第38話「交信」
「で、色々と教えてもらえるのだよね?」
ヒュプテさんが屋敷の応接室で、ニコニコしながらボクを見ている。
エリュシオンさんがいなくなった後、ボクたちは応接室に否応なしに招かれた。
ボクとダーツさんは、豪華な長テーブルを挟んでヒュプテさんと向かい合う形で
ソファーに座っている。
目の前には飲み物……ワインが置かれている。いや、ボク未成年なので。
別のソファーには、カザリさんとカノンが2人並んで座らされた。
女性を立たせたままにするのは忍びないと、イスを勧めてくれたんだ。
ヒュプテさんの側にいるヘイラさんは女性だけど……立ってますが……
まぁ、騎士の人だし、お客でもないから仕方ないのかな。
ネロさんとタイラーさんは憮然とした表情で立ったままだ。
はぁ……。もうじっくり聞きだす気満々だよ、この人。
まぁ、黒い霧が出るところも見られちゃったし……
いまさら逃げるなんてできないよね。
そもそもヒュプテさんから逃げられる気がしない。
でも、正直に話していいものか、それも迷っている。
白い霧のせいでこうして屋敷にいるけど、さっき会ったばっかりだし。
ダーツさんに相談したいが……
そう思って、ボクの横に座るダーツさんをついじっと見てしまう。
ボクの考えを察してくれたのか、ダーツさんはコクリと頷いてくれた。
そういえば、ヒュプテさんは敵じゃない。むしろ味方だと言っていた。
「ダ、ダーツさん……ボク、話下手だし、代わりに……」
「いや、アキラくん本人から聞きたいね。むさい男の長話は聞くに堪えない」
ヒュプテさんがボクの言葉に割り込んだ。
きっと本音はダーツさんが真実を隠しながら、都合の良い点だけを
しゃべることを嫌がったんだろう。
ボクなら不器用そうだから……と判断されたのかもしれない……
それくらいはボクでも思いあたる。
「女性なら私の声にしびれると思いますがね。
さすがに男相手では無理ですかね」
ダーツさんの軽口にカザリさんがすかさず突っ込む。
「私、アキラちゃんの声がいい」
カノンも小さくコクコクと頷いている。
ダーツさんは青筋を立てながらも2人を無視する。
「ハハハ、私と同じ意見の人がいるようでなにより。
ではアキラくん、君にお願いするとしようか」
どうせ隠し事が通じない相手だ。正直にしゃべることに決めた。
はぁ、ボクの秘密、どんどんばらしてる気がする。
大丈夫なのかな……
小さなため息をつく様子を見て察したのか、ヒュプテさんがクスリと笑う。
「私の頭脳にかけて他言はしない。私の胸の内だけだ」
神の名にかけて……とか聞いたことあるけど、頭脳にかけた人は初めて会ったよ。
思わずクスっと笑ってしまった。
「私が信仰するものは頭脳だよ。
神の力は我らに何ももたらさないが、脳は違う。
今の人間の文明や魔法、生活、ひ弱な人間に戦う力を与えたのは
すべてココなのだよ」
人差し指で自分の頭をトントンと叩いている。
まるでこれでヒュプテさんの話は終わりと告げるかのように沈黙がおりた。
ボクは大きく息を吸い、しゃべり始める。
ダーツさんやリアンヌさんたちにも話したからね。
この話をするのにも大分慣れたかも。
ボクが実は魔族の王様と間違えられて連れて来られたただの人間
と説明したけど、カノンの反応が気になる……
カノンは今でもボクを本物の王様だと信じてるし。
そっと横目で様子をうかがうと、カノンのボクに向けるまなざしは
いつもと変わらない。
もしかすると、真実を隠すために演技してると思ってくれてるのかもしれない。
内心ホッとしながら、ボクは続けた。
話を進めるほど、女騎士ヘイラさんの顔色は血の気を失い、青くなっていく。
ヒュプテさんは表情ひとつ動かすことなく、ただじっとボクを見つめている。
ボクがすべて話し終えた途端、ヘイラさんが剣を抜いた。
「ヒュプテ様! お下がりくださいませ!」
ダーツさんたちがとっさに立ち上がり、剣を抜いていた。
ヘイラさんの睨む先にはカノンがいた。
そしてボクにも鋭い視線を向けてくる。
まぁ、魔族ってことを聞いたんだから、そうだろうね……
ボクだけならいい。でもカノンに殺意を向けるのは許せない。
ボクは勢いよく立ち上がり、同じく立ち上がっているカノンの元に走る。
後ろにカノン庇う。
ダーツさんたちは、さらにそんなボクたちを庇うようにボクの前に立つ。
一触即発の雰囲気をはらんだ室内に、ヒュプテさんの淡々とした声が響く。
「ヘイラ」
「ヒュプテ様、お逃げください。ここは私が!
