第29話「再会」
カケイドの街から少しはずれた場所に湖がある。
休日に釣りを楽しむ者もいて、カケイドの住民には人気のスポットだ。
しかし今は誰もおらず、鳥のさえずりだけが響き渡っている。
その自然豊かな憩いの場に似つかわしくない声がこだまする。
「う~~ん、うまれるぅぅ~~。
ひっひっふ~」
勇者メーヤが湖のほとりの芝生の上で仰向けに横たわり、
2人のメイドが膝立ちで側についている。
メイドはメーヤの側近、カノンを塔に連れて行ったジェットと
カイケドの街で生贄を集めていた少女パールだ。
パールがメーヤのヘソあたりに短剣を深く差し込み、
縦に少しだけ切り込みを入れた。
メイドたちは腹の中に指を入れ、力任せに左右に引っぱる。
肉がブチチッという音を立てて引きちぎられ、腸が外にこぼれた。
「メーヤ様、もっといきってー!」
「ファイトです! 私がついてます!!」
ジェットは両手で包み込むようにメーヤの体内から子宮を取り出した。
取り出された子宮の中で何かが急速に形作られていき、大きく膨らんでいく。
膨張しきったのを見届けて、パールは取り出した子宮を短剣で裂いていく。
「あ! 頭が見えてきましたよ、もうひと踏ん張りです!」
「ひっひっふ~~」
切り開かれた子宮の中から、羊水にまみれた裸の少女が芝生へ転がり出す。
子宮に宿るのは赤ん坊のはずだが、メーヤの子宮から生まれたのは
緑という珍しい色の髪をした10代の少女……カノンだった。
カノンを産み終えたメーヤの顔はほんのり赤く上気し、荒い吐息をつき、
とろんと恍惚とした目をしている。
「うはは~、えくすたしぃ~」
ぜえぜえと息をつくメーヤに、ジェットとパールが労いの声をかける。
「メーヤ様、お疲れ様でした……難産でしたね」
「しかしメーヤ様、本当によろしいのですか?」
メーヤはぐったりと横たわるカノンの顔をしばらく見つめ、静かにつぶやく。
「……いいのよぉ~。
はぁ……私もバカよねぇ~。アキラくんのぉ~大事な人を~
傷つけちゃったら~、私が嫌われちゃう~。
そんなこともぉ~わからなくなるなんてぇ~、相当やばくなってるわね~」
「メーヤ様……
しかし、一度死んだ者を蘇らすために、メーヤ様の肉体を少し与えたのでは?」
「ま~ねぇ~、ちょっとこの子、変質しちゃったけど~、まぁこの程度ならぁ~。
これで~アキラくん~許してくれるかな~?」
「ええ、アキラ様なら、きっと許してくださいますよ」
メーヤは安心したように微笑んだ。
しばらくするとカノンが意識を取り戻した。
「うう……ん……」
上半身を起こし、意識をはっきりさせようと頭を振る。
状況がわからないのか、キョロキョロとまわりを見回す。
「こ、ここは……私は……?」
カノンは自分を見下ろすメイドたちを見つめ、不安げな表情で問う、
「あなた方はいったい……?」
そして自分が裸であることに気づき、真っ赤になって大事な部分を手で隠す。
「ジェット~、カノンちゃんのぉ~体を拭いて~お洋服渡してあげてぇ~」
「はい」
ジェットと呼ばれたメイドを見て思い出した。
あの塔に自分を連れて行ったメイドだ。
「ひっ……!」
そしてなにより、カノンはメイドに指示を出した女性の声を思い出した。
今の外見は老婆ではなかったが、その声は間違いない。
あの部屋で自分を食った女性だ。
カノンはその時の恐怖と死にゆく体験を思い出し、目に涙をあふれさせて
自分を食ったであろう女性を凝視した。
歯の根があわず、ガチガチという音が響く。
「そ~、私よ~。おひさしぃ~」
メーヤの白いドレスは血で赤く染まっていて、腹からは腸がぶら下がっている。
カノンは声にならない悲鳴を上げ、倒れ込んでしまう。
なんとか這いずって逃げようとするも、恐怖で足腰に力が入らない。
「い、いや……たす……」
「ごめんねぇ~カノンちゃん~。嫉妬したからって~食べちゃってぇ~。
アキラくんがぁ~この街に来たとき~、とっても喜んだのだけどぉ~
あなたが~とても仲良くしててぇ~やきもち焼いちゃったぁ~。
それでも~放置するつもりだったけどぉ~、あなたがお城にきてぇ~
つい~ご招待しちゃったのよぉ~」
メーヤはカノンに謝罪しつつ、腹からはみ出した内臓を両手で体内に
押し込んでいく。
ジェットと呼ばれたメイドがカノンに近づき、安心させるためなのか笑顔を作る。
カノンにとって笑顔は逆効果でしかなかったが、ジェットはそのまま
怯えるカノンの体を優しく拭きだした。
「や、やめ……いや……」
カノンがかすれた声で哀願するも無視され、体中を丁寧に拭かれていく。
ジェットが体を拭き終わると、もう一人のメイド、
パールがカノンに服を差し出した。
カノンはどうすればいいのか分からず、困惑したまま彼女たちを見つめる。
「さて~、私たちは~これで行かなくちゃねぇ~。
