第23話「邂逅」
西野さんの体が消えた……
元の世界へ帰ってしまった。
彼女はいつか迎えに来ると言ってくれた。
またね……と、約束した。
彼女は……心を……ボクの心を救ってくれた。
人間の最も汚い部分を見てしまった。残酷な部分も見てしまった。
でも、西野さんと再会し、人間はそれだけじゃないと再び思えた。
ボクは信じる。人間を……西野さんを。
ダーツ……さん……たちのことも。
もう一度会って、話がしたい。
ボクはアティーナの導き亭から外へ出た。
突然目の前に広がるあまりの光景にぎょっとし、腰が抜けそうになった。
黒い霧の中を大量の死体が歩いていた。
霧のせいで視界が悪くてどれだけいるのかわからないが、
見渡す限り死体、死体、死体。
隠れることも忘れ、食い入るように彼らを見てしまった。
「な、なんだこれ……ゾンビ?」
ゾンビと言えばホラーの花形。
生前の原型をかろうじて残す肉体は、おぞましく怖いもののはず……
それなのになぜだろうか……怖くなかった。
いや、むしろ悲しいとさえ思える。
なんでゾンビを見て怖くないんだろ……
黒い霧の中、静かに歩くゾンビの大群は普通なら失禁ものだ。
ボクのすぐそばを死者の群れが通り過ぎていく。
その中の一人が立ち止まり、光を失った目をボクに向けてきた。
生前は女性だったんだろうか……
微かに残る女性らしい顔立ちと服装から、そう思っただけなんだけど……
なにか語りかけてくる。
顔の下半分の肉がなくなっていて、アゴが今にも落ちそうになっている。
だけどわずかに口が動いている。
なぜか何を言っているのか、わかる気がする…
彼女はこう言っている。
あの女……と。
誰のことかは分からない……
だけど、彼女の恨み、憎しみ、そして悲しみ……
それがボクに伝わってくる。
彼女はまた静かに歩き出した。
ボクは哀れな死者たちを見回す……
それで気がついた…彼女だけではなかった。
死者は全員、同じ声を上げていた。
あの女……と。
一体なにが起こってるんだ……これ?
まさか死体が動いてるのも、この黒い霧のせい?
そんなバカな……西野さんの話だと黒い霧ってボクの心らしいけど、
ボクの心にそんな力ないでしょ。
アステリアは黒い霧に触れただけで腕が灰になってたのに、死体はならないの?
死んでるから?
……考えてもさっぱり分からない。
この黒い霧がボクの心……か。
いったいどんな理由で形になって出てきたんだろう……異世界だからなのかな。
とにかくこれ、ボクの心なんだったらボクの力でなんとかできないのかな……
消すとか……
このままじゃ街にとんでもなく迷惑かけてるよね。
実害はわからないけど、視界が悪くなるだけでも迷惑だし、
街の人も灰になってるかも。うう、それはどうあっても回避したいぞ。
ボクは両足を広げて少し腰を落とし、気合を込めて両手を上にあげてみた。
「うぬぅぅ! はぁぁっ!!」
が……なにも変化は起きなかった。
まあ、とりあえず、それっぽいポーズを取ってみただけだからね。
がっかりなんてしてないよ。
それより、ちょっと恥ずかしい。誰にも見られてなくて良かった。
……あれ?
街の南の方から……なにか音が……声?
……わめき声?
いったい何なのだろうか?
人の声に交じり、打ち上げ花火がいくつも破裂するような音がした。
「え、爆発……音!?」
なんだ……?
あ、もしかして……
ゾンビたちを追い払うために、誰かが戦ってるんじゃないの?
街にゾンビがやって来たら……まぁ、そうなるよね。
でも彼ら、人間を襲いに来たわけじゃなさそうだし。
あの女って言ってたから、そいつに復讐したいんだろうか?
だとしたら、その女性はこんなに大勢の人間から恨みを買ったのか……
何者なんだ。
女のことを思い、身震いしてしまった。
爆発のあった場所へ様子を見に行きたいけど……でも、戦ってるところに
行くのは怖いな。
アステリアもいないし。
黒い霧に触れるとアステリアの体が灰になったのを思い出す。
|コレ(黒い霧)があるとアステリアが来れない……か。
西野さんの言葉を思い出す。
神代くん、あの悪魔を信じちゃダメよ。
アステリアを信じるなと言ったけど……
ボクがピンチのときに真っ先に駆けつけてくれたのは、アステリアだった。
人間のフリをして街に行くから来ちゃダメだって命令したのはボクだ。
彼女はその言いつけをずっと守ってくれていた。
ボクが拷問されている間も、彼女は自分自身に傷をつけ、痛みを分かち合おうと
してくれたらしい。
彼女はただずっと、ボクが来るなと言った命令を解除するのを待っていた。
っていうか、命令には監視するなって意味合いもあったんだけど……
ずっと遠くから見守ってくれていたらしい。
言い方を変えれば、完全にストーカーじゃないか。
「あはは……」
思わず乾いた笑いがこみ上げてきた。
そんな彼女がボクを騙してる?
西野さん、アステリアは……違う気がするんだ。
だけど……わからない……
西野さんが言ったんだ。
うん……アステリアには気をつけよう……
やっぱりさっきの音が気になる。
とりあえず様子だけでも見に行こう。
ボクは音のする方向に歩き出した。
怒声が聞こえてくる。
声のする方へ近づく。
でも見つかりたくないので、建物の陰から陰へと移りながら、隠れて様子を見た。
黒い霧ではっきり見えないが、やはり誰かがゾンビと戦っている姿が
薄ぼんやりと見える。
なんとなくだけど、ゾンビの邪魔をしなければ襲ってこない気が……
さっきからボクを無視して通り過ぎていくし、なにより目的があの女……
らしいから。
といって、邪魔しないであげてってボクが言っても、止められるはずもないし。
……あの死者たちの目的を果たさせてあげたい。そう思う。
それほどの憎悪と悲哀が伝わってきた。
ボクにも覚えがある。
西野さんと出会うまで、それはずっとボクの心の中にあったのだから。
っていうか、なんでゾンビの考えがわかるんだ?
