第27話「守護神」
「メ……メーヤ様が……死んだ!?」
驚愕のあまり声を荒げてしまい、我に返ってすかさず両手で口を押えたのは、
カケイド領主ラゼム・エレハイムさん。
今ボクたちがいるのはカケイド城にあるラゼムさんの執務室だ。
ソファーにはボクを中心にして、左にリアンヌさん、右に魔導師ファージスさん。
ボクの後ろにはダーツさん、ネロさん、カザリさん、タイラーさんが立っている。
領主の会談に呼ばれたダーツさんたちは、緊張でガチガチになってる。
そこまで緊張しなくても……と思うボクも緊張しちゃってるけど。
ラゼムさんはボクの正面に座っていて、今は汗だらけになった顔を
しきりに布で拭いている。
お腹が痛いのか、時折ぎゅっとお腹を抑えてる。
アステリアが勇者メーヤを倒した後、ボクたちは今後どうするかを話し合った。
ファージスさんが言うには、領主のラゼムさんは信用が置けるというので、
正直に今回起こった出来事を説明することになった。
もちろんボクの身の上もひっくるめて。
で、詳しい話は全部ファージスさんがしてくれた。
始めから終わりまで、ずっと驚愕に目と口をあんぐりと開けたまま
聞いていたラゼムさん。
ラゼムさんは話を一通り聞いた後、落ち着くために水を一気に飲んだけど、
すぐにむせて噴き出してしまった。
まぁ……信じられないよね……
ラゼムさんは怯えた目でボクを見つめ、恐る恐る聞いてきた。
「あ、あの……あなたさまが魔族の国王陛下……というのは……間違いないのですか?」
「え? はい……先ほども言った通りですけど、魔族の王様にそっくりってことで
間違えられて連れてこられた、ただの人間です……」
ラゼムさんは様子をうかがうようにファージスさんを見ている。
ファージスさんがゆっくりうなずく。
「本当じゃよ。この少女が本物の魔王なら、今頃カケイドは焼け野原じゃよ」
ううーん……いつになったら男だって分かってもらえるんだろう……
ラゼムさんが一つため息をつく。
「あの……もう一つ質問させてください。
黒い霧の件なのですが……あれはどうにかできないのですか?
お話によれば、あれは陛下の力……いえ、心とのことですが……」
「陛下はやめてください……アキラでいいですよ。
西野さんがそう教えてくれたんです。でも出した記憶もないし、操れないし。
黒い霧でボクに分かってるのは、アステリアが黒い霧に手で触れたら
その手が灰になった……ことくらいです」
リアンヌさんがビシっと勢いよく手を上げた。
「はい! そこはワシも気になっていたのじゃ。
黒い霧に魔族が触れたら灰になる…… では人間が触れたら?
生ける死者として蘇ると思い込んでおった。
だがのぅ、黒い霧に突入して出てこなかった赤獅子騎士団じゃがな……
死体が無かったのじゃよ……」
魔導師ファージスさんは興奮したのか、身を乗り出してリアンヌさんに
話かけるため、間に座っているボクの頭を邪魔そうに押さえつけてくる。
ファージスさん、痛いんですけど……
「どういうことじゃ……」
ファージスさんのクセなのか、考え事をするときに毎度アゴを指でさする。
「ふむ、黒い霧に触れたものは……魔族であれ、人間であれ、
灰になるとみるべきじゃな……」
リアンヌさんもボクの頭ごしにファージスさんと意見を交わしている。
すいません……痛いので抑えるのやめてくれませんか?
領主のラゼムさんが、ファージスさんのボクへの扱いをハラハラして見ている。
「ファージス様……さすがにアキラ様へ……その……」
「おぉ、すまんかったのぅ」
やっとボクを押さえつけていた手をどけてくれた……
ボクはファージスさんを睨むが、まったく気にする様子はない。
「つまりじゃ……黒い霧は触れた者を灰にかえてしまうが、
感染するようなものでもないし、死体を蘇らせるわけでもない」
「じゃが師匠よ……それならなぜ死者は灰にならぬのじゃ?
それに死者に倒された青鹿騎士団は、死者として甦っておったぞ」
ボクはそっと手を上げた。
リアンヌさんが、ボクにどうぞ……という感じで手をだした。
「西野さんが言うには、黒い霧ってボクが心を開いた者には無害だって……
ボクにはなぜか死者たちの心が伝わって……彼らの無念がわかったんです。
それでとても同情しちゃって……だから黒い霧は死者に無害だったのかなって。
あくまで多分ですけども……」
でも、死者たちって……ボクに心が伝わる前にすでに黒い霧の中にいたんだよね。
あれ、やっぱり違うのかな……それとも死んだ者には影響がない?
