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第37話「芽生える闇」

「アヤメ……」


西野のすすり泣く声がだんだんと静かになっていく。

落ち着きを取り戻したようだ。


「ごめんなさいね……」


小さな声で謝罪するが、西野は今もうつむいたままだ。

顔にかかった前髪に隠れ、どんな表情をしているのかはわからない。


「聞いてくれる? この世界がなぜこうなっていったのか……」

「あ、ああ……アヤメさえ良ければ……大丈夫かい?」

「ええ、あなたたちに聞いて欲しいの」


西野は押し殺した声で静かに話し出すが、いまだ顔は下を向いている。

タトスは悲しみにくれる西野に、憐れみではなく恐怖を感じていた。

歴戦の強者であり、命のやりとりが行われる日常で生きてきた彼が、

まだ大人になりかかったばかりの少女に異様な恐怖を感じていた。



「とても平和で退屈だったけど、そんな世界が好きだったわ。

 平凡な日常に化け物たちが現れ始めたのは……

 そうね、まだ半年も経ってないわ」


外の建物や鉄の車を見ると、自分たちよりかなり進んだ文明に見えた。

こんな世界の平和だった日常とは、一体どんなものだったのか、

エリュシオンたちにはその生活ぶりは想像もできないが、豊かな暮らし

だったのだろうとは想像できる。


「フフフ……あっはっはっは」

「ア、アヤメ……?」


西野は顔をあげない。彼女は肩を揺らし笑う。

タトスは思い知らされる。

西野はかなりの強い意志を持ち、将軍並みと言っていいほどのリーダーシップと

カリスマを備えている。

そんな彼女でさえ、こんな異常な世界で精神を平静に保つことなど

不可能だったのだ。

いつかエリュシオンも自分さえも壊れる日がやってくるかもしれない。

その日は遠くないことを予感し、背筋が凍るタトスだった。


「アキラくん……」

「え?」

「私の、私のとても大事な人」


西野は唐突にまた喋りだす。情緒がかなり乱れているらしい。


「初めて会った日、彼ったら男の子なのに、男にナンパされていたのよ?

 ウフフ、私おかしくて……でも、オロオロしている姿がかわいくて、

 助けずにはいられなくて……気がついたら彼の腕を組んで歩いてたわ」


笑い声も混じり、楽しそうに話す西野だったが、地団駄を踏むように右の足を

床に何度も叩きつけていた。

いまだうつむいている彼女。

人の顔が見えないとはこんなに恐ろしいのかとタトスは実感していた。


「アキラくんはね、私と違う中学校の子だったよ。

 それなのに私の学校でも有名だったのよ。とっても人気で……

 ファンクラブまであったのよ? すごいわ。

 私が彼を助けた日、その後で一緒に遊んでいるのを同じ中学の子に

 目撃されてたのよ。

 みんなから責められたわ。抜け駆けするなってね。

 それで……会いに行けなくなったの。でも、とてもとても会いたかった。

 だから初めて会った場所に行ったわ。

 そこにアキラくんがいたの。私はとっさに隠れた。

 彼も私を探していたわ。だって、一緒に遊んだ場所を1つ1つたどっていたもの。

 すごくうれしかった」


いくつもの光る雫が床に落ちていくのが見える。


「こっそり彼の進学先を確かめて、同じ高校に通うことにしたの。

 同じクラスだと知った時は狂喜乱舞したわ。

 平静を装うのにとても苦労したの。

 ヒヒヒ……私ったら、おしっこ少しもらしてたのよ?

