第40.5話「タトスとエリュシオン・前編」
今回も番外編的な。毎度のことですが、あくまで的な。
この先に関わってくる重要人物も登場するので、ぜひ読んでやってくださいませ。
「めんどいっすヘイラさん」
「師匠と呼べ、バカモノ。
ではタトス、今日は王女殿下のところへ行くのを禁止します」
「えええ!? 横暴すぎでしょ。ヤキモチですかヘイラさん。
自分が男に興味ないからって……」
「師匠と呼べクソムシ。私は男に興味がなかったわけではない……
ただ剣の道に生きただけだ。
余計なことはいいからやれ」
大勢の騎士見習いの少年が見守る中、黒髪の少年タトスは面倒くさそうに
剣を抜き放つ。
タトスは自分の身長の数倍はある巨石の前に静かに立つ。
「はっ!」
裂帛の気合いが込められた一閃が、目にも止まらぬ速さで繰り出された。
鋼の刃が豆腐でも切るように岩の中へあっさりと沈み込んでいき、
音も立てずに刃が巨石を通り抜けた。
タトスが長剣を鞘に戻すと、キンという小さな甲高い音が響いた。
次の瞬間、大きな岩が崩れるゴゴゴっという音が響き渡る。
気合が込められた刃の一閃が、大きな岩を真っ二つに断ち切ったのだ。
少年たちの賞賛と驚愕が混じった声が一斉に上がる。
「「おおおおお……」」
ここは王都エルドランから西に少し離れた郊外だ。
周りには小さな岩山が延々と連なっており、少し離れた場所には
木々が生い茂る森林がある。
騎士見習いや新人騎士の訓練に使われているこの場所には、
【騎士王の迷宮】と呼ばれるダンジョンがある。
スケルトンやジャイアントトードといった初級の魔物が数多く棲息している。
そこは新人騎士だけでなく、冒険者たちも己のスキル上げのために
訪れる場所であり、ここを5人一組で攻略して初めて一人前の戦士、騎士と
呼ばれるようになる。
だが今は迷宮での訓練ではなく、タトスの神技を見るために
この場に集ったに過ぎない。
騎士隊長がタトスを褒め称える。
「さすが天才と呼ばれるタトス殿。いつ見ても素晴らしい技ですな。」
一見、陰鬱な印象を受ける黒髪の少年タトスは、気負いも覇気のない返事で
頭を下げる。
「どうも。んじゃ俺、そろそろ用があるんで。
んじゃヘイラさん、隊長もまたです」
「え? あ……ああ、ご苦労様でした。
タトス殿のおかげで新人たちにもやる気が……」
隊長がまだ話している最中にも関わらず、タトスはすでに王都に向かって
走り出していた。
あんぐりと口を開けたままの騎士隊長に、ヘイラが慰めの声をかけ頭を下げた。
「あやつは誰に対してもあんな態度ゆえ、勘弁願いたい。
師匠を師匠と思わぬミジンコゆえ」
「いいえ! 私なぞに頭を下げないでください。ヘイラ様!」
ヘイラは、テルスターク王国のヒュプテ侯爵に仕える騎士だ。
20代を超えているはずなのに、その見た目はまるで幼い少女にしか見えない。
彼女はタトスの類まれなる才能に早くから目をつけて鍛えてきた。
「まったく女に現を抜かしおって。
お前の恋は実らぬというのに……」
言いながらヘイラはヒュプテの顔を一瞬思い浮かべるが、頭からすぐに振り払う。
すでに豆粒のように小さくなった弟子を憐れみの目で見送った。
「今日お前は、現実を思い知るぞ」
☆
「はぁふぅ、はぁふぅ……」
タトスが城の庭で読書をしていると、エリュシオンが息せき切って走って来た。
白で統一されたテーブルとイス。優しくそよぐ風。
そばに立つ大きな樹のおかげでタトスの座っている場所に木漏れ日が差し、
とてもリラックスできる空間になっている。
庭といっても王都の城内にある。
敷地は広大で遠くに木々が茂り、まるで森があるように見える。
今では見慣れた景色だが、初めて庭を訪れた時はタトスの口があんぐりと
開いたものだ。
エリュシオンが走ってやってくるのは毎日のことだ。
彼女が遠くから手をブンブン振ってくる。タトスも小さく手を上げて振り返す。
今日は転ぶのか、それともドレスを踏んづけて破いてしまうのか。
タトスが目を細め、何が起こるのかなと楽しみにしていると、
案の定、足を滑らせて豪快に転がった。しかしすぐに起き上がるとまた走り出す。
エリュシオンはタトスに1秒でも早く会いたくて毎日走ってきていた。
しかしタトスは自分の片思いだと思い込んでおり、
エリュシオンの想いには気づいていなかった。
「はぁはぁ……タトス! ふぅはぁ、じ、自由時間……げほげほ!!」
エリュシオンが口を動かし始めたので喋りだしたと認識し、
慌てて彼女の元へ駆け寄る。
タトスの耳にふぉーんという謎の音が聞こえ始める。
(ああ、くそ! 間に合え!)