騎士を呼べ! 急げ!」
外に控える使用人に命令するため、扉に向かって大声で叫ぶヘイラさん。
やばいぞ……とボクが思った瞬間、ヒュプテさんが落ち着いた声で
扉の方に顔を向けて告げた。
「ああ、よい。呼ぶ必要はない」
外ではバタバタと混乱した音が聞こえていた。
だけどすぐに静かになった。
「……え?」
ヘイラさんが間の抜けた声を上げ、ヒュプテさんに一瞬だけ視線を向けた後、
すぐボクたちを睨みつけてくる。
「ヘイラ、私の客人に剣を向けるとはどういう了見だね?
貴族には歓待の掟があることは知っているだろう」
「え? あ、あの、ですが……彼らは魔族ですよ!」
ヒュプテさんは失望したかのように頭を横に振り、深く大きなため息をつく。
「ヘイラ、今の話のどこに敵意を向けるべき要素があったのかね?」
ボクには分かる。
この世界の人が魔族へ向ける憎しみの深さは尋常じゃない。
カケイドの領主であるラゼムさんに話したときは、魔導師のファージスさんや
守護神と呼ばれるリアンヌさんがいたから、すんなり聞いてくれたのだ。
むしろ、ヒュプテさんの冷静な反応の方が驚きだった。
それとも、友人であるダーツさんへの信頼がそうさせたんだろうか?
ヒュプテさんが立ち上がり、ヘイラさんの前に立つ。
ヘイラさんは驚き、慌てて剣を下げる。
ヒュプテさんは、ヘイラさんの横に並び、静かに左手をヘイラさんの背中に回す。
そしてボクたちに何かを差し出すように、右手を伸ばした。
「ダーツたちを見たまえ。
アキラくんとカノンくんを庇うように立っているだろう。
これを見てなにも感じないのかね?」
「……」
ヘイラさんは黙ってボクたちを睨んでいる。
が、だんだんその目から憎しみが抜けていくのがわかった。
厳しい顔つきだった彼女は、先ほどまでの優しい顔に戻っていた。
ヒュプテさんはポンポンと彼女の背中を優しく叩いている。
「も、申し訳ありませんでした……」
ヘイラさんは剣を鞘に収め、ボクたちに頭を下げた。
ダーツさんたちも息をつき、剣を収めた。
緊張した空気が霧散して、みんな静かにイスに座る。
だけど、ボクはそのままカノンの横に座った。
カノンは嬉しそうにボクに微笑む。
ボクも微笑み返した。
ヘイラさんに、いや皆に伝えたい。
ボクは皆を見回し、ゆっくりと心の中にある思いを口にする。
「ボクにとって、人間とか、魔族だとか、大事な人に種族なんて関係ないんです。
ボク自身より、ダーツさん、ネロさん、カザリさん、タイラーさんが……
そして、カノンが大事なんです」
みんな目を細め、ボクに暖かい視線を向けてくれる。
ヘイラさんがボクに鋭い視線を向けて思わず口にする。
「そんなの……ありえない! 信じられない!」
口ではそう言いながらも、先ほどの突き刺すような敵意はもう無かった。
「ヘイラ、事実から目を背けるな。
今キミの目に映る姿こそ、真実のものだ。
キミにもわかっているだろう?
アキラくんの言葉に、一つの偽りも無かったことを」
ヘイラさんは微かに震えていたが、ゆっくりと静かにうなずいて見せた。
「うむ。
場が少し混乱したが、落ち着いたようでなによりだ。
部下の非礼は私からも詫びよう」
ボクたちに頭を下げるヒュプテさん。
「あ、そんな……気持ちはわかりますから……
魔族は人間の絶対の敵、そういう世界だってわかってますから」
ヒュプテさんは軽く頷くと、テレビのニュースのように淡々と次の話題に移る。
「で、異世界だが、初めて聞く言葉だ。
異なる世界、しかしキミを見ると我々と同じ人間が住んでいるようだ」
ダーツさんも疑問に思っていたのか、口を挟む。
「実は……異世界って外国くらいに考えていたんだが。違うのか?」
「え、外国じゃないです」
そうか、魔法があるとはいえ、文明レベル的には知らなくて当然かもしれない。
しかし、説明するとなるとムズカシイぞ……
どう解説すればいいんだろう……?
「えっと……つまり……えーっと……
お、応接室がこの世界で、隣の部屋が異世界? みたいな……」
全員シーンとしてキョトンとしている。
ですよねー。
そのとき、カノンが手を上げた。
「はい、カノンくん!」
ボクはすかさずカノンを指さす。
「はい」
元気よく立ち上がるカノン。
「今のアキラさんの説明を補足いたします。
異世界とは、神々の住まう地や、生物が死んだ後に訪れる地などの
普段は見えないけれど確かに存在するという世界。
つまり、天国や地獄と呼ばれる世界は異世界の一つなのです。
入口はないために、訪れるためには特別な力や死などの特殊な変化が必要です。
異世界は無数に存在し、その世界は多種多様です。
魔族だけが存在する世界や、人間がいない世界、
そして猿が人間を支配している世界もあります。
陸地がなく海だけの世界もありますよ」
カノン、全然補足じゃなかったけど、わかりやすいです!
