第33.5話「ヴァンパイア・中編」
「アリスちゃん、大丈夫かな……」
「心配性だなぁ。なんともないって。
ヴァンパイアの狙いはアリスちゃんなんだろ?
奴隷化されたやつがあの子を手荒に扱うことはない」
ボクの心配はどこ吹く風とばかりに気楽に答えるダーツさん。
確かに理屈ではそうなんだけど、やっぱり化け物にさらわれたんだから心配だよ。
カラカラカラ。
いまだ糸車は回っている。
無色透明の糸で太陽の光が当たっても反射してない。こりゃ気がつかないよ。
しかも結構切れにくいという丈夫さ。
ボクたちは時間を置いてから、糸をたどってゆっくりとアリスちゃんを
追いかけ始めた。
どれくらい時間が経ったのだろうか。なんとなく30分程度って感じかな。
腕時計なんて便利なものはないから、感覚でしか時間をつかめない。
「あ、糸が止まったわね。到着したみたいね」
「慌てるなアキラ。急ぎ足はやめろって」
思わず小走りになっていたボクに注意するダーツさん。
いや、だって、アリスちゃんが……
「どこでヴァンパイアの奴隷が見張っているかわからんぞ。
俺たちはアリスちゃんと接触してるからな。注意するこった」
あ、そうか……
仲間があのおばさんだけじゃないって可能性もあるのか。
確かに気をつけないと。自然に振る舞わなくちゃね。
意識しすぎて右足と右手が同時に動き、ダーツさんにゲンコツを喰らった。
いだい……
「あそこね」
カザリさんが指さした先は普通の民家にしか見えない。
取り立てて不気味には思えないし、変な雰囲気も漂ってない。
ボクたちは不用意に家の前を通り過ぎるなんてことはせず、
民家のはるか手前の角を曲がって歩きつづける。
「全然怪しい雰囲気ないですね」
「まぁ雰囲気出してたら、怪しまれるからなぁ」
ネロさんがボクの意見に苦笑した。
すみません、当たり前の感想を言っちゃって。
「そうそう、ダーツみたいに怪しさ全開だとなにかと不便だしな」
タイラーさんの意見に皆うなずいている。
「な、なるほど……」
「なるほどじゃねーよ! 俺のどこが怪しいんだよ!
さわやかさで売ってるんだぜ?
見ろよ、美しい金髪、涼しい目、ニヒルな笑み。
女なんて皆イチコロだろうよ」
カザリさんが鼻で笑ってダーツさんをまじまじと見た。
「ボサボサで汚い金髪」
ネロさんが相槌を打ち、カザリさんの後を引き継ぐ。
「黄色くにごった目」
タイラーさんがトドメに。
「下心見え見えの笑み」
順番にツッコミを入れていく3人。
うっ、そこまで言う? 可哀想すぎるんだけど……
いや、確かに怪しく見えるけども。
カノンの感想が気になったので聞いてみた。
タイラーさんたちは仲間として過ごしてきた時間が長いし、
どこまで本気なのかわからないからね。
「カノンはダーツさんの印象ってどんな感じ?」
ちょっと小首をかしげ、人差し指を口元に当てて考え込むカノン。
いちいち仕草がかわいい。
「私なんかが、もったいなくないでしょうか?」
相変わらず卑屈というか、消極的というか、魔族のメイドの癖なんだろうか。
カノンには自分を卑下することは言ってほしくないな。
すっごく素敵な子だから。
「うんうん、ぜひ聞かせて欲しいな」
「私はその……猿っぽいな……と」
素直なんだけど、遠慮がない感想に皆が一斉に爆笑した。
ダーツさんだけが力尽きたように道端に座り込んでいる。
「ねぇねぇ、じゃアキラちゃんのダーツへの印象は?」
カザリさんが笑いすぎて目に涙を浮かべながらボクの肩をポンポンと叩く。
「え、ボク?
えっと……言っていいのかな。恥ずかしいけど……
お父さんみたい……かな」
全員つっぷして、真っ赤な顔でお腹を抱えて痙攣した。
あれ、ボク、そんな変なこと言ったかな?
「あー笑った笑った。さて、私は偵察に行ってくるわ」
カザリさんがそう言い残した瞬間、もう姿が見えなかった。
どうなってるの、忍者だからなの?
