第16話「死者」
「青鹿騎士団! 押されているぞ!
負傷した者は後ろに下げろ!!
勇敢なる騎士たちよ怯むな! 我らカケイド騎士の力を見せてやれ!!」
リアンヌ・ダークは声を荒らげ命令を下し、同時に激も飛ばす。
「くそ……厄介な……
まさに数の暴力じゃ」
リアンヌの美しい顔が憎々しげに歪んだ。
黒い霧から現れた死者の軍団は、大通りを埋め尽くすほど大量にいる。
霧のせいで通りの奥は見渡せないが、後から後から続々と現れる。
緩慢な動きで歩いていた死者は生者を発見すると、腐肉に群がるハエの如く
猛然と襲いかかってくる。
……ほとんど骨がむき出しになった脚にもかかわらずに。
走った勢いで腐った肉が飛び散る。それでも突進してくる。
地獄のような光景だった。
青鹿騎士団が巨大な盾で突進を防ぎ、盾の隙間から槍を突き出す。
死者は胸を貫かれ、次々と倒れる。
体が腐っているため、かなり脆い。槍の攻撃はたやすく死者たちを倒していく。
盾の壁は街道を完全にふさぎ、まさに蟻の這い出る隙もなかった。
大通りだけではなく細い小道までくまなく封鎖し、
街の中央への死者たちの侵入を防ぐ。
青鹿騎士団の盾に守られながら、その後方より白豹騎士団の矢が放たれる。
矢は雨のように死者たちの軍団に降りかかる。
死者たちの頭は吹き飛び、腕がもげる。
体を射抜かれ、次々と地面に倒れ伏す死者たち。
さらに弓の後方から炎の玉が死者たちに降り注ぐ。
黒狐騎士団の魔法士隊だ。
猛火に包まれ、燃え尽きていく死者たち。
戦闘の中、全員が思っていた。
普通のアンデッドよりははるかに強いが、それでも生きている人間に比べれば
いとも簡単に倒せる……と。
騎士たちの士気は大いに上がっていく。
その時、死者の群れを巨大な盾で抑えている青鹿騎士団の中から、
悲痛な声が上がった。
「ケイト!? ああ、そんな…なんでこんな姿に……」
他の騎士たちも死者の中に見知った顔がいたのだろう。
あちこちからすすり泣きと怒号が上がる。
だが、それでも倒さねばならない。
騎士たちはこの理不尽な現象を起こす黒い霧に対し、激しい怒りを覚えていた。
赤獅子騎士団長アクスエルがおもしろくなさそうに吐き捨てる。
「我らが剣の出番はなさそうだな」
副官のヴォグルが団長を慰めるように声をかける。
「いいえ、まだ始まったばかりです。
死者たちはこちらの何倍もいますからね。
気を抜かぬよう……」
「ふん、わかっておるわ。盾が抜かれたら俺たちの出番だ」
程なくして戦況は、アクスエルの言葉通りになってしまった。
突如、盾を構えていた青鹿騎士団が次々と倒れていったのだ。
死者たちの攻撃は激しさを増すが、騎士たちは鉄壁の防御でもってそれを抑え、
槍、弓、魔法で着実に葬っていく。
優勢に事は運んでいる。
にも関わらず、何かしらの攻撃を受けたわけでもないのに、
何等前触れもなく、青鹿騎士団の盾の壁が突如として崩壊した。
槍を繰り出していた者、盾で死者を押し返していた者が
突如糸が切れた人形のように倒れていく。、
次々と事切れていったのだ。
リアンヌは前方の異変に気がついた。
「なんじゃ? 何が起こっておるのじゃ?」
彼女は全体を見渡すため、軍の後方より指揮している。
ダーツたち4人も、邪魔にならないよう後方待機だ。
ダーツたちからは何が起こっているのか見えない。
だが、一糸乱れぬ統率を見せていた騎士たちの叫び声が前方から聞こえはじめ、
混乱しているのがわかる。
ダーツたちは建物の中に飛び込み、階段を上がる。
そして窓から顔を出し、現在の状況を把握しようとした。
死者は騎士の盾の壁を越えられず、槍衾で次々に倒れている。