もしかして黒い霧ってボクの心だから、触れた者の心が理解できるとか?
うーん……
考え込んでいると、突然さっきの炸裂音が爆竹レベルだと思えるほどの
轟音が鳴り響く。
まるで火山の爆発のような爆音を体全体で感じ、大地が揺れた。
「うわあああ!?」
思わずしゃがみこみ、両手で頭を抱えて庇う。
いきなりの衝撃に心臓が飛び跳ねるほど驚いた。
「い、いったい何が……」
爆発が起こった方向を見ると、視界全体が噴煙に覆われていた。
だが煙は何かの力なのか、すぐに掻き消えていった。
煙が晴れると、戦士だと思われる人たちが目に入った。
「全軍後退せよ! 急げ!」
甲高い女性の声が聞こえた。
ん? なんでこんなところで女性の声?
全軍? ってことは軍隊とか騎士団?
その声と共に戦士たちが後退を始めた。
戦士たちの退却を見てホッとする。
ゾンビたちが戦わなくて済むなら良かった。
いやいや、それって人間が負けて撤退ってことじゃないのか?
大丈夫かな……犠牲が多かったとかじゃなければいいんだけど。
ゾンビの数……やたらと多いから。
手に負えなくなった感じなのかな。
「ん? あ、あれ。まだ誰か戦ってる?」
黒い霧ではっきり見えないけど、ものすごい勢いでゾンビを倒していく
戦士がいる。しかも単身だ。
うわわ、とんでもないぞ……
いや、よく見るとまだ数人いる。
この戦いを止めたかった。
ゾンビたちの目的を果たさせてあげて欲しい。
人間にも犠牲は出てほしくない。
数人だったら乱戦じゃないから話を聞いてもらえそうだし、
声をかけても大丈夫だろうか?
でも、戦士にも相応の犠牲が出てるなら無理なのかな。
ああ! しかもこんな霧の中から出ていったら、また魔族って思われちゃうよ!
大回りして背後にまわって話かけよう。
そう決めた途端、戦闘音が止んで静かになる。
「ん?」
なぜいきなり戦いをやめたんだ?
大回りするのをやめ、身を隠しながら少しずつ近づいていく。
数人の男女が見えてきた。
あれ……? もしかして……
もっと近づく。
あっ……
ああああ!?
やっぱり……ダーツ……さんだ!
再会できた嬉しさ、そして裏切られた憎しみ、悲しみ……
それらが心の中でごちゃごちゃになって混ざり合った。
彼らとの思い出がよぎる。
救われた心。楽しかった日々。
そして……裏切り。
鼓動が早くなり、息が荒くなる。
苦しい…だけど……
ちがう……あれは裏切ったんじゃない!
そう思った瞬間、黒い霧が周囲から消えていく。
いや、ボクの周りから離れていく。
意を決し、ダーツさんたちの元へ歩みを進める。
不思議なことにゾンビがボクのために道を開けてくれた。
いまだゾンビはダーツさんたちに襲いかかっている。
死者の目的は『あの女』なんだ。
ダーツさんは男なのになぜ襲うんだ?
ボクはなぜ襲われない?
あの女ってのがカザリさんだったりするとヤバイんだけど……まぁ、ありえない。
もう一人女の子がいるけど……こんなに恨みを買う子には見えない。
これほど大勢の憎しみを向けられるような人物が、たった数人でゾンビを
相手にするもんか。
ここにいる人間じゃない。
そう確信したからこそ叫んだ。
死者はきっと…人間の何かに反応しているんだ。
それは――――
「ダーツさん! 死者に敵意を向けないで!」
ダーツさんはボクの姿を認めて激しく動揺し、チラリとボクを睨むように見た後に
うつむいた。
だけどそれは一瞬で、すぐさま顔を上げて叫んだ。
「皆! リアンヌさん! ファージスさん!
今はあいつの言葉を信じてくれ!」
ダーツさん、ネロさん、カザリさん、タイラーさんはすぐに構えを解いてくれた。
少女と魔法使い風のお兄さんは逡巡していたが、最終的にはダーツさんの指示に
従って武器をしまってくれた。
その途端にゾンビたちはダーツさんたちへの興味を失ったように、
またゆっくりと歩き出した。
ボクの……言葉を信じてくれた……
それが嬉しかった。
ゆっくり皆を見た。
そこには……懐かしい顔があった。
もう、何年も会ってなかったような……
ダーツさん、ネロさん、カザリさん、タイラーさん。
騎士の女の子なのかな…それと魔法使いの格好をしたお兄さん。
女の子と魔法使いのお兄さんは、通り過ぎていく死者を呆然と眺めていた。
ダーツさんたちが少し色を失った表情で、ボクを睨みつけてくる。
やっぱり……まだボクを魔族だと思ってるんだ……
そんな雰囲気を感じる。
ダーツさんが微かに震える口で、ぽつりとつぶやいた。
「アキラ……」
「ダーツさん……」
ボクはぎこちなく微笑んで見せた。
だけどダーツさんはボクの笑顔にはまったく応えず、無表情で淡々と返す。
「やっぱりお前、魔族だったんだな……」
「え?」
心の中で、得体の知れない黒いなにかが、もぞりと動く気がした。