第20話「塔」
「……どうしよう……」
カノンは途方に暮れていた。
悪魔の紳士ルーシーの命を受けて、カケイド城近くまで勇んで来たのだが……
高い城壁に囲まれていて、衛兵が油断なく門を守っている。
周辺を一周してきたが、出入りできる場所はすべて兵士が配置されている。
道具もないし、忍び込むのは不可能だ。
カノンは魔族だが熟練の冒険者より弱い。
ダーツに簡単に短剣を突きつけられてしまったのだから。
そもそもメイドとして生きてきたカノンだ。
家事や雑用ならまだしも、潜入などは当然やったことがない。
「はぁ……なんでそんな任務を私に……」
おもわずため息が出てしまう。
しかし、ここには悪魔の紳士ルーシーが直々に求めるような何かあるらしい。
その情報を持って帰る事ができればアキラとまた旅ができる。
そのために何としてでもやり遂げようと、改めて決意をする。
任務をすぐにこなせれば、3日後の【カケイド誕生祭】にアキラと一緒に
行けるかもしれない…そんなことを思うカノンだった。
「ふぅ……」
さっき見落としたものが何かあったかもしれないと思い、あらためて潜入方法を
色々考えながら、もう一度城の周囲を回った。
結果、どんなに意気込んでも不可能は不可能だと分かっただけだった。
そしてまた途方に暮れる。
「どうしましょう……」
すると、城の正門へ向けて街の方から荷車がやってくるのが見えた。
「城になにかを運んできてるのかな……?」
カノンは近づいてみることにした。
大きな木箱を山積みにした荷車だった。
10箱は乗った重そうな荷車を、男2人が懸命に運んでいる。
一人が後ろから押し、もう一人は前で荷車を引いている。
カノンは2人に近づき、頭を下げる。
「城の小間使いですが、お手伝いしましょうか?」
2人はカノンを見て、ありがたいと喜んでくれた。
「いや、助かったよ……めちゃくちゃ重くてさ……
猫の手も借りたいほどだったんだ。
……でも出かけるところだったんでしょ? いいのかい?」
「はい、細かい買い出しでしたので…お手伝いの後でも大丈夫です」
「いや、ほんと…こんな手伝いやるんじゃなかったよ……
デブピーターは人使い荒いし……
だからすぐやめちゃうやつが出るんだよな」
「ちげぇねぇな。でも金払いだけは良いしな……」
「大変ですね。ご苦労様です」
「……あ、あのさ……キミ……名前は? あ、変な意味じゃなくてさ……
あはは……」
「てめ! 俺が前で一人だっつーのに、後ろでナンパしてんじゃねーよ!」
カノンはそんな2人に作り笑いで返していた。
そして……カノンは顔を少ししかめた。
近づくとわかったのだが……臭い。
(なんでしょうこの臭いは……)
鼻が曲がるほどの悪臭が箱から漂ってきていた。
それでも平静を装い、荷車を押すのを手伝う。
上手くいけばこれで城に入れる。
城門が近づき、心臓の鼓動が早まる。
門兵がこちらをチラリと見る。
荷車を前で引いていた男が通行証らしいものを見せている。
荷物の検査もなにもなく、門番はあっさりと通してくれた。
カノンは誰にもばれぬよう、こっそり小さなため息を吐く。
「……ふぅ……」
門を抜けるとかなり大きな建物が目の前に広がった。
城の手前には広場があり、そこでは騎士たちが木剣と盾を持ち、
模擬戦闘訓練をしている。
訓練の邪魔にならないように、カノンたちは壁際を歩いて荷車を押していく。
そのまま城の左手奥まで進むと大きめの塔があった。
塔の扉の前まで荷車を押していく。
「ああ、ここまででいいよ。荷下ろしは俺たちがやるからさ。
さすがに、これは女の子じゃ無理だしね」
「というか、そんな仕事させるもんじゃねーしな。ははは。
とにかく、ほんとありがとう。助かったよ」
「いいえ。お役に立てて良かったです。
それでは、私はこれで……」
カノンは深々と頭を下げる。
男2人もつられて頭を下げている。
カノンが微笑むと、男2人は顔を赤くして頭をボリボリとかいていた。
2人組が見えなくなるまで歩いた後、カノンは拳を握る。
「よしっ!」
小さくガッツポーズを作る。
とりあえずは潜入成功である。
カノンは2人組の男たちがいた方を振り返り、少しだけ厳しい顔をする。
気になるのはあの腐臭がする箱。
あんなものをなぜ城に?