やがて意味不明の音は意味を成し、言葉へと変わっていく。
タトスが聞き取れたのは「遊ぶ……げほげほ!」だった。
(フフフ、間に合った)
彼女が何を言おうとしていたのか辛うじて聞き取れたタトスは、
ホッと胸を撫でおろした。
言葉が聞こえなかったと言うとエリュシオンはとても不機嫌になる。
生まれつき声がとても小さいので、もっと彼女にも気をつけてほしいと
思うのだが、素直に聞いてくれるようなエリュシオンではなかった。
そんな我がままな彼女の相手は疲れるが、しかし、会うたびいつもタトスの心が
舞い上がり、毎日の厳しい騎士の訓練で傷つき疲れた体も、
この瞬間に癒されていく気がした。
タトスは剣の修行に戦術などの各種勉強、エリュシオンも王族として礼儀作法や
勉学に努めている。
彼らが会うことができる時間は、昼下がりから夕暮れのまでの短いひと時。
タトスは今年12歳。エリュシオンも同じ年齢だ。
恋に恋する年齢、タトスはかなり彼女を意識し始めているのだが、
エリュシオンはいつもと変わらぬ様子だった。
苦笑を浮かべ軽くため息をつき、タトスは王女の前にひざまずいた。
多分何して遊ぶ? と彼女は言いたかったのだろう。
タトスは優しく微笑み、エリュシオンを見つめた。
「今日はお医者さんごっことかどうすか?」
エリュシオンの平手打ちが炸裂した。
(なにが気に入らなかったんだ……楽しいと思うのだが)
エリュシオンが容赦なく平手打ちできるのは、唯一心を許している
タトスだけだが、タトスは知る由もない。
涙目になって、痛む頭を撫でさする。
そんな彼の様子など気にもせず、エリュシオンは満面の笑顔を浮かべ、
タトスの手を取って走り出す。
「ほら来いタトス!」
いつも通りエリュシオンは明るく見える。
しかしなぜか最近の笑顔には、無理をしている影が見え隠れする気がする。
今日は特にその影が濃いように思えた。
今にも泣きだしそうな潤む目。その顔はこわばり、無理に笑顔を
作っているようだ。
だがそれがわかるのは、エリュシオンをよく知るタトスだからだ。
他人の目にはいつもとなんら変わらぬ彼女が映っただろう。
「なぁエリュシオン、なにかあったのか?」
しかし彼女は何も言わず、ただタトスの手を握り、走った。
☆
「うひゃ~冷たい!」
エリュシオンは泉の中に脚を入れ、水を蹴飛ばしている。
しばらくすると蹴るのに飽きたのか、そのまま水の中に飛び込んで
入ってしまった。
この泉は城が建てられる前から存在していて、とても美しい景観から
庭の一画として残されたのだ。
まわりの景色も泉を引き立てるように、美しい緑が生い茂っている。
その水面は太陽の光を受け、目も眩むほどに輝いている。
「おいおい、エリュシオン。暑くなってきたとはいえ、まだ水は冷たいぞ。
それに、その恰好で飛び込むなんて……」
泉は彼女の腰までの深さがある。
ドレスを着たままのせいで、かなり動きにくそうだ。
ドレスのスカートがクラゲのようにプカプカと浮いている。
それでも水を跳ね上げてエリュシオンははしゃぐ。
「はぁ、やれやれ……遠くまでいくなよ。結構深い場所もあるからな」
エリュシオンは両手で水をすくい、岸辺に立つタトスにしぶきをかける。
「ばかやろー、お前もこい! すましてんじゃねーぞ!」
たちまちびしょ濡れになるタトス。
「うおぉぉ、つめたい! 風邪ひく!」
来いと言われたが、とても水は冷たい。
しかし、彼女は一度言い出したことを諦めない。
エリュシオンのわがままにため息をつき、水の中に入る。
「あふ! あふ! こりゃやばい!」
「あはははは、タトス情けないなー!」
「お前が鈍感なだけだ……」
エリュシオンがはしゃぐあまり、タトスたちはすでに頭まで濡れていた。
