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第40.5話「タトスとエリュシオン・中編」

タトスとエリュシオンはお互い一言も喋らないまま城への帰途につく。

エリュシオンはタトスの後ろを力なくトボトボ付いていく。

2人ともうつむき表情は暗く足取りは重い。その姿は葬儀の参列者のようだ。


「タ、タトス……黙っててごめん……」


タトスは彼女の謝罪を聞きながら、そんなことは今はどうでも良いと考えていた。

それよりも今夜訪れるであろう悲劇がタトスを苛立たせる。

どうしたらいいのか……解決する方法が思い浮かばず、焦燥(しょうそう)にかられてしまう。


脚に力を込め、ダン! と怒りを大地に叩きつけるように踏みつけた。

その行動と音で、後ろからついて来るエシュリオンの肩が跳ね上がるが、

タトスはそれに気がつかなかった。

重苦しいため息をついた後、タトスは振り返ってエリュシオンを見た。

エリュシオンの目が腫れぼったくなっていて鼻も赤い。

歩いている間、ずっと泣き通しだったらしいと、はじめて気がついた。

タトスは自分が思考の海に沈み込みすぎ、エリュシオンの感情に気づけなかった

不覚を恥じた。


(一番辛いのはエリュシオンなのに、俺ってやつは……)


「エリュシオン……」

「な、なぁ、タトス。私になにがあってもさ……

 結婚してこの国を離れてもさ。

 ずっと……」


エリュシオンの目に涙がたまっていき、そして美しい頬に光る筋を作った。


「ずっと、友達で……いて……くれるよな?」


タトスは彼女を見ていることができなくなり、うつむいてしまう。

しかし、なんとか振り絞って言葉だけは紡ぐ。


「……ああ」


エリュシオンはタトスの手をとり、力を込めて握りしめていく。

彼ら2人の腕が震えて、それが体にも伝わっていく。

タトスも、エリュシオンも、言ってはいけない言葉が喉から出かかる。

何度も口を開いて言いかけ、そして閉じる。

エリュシオンが言葉にする決意をし、その言葉を選択したことを伝える。


「さよなら……」


タトスの体がビクリと大きく震えた。

指から力が抜けていき、エリュシオンの手がそっと離れていく。

彼女は王女だ。

タトスがどれだけ嫌でも、エリュシオンがどんなに(あらが)おうとしても、

いつか、こんな日がくることはわかっていた。

タトスは離れていくエリュシオンの手を、その温もりを、

ただ黙って見ているしかできなかった。



夜の(とばり)()り始め、辺りは急速に暗闇に閉ざされていく。

タトスは城の外から、エリュシオンの部屋をずっと見つめていた。

結局タトスは自分の意思を決めることができなかった。

伝えることができなかった。

彼女はさよならと言ったが、タトスはいまだ悩んでいた。

いや、悩もうとも運命はすでに決まっている。

今宵(こよい)訪れるであろう悲劇を考えると、いても立ってもいられない。

きっとエリュシオンは心が張り裂けそうなほど辛いはずだ。

その顔から笑顔が失われるのは分かりきっている。


タトスは自分の幸せは考えてはいなかった。

自分が想いを打ち明けることは許されない。

だから自分の代わりにエリュシオンを幸せにしてくれる人物の登場を願った。

相手が素晴らしい男だったからといって、すっぱり諦めきれたとは言わない。

しかしよりによって相手があの男では、エリュシオンが幸せになれる未来が

まるで浮かばなかった。

今にもエリュシオンの部屋に向かって走り出しそうになる自分を抑える。


(行ってどうすると言うんだ)


自分が何をしようとしているのか、心の奥ではわかっていた。

それを実行するのが、どれだけ愚かなのかも分かっている。

エリュシオンにも迷惑だろう。それどころか自分の一族すら危うくする。

いや、愛するこの国すらも裏切ることになる。

それが分かっていながら、彼は走り出してしまった。

もう止まることはできない。



エリュシオンは自分の寝室で力なく立ち尽くしていた。

姿見の前で心がない人形のように表情が抜け、自分の顔を見つめている。

タトスにずっと友達でいてくれと頼んだが、それがなんの意味も

なさないことは、彼女にもわかっていた。

もう二度とタトスと楽しい日々を過ごすことはないのだから。

きっと今生(こんじょう)の別れとなるであろうことは理解している。

だが2人が親友だった事実は忘れて欲しくなかった。


(親友……か。

 私は王女だからな。

 あいつを友だと、ただの幼馴染だと思うことしか許されなかったんだ。

 タトスめ、私の気持ちになんて全然気づいてねぇだろ?