塔は今すぐ調べたいところだが、2人組が荷下ろしをしている。
荷下ろしが終わるまで隠れられるような場所もないし、せっかく無事に
潜入できたのにウロウロして怪しまれるのは避けたい。
気になるが…後回しにしようと考え、城の中から調べることに決めた。
カノンは、悪魔の紳士ルーシーの言葉を思い出す。
「あそこで今なにか動きがあります。
それを調べてきてほしいのです。
危険ですがやってくれますね?」
なにか動きがある…そして、危険だと言ったのだ。
ルーシーが危険だと思うものがここにある……
それはカノンにとっては命がけを意味するだろう。
カノンはアキラを思い出す…
やり遂げてみせる…そう固く誓うカノンだった。
カノンは城の通路を使用人のように振る舞い歩いている。
(とりあえず……この服のままでは怪しまれそうなので、このお城のメイド姿に
変装する必要がありそうですね)
城内のあちこちで、さまざまな服装の人々が忙しそうに駆けまわっている。
最初はこそこそ隠れながら移動していたのだが、背後から歩いてきた女性が
すぐそばに来るまで気がつかず、体が硬直してしまう。
万事休すと思ったカノンだったが、女性はカノンを気にも留めず、
そのまま歩き去っていった。
(はふぅ……びっくりしました)
それからは堂々と歩きだす。
大丈夫かしら……と思いつつも、隠れながら動き回っている方が、
かえって不審人物に見えると思ってのことだ。
カノンはまずメイドの支度部屋を探す。
魔族の城でメイドとして働いていたカノンだ。
初めて訪れた城とはいえ、城の構造は魔族のものであれ、人間のものであれ、
さほど変わらないため、部屋の配置は大体の見当がつく。
メイド部屋はすぐに見つかった。
扉に耳をあて、中に誰もいないことを確認して部屋に入る。
部屋の中をざっと見渡すと清掃用具を発見した。
着替えもあったので、メイド服に着替える。
少し大きいが、そこは腰ひもでなんとでも調整できる。
着替え終わると掃除用具を手に持った。
「じゃーん。カノンは箒と雑巾を装備したっ
攻撃力が 20 あがった」
少し顔を赤くしながら独り言ちてみたカノン。
アキラがゲームというものが好きだといって、旅の道中で度々こういったことを
やっていた。
(アキラは木の棒を装備したっ! 攻撃力が 5 あがった!)
アキラがポーズを決めていたのを思い出し、クスっと笑ってしまった。
攻撃力 5 の意味はわからなかったが、嬉しそうにしているアキラを
見ているのは楽しかった。
城内を探すといっても、一介のメイドに変装したカノンが無理なく
調べられる場所は限られている。
領主の居住区画や武器庫などは当然無理だ。
まずは調べられるところから手をつけようと決める。
そんなところに怪しいものがあるとは思えない。
だが、ヒントくらいはあるかもしれない。
カノンはとりあえずできるところから調べてみようと歩を進めた。
扉に耳をあてて急いで中の気配を感じとり、無人であれば扉を開け、
そのまま室内を調べていった。
人がいた場合はノックをして掃除にきたと告げ、掃除をしながら
部屋の中を物色する。
魔族の城では窓ふき担当だったとはいえ、掃除や洗濯、料理といった
メイドの雑用は一通りこなすことができる。
まして些細なミスが文字通り命取りとなる魔族の城で働いてきただけあって、
仮のメイドとはいえ仕事ぶりは完璧で、次からも頼むと言われるほどだった。
ほとんどの部屋はそうやって入れたのだが……
「いらん。後にしろ」
と返ってくる場合もあった。
それでも、とりあえず扉を開けて中の様子を見る。
中にいた執務中らしい人物に睨まれる。
「後にしろと言ったはずだが……」
「すみませんでした!」
と逃げるように去った。
「うーん……」
カノンは首をかしげる。やはり怪しい所が全然見つからない。
全ての部屋を調べられたわけではないのだが……
まだ領主がいる居住区や武器庫、さらには非常通路などの存在もある。
もしかすると隠し部屋もあるかもしれない。
(そんなの見つけられないですし…入れないです……
となると…めぼしい場所で残るのはあの塔だけですね)
カノンがそう考えていたとき、背後から声をかけられた。
「そこの子、あなたよ。ちょっと来なさい」
「え、あ……はい。なんでしょうか?」
「仕事に決まってるでしょ? まだあるんだから……まったく……
あなた……みたことない顔ね。新人?」
「あ、はい……よろしくお願いいたします」
カノンに声をかけてきたのは、20代後半くらいの女性だった。