ヒュプテさんが拍手をしてカノンを褒めたたえる。
あー、すみません、ボク何の役にも立たなくて……
「ありがとうカノンくん。
異世界か、なるほど。
強力な悪魔が突然発生したように現れるのも、これで説明がつくね」
ヒュプテさんの言葉に、ヘイラさんが驚愕した。
「つ、つまり魔族とは異世界の存在だと……?」
「すべてが……とは言わないがね。
先ほどカノンくんが言っただろう? 猿が人間を支配する異世界もあると。
だが、この世界にも猿はいる。
多分だが、我々の世界の猿は弱いのだろう。
逆も言えるがね。異世界の人間が非常に弱いともね。
この場合、異世界には我々より強力な猿が存在すると仮定してほしい」
「なるほど……」
ヘイラさんは納得し、うなずいた。
ヒュプテさんがワインを一口飲み、それからまた語りだす。
「世界を支配するほどの猿が、この世界に訪れる術を持っていればどうだい?
つまり、強力な魔獣と呼ばれる存在も異世界の者かもしれないね」
ヘイラさんは絶句した。いや、ダーツさんたちもだ。
ダーツさんは、信じられないという表情をしてカノンを見た。
「まじかカノン……アキラはそんな世界の人間なのか」
カノンのかわりにボクが答える。
「ボクのいた世界は、この世界よりはるかに文明が進んでて、
カケイドから王都までの距離くらいなら、1日もかからずに走れる乗り物や
空を飛ぶ乗り物がある世界なんだ」
「ま、まじかよ、なんだそりゃ……信じられねぇ……」
怪物が襲ってきたときさえ、表情ひとつ変えなかったヒュプテさんが、
今は身を乗り出し、眠そうだった目が少し大きく開いている。
「実に興味深い話だ。アキラくん、キミには感謝してもし尽くせないね。
異世界、なんという甘美な世界なんだ。
しかし、これでわかったね。
エリュシオン王女殿下は異世界に行った。
そして、王女殿下の話した世界の様子を聞いた時、
アキラくん、キミが見せた一瞬の驚きから見て、その世界はキミのいた世界に
似ていたんじゃないかね?」
相変わらず怖い人だ。ほんのわずかな言葉の端から洞察する。
まさにボクはそう感じていた。
「実はその通りです。
城ほど巨大で四角い建物がいくつも立ち並び、そこに怪物がはびこっている。
その言葉で、ボクの世界にあるビルという建物のことだと思いました。
ビルはボクの世界では当たり前にある建物でいくつも立っています。
西野さんはボクの世界にも怪物が現れていると教えてくれましたから、
多分そうじゃないかなと思ったんです」
ダーツさんが少し興奮気味に割り込んできた。
「なるほど……異世界は無数にあるというから、アキラのいた世界と
同じとは言い切れないが……しかしだ。
この世界にアキラが連れられてきたことや西野という子がこの世界にきたこと。
そして王女殿下が異世界に迷い込んだこと。
これが繋がってないとは思い難いな」
「うん、可能性は大きいんじゃないかなって」
自信ありげに答えると、ダーツさんではなくヒュプテさんが答えてくれた。
「2%だね」
えええ、そんなもんなんだ……
すごく繋がって見えるのに。
「フフフ、そんな顔をしないでくれたまえ。
人は自分の都合の良いように解釈をしてしまうのだよ。
城ほど巨大で四角い建物という言葉から、キミはビルを連想した。
だが、人によっては違うものを連想するはずだ。
赤い果物と聞いてリンゴと思う者やイチゴを思い浮かべる者がいるようにね。
そしてビルという物を連想したキミは、元の世界かもしれないと思う。
なにもかも自分の都合の良いように解釈を続けていくわけだ。
それにだ、ダーツが言う通り、異世界は無数にある。
であれば、アキラくんがいた世界と非常に似通った世界も
あるのではないかね。そこにだってビルがあるかもしれない」
なるほど……確かにその通りだ。
そうあってほしいという望郷の念が作り出した発想に過ぎないのかもしれない。
思わずため息をついてしまう。
「だが2%なんだよ、アキラくん。
可能性が低いからそこに正解はないだろうと思う者は多い。
正解が含まれている可能性があるからこそ、0%ではなく2%なのだよ」
そっか……
ボクはあり得ないのか……と思い込んでしまっていた。
「フフ、ではこの先の方針は決まったと思うが」
全員、どんな方針? とはてな顔だ。
「王女殿下を探すために、異世界へ行く必要があるだろう?
白い霧から入ってしまえば、帰る術が見つからないかもしれない。
しかも次に霧が発生するのはいつかもわからない。
では、方法は一つだ。
アキラくんの部下から、異世界に行ける力を持った者に
力を貸してもらいたい」
全員の叫び声が室内にこだました。
「「えええええええええ!?」」
ヒュプテさんは子供のような無邪気な顔で笑みを浮かべていた。