じゃね、カノンちゃん~。また逢う日もあるかもぉ~」
湖のほとりで呆然とするカノンをひとり残し、
メーヤたちはそのまま去っていった。
カノンは事態を理解できないまましばらく立ち尽くしていたが、
ふと我に返って自分の体を改めて点検する。
食われたはずの体は傷一つついておらず、塔の出来事がウソのようだった。
裸のままなのが急に恥ずかしくなり、カノンは慌てて服を着る。
状況はよく分からないままだが、自分は生きていた……それでいい。
それよりも今のカノンの心を占めているのは、たった一つの事だ。
会いたい……
今すぐ。
その気持ちだけで頭がいっぱいになっていた。
会ってはいけないと言われたルーシーの命令のことは、すっかり頭の中から
消えていた。
カノンはカケイドの街へ向け、走りだそうとする。
そこへタイミングを図ったかのように、木の陰から悪魔の紳士ルーシーが
姿を現した。
「カノン……無事でしたか……」
「あ! 閣下!」
カノンは反射的に頭を深く下げる。
ルーシーはジロジロとカノンの全身を見回している。
「あ、あの……閣下……?」
「ああ、不躾に見つめてすまないね」
ルーシーが観察している間も、カノンは早くこの場を離れたくて、
そわそわと落ち着きがない。
「クックック……そんなにアキラくんが恋しいですか?」
「え!? いえ、そんな……」
そういえば、会ってはいけないと言われたのを思い出したカノンは
ションボリと頭をうつむかせてしまった。
「いいでしょう。約束通り、アキラくんとの旅の続行を認めますよ」
「えっ!!!? あ……ありがとうございます!」
頭をこれ以上ないほど深く下げるカノン。頭が膝にくっつきそうだ。
「あなたは予想以上の働きをしてくれました。当然です。
さ、行くといいでしょう」
ルーシーはそう言うと同時に、カノンの頭に息を吹きかけた。
カノンの緑の髪が茶色に変わっていく。
「これで貴女は人間にしか見えないはずです。フフフ……」
「はい! では失礼いたします!」
カノンはまた頭を深々と下げると、カケイドの街へ勢いよく走り出した。
ルーシーはカノンを楽しそうに見送る。
「本当に面白い結果になりました。
あの子、メーヤとまじって、とんでもない化け物になってますね……
ええ、眼だけではなく、直接見に来た甲斐がありました。
あ……っと」
すでにルーシーからはるか遠ざかり、親指ほどの大きさになっている
カノンを見て、その必死さがおかしくなって再び笑いがこみ上げる。
「もうあんなに遠くに……とても速いですね」
ルーシーは大声でカノンを呼ぶ。
「カノン!」
カノンが慌ててUターンして、ルーシーの元に駆け寄ろうとする。
「ああ、そこでいいから聞きなさい。
これ以降、あなたからの報告は不要です。
どうせノロケを聞かされるだけなのでね。フフフ……」
頭から蒸気が立ち上りそうなほど、カノンの顔は真っ赤になっている。
遠くから見てもカノンがあたふたしていることは一目で分かる。
カノンは頭を下げると、また疾走しだした。
「メーヤ……あなたのアキラくんへの想い……とても感動しました。
あなたの大事な命を分け与えるとは驚きです。
いいのですかねぇ……あなたにそんな余裕があるとは思えないのですが。
クックック……
ですが、いいですよ。とてもいいです。
あなたの運命にも興味が出てきました」
ルーシーは少し首をかしげる。
「ですが、アキラくん……
ただの人間だと思っていましたが……はて……
もっと観察が必要ですね」
ルーシーはカノンを見送りながら、一人つぶやいていた。
「はっはっ……うぐ……はっはぁ……」
全力で走り続けるカノン。
体中汗でびっしょりになり、息も切れて苦しいが、
もう1秒も休んでいる暇はない。
待てない。会いたい。
早く……
カノンはカケイドの街中を走る。
酒場や宿屋、あちこち回るもアキラの姿は見つからない。
どこだろう……と、せわしなく辺りを見回す。
(早く……早く……もうだめ。心が破裂しそう……)
そのとき、大通りに見覚えのある4人を見つけた。
ダーツたちだった。
「ダーツさん!」
カノンの姿を認めたダーツたちは目を大きく見開き、驚愕している。
「え!? うそ……おい……どうなってんだ……」
「あ、あの……」
ダーツはカノンを凝視しながら呻いた。
「お、お前……なんで……死んだはずだぞ。
なにかの罠かこりゃ。
まさか、メーヤ様の……」
カノンは自分が殺されたことを、なぜダーツたちが知っているのか、
疑問符が一瞬頭の中によぎった。
しかし今はそんなことよりも……
「私……会いたいんです!」
カノンは祈るように手を組み、ダーツたちの目をまっすぐ見つめる。
心の中には狂おしいほどの愛しさが嵐のように吹き荒れていて、
組んだ手に力がこもる。
カザリがダーツに怒鳴る。
「詳しいことなんてあとでいいじゃない!