ぐしょ濡れになってうんざりしたタトスはエリュシオンを軽く睨むが、
眼前の光景に思わずはっとなった。
意識が吸い込まれていき、目が離せなくなる。
エリュシオンの体から流れ落ちる水滴が太陽の光を反射する。
神々しく光る彼女は言葉にできないほど神秘的で、全身が艶めかしく輝いている。
タトスはこの光景の美しさを俗っぽい表現でしか表せなかった。
(天使が水浴びをしているようだ)
その程度の表現しかできず、自分の言葉のセンスの貧しさに頭を横に振る。
しかしどんなに著名な芸術家にだって、この美しさは再現できないだろうと
タトスは感じた。
さきほどの不満は一瞬で消え去るが、目のやり場に困り始める。
ドレスが水に濡れ、肌が透けて見えていた。
視線を逸らし、うつむき加減になったタトスに向かって、
エリュシオンが水音を静かに立てながら歩いてくる。
彼女はそっと優しくタトスの首の後ろに手を回した。
ぎょっとしたが、エリュシオンはじっとタトスの目を見つめている。
いつものようにからかう表情ではなく、ほんのりピンクに染まった頬を
タトスに見せていた。
彼女は彫像のように全く動かず、ずっと黙ったまま見つめている。
2人の少し荒い吐息だけがタトスの耳に聞こえる。
突然の行為にタトスの心臓はバクバクと高鳴り、破裂しそうだった、
エリュシオンの顔を見続けることができなくなり、視線を逸らせてしまう。
「なにもしねぇのかよ」
彼女は怒ったようにタトスを突き飛ばした。
ついでにケリも入れられた。
最後には両足でドロップキックを決められ、冷たい泉に沈むタトス。
エリュシオンの目元に光る雫が見えた。
それは水滴だったのか、それとも……
そのとき、聞きなれない男の声がした。
「おやおや、こんなところにおられましたか、エリュシオン王女殿下。
庭にいると聞いて来たのですが、とても広いので焦りました。
ですが運よく見かけまして」
丁寧だが感情のこもっていない声をかけてきたのは2人組の男。
庭とはいえ、ちょっとした森まで広がる王城の庭はあまりに広大だ。
そこで偶然見かけるのはかなり難しい。
(見かけた? 尾けてきたの間違いだろ?)
タトスは怪しげな男たちを一瞥し、さりげなくエリュシオンを背中に隠す。
緑と金色の豪華な衣装に身を包んだその男は、一目でかなり高位の貴族とわかる。
太り気味で、年齢は20代といったところだろうか。
肌は浅黒くまるで日焼けしたかのようだ。
オールバックの髪は黒く、眉はやたら太くて目が細い。
肌も服装も、この国の者ではないことを表していた。
その男の背後には、やはり肌が浅黒く髪は短髪の男が控えている。
黒の貫頭衣を着、上から黒のマントを羽織った細みの体、糸のような目をして
冷酷な雰囲気を纏っている。
(しかし、誰だ。まったく見覚えが無い。
特徴的にはローゼンバッハ王国の人間のようだが)
「おっと、王女殿下とはお初にお目にかかる。
私、隣国ローゼンバッハ王国の第三王子フロゲールと申します」
大仰に頭を下げる王子。礼儀正しく見えるが、どこかわざとらしい。
(ローゼンバッハのフロゲール!? あのバカ王子として有名な)
ローゼンバッハの貴族だとは思ったタトスだったが、意外な人物の登場に驚いた。
フロゲールといえば、功を上げようと、国を脅かす魔獣退治のため軍を率いたが、
遠目でもわかる魔獣軍団の恐ろしさに失禁し、自軍を放置して一人逃げ帰った
という逸話がある。勝手にサッシカイア帝国との外交に出向き、
あやうく戦争になりかけた話も有名だ。
国の恥になる話だ。秘密にしているのだろうが、それでも隣国まで
漏れ聞こえてくる数々の噂。
他にも女遊びのひどさなど、彼の愚行は例を挙げれば枚挙にいとまがない。
(それがなぜここにきた?)