ボクたちはアリスちゃんがいる家から100メートル以上離れた路上にいた。
カザリさんが戻るまで、怪しまれないようにお店をのぞいたりして時間をつぶす。
雑貨屋さんを軽く見て回ってから、もうちょっとじっくり見たい欲望を抑えつつ、
外に出た。
突然、背後からカザリさんの声がした。
「アリスちゃんは2階の自分の部屋で十字架を握りしめてたわ」
偵察に出たカザリさんが戻ってきた。
様子を探りにいったときも一瞬の内に消えて、戻って来たときも急に現れたので
心臓が口から飛び出すかと思った。
超びっくりするので、帰ってくるときもひと声かけるとか正面から来てほしい。
この目にも止まらない動きって……アステリアたちの動きに似てるよね。
勇者メーヤとアステリアの戦いも動きが見えなかったし。
カザリさんって実は超すごい人?
「2階建てでアリスちゃんの部屋、おばちゃんの部屋、あとは居間と炊事場。
2人分しかベッドがなかったし、多分2人暮らしね。
ざっと見た感じでは特別な部屋やモノはなかった」
ダーツさんがカザリさんの報告を受けて、しばし考えこむ。
「ヴァンパイアは別の場所に潜んでるんだろうな。
それは良いが、この辺は民家が密集してるし、爆発されたらコトだ。
奴隷はおびき出すしかねぇな。
けど、その前にまずアリスちゃんの確保だな。
よし、アキラ。お前に重大な任務だ」
「へ?」
ま、まさかここでボクに仕事が任されるとは思ってなかったので、
間抜けな声を出してしまった。
「アーリースちゃーん。あーそーぼー!」
ボクはアリスちゃんの家の前で大声を出し、友達を装って遊びにきたフリをする。
(幸いお前はずっとフードを被ってて顔が割れてねぇ。
友達として潜入して外に連れ出せ)
というダーツさんの作戦だ。
ボクはカザリさんが用意した女の子用の服を着て、肩が露出する
白いローブを着ている。
皆ちょっと顔を赤くしながら、女装したボクに似合う似合うと言ってくれた。
なぜ顔を赤くする?
カザリさんとカノンはひたすら瞳をうるうるさせてた。
なぜうるうるする?
「おや? アリスのお友達? 初めて見る顔の子ね」
おばちゃんが出てきた。
アリスちゃんを冒険者ギルドまで迎えに来たヴァンパイアに奴隷化された
おばちゃんだ。
「はい、最近友達になったばっかりなんです」
必死に笑顔をつくる。ぎこちなさ全開かもしれないけど。
心臓がばっくんばっくんしてる。
バレたらドカンだもん。そりゃ緊張するよ。
「そうかい、そうかい。アリスは部屋にいるよ。どうぞ中におあがり」
「お邪魔しまーす」
不審に思われることなくおばちゃんに案内され、階段を上がって
アリスちゃんの部屋の前まで行く。
疑われないってことは成功なんだけど、女装してるだけに複雑な気分だ。
さりげなく中を見渡したけど、やっぱり普通の家にしか見えなかった。
「アリスー。お友達の……えっと何ちゃん?」
「あ、アキ……です」
「アキちゃんがいらしたわよ」
中から返事はなかったけど、おばちゃんはゆっくりしていってねと
笑みを浮かべ、階段を下りて行った。
ほんとに人間にしか見えないのに、ヴァンパイアの仲間なんだ……
ボクはコンコンとドアをノックしてから扉を開けた。
部屋の中ではアリスちゃんが十字架を手に持って身構えていた。
「来たなヴァンパイア、死なばもろとも。
明日は遠足、ニンニクは銅貨300枚まで」
相変わらず言葉が変な子だ。
しかし、遠足って懐かしいな。
そういえば最近王都に民間の学校ができたってダーツさんが言ってた。
いいな。ボクもまた学校に行きたいな。
まぁそれはおいといて……
「や、ボク、キミが依頼した冒険者の黒ローブだよ」
ボクは万が一にもおばちゃんに聞かれないように、ボソボソと静かに答えた。
警戒していたアリスちゃんが、ボクをまじまじと見つめてくる。
「お前、ほんとに人間? 綺麗すぎるの。
私は美しいものは信じない。信じる者は救われる」
どっちだよ。
ボクはアリスちゃんに近づき、十字架に触れた。
「おぉ、ヴァンパイアじゃない」
そう言った途端、アリスちゃんはボクに抱きついてきた。
かわいそうに……怖かったんだね。
ボクはアリスちゃんを抱きしめ返し、頭を撫でてあげる。
「貧乳好き。すごい美人で超好み。一目惚れ。お前は私の女」
ボクの胸に顔をうずめ、左右に振りながらグリグリ頬を押しつけてくる。
「かたいかたいかたい。興奮する」
おおい……この子、大丈夫なんだろうか。
「あ、あのアリスちゃん、ボク男なんだけど……」
そう告白した瞬間、アリスちゃんの動きがピタッと止まった。
ボクの顔を呆然として見つめている。
あれ、目の焦点が合ってない……気がする。
「と、とにかく外に行こう」
意識が飛んだように見えるアリスちゃんの腕を引っ張り、部屋を出た。
「おや、どこかにおでかけ?」
1階に下りるとおばちゃんが声をかけてきた。
内心ビクリとしたけど、なんとか隠して明るい声を出す。
「はい、ちょっとだけお外に遊びに行ってきます」
「そうかいそうかい。暗くなる前に帰るんだよ」
「はーい」
完全に友達だと思われてるみたいで、ボクたちは無事外に出ることに成功した。
おっしゃあ! ボクすごい!
