西野がタトスに問いかけた。
「タ、タトスさん……トモちゃんは、皆はいた?」
質問してきた西野本人も気がついているだろう。
ただ呆然と立ち尽くすタトスから、見つかったという言葉が帰ってこないことは。
「屋上に行ってみましょう」
タトスは静かに首を縦に振り、うなずく。
(冗談なんだろ、エリュシオン……早く出てきてくれ)
破裂してしまいそうな心に連動するように、その表情は、泣いているとも
怒っているとも判然としないものになっていた。
2人は屋上に繋がる金属製のドアがあった場所を凝視し、動きを止めた。
「ドアが……ない……」
階段を駆け上がり、屋上に出た。
タトスは辺りを見渡すと、一人の女性が倒れているのを発見する。
女性のそばに駆け寄る。
近づいてみるとそれは人間の女性ではなく、下半身がナメクジのような体を持つ化け物の死体だった。
「な、なんだこれは……」
体は半分溶け崩れていて、内臓は何かに食われたような惨状をさらしていた。
西野は口元に手をあて、死体に目をやっている。
「化け物の……共食い?」
少し離れた場所に目を移すと、一着の制服が落ちていた。
なぜこんなところに制服が落ちているのかと、西野は不自然に思った。
だが制服の上下と靴はそのままに、床に広がる黒ずんだ染みは、
人の形をしていたのだ。
制服の下には、トモコのお気に入りで、肌身離さず身に付けていたネックレスが落ちていた。
西野はここに至ってトモコの運命を理解した。
震える手でネックレスを拾い上げ、胸に掻き抱く。
涙がとめどなく溢れる。
声を押し殺し、体中のすべての水分を出し尽くすほど泣いた。
どれほど怖かっただろう……
どれほど痛かっただろう……
西野はトモコの苦しみを思い、心が張り裂けそうになった。
幼い頃からアヤ姉、アヤ姉と西野の後ろをついてきたトモコ。
人形のように愛らしい彼女が、可愛くて仕方なかった。
アヤ姉がいてくれたら注射我慢する。アヤ姉がいてくれたらピーマン食べる。
アヤ姉がいてくれたら……が口癖になっていた。
こんな世界になっても、アヤ姉がいてくれたら頑張れると言われたときには、西野はトモコを1時間ほど抱きしめたまま離さなかった。
近所では本当の姉妹より姉妹らしいと評判だった。
トモコはまだ14歳で、中学生だった。
西野より1つ歳が下で妹のような存在……いや、本当の妹だと思っていた。
とても優しくて面倒見が良く、何度も彼女の明るさに助けられ感謝していた。
西野が今まで無茶してがんばってきたのは、トモコを守りたかったからだ。
苦難を共に乗り越えたことで、彼女たちの絆はより一層深まった。
トモコは西野にとって命であり、生きる意味だった。
アキラと同じほど大切な存在。
そんなトモコの死は、西野にとって肉親を亡くした時と同等だった。
「な……んで……あんなにいい子が……こんな目に合わなくちゃいけないの……」
西野の心が言い知れぬ憎悪に染まっていき、海の底より暗い絶望に染まっていく。
「エリュシオン!」
タトスは小さな、しかしよく通る声で叫ぶも、誰の反応もなかった。
「ウソだ……そんなはず……ない……」
外に逃げた可能性はある。
ここには化け物とトモコの死体しかなかったのだから。
しかし怪物に追われながら逃げたとすれば、かなり危険だった。
外を闇雲に探しても見つけられないだろう。
何か手がかりはないかと辺りを探す。
その時、あるものを発見した。
それは月の光を反射する液体。
床にこびりつき、乾き始めているテラテラと微かに光る粘液だった。
(これだ……粘液を出す化け物か。わかりやすい手がかりがあって助かった。
しかし、どこへ行ったかだが……)
保健室のドアが内側から破壊されていたことから、進入路は間違いなくそこだ。
タトスは西野に声をかける。
彼女はまるで幽鬼のごとく生気がなく、ふらりと立ちあがる。
「この粘液をたどれば、エリュシオンたちの逃げた先がわかるかもしれない」
西野はただ黙っていた。
目からは光が消え失せ、涙が流れ落ちる。呆然と立ち尽くしている。
「アヤメ! しっかりしてくれ。俺はエリュシオンを助けたい……
キミの力が必要なんだ……頼む……」
西野はタトスに顔を向けたが、視線は定まらず、どこか中空を見つめていた。
「だって……トモちゃん死んじゃったんだよ?