ローゼンバッハはテルスタークにとって重要な友好国であるため、
来訪自体は不思議ではない。
なぜここにいるのか理由は不明だが、なにはともあれ相手は隣国の王子だ。
タトスはこのままでは失礼だと思い至り、すぐさま泉から出ようとする。
しかし水を吸った服がとても重く、泉から出るのに少しだけ難儀した。
エリュシオンの手を引っ張り、彼女も水から引き上げる。
エリュシオンは水浸しながら、ブローゲルに礼をとった。
「フロゲール様、はしたない恰好で申し訳ありません。
はじめまして、私はテルスターク王女エリュシオンと申します」
フロゲールは顔を傾げた。
「なにか、仰いましたかな?」
彼にはエリュシオンが口をパクパクさせたようにしか見えなかった。
エリュシオンは相手に聞こえない程度に小さく舌打ちをし、
フロゲールに近づくとあらためて挨拶をした。
フロゲールは下卑た笑いを浮かべ、水に濡れて服が透けたエリュシオンの体を
嘗め回すようにじっくりと眺める。
隣国の王子でなければ不敬だと言われかねない執拗さだ。
「しかし、噂に違わぬ美しさよ。いや、噂以上であるな!」
王子の下劣な視線にエリュシオンの顔が赤くなる。
タトスにはそれが耐えられなくなり、思わずエリュシオンを背中に隠す。
「失礼、お話があるならば、王女殿下のお召物を替えた後で……」
全て言い終える前にタトスは吹き飛び、地面を転がった。
フロゲールの背後にいた男がいつの間にか前へ出て、タトスを殴り飛ばしたのだ。
「フロゲール様への無礼、殺されなかっただけありがたく思え」
とても低い声で、囁くように呟く。
「タトス!」
エリュシオンが吹き飛ばされたタトスの元へすぐさま駆け寄ってきた。
「タトス……大丈夫か?」
「あ、ああ……」
タトスの口端からは血が流れていた。
(あの黒衣のやつ、強い……避けられなかった)
それを見て、エリュシオンが男たちを睨む。
フロゲールがニヤニヤと笑い、何事もなかったかのように黒衣の男の
紹介を始めた。
「彼は黒衣のベルナルドだ。私の忠実な騎士だよ」
タトスは信じられぬ名前を聞き驚愕した。
伝説の人物の一人に数えられる男。
(ヘイラさんから聞いたことがある……)
黒衣の男ベルナルド。
彼は幼少の頃より奴隷だった。奴隷の親の下に生まれ、奴隷として育った。
たった5歳にして剣奴として闘技場に送り込まれた彼は、
見世物としてそのまま殺されるはずだった。
相手は10連勝中の大男。両手に斧を持ち、ベルナルドをいかに残酷に殺すか、
その様で血に飢えた観客の目を楽しませようとしていた。
大男はベルナルドを死なない様にいたぶり続けた。
ベルナルドの命がいまもあるのは、いたぶられ続けたおかげで、
戦いの中で急速に成長できたためだった。
生き残る、ただそれだけのために成長するしかなかった。
大男の動きを必死に観察し、それを真似た。
相手の動きを真似ることで、相手の攻撃を見切りはじめる。
クセ、呼吸、筋肉の動き、目の動き。すべてを把握したとき、勝者は逆転する。
彼は幼い少年にして連勝を続ける大男を倒した大人気の剣奴として、
華々しくデビューを飾ったのだ。
100年に1人の逸材。
タトスに匹敵、もしくはそれ以上の逸材であったのは間違いない。
その後も生き残るために必死に相手の動きを観察して真似、
気づけば無敵の剣闘士としてコロシアムに君臨していた。
その後フロゲールに気に入られ、奴隷から一気に貴族へ取り立てられた。
奴隷から解放されることはあっても、貴族になるなど過去に例のないことで、
貴族たちからは猛反発を受けたが、フロゲールがわがままを押し通した。
父親はすでに亡くなっていたが、奴隷から解放した母親を屋敷に招き、
幸せにすることができた。
ベルナルドにとって、フロゲールがどんな人物だろうと関係なかった。
彼は大恩人なのだから。
フロゲールは、タトスの様子を見て満足そうに笑みを浮かべる。
しかし、そんな伝説の男を前にしようとエリュシオンには関係ない。
タトスを傷つける者は許せない。
仇を見るような目つきでフロゲールと黒衣のベルナルドを激しく睨みつける。
フロゲールは肩をすくめ、なだめるようにエリュシオンに猫なで声で話しかける。
「おやおや怖い。私が悪いわけじゃないですよ?
