第22話「戦場」
カケイドの街北門より北東に数キロメートル離れた場所に、
ヤーヌスの迷宮と呼ばれる森がある。
森に入り込んで迷った者は、二度と出られないとの噂もある。
今その森から、続々と死者が歩き出してくる。
森の奥には、領主ラゼム配下の騎士たちによって掘られた巨大な四角い穴があり、
深さは4メートルほどだ。
その中には大量の死体が転がっている。
ただの死体ではない。どの身体も内部から臓腑を食い散らかされていて、
常人では正視に耐えられないだろう。
その見るも無残な死体たちが、次々と起き上がり、穴を這い上ってくる。
這い出た死者はぎこちない動きでゆっくり歩き出す。
行き先はカケイドの街。
カケイドの街の北門から上がる黒い霧を目指し、死者は歩いていく。
何かに導かれるように……
何かを求めるように……
☆
「リアンヌ……様! 光属性防御魔法、ぜ、全軍にかけ終わりました……」
汗だくになり、今にも倒れそうなほど疲労をしている魔導士が報告する。
「よくやった……お前たちは退がって休め。体力を回復せよ」
「ははっ!」
リアンヌ・ダークは苦労をねぎらうように優しく魔導士に微笑んだ。
「カケイドの騎士たちよ! 耐える時は終わった!
今こそ真の力を発揮するときぞ!」
騎士たちはこれまでの激しい戦いで疲労の色が濃い。
……それでも意気軒昂に鬨の声を上げる。
「「うおぉぉぉぉぉ!!!!!」」
リアンヌは自分が無能な将軍であると心の中で詫びる。
(皆の者……すまぬ。ワシが有能であれば、ここまで被害は出なかったやも……)
一瞬今にも泣きだしそうな表情をする。だが、次の瞬間には指揮官らしい
険しい表情へと変わる。
気力を振り絞り、リアンヌは声を上げた。
「全軍、突撃!!」
鋒矢陣形を取り、騎士たちが突き進む。
矢印の形をとる陣形で、後部に大将を配置。突破力を重視する陣形だ。
生き残った騎士は少なく、このまま守勢に回っていては物量で押しつぶされる。
一気に元凶となる悪魔の元にまで突き進み、リアンヌと魔導士ファージスが
討ち取るという作戦だ。
この陣形は側面からの攻撃に弱いため、いかに素早く駆け抜けることができるか。
すべては先頭に布陣する赤獅子騎士団の突破力にかかっている。
剣の赤獅子騎士団を先頭に、弓から剣に持ち替えた白豹騎士団がそれに続く。
残り少ない盾の青鹿騎士団は列の左右に並び、盾で側面の守りを固める。
黒狐騎士団の魔導士は光属性の防御魔法を全員にかけたため、すでに疲労困憊だ。
精神力が尽きかけている彼らは全員後退させている。
光属性の加護によって黒い霧で倒れる者はいなくなる。
今こそ一気に突撃し、悪魔をたたく。
悪魔を倒せば死者の軍団もただの動かぬ亡骸に戻るだろう。
リアンヌとファージスならば悪魔に負けはしない。
その自信があるからこその突撃。
「師匠! 一気に行くぞ!
悪魔はすぐそばにおるはずじゃ!」
「わかっとるわい。ワシの最強魔法【核撃】…いつでも撃てるぞい」
最後尾のリアンナと魔導師ファージスも騎士に続いた。
そしてダーツたち4人も続く。
「くそ……ほんとに俺たち、役立たずすぎるぜ……」
リアンヌはダーツたちに微笑む。
「お前たちの出番は多分もうすぐじゃ」
「お得意の……勘……ですか?」
リアンヌはニヤリと笑う。
「……うむ」
死者の軍団を炎の剣で切り裂き、どんどん突き進む赤獅子騎士団。
その名の如く、獅子奮迅の働きを見せ、凄まじい勢いで死者を切り崩していく。
やはり防御魔法が効いたのか、あれから死者を攻撃して倒れる者はいない。
リアンヌは声を嗄らしながらも叫ぶ。
「進めぇ!! お前たちの後ろには、このリアンヌ・ダークがついておる。
悪魔どもにこの街を渡すな!」
赤獅子騎士団長アクスエルも部下に吠える。
「貴様ら! リアンヌ様に恥ずかしい戦いを見せるんじゃねぇぞ!」
「わかってますよ!」
「俺なんて、もう20体以上は倒してますよっと」
「うそつけよ! 俺ですらまだ10体だってのに」
「ハハハ リアンヌ様に格好良いところ見せないとな!」
体力の限界が近い彼らだったが、それでもこれだけの働きができるのは
リアンヌへの信頼からだ。
ここにいる騎士のほとんどが見ているのだ。
4年前、リアンヌが8歳のときに恐るべき悪魔の軍勢を葬っていったところを。
最後には5人の精鋭でもって、東の魔神を打ち滅ぼしたのを。
あのときのリアンヌは、まさに神が遣わした御使いに見えたのだ。