 フフフ、てめぇは鈍感だしな)


エリュシオンの心の中には辛い想いばかりが渦巻く。

だがタトスのことを思い浮かべると、温かい気持ちが沸き上がってきて

自然と笑みがこぼれた。

だが、次の瞬間には心が闇に覆われてしまう。


(私の想いは、周りに迷惑しかかけない。

 叶わぬと分かってても、それでも願ってしまう)


その願いは想いの中ですら口にしてはいけない。

頭に思い浮かべたが最後、エリュシオンはタトスに(すが)ってしまう。

それを実行しろとタトスに命令してしまうだろう。

しかしそれは同時に、タトスの人生を滅茶苦茶にすることを意味している。

自分にそんな権限はない。


(あのバカには他に好きな子がいて、きっと上手くやってるはずなんだ。

 私がいつまでもアイツを束縛してるんだ。

 タトスを……解放してあげなくちゃ……)


我慢するしか、この辛い現実を受け入れるしか、彼女に選択肢はない。

だから口にできない。

してしまえば、城の窓から身を投げるしかなくなってしまう。



タトスと初めて出会った日、初めて話をした日、初めて手を繋いだ日。

エリュシオンの脳裏にはタトスと過ごした様々な思い出が蘇り、流れ消えていく。

鏡の中の自分は、滂沱(ぼうだ)の涙を流していた。

絶望したその顔はとても悲しそうで、エリュシオンは彼女を慰めようと

鏡の自分に手を伸ばし、優しく頬の部分を撫でた。


「タトスぅ……私、嫌だよぉ……

 愛してるのぉ……」


口に……出してしまった。

しかし思わずこぼれ出た言葉に気がつかなかった。

ただ涙が止まらず、自分の運命を呪う。


そのとき、ノックもなく扉の開く音が室内に響いた。

エリュシオンの肩がビクリと震え、(まぶた)を力いっぱい閉じてしまう。

祈るように手を組み合わせ、ついに最悪の運命が来てしまったと絶望した。

あのバカ王子が約束を果たすためにやって来たのだろう。

さらに瞼に力を込め、全身を襲う嫌悪感に必死で耐えようとした。

静かにやってくる足音に恐怖し、もう1秒たりとて耐えられないと思った。

窓から身を投げるしかないと、恐ろしい考えが脳裏をよぎった瞬間、

ふわりとした浮遊感が彼女を包みこむ。

抱え上げられたと理解して、思わず身を固くする。


「っっっっ!!!!!」


エリュシオンは手足をバタバタと動かして暴れてしまった。

恐怖から目を開けることができず、運命に逆らうように必死に抵抗する。


「いやああああああああ!!!」


この世の全てを憎むような悲痛な絶叫が、エリュシオンのノドの奥から

ほとばしった。


(タトス助けて! 嫌だ! やっぱりこんなの嫌だ!!)


「す、すまないエリュシオン、怒るのはわかっている」



(――――は?)


エリュシオンの動きが止まった。

ここで聞こえるはずのない声がした。これが現実ならどれだけ嬉しかったか。


(こんなところにいるはずないのに……私の願望がそう思わせてるのか?)


瞼を開いてしまえば現実が目に飛び込んでしまうと思い、

彼女は目を開けることができなかった。


(そうだ、あの男をタトスだと思い込めばいいんだ。それなら……

 きっと耐えられる……)


エリュシオンは目を開けることを拒否した。



また空を飛ぶような浮遊感が彼女を襲っている。

カタタンと軽い音がする。

次には彼女を抱えたまま走り出していた。

エリュシオンはさすがに(いぶか)しむ。


(部屋の中を走っている?)