 ばれたら嫌われちゃうわ~。

 毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日……

 彼の顔を見るだけで幸せだったの。

 話かけた日なんて、鼻血が止まらなくてさ~。

 早退しちゃった日もあったわね」


突然彼女は押し黙る。タトスとエリュシオンも何も言えない。

重苦しい沈黙が部屋を支配する。

外から吹き込む風も、その重い空気を払うことはできない。


「そして……あの運命の日がやってきたの」


淡々とした口調に、エリュシオンは少しだけ肩をビクリと震わせた。


「学校に怪物が現れ、クラスメイトを惨殺していったわ。

 私は彼の手を取って一緒に逃げたの。

 だけど……彼は私を庇って怪物に連れ去られた。

 その場に取り残されて狂ったように叫んだわ。アキラくんを返してってね……

 だけど、すぐに怪物が集まってきて私は仕方なく逃げた」


西野は自分自身を抱きしめるように、両手で肩を掴む。


「家に帰ったわ。家族が心配だったし。

 いやぁ、びっくりしたわぁ。

 だってさ、お母さん、すごい背が伸びてたんだもの。

 クックック。床に倒れてたお母さんは、3メートルくらいはあったかも。

 今思い出しても爆笑しちゃう。

 顔はそのままでさ、体だけ雑巾でしぼったようにねじれてて、

 とても細くなって……

 それでお母さんがね。「無事だったのね……おかえり」って言ってくれたんだよ。

 あっはっはっは」


西野の体が痙攣したように震えている。

それを抑えようと爪を肩に食い込ませていく。


「いっひっひっひ」


なにがおかしいのか、それでも笑いが収まらない西野。

笑いながら西野は話を続けた。



人々はなすすべもなく惨殺されていった。

この国にも軍隊はあって何体かの化け物は撃退できたものの、圧倒的な物量、

そしてローレライのような精神に影響を及ぼす異形には太刀打ちできず、

劣勢へ追い込まれ、人間が滅びるのも時間の問題だったようだ。

そこに彗星の如く現れたのが勇者メーヤで、軍隊すら敵わなかった怪物を

いともたやすく打ち倒していった。

だが、化け物の数は一向に減らない。

ローレライに殺されかけた時、メーヤに救われた西野は次元の裂け目について

聞かされたらしい。

ある者が次元の裂け目を作り、怪物をこの世界に送り込んでいる……と。


「ある者って、誰だと思うー?」

「え、いや……わからない。」

「でしょうねー。そうでしょうとも」


「アキラくんだったのよー。

 あひひひ。わ、笑える……

 まさか彼が私の大事な人たちを……この世界をひどい目に合わせて

 フフフ、私のことまで苦しめるなんて……」


「アキラぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」


美しい艶やかな髪を振り乱し、西野が顔を上げた。

その顔は狂気に染まり……

タトスは驚く。

その目が黄金の光を放っている。


「あ~は~は~は~!

 や~だ~! もう~、アキラくんったら~!

 でもぉ~、そんな~アキラくんでも~私ねぇ~。

 愛してるのぉぉ~~~!」


瞳だけではない。髪も黄金に輝いている。

一体なにが起こっているのか、タトスにはわからない。

とっさにエリシュオンを背中に庇う。


「アヤメ、キミは一体……何者なんだ!?」


彼女は普通の人間ではないのか、それともすでに怪物になにかされたのか。

強烈な危険を感じるが、相手は西野だ。無下に剣を抜くことはできない。

だが、いつでも抜ける心構えだけはしておく。


(アヤメの心の中には、アキラという人物への愛と憎悪で染まっている)