アクスエルは叫ぶ。
「俺に続けぇ!」
先陣を切るアクスエルの剣技は凄まじい。
剣の一振りで3体の死者が一気に斬られ、燃え上がりながら倒れていく。
二刀を操り、目の前に立つすべてを打ち滅ぼす。
かなり押し込まれていた戦線を押し返し、黒い霧に近づいていく。
死者があふれる通りから北の大広場までの距離は100メートル少しだろうか。
たったそれだけの距離だ。ふだんなら1、2分でたどり着ける。
問題は広場のどこに悪魔がいるか……だが。
大広場というだけあってかなり広い。
死者の軍団に遮られて見通しもよくない。
しかしリアンヌは感じる。
悪魔はほぼ北門の出口あたりにいる。
ハズレないという自負があるリアンヌの勘だ。
「ついに黒い霧まで到達じゃ……」
赤獅子騎士団の先頭が黒い霧に――――――――
触れた。
しかし騎士団は倒れない。黒い霧に触れても騎士たちの動きは変わらず、
死者を倒し続けている。
「よし!」
リアンヌは拳を握りしめる。
黒い霧のせいで奥の方までは視界が届かないが、かすかに見える範囲では
騎士たちがどんどん先に進んでいるようだ。
順調に進んではいるが、突破力を重視した陣形ではやはり横からの攻撃に弱い。
少しずつではあるが、側面から死者に襲われて騎士が倒れていく。
「勢いを止めるな! 急げ! 全力で突撃せよ!!」
騎士たちはどんどん進軍し、黒い霧の中に吸い込まれていく。
騎士団の半分以上はすでに黒い霧の中へ突入している。
「先が見えないのは厄介すぎじゃ! 戦況がわからん!」
「ここまでくれば信じるしかないのぅ……」
「うぬぅぅ!
師匠……嫌な予感じゃ……」
「ぬ、なんじゃ。ここにきてなんの予感じゃ」
「わからん……今すぐここから退却しろと勘が告げておる……」
「……しかしじゃ、突進力のある赤獅子騎士団は先頭じゃ。
突進を重視して、途中の死者を全滅させてきたわけではないからのぅ。
後ろにも死者がいて退路がふさがれておる。
突進力のないこちら側からの退却は無理じゃぞ」
「わかっておる! しかしじゃ……騎士たちが黒い霧の中に突入してから
嫌な予感がどんどん強くなっておるのじゃ。
なんじゃ…あの中になにかあるのか……
すでに悪魔がそこで待ち構えておるのか?」
「それなら突入した騎士から声が上がるじゃろうて。
その可能性は低いと思うがのぅ……」
「とにかく先が見えぬ! くそ……
師匠……いざとなれば、攻撃魔法を後ろに放って退路を切り開いてくれぬか」
「攻撃魔法を後ろに放つと、すでに倒れた騎士も吹っ飛んで、
死体が回収できなくなるぞい?」
「……それでも……撃ってほしい」
魔導師ファージスはうなずく。
そうしている間にも、最後尾のリアンヌたちも黒い霧に近づいていく。
リアンヌの顔が険しくなる。
そしてリアンヌは異変に気づく。
「まて……おかしいぞ……」
「どうしたのじゃリアンヌ?」
リアンヌの背筋に悪寒が走る。
前方から絶えず聞こえていた雄たけび、剣戟の音。
そうした音がほとんど聞こえなくなっている……
リアンヌはファージスに叫んだ。
「師匠! 後ろに魔法を撃ってくれ!」
ファージスは驚き、目を見開くが、それは一瞬。
すぐに魔法を後方に解き放つ。
「核撃:エスカトロジー!!」
解き放たれた魔法は、光の筋を引きながら死者の群れの中を進み、
その後、目もくらむ太陽光のごとき閃光を放つ。
リアンヌは絶叫する。
「伏せろぉぉぉぉぉ!」
核撃が着弾した途端、高熱の衝撃波が刹那の内に膨れ上がっていく。
死者たちの肉体は衝撃でバラバラになり、灼熱で焼かれて炭化し、
またたく間に灰となる。
通りに並ぶ建物も激しい衝撃に見舞われて屋根がめくれ上がり、
壁が崩れて瓦礫と化し、死者の灰とともに吹き飛ばされる。
伏せているリアンヌたちも吹き飛ばされそうになり、リアンヌの金髪が
激しくはためく。
ファージスは核撃を放った後にすかさず風の障壁で守ってくれた。
それでも衝撃を防ぎきれないほどの威力。
衝撃が無くなった後には、粉塵が煙のように立ちこめている。
ファージスが風魔法で吹き払う。
周囲が見えてくると、そこには死者も建物も無く、ただ瓦礫だけが残っていた。
核撃の爆心地から直径数百メートルは廃墟と化している。
ダーツたちは、たったの一撃で美しかった街並みを地獄の様相に変えた威力を
目の当たりにして思わず呻く。
「な……なんだこりゃ……」