初めて役に立てた気がする。
外に出た途端に焦って走り出しそうになるけど、慌てないように
自分を抑えてゆっくり歩き、
ダーツさんたちが待ってる場所まで行く。
たった100メートル先まで歩く途中で、2回もナンパされてしまった以外は、
なにごともなくダーツさんたちと合流できた。
いくら女装したといっても服装だけのはずなのに……
ここは人通りも適度にあって待ち合わせるには丁度よさげ。
ダーツさんはボクを見つけると手を上げた。
「ア、アキラ、その……ご苦労さん」
なぜかダーツさんが顔を赤らめながらボクに労いの言葉をかけてくれた。
「しかし、アリスちゃんはどうしたんだ。
様子がおかしいが……なにかされたのか?」
「え……あはは」
さすがにボクを女の子だと勘違いしたせいだとは言えない。笑ってごまかす。
しばらくするとアリスちゃんの意識が戻った。
「はっ! ここはどこだ? 見覚えの無い場所だ」
嘘つけ……めっちゃ近所だわ。
しかし、本当に意識飛んでたんだなぁ。
どんだけショック受けてるんだよ。
「あら? アリスちゃん、なにしてるの。
それに、その人たちは?」
突然の知らない声にギョっとした。
つけられた? と思ったから。
「あ、姉ちゃん。昼間なのに動くとは卑怯なヴァンパイア」
え……
えええ……?
もしかしてこの人がアリスちゃんの言ってたマリアって子?
見た目はショートカットの茶髪で普通な感じの女性だ。
年は多分ボクより上な感じがする。
あとマリアさんって、すごく巨……巨乳……なのだ。
これはいかん、カザリさんも大きいけどこの子は破壊力がありすぎて、
どうしてもそこに目が行ってしまう。
落ち着け、ボク……あれは母さん……母さんだ。
しかし、見た感じ、ボクの抱いてるヴァンパイアのイメージからはほど遠い。
「んもう、またそんなこと言ってるの?
イタズラ好きねぇ」
クスクスと笑うマリアさん。
あれ? どういうこと?
え、まさかアリスちゃんのイタズラだったの?
でも、カザリさんはおばちゃんに牙があったとか……
ううん?
「アキラ、油断するな」
考え込むボクにダーツさんが落ちついた声で注意する。
すでに身構えて戦闘態勢だ。
普通の子にしか見えないけど、ダーツさんが気をつけろって言うんだ。
気を抜かないでおこう。
「昼間に出歩くヴァンパイア……確かに珍しい。
どんなカラクリだ?」
ダーツさんが気楽な口調でマリアさんに問いかけた。
マリアさんは困った顔をしてボクたちを見た。
「アリスちゃんはね、今まで何度も冒険者の方を困らせてきたんですよ。
ほら、ちゃんとあやまりなさい?」
アリスちゃんを見ると、ぶんぶんと激しく首を横に振ってる。
「黙らっしゃい姉ちゃん。人が見てなくてもお天道様は見てる。
私も見てる。
お前は巨乳ヴァンパイア。ノーミステイク」
ダーツさんはアリスちゃんの頭に手をポンと乗せてやさしく撫でた。
「アリスちゃん、大丈夫だ。俺たちは君を信じている」
「まるで死んだ父ちゃんみたいだ。
今日からお前は私のファーザー」
ダーツさんのこめかみがヒクヒクしてるが、それは見なかったことにする。
「よぉ、マリアさんって言ったっけ。
いまさら取り繕ったって無駄だぜ?