手にハタキを持っていたので、メイドなんだろうとカノンは判断する。
草むしり。
「うんしょうんしょうんしょ……」
掃き掃除。
「せっせっせ……」
雑巾がけ。
「はひっはひっはひっ……」
(掃除しに来たんじゃないんだけれど……)
気がつかれないように小さなため息をつく。
「さ、次行くわよ。ぼやぼやしない」
「……はい……」
2人は城の広場に向かい、そして裏手を歩く。
そこは荷車で来た場所だった。
あ、あの塔……
「はぁ……んじゃ最後。この塔の掃除ね」
「こ、ここですか?」
今のところ一番怪しいと思っていた場所だ。
さすがに気後れしてしまう。
「ほら、はいったはいった!」
メイドは扉を開け、カノンを後ろから突き飛ばす。
塔の中は螺旋階段が続いている。
「さ、上よ。
じゃ、私はほかの用事があるから、頼むわね!」
メイドはそう命じると、扉を閉め、外からカギをかけた。
「え? な、なぜカギを!?」
しかし返答がなかった。
カノンは罠だったのかも……と悔やむ。
やはり敵に気がつかれていたのか。
雑用を命じられるだけで、怪しい様子をメイドから感じなかったせいで、
少し油断していた。
手に魔力を集中し、扉を壊そうとする。
そのとき、ささやくような……年上の女性のおっとりとした美しい声がした。
「そんなことしても無駄よぉ~。こっちいらっしゃ~い」
女性の声だ。
カノンは額から汗が流れる。
自分が何をしようとしたのか、声の主にばれているからだ。
その声の主は階段を上がった奥にいるようだ。
「あらあらぁ、そんな緊張しないで~。
りらぁ~~っくす。りらぁ~~っくす」
声の主はカノンの力を感じ取り、そして無駄だと言った。
きっと本当に扉は壊せないのだろう。
カノンは意を決して階段を上がる。もはや取れる選択肢はそれしかない。
そして階段を上りきった先の扉の前に立った。
カノンの顔色は青ざめ、体中に冷や汗が流れる。
アキラさん……私に力を貸してください……
心の中で念じ、そして…扉を開ける。
そこは真っ赤な絨毯が敷かれ、豪華な家具も赤一式で……
――――ちがう、全て血だった。
床には人間の腕や脚、眼球、鼻、舌…肺や胃といった臓腑が散らばっている。
テーブルの脚は人間の手足で作られていて、テーブルクロスは人間の皮膚だった。
その上には人の下腹部が置かれ、性器があるはずの場所にロウソクが
立てられている。
これだけでもとても正気を保てない身の毛がよだつ部屋だが、
カノンはある一点を凝視し、驚き固まった。
部屋の中央には……
【ようこそカノンちゃん】
真っ赤な血で染めた布地に、人間の指を並べて文字がかたどられた横断幕が
垂れ下がっていた。
さらにおぞましいのは、天井からぶら下げられた、いくつもの人間の頭部。
頭部からぶら下がる脊髄には、垂れ下がった腸が括りつけられている。
誕生会の装飾を人体に置き換えて飾り付けした部屋。
いびつで血生臭く恐ろしい部屋が、カノンを歓迎していた。
カノンの顔色は青を超え、蒼白になっている。
たまらなく恐ろしい。
魔族の城でもこんなおぞましい装飾は見たことがない。
そもそも、なぜ自分が来ることがわかっていたのか……
なぜ名前を知っているのか……
得体の知れない恐怖がカノンを襲う。
ア……アキラさん……
体が恐ろしいほど震える。
パチパチパチパチ……
拍手の音が聞こえる。
その音に心臓が止まるほど驚き、目を剥いた。
知らず涙が流れた。
「きゃ~~、待ってたわぁ~、カノンちゃ~ん」
拍手をしていたのは、この部屋の主である女性。
その女性には…表皮が無かった。
赤い筋肉と白い筋しか見えない体は血にまみれ、てらてらとロウソクの光を
反射している。
身の毛がよだつ人物がカノンを歓迎し、拍手をしている。
拍手で手のひらが離れるたびに血の糸が引く。
カノンは体の力が抜け、へたりこみそうになる。
「さ、イスに座ってぇ」
ヒザから下、ヒジから先、そして首を切り落とし、四つん這いにした人間が
イスとして置かれている。女性はその人間イスを指さしている。
カノンは言われるままに座るしかなかった。
あまりに怖ろしく、言うことを聞かなければどうなってしまうのか、
想像もしたくなかった。
「う~~ん…ねぇ、ドレスどれがいいかしら~?
せっかくカノンちゃん来てくれたし~。
うんとお洒落したいのよぉ~」
この部屋の主は、衣装合わせのように何枚も人間の皮を代わるがわる
自分に合わせていく。
(皮を……着る……の?)