それにいつまでも自分の体がまさぐられる気配もない。

さすがに不審に思ったエリュシオンは目をそっと開けた。

目の前にあったのは、彼女が恋焦(こいこ)がれたタトスの顔だった。


「え……」


その一言を発するのが精いっぱいだった。

パニックに(おちい)りそうだった。

もしかするとこれは幻覚で、現実ではあのバカ王子に抱かれている自分が、

いまあの部屋で苦しんでいるのかもしれない。

そう考えると身震いするが、だがそうは思えなかった。

まるで壊れ物を扱うように優しく抱きかかえる感触。

遠くに(とも)篝火(かがりび)で、彼女を抱きかかえる者の輪郭がうっすらと見える。


「タ……トス?」


タトスは城の庭を走っていた。

表に回ることはできない。裏から逃げ出すしかなかった。

見つかる前にできるだけ遠くにいかなければと気持ちが(あせ)る。


「エリュシオン、本当にすまない。

 俺には我慢できなかったんだ」


エリュシオンはなにが起きているのかと、頭を必死に整理する。


「タトス、これって……まさか……」


タトスの顔が厳しくなる。だがエリュシオンを見つめるその顔に迷いはなく、

決意に満ちあふれていた。


「お前をさらいに来た」


エリュシオンは呆気にとられた。

数か月前にエリュシオンの婚約を決定したと父王より聞かされ、

その日から絶望の日々を送ってきた。

何度もタトスに打ち明けようとしたが必死に抑えてきた。

伝えてどうなるのかと。

タトスはおめでとうございますと祝福してくれたかもしれない。

しかし、エリュシオンはその言葉が聞きたくなかった。

笑顔で祝福された日には、タトスを殺してしまったかもしれない。

こんなに恋焦(こいこ)がれているのに、タトスが自分に関心がないと

知ることが怖かった。

だから、どこまでも連れて逃げてくれとは決して言い出せなかった。



エリュシオンは今日、人目につかない泉に行って最後の賭けに出た。

初めて色仕掛けなんてものをした。我ながら最低だと感じたエリュシオン。

だが、これでタトスが自分に惹かれてくれたらと、淡い期待を込めた賭け。

それは失敗に終わった。

タトスは自分を、友人以上とは思ってくれていなかったと気づかされた。

失恋の悲しみと、これから身に降りかかる絶望と不幸。

いっそ死んでしまいたいと思った。

だが父王に迷惑をかけたくなかったし、国を裏切りたくもなかった。

だから心を殺して決心したはずだった。


「おまえ……なんで……私を?」


タトスが照れているのが、夜の庭の暗い中でも分かった。


「お前が一番大事だ……だからさらった」


その一言で、エリュシオンはここで死んでいいとさえ思った。

エリュシオンは今が人生で一番幸せだと感じた。

永遠にこのまま、タトスに身を(ゆだ)ねていたかった。



タトスはもっとエリュシオンに怒られ、責められると思っていた。

だが、今の彼女は大人しく、むしろ幸せそうですらあった。


(あの王子から逃げられたから、ほっとしてるだけかもな)


後で冷静になったエリュシオンから怒鳴られるかもしれない。

タトスのやったことは王女誘拐という大罪だ。

エリュシオンの意思を無視した、自分の勝手な思いからの行い。

彼女は一生タトスを許してくれないだろう。

だが彼女を待っている不幸。

それがどうしても許せなかった。



タトスが険しい顔をして突然立ち止まり、エリュシオンを降ろした。


「タトス?」


ガキン! という、金属が打ち合う音が夜の闇に響く。

タトスがとっさに剣を抜き放ち、襲いくる刃を弾いた音だった。


「な、なに!? タトス! なんの音だこれ!?」

「エリュシオン、下がっててくれ。」



暗闇の中、月明かりを反射する刃の輝きだけが見える。

唐突に松明が灯された。

煌々(こうこう)とした明かりを持った人物、それはローゼンバッハ国第三王子フロゲール。

薄ら笑いを浮かべながら、タトスとエリュシオンを眺めている。


(なぜこいつが……つまり今俺が相手しているのは……)