あんたから漂う気配に、体中の毛が逆立ってるんだわ」
マリアさんは柔和な笑みを崩さず、淡々と語りかける。
「そっか。アリスちゃん。
今度は強そうなの見つけたのね。感心だわ」
そう言った瞬間、辺りが急速に暗くなり始める。
なんだこれ!? いきなり夜に!
真昼間のはずなのに、空には星がまたたいてこの世界特有の2つの月も出ている。
「なにこれ!?」
「あはははは。アリスちゃん、今日こそあなたを眷属にするからねー。
私がどれだけあなたに恋してるか、知ってるでしょお!」
「私は巨乳は好かん。
姉ちゃんが貧乳なら考えた」
考えたのかよ……どんだけ謎な子なの。
「ダーツさん、なんでいきなり夜に……
ヴァンパイアってそんな力持ってるの?」
「聞いたことねーな……」
ダーツさんたちも突然夜になったことにとまどっている。
マリアさんは、ボクたちをバカにしたように冷たい目で見つめている。
「うふふ……【真祖】であれば、可能なのよ?
一瞬にして周囲を夜の闇に閉ざすの」
「なっ!? お前が……真祖だと!?」
マリアの言葉で、ダーツさんたちの緊張が異常に高まったのが、
ボクにも伝わった。
アリスちゃんとボクやカノンを後ろに下げる。
「なるほどな。昼間でも活動できたのは、そのせいか……」
「し、真祖ってなに?」
誰に聞くともなくボクはつぶやいた。
こんな状態で質問するなって話だけど。
ヴァンパイアのマリアが親切にも教えてくれた。
「真祖とは、初めのヴァンパイア。
つまり噛まれたことで派生したまがい物ではなく、純粋なる血族。
その力は眷属の何十倍もあるわね。
ってことで、あなたも眷属決定だから」
「はっ!? なんでボクを!」
マリアはボクを見て、頬を赤く染めて涎を垂らしている。
目が妖しく煌めいていてめっちゃ怖い。
「アナタ、めっちゃ好みだもの……アリスちゃんと一緒に永遠に可愛がってあげる。
ああ、ほんとに美しいわ……」
アリスちゃんが拳を握り締め、辛そうな表情で語った。
「私と姉ちゃんの秘密だったけど、今こそ語ろう。
姉ちゃんは実は……百合なんだ」
「お断りします。ボク男だし」
魔王の上にヴァンパイアの役職までもらう気はない。
アステリアを呼びたいところだけど、ここで戦ったらとんでもない被害が出そう……
まず間違いなくここら辺は焼け野原になる。
カケイドの時はすでに人がいなかったけど、ここは住宅区で人が多いんだ。
「男なんてウソをついても無駄。
あなたは私のモノ」
吸血鬼マリアの背中から翼が生えた。
赤黒く巨大な羽根。それは身長の何倍も大きい。
茶色だった瞳が赤く光りだした。
髪も茶色から銀髪へと変色していき、月の光を浴びて妖しく輝いている。
マリアの服がちぎれ飛び、服の切れ端がコウモリの群れに変わった。
コウモリたちはマリアの周囲を飛び回り、彼女の体を覆い尽くした。
再びコウモリが衣服へと変異する。真っ黒で露出度の高い、
まるでSMの女王のようなボンデージに身を包んだ姿がそこにあった。
魔族は魔力を体に流し込むと変異する。
マリアが魔族としての正体を完全に現した。
「フフフ、男はコウモリのエサ。
女は眷属へと迎えてもいいわね。好みの子ばかりだわ」
「残念ね。アキラちゃんは私のなの。あきらめて」
カザリさんがお返しとばかりに、とんでもないことを言い出す。
「そうです、アキラさんは……その、あの、私の……
仲間なので!」
カノンまで。
なんか泣けてくる。
やっぱりカノンってボクを仲間っていうか、王様としてしか見てないんだなぁ。
こんなときなのに落ち込んじゃうな……
「ま、そういうこった。諦めてくれ」
ダーツさん……ありがとう。
「まぁ、今日は役に立ってくれたしな」
ネロさん、ちょっとひどい。
「俺より先に大人の階段は登らせない」
タイラーさんは……もう何を言ってるの?
でも、真祖だというヴァンパイアを前にしても、みんなの自信に満ちた顔を
見ていると、なんとかなりそうで心強い。
ボクも剣を抜き、身構えた。
だてにずっと練習してきたんじゃないぞ。
ちょっとくらいなら、多分、身を護れるほどには……
吸血鬼マリアは真っ赤な舌で、唇をペロリと舐める。
「じゃあ楽しませてね」