騎士たちが圧倒的優勢に見えるが……
突然盾の壁が崩れだしていく。
「なんだ? 敵の攻撃はほとんど通じてないように見えるが……?」
ダーツは額に流れる汗を手で拭いながらつぶやいた。
死者たちは走り、そして強靭な盾にぶつかっていく。
だが押し返され、槍に串刺しにされている
そして押し返したはずの騎士が何の前触れもなく倒れていく。
「ふむ……ここは良い眺めじゃな」
「うわっ!」
ダーツの隣から、ひょいと顔を出すリアンヌ。
思わず叫んでしまったことが恥ずかしくなったダーツは、
リアンヌに責めるような目を向けた。
「こ、こんなところに指揮官が来ていいんですか?」
「よい、ここの方が下より状況を把握できるわい」
「おぉ、確かによく見えるのぅ」
「じじぃは空飛んで見てこい」
魔導師ファージスもいつの間にかリアンヌの隣にいた。
しばらく様子を見ていたファージスは唸る。
「こりゃあかん。
あの死者に触れた武器や盾が腐っておる。
黒い霧の死者じゃからな。あの死体自体が黒い霧だと
思うべきかもしれぬな」
「なぬ、武器や盾に付着した霧が、騎士たちの体にも感染を広げているのか?」
リアンヌは窓から飛び降り、大声で叫ぶ。
「青鹿騎士団! 交代の騎士と代わり、戦線維持に努めよ!
最前列の部隊を残し、そのほかの騎士団は一度後退して陣形を立て直せ。
その後、最前列の部隊も後退、合流せよ!!
倒れた者は動く死者になる可能性がある。死亡が確認できれば…燃やせ!
死者は喋ることができぬようじゃ。
ケガをした者や倒れた者は、何でもいいから仲間に声をかけ続けろ!!
武器や盾が腐食しはじめたら捨てろ! そして速やかに撤退するのじゃ!」
リアンヌの眉が吊り上がり、いら立ちを隠せない。
城に戻り、装備を一新して立て直す余裕はない。
そして事件の張本人、魔族はこの先にいるはずだ。ここで引けば、街は奪われる。
あまりに予想外の事態だった。
「黒狐騎士団長シグマを呼べ!」
「は……ははっ!」
近くにいた騎士がすぐに走り去る。
リアンヌの視線は黒い霧に向けられている。
「えげつないことをしおって……」
ほどなくして、黒狐騎士団長シグマがやってきた。
「ひふは、ほほにはんひょう いはひはじは!」
その声はしわがれているうえに、歯抜け声すぎて聞き取れない。
思わず爆笑しそうになるリアンヌだが、状況が状況だ。
癒し担当にまでなったか! と思うが口にはしない。
「シ、シグマよ、お前の部隊のコンドルを使い、属性防御魔法でコンドルを覆い、
それを黒い霧に突撃させよ」
「ほほぅ。ほへはほーひゅーひひへ?」
「死者どもを殲滅してからやるつもりじゃったが……
どの属性が有効なのか、今すぐ知る必要がある。
急ぐのじゃ!!」
「ははっ!」
その間にも、青鹿騎士団の戦列が徐々に乱れていく。
倒れたはずの青鹿騎士団たちが突如起き上がった。
起き上がった騎士たちの顔からは、早くも肉が剥がれ落ち、腐りだしている。
それが先程まで仲間だった騎士たちに襲いかかる。
リアンヌからは死亡した仲間を燃やせという指示は出ていたものの、
つい先ほどまで共に戦っていた戦友を、死んだからといってすぐに燃やすという
無情な判断はにわかには下せなかった。
第一、死者の猛攻があまりに激しく、そんな余裕はなかった。
青鹿騎士団は大混乱に陥った。
リアンヌは可憐な見た目にそぐわない激しい舌打ちする。
「くそっ! やはり蘇るのか!!」
嫌な予感はしていた。
黒い霧が死者を生み出すなら、可能性はあったのだ。
リアンナは騎士を叱咤激励しながら命令を下す。
「よくやった青鹿騎士団! 一度、赤獅子騎士団と前線を交代!