無礼を働いたのは、その男です。
それにこれから結婚する私たちではないですか。仲良くしていきましょう」
タトスはいきなりのエリュシオンの婚約者の出現に、心臓が止まるかと思うほど
激しく動揺する。しかし必死に自制し、それをおくびにも出すことはしなかった。
ここで弱みを見せれば2人につけ込まれる。
なによりエリュシオンの立場が悪くなる。
タトスはゆっくり立ち上がると、一切の感情を込めないまま、頭を深く下げた。
「ご無礼、失礼いたしました」
フロゲール王子が胸を張りながらタトスに近寄って強く肩を掴む。
じろじろとタトスを睨むと、わざわざ大声でしゃべりだす。
「キミが今まで王女の遊び相手だったのかな? ご苦労だったね。
今日から私が王女の夜の遊び相手だ」
王族とは思えぬ下劣な言葉だ。
タトス自身をけなすのであれば、涼しい顔で聞き流せただろう挑発。
しかしエリュシオンを辱める言葉は許せなかった。
思わず目に怒りの炎が宿るが、とっさに目を閉じることで隠した。
フロゲールは名案が閃いたとばかりにポンと手を打つ。
「ああ、そうだ。同じ遊び仲間のよしみだ。
王女を抱くときは、お前を部屋に呼んでやろうか?
彼女の乱れる姿をじっくりと見せてやっても良いぞ」
一瞬にして怒りを超えて殺意にまで燃え上がるが、タトスは安い挑発だと
自分に言い聞かせてなんとか無表情を貫く。
エリュシオンは怒りを隠さず、フロゲール王子を憎々しげに睨む。
「あっはっは。どうせ本当のことになるんだ。
キミの身体は私の自由だ。
毎晩……いや昼夜問わず滅茶苦茶にしてやるさ」
フロゲールの鼻息が荒くなり、目がギラギラとした獣の欲望にまみれ、
彼女へ今にも襲いかかりそうな雰囲気を放つ。
エリュシオンは全身に鳥肌が立つほどの嫌悪感を感じるが、
ただ黙っているしかできない。
エリュシオンのテルスターク王国は、フロゲール王子のローゼンバッハから
多大な支援を受けている。15年前の魔族の侵攻で受けた被害は癒えておらず、
ローゼンバッハの支援がなければ国が立ちいかなくなる。
今回の結婚は友好国としての繋がりをより長く、より深く保つため、
父王より言い渡されたもの。
これは国王命令だ。そして国を、王家を守るのは王族の義務でもある。
どんなに嫌な相手であっても否とは言えない。
タトスはエリュシオンの笑顔に差していた影を理解した。
あれはこの婚約者が原因だったのだ。
エリュシオンは悩んだ末、今日の日まで言い出せなかったのだろう。
いや、結局自分からは言えなかった。
彼女の今日の様子から、この王子がただ婚約者に挨拶に来たとは思えない。
王子がわざわざ来訪したのは、エリュシオンを迎えに来たのであろう。
花嫁を迎えにくる王子の話など、聞いたことがないタトスであったが、
このバカ王子であれば、それくらい当たり前にするだろうと推測できた。
本来であれば、他国の王族に輿入れする花嫁は、軍に守られて
嫁ぎ先に向かうものだ。
それは自ら嫁ぐ先の人間になるという意思表示でもある。
タトスはやり場のない怒りと悲しみに心が千々に乱れる。
王子の来訪は婚儀の日が近いことを意味したからだ。
フロゲールはタトスの内心を知ってか知らずか、バンバンと気さくな感じで
肩を叩く。
「ククク……冗談だよ。いやぁ楽しみだなぁ、今日にでも抱こうかな。
あんなに美しいんだ、結婚まで理性もたないよな?
今も衝動を抑えられてるのは、私にしては快挙だ。よく耐えているもんだ。
大人になった証拠かもしれんね。
うん、しかし……あと数日で婚儀だしな……
よし、あとで寝所に行くからね」
そう一言残し、フロゲールは2人を楽しそうに見つめ、笑いながら去っていく。
黒衣の男も、静かにフロゲールに付き従って去っていった。
ただ呆然と2人は立ち尽くしていた。