ってことなのかな……
リアンヌさんがじっとボクを見つめ、ぽつりとつぶやく。
「黒い霧が本当にお主の心であるなら……
ただの人間……であるはずがなかろうて。
あの黒い霧は、どんな人間も魔族もこれまで持ち得なかった力……
恐ろしい潜在性を秘めていそうじゃ。
勇者メーヤを圧倒的な力で倒した女悪魔。
それほど強大な悪魔の腕をたやすく灰に変えた黒い霧。
お主があれを操れれば無敵じゃろうて」
「でも……全然操れないし、消すこともできないし」
「心は消すことも、自在に操ることもできぬわい。
受け入れるのじゃ。あれはお主の心じゃろ?」
「受け……入れる……黒い霧を……」
受け入れるっていっても……どうしたらいいのかわからない。
ボクはリアンヌさんがこのまま答えを教えてくれないかと期待して、
じっと見つめてしまう……
「そんなにずっと人の顔を見るでないわ!」
真っ赤な顔になったリアンヌさんにビンタされた。
ええええ……なんで……
ダーツさんたちがやれやれといった感じで肩をすくめた。
カザリさんが静かにつぶやいた。
「アキラちゃんは……
自分の顔がどれだけ破壊力を秘めているのかわかってないのね。
もしかすると黒い霧よりやっかい……かも」
今度はカザリさんが手を上げた。
「はい」
領主のラゼムさんが、どうぞと促す。
「結局、死者たちってなんで蘇ったの?」
それなんだよね……
黒い霧が原因っていう可能性が、全くなくなったわけじゃないんだけど……
メーヤの線はまったくないだろうね。襲われてたし。
自然に蘇るなんてこともあるわけないし。
しまったなぁ。アステリアならわかったのかな。
もしかしたら、軍団の中の魔族がやった可能性もあるし。
でもなんのため?
メーヤを倒すために……? うーん……
周りをみれば、みな同じくうーんと唸っている。
皆が顔を傾げる中、ファージスさんが答える。
「わからんのぅ。じゃが、誰かの仕業であろうな。
この件に関しては調査を続行じゃな。情報が少なすぎるわい」
リアンヌさんも険しい表情でみんなを見つめる。
「……なにかが動き出しておる。
これはその序章に過ぎぬ……そんな予感がするわい」
シーンと静まり返る室内。
そのとき、カザリさんがボクの頭の上から声をかけてきた。
「アキラちゃん……ローブの隙間から……その……
ピンクの乳首が見えちゃってるんだけど」
メーヤとアステリアの戦いの後、そのままラゼムさんの部屋へ移動したから、
着替えてる余裕がなかったんだ。
ボクはローブの合わせ目をぎゅっと握った。顔が瞬時に真っ赤になる。
「というか、なんで見るんですか!?」
「あ……見えそうだなって思って見てたら、見えちゃったの。
だから注意してあげないとって……」
リアンヌさんが真顔でボクに質問してきた。
「ピンク……なのか?」
なんで聞くのかな?
ダーツさんが無言でカザリさんにゲンコツした。
ファージスさんがため息をつく。
「まったくお主らは……シリアスな雰囲気が台無しじゃな……」
領主のラゼムさんが咳ばらいしてイスに座り直す。
「問題は山積みですが……
とりあえず勇者メーヤ様の件を王都に報告せねばなりません。
これに関しては、カケイドを襲った死者の軍団と相打ち……
と報告しようと思っております。」
ファージスさんがうなずく。
「それがよかろう。」
ラゼムさんは眉根を揉みながら唸っている。
「問題はそこから先……ですがね。
メーヤ様が亡くなったと世界中に知れ渡れば……国々が揺れますね。
守護神を失ったこの世界は、今や滅亡を待つに等しい……」
確かにそうなんだ。
どんなにメーヤがおぞましくても、人類は魔族に対抗する守護神を失ったんだ。
悪魔に怯える日々がやってくることになる。
魔族はボクたちの城だけにいるわけじゃないんだ。
世界各地に数多くの恐るべき魔神や魔獣がいるらしい。
生贄を要求していたとはいえ、メーヤはそれらを追い払っていたのだ。
それは揺るがない事実だ。
つまり、これってボクのせいなんだよね……
でも、カノンのことは絶対許せなかった。
アステリアも元々呼ぶつもりはなかった。
ちゃんと話し合えば協力してもらえるんじゃないかって、
かすかな希望を持っていた。
でも、メーヤは……
あれは人を人と思っていなかった。
ラゼムさんが疲れた顔で続ける。
「今のところは、勇者メーヤ様の力を借りるほどの悪魔は出現しておりません」
ボクをチラリと見る。
「あ、はい……こっちの魔族はボクが抑えておけると思います」
ラゼムさんは静かに、でも決然と頭を下げた。
「心より感謝いたします。
アキラ様のご苦労は私には推し量れません……」
沈黙が落ちる……
あれ? なんで静かになったの?