みんな……みんな死んでいく……
どれだけ頑張っても、どれだけ助けても……みんな死ぬの。
死ぬの、死ぬの、死ぬの、死ぬのよ。
アキラくんが求めているのよ……命を……
だって彼は……」
「アヤメ……とにかくここは危険だ。中に入ろう」
タトスは一刻も早く探しに行きたい衝動を抑え、西野を屋上の踊り場へと誘う。
彼女を床に座らせて肩を掴む。
「キミはここで待っていてくれ。
俺はエリュシオンを探しに行く。おそらくだが、外に行った可能性がある」
そう伝えると、タトスは粘液の跡をたどり始める。
西野が心配になり、顔を後ろに一瞬向けた。
彼女の肩が震えていた。
「ヒヒヒヒ……」
そんな笑い声が微かに聞こえた気がしたが、焦るタトスは追及することはせず、また粘液の跡をたどり始めた。
タトスは気がつかなかった。
西野の瞳が金色に光り輝きだしたのを。
屋上から続く粘液は、階下へと通じる廊下以外には分岐しておらず、侵入したのと同じ道を戻ったのだと思われた。
1階に行くと粘液の跡は分岐し、玄関口の方へと向かっていた。
(ここから出ていったのか)
だが、外に出るとほとんど視界は利かず、月明かりだけでは粘液の跡を
見つけるのは不可能だった。
さすがにこの状況でも、外でライトをつけることはためらわれる。
夜の電灯に群がる蛾のように、あっという間に化け物がやってくるだろう。
途方に暮れていると、タトスの視界に西野の姿が目に入った。
彼女はフラフラと学校の外へと歩いていく。
(なっ!? なぜアヤメが……彼女は屋上の踊り場に……)
途中で抜かれた覚えがないのに、タトスより早く外に出ていた。
(近道? いや、そんなものは無い……では、どうやって?)
それより、西野がこのまま外に行くことが危険だった。
今の西野は正気ではないはずだったから。
その証拠に隠れることもせず、堂々と道を歩いていく。
「アヤ……」
その瞬間、西野から凄まじい恐怖を感じた。
それはあの巨大ミミズを目にしたとき以上の恐怖の気配。
(な、なんだ……なぜアヤメから恐怖を感じるんだ)
気がつくと脂汗が流れ落ち、呼吸が荒くなっていた。
彼は必死に呼吸を抑え、整える。
西野は何かを探すように首を左右にキョロキョロと動かす。
その目が金色に光っていた。
(あれは……あのときの……)
タトスのいる方向に目を向けた瞬間、なぜかとっさに身を隠した。
本能が危険を感じ、体を勝手に動かしていた。
(なぜ俺は隠れたんだ……西野をあのままにしておくと危険だというのに……)
西野はしばらく考え込んでいる。
鼻をスンスンと鳴らす。
「1匹かぁ~足りないわね~」
彼女はそうつぶやくと、再び鼻を鳴らしていた。
(1匹? なんのことだ?)
「フヒヒ~、あ~見つけた~~」
エリュシオンたちを襲った怪物のことかとタトスは思い、辺りを見回すが
それらしい気配は感じなかった。
(アヤメも化け物を追っているのか?)
西野は突然走り出した。
タトスは一瞬考え込む。
粘液が見えない今、このまま探すのは不可能だった。
そして西野を放っておくわけにはいかない。
さらに見つけたと言った西野。なにを見つけたのかはわからないが、もしかするとエリュシオンの可能性もある。
西野の光り輝く不思議な力を目にしており、もしかするとタトスには知覚できない何かを見つけているのかもしれない。
一瞬にしてそう考えると、タトスは西野を追う。
西野が足が恐ろしく速い。
タトスがどんどん置いていかれる。
(そんなバカな!)
気配を消して物陰に隠れつつ、周りに細心の注意を払って走っているとはいえ、それでもタトスの脚力は西野より圧倒的に速いはずだった。
見失いそうになり、かなり危険だが隠れることを止めて追いかける。
西野は大きなスーパーの前に行くと迷わず中に入っていく。
タトスも後をつけ、中に入る。
(一体なにを見つけたのだ。怪物の気配はないが……
まさか怪物が連れ去ったエリュシオンたちがいるのか?)
大きな食料品店のようだが、かなり商品が減っていた。
(ここは来た覚えがない場所だ……)
他の生存者が食糧を奪っていったのかもしれない。
彼女は大きな鉄の扉の前まで行くと、両手で無造作に開けていく。
鍵がかかってないにしても、とても少女が開けられそうにない重厚な鉄扉だ。
彼の耳に大勢の人間のざわめきが聞こえた。
「な、なに? なんなのこの子」
「なにものだ? 避難者か?」
とまどいの声が上がっている。
タトスも扉に近づき、様子を伺おうと思った瞬間。
「「ぎゃあああああああ! いやあああああ!」」
耳をつんざくほどの断末魔が聞こえてきた。
ねっとりとした血の臭いがタトスの鼻腔を刺激した。
地獄の底から響いてくるような苦悶の声、そして苦痛から逃れようとする悲鳴。
それらが扉の向こうから発せられ、スーパーの中でこだまする。
大量の血液が鉄の扉の中から流れ出してきた。
(な、なんだ……アヤメは大丈夫なのか!?)
近づいて中をのぞこうとした瞬間、鉄の扉がさらに大きく開いた。
そこから現れたのは金色に輝く髪をなびかせ、狂気をはらむ黄金の瞳を持つ女性。
その体はいつもの制服ではなく、白く光り輝くローブを纏っていた。
「あら~~タトスさんじゃないの~?
あ~、あの1匹は~そうだったのね~、うふふ~」
「ア、アヤメ……なのか? その姿は……キミは一体……」
西野はタトスに向かって艶然と笑い、そしてゲップをした。
「うぷぅ~、おいしかった~、ごちそうさまでした~」