第35話「交流」
「メーヤ様が……いらっしゃる!?」
タトスは予想だにしていなかった人物の名前が挙げられたことに驚愕していた。
だが、同時に希望も見えてくる。
エリュシオンを見ると、同じ考えに至ったらしい。
これまでよりも表情が晴れやかになり、嬉しそうだ。
この世界に来てから初めて希望が見えた。
「アヤメ、メーヤ様にはどうしたら会えるんだ?」
タトスとエリュシオンは西野に詰め寄る。
西野は迫ってくる2人が、じゃれついて顔を舐めてくる犬のようにふと感じた。
「あはは……まぁ落ちついて。
とにかく安全な場所に移動しましょ?
話はそれからね」
ローレライの襲撃をなんとか逃れたタトスたちは、屋上前の踊り場へ戻った。
西野たちが避難先の最後の砦にしている場所だ。
しかしそこには、誰もいなかった……
3人は化け物に見つかる危険を冒してでも、校舎や学校内をくまなく探したが、
一人として生存者を見つけることはできなかった。
残されたのは西野、エリュシオン、タトスの3人だけだ。
音楽室に全員が逃げ込んだ結果、全滅という最悪の事態を招いてしまった。
「そんな……」
西野ががっくりとうなだれ、力なくつぶやく。
たくさんの友人たちの死を見てきた西野だが、
やはり仲間を失うことに慣れることはない。
そこにはこれまで見せた利発さや気丈さが欠片もない。
タトスとエリュシオンは何か励ましの言葉をかけようとするが、
かけるべき言葉が見つからない。
今の西野には何を言っても虚しいだけだろう。
この場所も薄氷の上に成り立っていることを2人は思い知らされる。
その時、微かだがタトスの耳に何者かが階段を上がってくる音が聞こえた。
彼だからこそ気づけた微かな音だ。
タトスに緊張が走る。
とっさに剣を抜き、臨戦態勢を取る。
突然剣を抜いたタトスに、エシュリオンはなにごとかと問いかけようとするが、
タトスは自分の口元に指をあて、すかさず2人に屋上に入るよう
ジェスチャーで指示する。
西野の判断は早かった。エリュシオンの背中を押し、屋上に入っていく。
タトスは階段から飛びおり、足音もさせずに着地する。
瞬時に8人の足音を察知するが、人間かどうかはさすがに判断がつかない。
油断なく階段の手すりの陰に隠れ、近づく者の足音が最接近したところで、
侵入者の前に転がり出て、剣を横なぎに――――
間一髪、少女の首元で剣は止まっていた。
数本の髪の毛がハラリと切れ、床に落ちていく。
階段を上がってきたのは大きな荷物を背負った8人の男女だった。
タトスは安堵の表情を浮かべる……が、相手は驚いたまま固まっている。
恐ろしい形相をした男が自分たちに向け、剣を振るってきたのだから。
少女は目を見開き、一瞬何が起こったのか理解できなかったが、
次第に思考が戻ってきて自分の身に起きたことを理解し、腰が抜けて
床に座り込んでしまった。
「す、すまない……」
タトスからとっさに謝罪が口をついて出るが、その言葉は通じない。
少女へ頭を下げて手を差し伸べるが、一緒にいた男が彼女をかばうように
タトスの前に立った。
男はタトスを睨みつける。
だが、少女がタトスのことを思い出す。
「あ、あなた……アヤ姉が連れてきた……?」
声が聞こえたのだろう、西野が屋上から戻って来た。
「あっ! トモちゃん!」
「アヤ姉! 無事だったんだね。非常口が開いてたからすごく嫌な予感が
したんだけど……ほかのみんなは?」
「……そうか、トモちゃんは調達班だったね。
良かった」
西野はトモコに抱きついて感情を爆発させる。
「ほんとに良かった……」
みんな死んだと思ったのだ。西野はあまりの嬉しさについ力を込めて抱きしめる。
トモコは学校の状況がつかめていないため、オロオロしている。
「いだだだ、アヤ姉、タップタップ!