西野を哀れに思う。

愛する相手がこの世界を壊した。耐えきれないほどの苦しみだっただろう。

そしてタトスは理解した。


西野はとっくに壊れていたのだと。



突然西野の体から発していた光が消え失せ、倒れた。

タトスは油断なく西野へ近寄り、気を失っているのを確認した。

ホっと息をつく。

そっと西野を抱えあげ、ベッドの上に寝かせる。

穏やかな表情で眠っている西野を見ると、先ほどの出来事が

ウソだったかのように感じる。


「タ、タトス……アヤメの変化は……一体?」

「……わからない。化け物になにかされてしまったのかもしれない。

 いや、彼女の特別な力なのかもしれない。

 だが、こんな世界だ……

 耐えきれない数々の出来事に加え、その原因が愛する者だと知らされたんだ。

 その苦しみは俺には計り知れない……俺も……」


タトスはその先を言いよどむ。

エリュシオンが原因で同じ立場だったら……と想像したらぞっとした。


エリュシオンは西野の額の汗を優しくタオルで拭った。

それから西野のそばに座るとそっと彼女の手を握る。

タトスはそんなエリュシオンを見つめ、やはり早く元の世界に戻らねばと焦る。

彼女を西野のような悲しみの狂人にしたくない。

しかし、今はなにもできない。

西野が元気になってくれることを祈るのみだった。



この世界にタトスとエリュシオンが迷い込んでから、1週間が過ぎた。

まだ2人はメーヤに会えていない。

その後、西野は今まで通りの彼女に戻っていた。

自分が取り乱したことは記憶にないようだった。

次元の裂け目、アキラという人物について、触れてはいけないと2人は認識する。

タトスとエリュシオンは、いつ再来するかわからないメーヤを待ち望む

毎日を送っていた。

希望はまだ無くなっていない。しかし、残された時間は多くないと考えている。

幸いなことにあのローレライの襲撃以降、生命の危機を感じるほどの

化け物は襲ってきていない。

だが、日を追うごとに目に見えてエリュシオンは疲弊(ひへい)していた。

いつあの常軌を逸した化け物が襲ってくるかわからない毎日なのだ。

現地人の立花やトモコも仲間を失い、疲れ切っているようだ。



タトスと西野は調達に奔走(ほんそう)している。

タトスにはこの世界のことは分からないが、騎士として、護衛として、

戦闘や隠密行動の訓練は受けている。

学校に避難しているのは、何の訓練も受けずにこの地獄に投げ出された

ただの市民で、生命の危機が迫る状況での対処法は、タトスに一日の長がある。

タトスは精力的に物資調達を買って出ている。

それは現地人たちの信頼を得るためでもあるが、なによりエリュシオンの

ためでもあった。

人間は群れで生きる生き物だ。

エリュシオンの周りには、人というものが必要だった。

2人より3人、3人より4人なのだ。それが安心感へと繋がる。

それが狂気に走らずにいるための条件だとタトスは考えた。



エリュシオンは留守番だが、役に立っていないわけではない。

その幼い容姿と愛らしい美貌で、たちまち生存者たちのマスコットになった。

特に西野の妹的存在の浦園トモコが、エリュシオンをお姫様みたいだと気に入り、

何かと世話を焼いている。


エリュシオンの声はか細くなかなか聞き取れないがゆえに、

人は彼女と会話が難しい思ってしまう。

そこに加えて、ここでは言葉の壁だ。

だがトモコとは意思疎通できている。

トモコが非常に面倒見が良く、優しい証拠だろう。


エリュシオンは迷惑がっているが、その顔は反対にとても笑顔だ。

タトスはふと、今までエリュシオンには女性の友達がいなかったことに気づく。

トモコがいい友人になってくれればいいと、タトスは微笑む。

トモコのお陰で、エリュシオンはいくつかの日本語を覚え、

生存者の輪にも溶け込み始めている。





西野はこのあたりの地理を把握していて、化け物に見つからないように

下水道を使って行き来し、食料品店から食糧を調達している。

タトスにとって驚くべきことに、この世界では食料や水を密封して

何年も保存させる技術があった。

食料品店も王城に匹敵するほど巨大なものから、小さな店まで至るところにあり、

化け物にさえ出会わなければ当分は持つようだ。

かつてのこの世界を、西野が天国だと表現したことに納得する。

人々がよほど豊かな生活を送っていたのだろうと、あらためて実感する。


問題なのは食料の調達ではなく、むしろゴミだった。

保存がきく食料であれば、一度調達に出ればしばらくは事足りる。

しかし10人ほどの人間が生活していれば、毎日かなりのゴミが出る。

もちろん自治体によるゴミの回収は行われていない。