「と、とんでもないわね……」
リアンヌたちの周辺にはまだ少数の死者たちが残っているが、
後方にいた死者は全て吹き飛んでいる。
リアンヌは立ち上がり叫ぶ。
「全軍後退せよ! 急げ!」
リアンヌ、ファージス。そしてダーツたちに続き、騎士も引き返してくる。
だが黒い霧の中に入っていった者は…出てこなかった。
赤獅子騎士団は一人も帰ってきていない。おそらく全滅だ。
白豹騎士団も半数は帰ってこない。
列の横を守っていた青鹿騎士団も、今や数十名を残すのみ。
引き返してきた騎士の中に、団長たちの姿は一人も見当たらない。
黒い霧から出てくるのは死者ばかりだった。
壊滅してしまった騎士団を前に、リアンヌの顔が泣きだしそうに歪む。
己がもっと早く気がついていれば…と後悔の念が心を占める。
逃げてきた騎士たちが、突然バタバタと倒れだす。
「ぬ!?」
かなりの数の騎士がどんどんくずおれ、そのまま死んでいく。
ファージスが叫んだ。
「いかんぞ! また武器や鎧が腐食しておる!」
「!?」
リアンヌは即座に命じた。
「全員、武器を捨てよ! 腐食した鎧をまとっている者は脱ぎ捨てよ!」
その間にも残っている死者が襲ってくる。
リアンヌは剣を抜き放って、襲い来る亡者をなぎ倒していく。
リアンヌの持つのは魔法剣、伝説級と謳われる業物だ。
東の魔神を倒した後、国王テルスタークより賜ったものだ。
リアンヌに斬られた死者は傷口から塵になっていき、そのまま動かなくなる。
鬼神の如き活躍で、周辺の死者をあっという間に切り捨てていく。
ダーツはその姿に唖然とする。
「す、すげぇ……人間の動きじゃねぇ……」
20体ほどいた死者は30秒も経たずにすべて倒れた。
「よし、鎧を脱ぎ捨てた者はただちに城に帰還せよ」
騎士たちはリアンヌの命令に一瞬ざわめくが、すぐに静かになる。
戦いの前には1,200名いた騎士も、今や残っているのはたったの200名ほどだ。
その全てが剣を捨て、鎧も脱ぎ捨てている。
もう戦う力は残されていない。
ここで残っても役に立たない。
リアンヌは黒い霧から出てくる死者たちに切りかかる。
「皆、すまぬ……ご苦労であった……
あとはワシが時間を稼ぐ。その間にお前たちは城に戻り、領主に伝えよ。
この街は落ちる……とな。
すでに撤退の要請はしてあるが……急がせよ」
全員リアンヌに敬礼した後、すぐに城へ向けて走り去っていく。
リアンヌの役に立てなかった自分たちを恥ずかしく思う。
なによりも……
幼い少女へしんがりを託さざるを得ないという事に、屈強な騎士たちの顔には
涙が浮かんでいた。
だが騎士たちは走った。
体力がほぼ尽きかけ、ただ気力で立っているだけだったが、それでも全力で走る。
領主に広場での惨状を伝え、市民たちを避難させる仕事が残っている。
その時間を稼ぐためにリアンヌは残り、戦ってくれるのだ。
リアンヌが体を張って稼ぐ時間……1秒たりとも無駄にはできなかった。
魔導師ファージスとダーツたちは次々と騎士たちが撤退していく中で、
逃げなかった。
「おぬしら、何をしておる」
「ジジィもじゃ。もう精神力が残ってないじゃろう。
力の尽きたジジィなぞ、ただのクソジジィじゃ。はよう逃げよ!」
リアンヌは神速の動きで死者を葬っていく。
そんなリアンヌとて、この黒い霧の中には入って行けない。
結局光の防御はひとときしか保たなかった。
ほんの少しだけ霧の効果を遅らせていただけなのだろう……
もっと慎重になるべきだったのだが、戦況がリアンヌを焦らせてしまった。
しかしそんな言い訳は通用しない。
判断ミスで大勢の騎士を死なせてしまったのだから。
リアンヌの瞳に涙がにじむ。
己のふがいなさに。
カケイドの女神と呼ばれ、将軍と呼ばれ……
(調子にのっていただけではないか……)
せめて、時間だけは稼ごう。
罪滅ぼしになるとは思わない。だが、それでも…1人でも多くの人を逃がすため
リアンヌは戦う。
「弟子を残して逃げる師匠がおるかい! だからお前はアホなのだ」
魔導師ファージスが顎を指でさすりながら軽口をたたく。
「……え?」
「俺たちも残るぜ……リアンヌさんが言ってた仕事……
これからあるらしいからな」
ダーツたち4人もうなずいている。
「おぬしら……
こ、こんなことになっても、まだワシを……信じるのか?」
「このアホ弟子が……逃げた騎士たちが、お前を信じられなくなって
撤退したとでも思っておるのか?