……な、何があったの!?」
西野は少女と抱き合い、涙を流す。他の人たちもも同じく俯き、泣いていた。
異国の言語ゆえ、タトスたちには2人の会話の内容はまったく分からないが、
ローレライという化け物の襲撃とその結果についてであろうことは察しがつく。
彼らは互いの無事を喜びつつも、犠牲の大きさにショックを受けているようだ。
罪のない民衆がなすすべもなく死んでいくのは、
ここでもテルスタークでも同じだ。
人数が激減し、見張りに割く人員も確保できない今、学校も安全とはいいがたい。
安全な場所とは自らがつくり、そして勝ち取るしかないのだ。
だから人は集まり、国を作るのだから。
怪物の脅威を自ら排除できない人類は、安全な場所を確保できなくなっただけだ。
勝つためには、もっともっと多くの情報が大事だとタトスは思う。
(漠然と認識していただけだが、この世界をもっと知る必要がある)
エシュリオンがタトスの裾を掴む。
(そうだ、彼女のために……俺はなんでもする)
窓の無い部屋に立てこもり、タトスたちは食事をする。
皆沈んだ顔で黙々と食べ物を口に運んでいる。
いつもはあんなに元気なエリュシオンがずっと無口なのは、
タトスにとって心苦しい。
彼女にはいつも笑っていてほしいと願うタトスだった。
(しかし、ここは確かに安全そうだが、逃げ場がない部屋というのは
心もとないな……)
数人は教室から外に出て、窓の外を見張っている。
「アヤメ、大きな犠牲を払った直後で申し訳ないが……
勇者メーヤ様のことと、
あと……もう一度、異世界とやらについて教えてくれないか。
正直なところ……まだうまく理解できていない」
西野や現地人の気持ちを考えれば、いまする質問ではなかったが
タトスは焦燥感に駆られていた。
西野はさきほどの少女の側にいたが、立ち上がってこちらにやってきた。
教室の中ではタトスとエリシュオン、そして現地の人間で別れて座っている。
これが今のタトスたちと彼らの距離だ。
一目で分かるこの事実に、タトスは生命の危機以外に大きな懸念を感じていた。
西野という少女に頼り切っている。
今は西野がいるから会話が成り立っているが、彼女がいなくなれば
異国の言葉しか喋れないほかの現地人と意思疎通することは難しい。
言葉が通じぬタトスたちが生き残れても、西野という後ろ盾がいなくなれば
この先どこへ行こうとも、厄介者として疎んじられる可能性は高い。
いや、すでに疎んじられていることを感じていた。
ローレライや他の化け物から生き残れたのは、女神の気まぐれともいえる
幸運が微笑んだからにすぎない。
運ばかりに頼ってはいつか尽きる。
そんなあやふやなものだけには頼れない。
「いいわ。
いま彼女たちにあなたたちの話をしていたの」
西野はそう答え、タトスたちに笑いかけながら座る。
「俺たちの?」
「みな怖がってるわ。言葉が通じないんだもの。
おまけにその恰好……この世界では、コスプレイヤー以外では見かけないわね」
西野はタトスたちの格好を見て苦笑する。
「コスプレイヤー?」
「ああ、それは気にしないで。
とにかく、私の知り合いだから安全って説明したけどね。
トラブルは起きてほしくないし。
こんなときこそ、みんなの結束と信用が大事だから」
タトスにもそれは分かっていた。
「アヤメは良い騎士になれるな」
ポツリとつぶやいた言葉に、西野はきょとんとし、次の瞬間には大きな声で
笑いだしていた。
「あっはっはっは。それは嬉しいわね」
西野の笑い声に、教室内の全員が彼女に注目する。
ずっとこちらをうかがい、様子を見ていた彼らだが、西野の楽しそうな声に
警戒がわずかに緩んだと感じた。
(ほんとにすごい子だ……わざと大きな声で笑ったのだな)
西野に感謝を向け、頭を下げるタトス。
「よいよい、はっはっは」
手をパタパタと振る西野。
西野は向こう側に振り向き、皆となにかを話している。
彼らはうなずき、かすかだが笑っていた。
西野はまたこちらに向き直り、笑顔で答えた。
「私、あの人たちから見ても騎士っぽいってさ。ふふふ」
タトスもエリュシオンも釣られて笑ってしまった。
そのとき、さっき少女に剣を向けたときに庇った男が立ち上がった。
彼は頭を掻き、少し怒ったような表情ながらタトスたちに食料を手渡してくれた。
エリュシオンはキョトンとした表情で受け取ったが、タトスは素早く立ち上がり、
男に頭を下げる。
男性はまた元の位置に戻っていった。
(……彼らは強いな)
自分たちのような異邦人に対し、勇気を出して受け入れようと努力してくれた。
それがとても好ましく思えた。
世界が違えど、彼らは同じ人間なんだと改めて感じた。
西野といい、彼といい……タトスはこの世界の人間が好きになりはじめていた。
「アヤメ、ありがとうと自分で伝えたい……彼の名前と言葉を教えてくれないか。
それに剣を向けてしまった少女にも謝りたい」
西野は嬉しそうに大きくうなずいた。
タトスは立ち上がり、先ほどの男の元へ行く。
「タチ……バナ。ア……リ……ガトウ」
そしてまた頭を下げた。
彼も立ち上がって握手を求めてきた。
手を握り返して笑い合う。
そして少女の方を向いて頭を下げた。