青鹿騎士団は後退したのち、陣形を整えよ。
白豹騎士団のロングボウ部隊は後退して曲射を再開!
強弓部隊は赤獅子騎士団と合流し、戦線維持に努めよ!!
黒狐騎士団はコンドル急げ!」
死者たちは黒い霧の中から、いまだ現れ続けている。
一体どれだけの数がいるのか。
騎士団たちが次々に倒しているのに、減るどころか増え続けているのだ。
「黒い霧だけに、キリがないってことじゃな。ハハハ……」
これだけの死者がどこにいたのか。
考えたく無いことだが、大量の行方不明の住民が動く死体になったのだろうと
リアンヌは考える。
行方不明者の正確な数はわからない。だが街の様子から察するに数万人以上。
そうでなければ、突如現れた死者の数に説明がつかなかった。
いや、祭りのため近隣の街や村からも大量に人がきていたことを考えると
「つまりはおおざっぱに言って、2~3万対1,200ということか……」
「ダーツ! 私たちも何かできることないの!?」
カザリがダーツの首根っこを捕まえ詰め寄った。
ダーツは厳しい顔で落ち着けとカザリの肩を叩く。
「俺たちは少数チームで戦う冒険者だ。集団で戦う騎士団に加わっても、
残念ながら邪魔になるだけだ」
しかしダーツもカザリと同様、次々崩壊していく騎士たちを眺め、
無力な自分に腹を立てていた。
ネロとタイラーはそんな2人には何も言わず、ただ戦いを見守っている。
魔導師ファージスがそんな彼らを慰めるように声をかける。
「おぬしらの出番はまだだとリアンヌが言っておったぞ」
ダーツは思わず聞き返す。
「え?
そ、それってどういう意味ですか……?」
「さあのぅ。あやつの勘じゃないかのぅ?
今はおとなしく見ておれ。
いずれ嫌でも、リアンヌから行けと命令されるわい」
ダーツはファージスをしばらく見つめ、そして騎士が死闘を繰り広げる
最前列に目を向ける。
自分たちの出番がやってくるという意味を噛みしめ、
空恐ろしいものを感じるダーツだった。
盾の青鹿騎士団がほぼ崩壊した今、本来は攻撃を得意とする赤獅子騎士団が
守りを固めている。だが、それもいつまでも保たない。
絶望的に見える状況の中にあるにも関わらず、リアンヌは意思のゆらぎを見せぬ
凛とした声で叫ぶ。
「赤獅子騎士団、無理するな! 後退しつつ後方部隊を守れ!
白豹騎士団! 黒狐騎士団!
死者を近づけさせるな! 1度攻撃した後は、距離をとれ!
その後再び攻撃せよ!!」
矢で射抜かれた死者は一時的に動かなくなるものの、
しばらくすると起き上がり、また前進を始めるのだった。
しかし魔法の炎は死者を燃やし、灰に変えていく。
「火矢を放て! 燃やすのだ!」
どんだけ反則なんだよとリアンヌは思うが、そんなことを考えても仕方ない。
次々と攻撃を繰り出すが、死者の数が多すぎる。
今はなんとか前線を維持している赤獅子騎士団が崩壊すればおしまいだ。
ダーツは自らを落ち着かせるように静かに言う。
「ここにいたらやべぇ。俺たちも後ろに退がるぞ」
全員うなずき、そして建物から出ようとする。
ダーツも外に出るため視線を室内に向けようとした瞬間、
ふと目に入ったものに驚愕する。
「あ……ああ……そんな……バカな……」
カザリが怪訝な顔をして、戻ってきた。
「ダーツ……早く撤退しないと……? ダーツ?」
ダーツの顔は青ざめ、目が見開かれている。
カザリはいぶかしみ、ダーツの見ている先に視線を向ける。
「……あっ! あああっ……」
2人の様子がおかしいことに気がつき、ネロとタイラーも戻ってくる。
集まった皆の目線の先には信じられない者がいた。
アキラを信じるならば、あってはならないもの。
カザリは顔面蒼白になりながら、かすれる声を絞り出した。
「あ……あれ……もしかしてカノン……?」
顔の肉が半分腐り落ち、内臓をはみ出させているカノンの姿がそこにあった。
「黒狐騎士団、水属性防御魔法ウンディーネ、展開!