ボクの肩をダーツさんがポンポンと叩く。
カザリさんが目をウルウルさせてボクに抱き着いてきた。
「アキラちゃん!」
なんなんだ……
ラゼムさんが沈鬱な表情で話の続きを切り出した。
「……今は良いですが……この先、人の手に負えない悪魔は必ず出現するでしょう。
どこかで眠っているのか……あるいは発生するのか……
それは分かりませんが、突然強大な悪魔が現れます。
そのとき……我々はどうやって対処していくのか。
まず各国の王たちとの対話が必要になるでしょうね」
ファージスさんがラゼムさんの話にうなずく。
目を伏せ、疲れ果てた老人のようなため息を吐いた。
「遅かれ早かれ、こんな事態はいつかやってきたのじゃ」
「あの……」
恐る恐る手を上げる。
皆の視線がボクに集まり、少し緊張しちゃう。
意を決して発言する。
これは言わなくちゃいけない。
「もし手に負えない悪魔が現れたら……
ボクがそこまで行って対処したいと思います。
これは誰にも内緒でお願いします」
メーヤを倒した後、ボクなりに勇者の役割を考えてきた。
出てきた結論がこれだ。
元はといえば、こんな状態になったのはボクのせいだし……
全員驚いた顔をしていた。
ダーツさんが呆れた様子でボクをたしなめる。
「アキラ……そりゃかなり危険だぞ……」
「うん、もし誰かに見つかれば、ボクは人間から攻撃されちゃう。
だから密かにやらなくちゃ……
強力な悪魔が現れても、アステリアたちがいるしね。」
ボクはダーツさんに微笑む。
ダーツさんが両肩を強くつかみ、正面からボクを見つめてきた。
「負けるかもしれないんだぞ……戦いに絶対はない。
アステリアは生き残っても、お前が巻き込まれて死ぬ可能性だってある。
それに……誰にも感謝されず、見つかればアウト。
そんなことをお前はやるってのか?」
もうボクの意思は決まっている。
迷いなくうなずいた。
「アキラ……
くそ! お前が行くときは俺もついていくぞ! 俺がお前を守ってやる!」
「ダーツさん……」
心がとても温かくなって涙が滲む。
「アキラちゃん、私もいくわ。ってか、ネロもタイラーも行くわよ」
「カザリ……勝手にお前は……まぁ、行くけどな」
「……うむ。アキラに彼女ができるまでは、せめて守ってやらないとな」
「カザリさん……ネロさん……タイラーさん……」
感動で視界がぼやける。
本格的に涙が溢れちゃった……
うぅ、ほんとにボク……涙もろくなってる。
日本で学校に通っていたころは、泣くことなんて滅多になかったのに。
おかしいな……心が弱くなったってことなのかな。
よくわかんない……
けど、素直に泣ける自分が……実は嫌いじゃない。
リアンヌさんもボクの肩をバシっと叩いてきた。
「その時はワシもついてってやるぞ! 師匠もな!」
「リアンヌ……お前な。
最近の女子はマイペースすぎじゃろ。」
「皆……ありがとう……」
ラゼムさんがそんなボクたちを見て微笑む。
「アキラ様……私からもぜひお力添えをさせてください。
このラゼム、アキラ様への協力を惜しみませんぞ」
ボクはラゼムさんにうなずき、微笑んだ。
ラゼムさんの顔がなぜか少し赤らむ。
「うおっほん! ああ、それからリアンヌ……
お前にはまず騎士団の立て直しの仕事があるぞ」
「ああ、わかっておる……」
リアンヌさんは目を伏せ、静かな声で答える。
「ワシは……まだまだ弱い。
死んでいった皆のためにも……ワシは強くならねばならぬ」
全員がうなずいた。
もちろんボクもだ……
まだまだわからないことが多い。その中でも気になるのは……やっぱり勇者のこと。
本当にあれがメーヤだったのかな?
リアンヌさんもファージスさんも、メーヤだって言ってた。
確かにメーヤは恐ろしく強かった……だけど……
アステリアに簡単に滅ぼされた。
魔王の日記には、勇者は強敵だと書いてあった。
そこがやっぱり今でも引っかかっていて……
アステリアが魔王よりはるかに強い……って線はないと思うし。
だってアステリアは魔王の部下で……
部下より弱い魔王なんて、さすがにないと思う。
この世界で15年前に起った魔王の失踪、そして配下の裏切り。
勇者がボクと交わした約束という言葉……もちろんそんな記憶はない。
そしてボクが元いた世界にも勇者が出現……そんな都合よく現れるってことあるの?
勇者の力を借りて、西野さんがこの世界に来た。
西野さんはボクを救うことが、戦いを終わらせるきっかけになるって言った。
そしてボクの心だという黒い霧……
なぜか蘇った死者たち。一体誰が何の目的で蘇らせたのか……
黒い霧のせい……なのかわからないけど。
その死者の心がボクと通じた。
通じるといえば……アステリア。
彼女とはなぜか強い絆を感じている。
それなのに黒い霧は彼女を拒絶した……
この謎は15年前の魔王失踪と関係ないとは思えない……
すべて繋がっている気がする。
だからこそ思ったんだ。
日本に現れた勇者。
きっとその人が本当の勇者なんじゃないかって……
いや、ほんとに単なるボクの勘でしかないけど。
今は、ボクにできることをやっていこう……後悔しないように。
西野さんがいつか迎えに来てくれる……
なんかボクがお姫様役みたいで嫌だけど。
ボクは立ち上がり、皆を見回して、はっきりと宣言した。
「ボク、がんばるよ!!」
皆、ボクに応えるように力強くうなずいてくれた。