松明の明かりに闇が払われ、タトスの予想通りの男の姿が浮かび上がる。

黒衣のベルナルドが剣を構え、タトスの前に立ちはだかっていた。


フロゲールが太った腹を突き出すと自慢げな声をあげた。

腹を突き出したのではなく、胸を張ったつもりなのかもしれない。


「うんうん、私の予想通りだったね。君たちが逃げるのは分かっていたよ。

 恋の逃避行、重罪だね。死刑だね。

 ベルナルド、その男の四肢(しし)を切り落としてやれ。

 私がここで王女を犯すのを見せつけてやる」


タトスは歯ぎしりする。

エリュシオンも心配そうな目でタトスを見ている。


「なぜこっちへ逃げると分かった?」

「ハハハ、この先にある城壁の前に馬が留めてあったからね。

 私の鋭い推理で、ここを通るだろうと予想したのだよ」

「ふん、その黒衣の男、ベルナルドだっけ? そいつがお前に進言したんだろ?」

「お前だと!? 無礼者め! 推理したのは私だ!!」

「バカ王子で有名なお前が? ふん、笑わせる」


だが、タトスがエリュシオンを連れて逃げるだろうと予想したのは

本当にバカ王子かもしれない。

嫌な奴ほど(いや)らしい邪推(じゃすい)(めぐ)らせるものだ。


「おのれぇぇ! ベルナルド、早くやれっ!!」


黒衣の男ベルナルドは無言のまま音もなくタトスへ襲いかかり、

神速の剣を振り下ろす。

タトスはなんとか受け止める。


(こいつ、やはり強い。しかも本当に俺の四肢を狙ってきてやがる)


エリュシオンが何か叫んでいるのが、その口の動きでわかる。

しかし、今はベルナルドに集中しなければならない。

タトスには今の一撃で分かった。

ベルナルドが自分より圧倒的に強いと。

剣の鋭さ、そして何より身に(まと)う気配が、タトスの師匠である

ヘイラと同じ威圧を放っていたからだ。

ベルナルドの剣闘士としての伝説は本物なのだと実感する。

タトスの頬を冷たい汗が流れ落ちた。



ベルナルドは気負いもなく、ただ静かに構えてタトスを見つめている。

タトスを(あなど)ることなく強敵とみなし、油断なく観察しているのだ。


タトスは静かに呼吸を整え、剣を正眼に構える。

相手の一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)に油断なく気を配る。

ヒュウっと口笛のような息吹がタトスの口から吐き出される。


岩をも断ち切る必殺の一閃が(ほとばし)る。


ベルナルドは一瞬だけ目の前に死を感じたが、余裕をもって避けた。

この程度ならばベルナルドにとっては日常の敵。

だが油断はしない。油断は死を招き入れる。

自分の死はフロゲールの不興(ふきょう)を買い、故郷(くに)で待つ母親が、

再び奴隷に落とされることを意味する。

だからどんな相手でも観察する。それが黒衣のベルナルドが生き残るための手段。



(俺の剣がまったく通じる気がしない……次元が違いすぎる)


タトスは間合いを取ってベルナルドの様子をうかがう。

相手への警戒心が、タトスに必要以上の間合いを取らせていた。

自分でそれに気がつき、軽く舌打ちしてしまう。


怖れは精神を急速に消耗させ、体の硬直を招き、それが隙になる。

同時に体力をも奪い去り、長引くほどに不利になっていく。

(あせ)りがタトスの腕を鈍らせていくが、それに気づくことはなかった。

タトスは天才であったが実戦があまりに足りない。

同じ才を持っていても、ベルナルドは百戦錬磨(れんま)の戦士だ。

その差は圧倒的であり、そしてこの場では致命的だった。


先ほどの岩をも()つ一閃より明らかに質が落ちる攻撃を、

何度もベルナルドに叩き込む。ベルナルドはたやすくそれを避ける。

タトスの息が上がり、ただ焦燥感(しょうそうかん)だけが(つの)っていく。

ベルナルドの観察は終わりを告げた。


タトスが振り抜いた剣を戻そうと一瞬動きが止まったところに、

ベルナルドの裂帛(れっぱく)の攻撃が合わされる。

ベルナルドが時機を合わせて横に振るった剣を、タトスは避けることができず、

次の瞬間、左腕が宙を舞った。


離れた場所にいるタトスの耳に届くほどのエリュシオンの絶叫が上がる。

タトスに微かに届くほどの声量だったが、彼女を知る人間であれば、

それがあり得ないほどの大声だったとわかる。

悲痛な声を上げるエリュシオンの声を消し去るように、

フロゲールの厭らしい笑い声が、夜の闇にこだました。


そしてタトスの右腕がさらに宙に舞った。


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