「トモコ、スマ……ナカッタ」
トモコは立ち上がり、タトスの肩にポンポンと手で叩いた。
彼女の手を握り、何度も頭を下げた。
西野はそんな彼らを優しく見つめ、微笑んでいる。
それがきっかけになったのか、トモコがエリュシオンの元へやってきた。
言葉が通じないながらも、アクセサリーの類をエリュシオンに見せている。
エリュシオンは瞳を輝かせ、トモコに笑いかけていた。
しばらくすると立花とトモコが見張りの交代のために、教室の外に出ていく。
タトスたちはそれを見送る。トモコはエリュシオンと西野に手を振っていた。
エリュシオンも笑顔で手を振り返していた。
西野が真剣な表情でタトスたちに話かけてきた。
「さっきの質問の続きに答えるわね。
別次元の世界……の話ね。
もう一度言うけど、ここはあなたたちがいた世界とは別の世界なの。
確かに存在はしているけど、本来は決して行き来できない世界……
そうね、死後の世界……地獄みたいなものだと言えば分かるかしら」
そして西野は悲しげに、しかしどこか憎しみも混じった声でつぶやく。
「本当は天国みたいな場所だったんだけど……ね」
タトスとエリュシオンはしばし絶句し、それでもなんとか言葉を紡ぎ出す。
「つまり、生者であるにもかかわらず、死者の世界へ紛れ込んだ……と」
「正確には、死後の世界ではないけれど。認識としては、まあそんなところね」
「つまり、死者が生き返るくらい、元の世界へ戻るのは難しいということだな」
西野はなにも言わなかった。
エリュシオンは青い顔をしていた。
ここが死後の世界のようなものだと告げられたのだ。当然だろう。
「我々は……死んだわけでないのだな?」
「うん、私も生きてるし、あなたたちも生きてるわよ」
「そうか……」
西野はふと気がついたかのように質問してきた。
「そういえば、タトスさんたちはどうやってこの世界に来たの?」
タトスはまだ経緯を説明していなかったことを思い出した。
「白い霧……あ、霧は白いものなんだが……
その霧にまかれて、気がついたらこの世界だったんだ。
確信はないがあの霧のせいで来たんだと思う」
西野は驚いたように目を丸くし、タトスとエリュシオンを見た。
「覚えてるかしら?
私もメーヤ様の力を借りて異世界に行ったことがあるのよ。
少しの間だけだったけどね」
「ああ、そういえば言ってたね。
だからこそ、メーヤ様なら元の世界に戻れる方法を知っていると」
西野はタトスの答えに満足そうにうなずく。
「異世界に行くときに私も通ったのよ。白い霧の中を」
タトスとエリュシオンが顔を見合わせ、そして西野を凝視した。
「なるほど……やはりあれはこの世界への入り口であったのか」
エリュシオンがタトスの腕をぎゅっとつかんだ。タトスは彼女の顔を見つめた。
「ああ、一緒に帰ろう。
無事に戻れたら、一緒に風呂入りたいな」
久しぶりにエリュシオンの平手打ちが炸裂した。
「いだい!」
「てめぇはなんでいつも最後まで決めねぇんだ!」
西野がまわりの皆にも今の会話を伝えたらしい。
まわりから笑いが上がっていた。
そのとき、疲れなのか、突然エリュシオンに猛烈な眠気が襲ってくる。
テルスタークで過ごしていた日々では経験したことがないほどの睡気。
タトスと西野が自分を呼ぶ声が微かに聞こえていた。
どうやら倒れたらしいとエリュシオンは気づく。
床がすぐ間近に見えていたからだ。
エリュシオンは抗うこともできず、底なし沼に引きずり込まれていくように
眠りの中に落ちていく。
エリュシオンがふと目を覚ますと、そこは王都エルドランだった。
あたりは深い白い霧に包まれている。
(白い霧……ということは、帰って来られた?)
それとも夢なのか?
タトスは? と辺りを見回す。
彼がいないだけでとてつもなく心細くなる。
(タトス……どこだよ、隠れんなよ……)
王都は静けさに包まれていて、路上には人の姿がまったくない。
時刻はよく分からないが、霧を通してかすかに太陽が見えることから
夜でないのは確かだ。
白い霧を恐れて、皆屋内にこもっているのか?
同時にゾっとする考えにとらわれた。
(ま、まさか……王都中の人間も異世界へ?
私だけ戻って来た? 冗談はやめてくれ……)
その時、エリュシオンの眼前の白い霧が突如として晴れだした。
左右や後ろは白い霧に覆われたままで、まるでエリュシオンに
前へ進めと道を示しているかのようだ。
この先に誰かいるのかもしれない。
そう思ったエリュシオンは霧が晴れた方へ歩き出す。
通りには誰もおらず、物音も一切ない。
そこは貴族たちの邸宅が並ぶ王都の一角で、知恵者と名高い
ヒュプテ・ケーノス侯爵の邸宅を中心に白い霧が消えている。
ヒュプテが白い霧をなんとかする方法を見つけたのかもしれない。
エリュシオンが音に聞くヒュプテの能力は、そう納得させるだけの実績がある。
ケーノス邸に近づくと、玄関の扉が開け放たれているのが見えた。
誰かに会えるかもしれない……エリュシオンはうれしくなって思わず走り出す。
ケーノス邸の玄関を通り過ぎ、玄関ホールに入る。
そこにはヒュプテ侯爵、冒険者……そして夢で見た美しい少女が立っていた。