ほら、連れてってあげなくちゃ!
目を見ればわかるわ……この子の目……恋する乙女の瞳よ」
クスクスと手を口元にあて笑うカザリ。
ずばり指摘されて、カノンの顔が瞬時に真っ赤になる。
「はへ……そんな……私……」
うつむいたカノンは耳まで真っ赤だ。
ダーツはそんなカノンを見て戸惑う。
自分たちの知っている魔族とあまりにかけ離れている。
これが演技なのか、それとも真実なのか……
ただ分かるのは……カノンが命を落としたということ。
アキラと関係ないとは思えない。
カノンはアキラのために死んだのだろうとダーツは思った。
そして、どんな理由かはわからないが、カノンは蘇った。
蘇って最初の行動が……愛しい人に会いたい……ただそれだけ。
息を切らし、汗でびっしょりになっている。
街中を必死に探していたのだろう……と察する。
ダーツの心の中で、悪魔によって引き起こされた15年前の惨劇が蘇る。
だが……
(親父、お袋……すまねぇな……)
しばし目を閉じ、両親に謝る。
「そう……だな。人間にだって良いやつもいれば悪いやつもいる。
それはきっと、魔族も同じなんだろう……」
誰にも聞こえないほどの小さな声で独り言ちた。
ダーツの肩をネロとタイラーが叩く。
ダーツは皆の顔を見回し、うなずいた。
「ああ、そうだな……
連れてってやろうぜ」
皆、駆けだす。
カザリがカノンに笑顔を向ける。
「こっちよ!」
カザリは思う。
魔族であるはずのカノンに、なんの憎しみもなく声をかけられるなんて……
不思議だと。
きっと、カノンのためじゃない。
アキラのためだと気がつく。
彼の喜ぶ顔が脳裏に浮かぶ。
それだけだった。
城の中に駆け込んだところで、リアンヌがダーツに声をかける。
「なんじゃ騒々しい」
「ああ、リアンヌさん、ワケはあとだ!」
リアンヌはカノンをチラリと見た。
魔力を感知し、すぐに魔族だとわかった。
(なるほど……彼女がアキラが言っておった子か。
じゃが、なぜ生きておる?)
リアンヌがそう疑問を感じている間に、カノンたちは城の中に走り去っていった。
「慌ただしいのぅ……」
リアンヌはクスリと笑い、皆を見送った。
走る。走る。
そして城の一室のドアの前で止まる。
「ここでしばらく厄介になってるんだ。
じゃあな。俺たちは飲んでくるからよ……」
ダーツたちはカノンの背中をポンと叩いて去っていった。
ダーツの心の中は晴れ晴れとしていた。
いや、ネロやカザリ、タイラーも。
ひとり残されたカノンは気持ちを静めようと、大きく息を吸い、吐き出す。
扉をノックしようと出した手が震えている。
「お、落ちついて私……」
ようやく恐る恐るノックをした。
中から声がした。
「はい、どうぞー」
その声にドキリと心臓が弾む。
どんな顔で入ろうかと悩む。汗だらけなのを思い出し、一瞬入るのをためらう。
だが、手が勝手にドアを開けてしまった。
窓の外を見ているアキラがいた。
カノンの息が一瞬止まってしまう。
アキラはカノンの方へ振り返り……
アキラはポカンとしていた。
時間が止まってしまったかのように2人は動かなかった。
カノンもアキラも、息をすることさえ忘れていた。
窓際に止まった鳥のさえずりで、静止していた時間が動き出す。
アキラの目が大きく開かれていき、そして目が潤み……体が震え……
瞼に力を込め、ぎゅっと閉じてうつむいた。
両手で目をゴシゴシとこすり、またカノンを凝視した。
そして夢や幻ではないと確信し、涙が滝のように流れる。
顔がぐしゃぐしゃになったアキラが走り寄って来た。
カノンの顔もぐしゃぐしゃになっていた。
汗の匂いもなにもかも、一瞬で忘れ去ってしまった。
2人は力強く抱き合った。
声もでないまま、ただ強く……
互いの存在がウソではないのだと、確かめるように。
カケイドの空から黒い霧が徐々に消えていき青空が姿を現す。
ダーツたちは空を見上げた。
「……アキラ」
リアンヌは目の上に手をかざし、空を見る。
ファージスもラゼムも目を細め、眩しそうに空を眺める。
死者の埋葬をしていた街の人々も手を休め、光が差し込むのを静かに見守る。
太陽の光が街を明るく照らし出す。
黒い霧が晴れた後、そこには美しい青空がどこまでも広がっていた。