学校やその近くに食べ終わったゴミを廃棄すれば、化け物たちに生存者が

いると教えることになるし、焼却もできない。

西野とタトスにとっては物資を調達するだけでなく、遠く離れた場所へ

廃棄物を投棄するのも重要な任務だった。


何度も2人で遠征に赴き、時にはタトスの剣で危機を切り抜けた。

凶暴で長い牙を持つネズミの集団、人と(はち)が融合したような空飛ぶ怪物……

タトスの武力と西野の土地勘で死線をかいくぐり、2人には強い仲間意識が

芽生えていた。

西野は超人のように見事な剣さばきを見せるタトスに舌を巻き、

タトスは将軍の器を感じさせる西野の判断力に感嘆した。

危ういと思われた西野の心は、あの出来事がなかったかのようにあの日からは

一度も乱れておらず、穏やかだった。


2人がいるのは学校から少し離れた場所にある、倉庫のように巨大な

スーパーマーケット、その警備員室だ。

いつものように物資の調達とゴミの投棄を終え、学校へ戻ろうと倉庫から

出たところに、妖蛆(ようしょ)が現れた。


妖蛆(ようしょ)は端的にいえば、うじ虫の集合体だ。

集合体が巨大な人の形を取って移動する。その大きさは大型トラックに匹敵する。

よく見ると数万、数億という無数のうじ虫がひしめき合っていて、

妖蛆(ようしょ)の表面はさざ波が立っているかようにうねうねと蠢いている。

そして獲物を見つけると雪崩(なだれ)のように獰猛(どうもう)に襲いかかり、肉を喰らいつくす。

後に残されるのは骨だけだ。

銃弾を受けても数百のうじが死ぬだけ、炎でも表面が焼け焦げるだけで、

並みの武器では人の手に余る化け物だ。


危険な化け物ではあるが知能はなきに等しく、目の前の獲物を襲うだけだ。

日が暮れてきたこともあり、西野とタトスは無理に戻るのではなく、

スーパーマーケットで一夜を明かして翌日学校へ戻ることにする。


「フフフ。男女2人きりで過ごす夜なんて、エリュシオンさん怒らないかしら?」

「え? エリュシオンが?

 うーん、どうだろうな。あいつはいつも怒ってるからなぁ」

「あはは。それはタトスさんがボケすぎ……こほん」

「ボケって……

 そうだな。また怒るかもしれんな。

 だが、あいつは俺にとって全てなんだ。

 どんなに怒られようと、あいつを元の世界に帰してやる」


タトスがいかにエリュシオンを大事に想ってきたかを見せつけられてきたことも

あって、西野は2人の仲を微笑ましく、そして少し羨ましくも感じる。


「あなたたちって本当に仲が良いのね。

 おとぎ話に出てくるお姫様と騎士の物語そのものみたい。

 私も……アキラくんのことが……」


そこまで口にすると、穏やかだった西野の顔が歪み、赤みが差す。

その話題に一瞬心臓が飛び跳ねるタトスだった。


「さ、さあ寝よう。明日は朝一で帰らないと。エリュシオンが怖いからな!」

「ん、そうだね。フフフ。おやすみ」


西野が暴走しなかったことでホッと息をつき、交代で休みをとった。





エリュシオンはご立腹だった。


彼女を護衛するはずのタトスは、物資の調達だといって出かけてばかり。

しかもタトスが外出する時は、いつも美女の西野と連れ立っている。

眠る時以外、片時も離れず一緒にいたタトスが、最近では、ほとんど自分と

過ごす時間が無くなってきている。

今日にいたっては外泊……西野と二人っきりで一夜を共にしたというではないか。

妖蛆(ようしょ)という化け物がいて、帰ってこれなかったと説明していたが、

本当かどうかはあやしいものだ。


(やはり男は巨乳が好きということか……)


エリュシオンをさらに苛立たせるのは、タトスがキスをしたということ。

ローレライが襲ってきている中で緊急避難というのは分かるが、

エリュシオンにとってはもちろんファーストキス。

あの時のうれしかった気持ちをどこへ持っていけばよいというのか。

しかもキスをしたら子供ができると聞いている。

その責任も取らずに西野を狙うとは……なんと節操がないのか。


いや……それとも、西野という女が誘っているのか。

あの幼なじみのタトスが……キスまでしたタトスが、

エリュシオンを裏切るはずがない。

そうに違いない。それしかない。

あの時取り乱した西野に対して、さらに優しく接するようになったタトス。

あれもタトスの気を惹くためにワザとやったのではないかと、

疑心暗鬼が募っていく。

西野が美貌と巨乳でもってタトスを誘惑したのだろう。

甘い言葉で近づいてタトスを奪うとは……絶対許せない。


人知れず、エリュシオンの中に西野に対する(くら)い炎が燃え上がっていた……


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