カノンは嘔吐しそうになる。
「うん、これがいいかしら~」
彼女が選んだ皮膚はしわがれた老婆のものだった。
女性はヌチャヌチャという粘質な音をさせながら、老婆を着ていく。
ファスナーを閉めるように指をなぞると、切れ込みが完全に消えていた。
「よし~! おまたせ~」
そこにはしわがれた老婆がいた。
まるで最初からそこにいたかのように。
カノンは呆然としている。あまりのことに思考が止まっていたようだ。
(こ、これがルーシー様の仰っていたもの……)
老婆は嬉しそうにカノンを見つめる。
「じゃ~、いただきます~♪」
老婆はゆっくりとカノンに近づくと、首に食らいつき……食べだした。
カノンは絶叫を上げた。
身をよじって逃げようとするが、老婆とは思えない凄まじい力で抑え込まれる。
老婆は逃げるカノンを押さえつけ、カノンの服を破る。
あらわになった小ぶりな胸をしばらく見つめ、そしてかぶりつき食いちぎった。
「おいし~~♪」
「ぎぃやぁああああぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!」
生きたまま身体を喰われる苦痛、そして圧倒的な恐怖が、
絶叫となってカノンの口からほとばしり出る。
腕や肩、指を食われていくカノン。
太ももを食われ、骨がむき出しになる。
老婆はカノンがすぐ死なないよう、なるべく大事な臓器は食べないでいた。
「ア……アギラ……アギラ……ざぁん……!!」
「あらあら~、好きな子なのかしらぁ?」
カノンは絶望した。
老婆の力はあまりにも強く、いくら力を込めても抵抗できない。
恐怖と痛みで気が狂いそうになる中、カノンはアキラを想っていた。
もう、会えないかもしれない。
もう、話をすることができないかもしれない。
ただ、一つだけ願いが叶うなら……
もう一度アキラの笑顔が見たかった。
「かわいい顔だわぁ~。ほんとはドレスにしたいけど~
もう食べちゃったしなぁ~」
老婆はカノンの顔にも無造作にかぶりつき、むさぼり食う。
目玉に吸い付く。老婆が勢いよく息を吸い込むと、カノンの目玉は
老婆の口の中にちゅるんと入っていく。
カノンの体が痙攣しはじめ、残った目から涙があふれていた。
薄れゆく意識の中で、カノンはアキラと旅をしていた。
「ねぇ、カノン」
「はい、アキラさん」
アキラに微笑む。
カノンは、この瞬間が好きだ。
微笑むと、いつもアキラは顔を少し赤らめるから。
そしてそれを見たカノンがクスクスっと笑うと、アキラは少し怒った口調になる。
「いや、ほら……ボクもカノンの役に立ちたいからさ……
な、なんかしてほしいこととかない……かな?」
カノンはドキっとしてしまう。
してほしいこと……
心の底にしまい込んだ願いを、思わず口にしてしまいそうになる。
アキラはカノンを真剣なまなざしで見つめていた。
カノンはまた微笑んだ。
そして……
「アキラさんに……笑ってほしいです」
「ええええ!? そっかぁ…所詮ボクにできることなんて…そんなもんか……」
しょぼくれるアキラ。
すると、アキラはポリポリと頬をかく。
「まぁ、言われなくてもボク、カノンにはいつも笑顔にさせてもらってる気が……」
胸が熱くなる。
いつの間にか涙がこぼれている。
アキラはそれを見て慌てる。
カノンは、この瞬間が好きだ。
カノンのために、なんとかしようとがんばってくれるから。
「ほらほらカノン!
ボク笑顔! ね? 笑顔!」
作り笑いで必死のアキラ。
思わず笑ってしまった。
それにつられてアキラも笑った。
ああ、アキラさん……
私、本当にアキラさんの笑顔が……
老婆はカノンの内臓を貪り食いだす。
カノンはほとんど聞こえないほどの小さな掠れた声でつぶやいた。
「好き……」
そして……カノンはその生を終えた。
部屋にノックの音がこだまする。
老婆は扉の方に顔を向ける。
「なんですかぁ~? 食事中ですよ~」
扉が開かれる。
そこにいたのは、カノンをここに連れてきたメイドだった。
「申し訳ありません。…ですが、そろそろ時間ですので」
「……あら~ほんと、そろそろおでかけね~。
もうちょっと食べたかったけど……
まぁ、もう死んじゃったし、いいか~~。
じゃ、これあの場所に持ってっておいてね~」
「かしこまりました。メーヤ様」