あやつらは今でもお前を信じておるわい。
見えなかったかいのぅ? あやつらの涙が……」
リアンヌの頬を涙が伝う。
涙はあとからあとから流れ出し、止まらなくなる。
「ごめんなさい……みんな……私が……悪かったの……
調子にのってたの……」
ついには大声で泣きながら、それでも戦っていた。
「うわぁぁぁぁぁぁん!!!」
リアンヌは幼い頃に女神と崇められ、この街の将軍にまでなった。
そのプレッシャーは計り知れない。
この街を、世界を救うのは、自分にしかできない仕事だと。
それが大人びた口調をつくり、今までも相当無理をしてきたのだろう。
騎士団をほぼ全滅させるという大きな失敗を犯したことで、
英雄の少女という、自らが作り出してきた仮面がはがれた。
しかし重荷を背負わせたのは大人たちだ。
ダーツはそんな大人の一人として深く恥じ入る思いだった。
自分が彼女にかけてやれる言葉なんて持ち合わせていない。それはわかっていた。
だからこそ、ダーツは残った。
唯一できること、それは……リアンヌを信じること。
それを示すだけでいい。
それこそが彼女をまた強くする。
ダーツはアキラを思い出した。
(あいつもリアンヌさんと同じ年ごろだ……)
なぜ信じてやらなかったんだろう……と、ずっと後悔している。
(あいつが魔族のわけがねぇじゃねーか……
許してくれとは言わない。だが今度こそ、アキラを……
あいつを信じてやろう)
そう思うダーツだった。
ネロは全員の武器に炎の属性を与える。
ダーツはありったけのナイフを死者に投げ、その後はショートソードで
死者を倒していく。
炎属性が付与された短剣が刺さると死者は燃えだし、倒れ伏す。
カザリも手裏剣を投げ、短刀で死者を切り伏せていく。
タイラーもバスタードソードをぶん回し、死者を一刀両断にしていく。
しかし、彼らの武器はあっという間に腐食しはじめ、捨てざるを得なくなる。
魔導師ファージスもわずかに残った精神力でファイアアローを撃ち、応戦する。
核撃をすでに放っているファージスも、すぐに力が尽きる。
リアンヌも超人的な技でかなりの死者を倒したが、体力の限界が近い。
死者はそれでも一向に減る様子がなかった。
ダーツは息を切らしながら全員を見回す。
「はぁはぁ……やべぇな……
俺たちの体力よりまず武器が尽きた。
リアンヌさんと、じい……ファージスさんも限界ときている……
あとはどうやる?」
体中汗だくのカザリが勢いよく手を上げた。
「名案! ダーツを囮にして、死者の軍団を引っ張ってってもらう」
ネロも疲労の濃い顔色ながらも、爽やかな笑顔で首を縦に振り、同意している。
「カザリ、お前……冴えてるな。今までありがとう、ダーツ」
体力的にはまだまだ余裕を残すタイラーも腕を組んで同意する。
「お前のことは忘れない」
全員が賛同してることにダーツは仏頂面になる。
「お前らな……」
リアンヌはそんな彼らを見て笑った。
「あっはっは。お主ら……おもしろいのぅ」
ファージスは明るくなった弟子を優しく見つめ、微かに笑う。
「おや、また口調が戻っておる。
かわいげがあったのは一瞬だけかい」
ダーツはニヤリと笑いながらつぶやく。
「……俺たちの役目ってこれだったのか?
まぁ、しんがりを務められたのは名誉なことだけどな」
「……違う。ワシの勘では……もっと……」
突如、夜の闇に朝日が差し込んだように黒い霧が晴れていく。
今までカケイドの空を覆いつくしていた黒い霧が、どんどん霧散していく。
いや、よく見ると、この周辺一帯だけを霧が避けているようにも見えた。
全員が辺りを見回し、黒い霧が晴れていくのを唖然として見ている。
「い…一体なにが……」
リアンヌは呻く。
ファージスやダーツたちも訳が分からずに困惑している。
そして、霧が晴れた中から現れたものにさらに驚愕した。
死者の群れはその人物を避けるように歩いている。
黒いローブを羽織った美少女。
ダーツはノドが掠れ、やっとの思いで声を絞り出した。
「ア……アキラ……」