シルバー・コンドル飛ばせ!」
リアンヌ・ダークが声高らかに命令を下す。
青のオーラを纏い、魔術で操るコンドルが黒い霧の中に飛び込んでいく。
そして……霧に触れた瞬間落ちる。
リアンヌ・ダークはそれを見て舌打ちする。
魔導師ファージスの話で、焔獄のアステリアが関わっている可能性を考え、
水の属性から繰り出したが無駄に終わった。
ではやはり、あの黒い霧は炎の悪魔であるアステリアの仕業ではない
と言う事なのだろうか。
リアンヌはあのクソ爺が余計な事を言うから無駄足を踏んだと
心の中で悪態をついた。
この世界に存在する属性は、火、水、土、風、光、聖、闇。
敵は死者。有効なのは聖属性。
次はアンデッドに有効な聖属性を試すべきだ。
かき消すべきは黒い霧であって死者たちではないし、あの黒い霧が
アンデッドかはわからない。
そうでなければ光属性くらいしか可能性はないだろう。
すべての属性を試している時間はない。光属性が通用しなければ
攻撃に転ずることができず、撤退しかない。
コンドルは生物ではない。
魔法錬金で作られる疑似生命体だ。
主に偵察用に使われるコンドルだが、作り出すには時間がかかる。
1体は城に送り出し、最悪の事態に備えて速やかに街を捨て、
避難せよと伝えている。
「リアンヌ様、コンドル用意できました」
「あいわかった。では……聖属性だ」
魔術士が聖属性の防御魔法を唱えると、コンドルが白色の光に包まれた。
「シルバー・コンドル、飛ばせ!」
リアンヌは叫んだ。
黒い霧に向かうコンドル。
しかしそれもまたたく間に落ちた。
「おのれ……残るは光だけじゃ。
しかしこれが効かねば……うぬぅぅ」
本当は神に問いかけ、正解を訊ければいいのだが、それは無理だった。
これは滅多に使えない能力だ。
1週間に1度、それ以上は使うことができない。
というより、それ以上の頻度だと神に問いかけても答えてくれない。
リアンヌは舌打ちする。
敵の居場所に神託を使うのではなく、黒い霧の対策を訊くべきだった。
死者を甘く見、張本人である魔族を倒せば簡単に終わると見ていたからだ。
無理もなかった。この世界のゾンビは非常に弱い。
動きは鈍く、肉体は脆いので、対処法が分かっていれば
子供にさえ倒せてしまうようなモンスターだ。
ゆえに、軽く制圧できると考えてしまっていた。
赤獅子騎士団の戦線もついに崩壊しだす。
いまだ黒い霧よりあふれ流れてくる死者たちに弓と魔法で応戦するも、
恐怖を知らぬ死者の圧倒的物量で近づかれてしまう。
リアンヌは全軍に命令する。
「白豹騎士団の半数は弓を捨てよ。
剣に持ち替え、赤獅子騎士団に合流し、戦線維持!
残りは十分距離をとり、そして攻撃を再開せよ!」
今や盾の青鹿騎士団はほぼ壊滅。
剣の赤獅子騎士団も半数を下回っている。
弓の白豹騎士団も半分は前衛に回り、今はそれで戦線を保っている。
いまだ無傷の魔法の黒狐騎士団は元々少数で、24人しかいない。
リアンヌが魔導師ファージスの元に駆け寄る。
「師匠、こりゃやべぇぞ。
どうじゃ? 師匠の魔法で一発」
「あほか……ワシが魔法を放てば、ここら一帯は廃墟になってしまうぞい。
それでも死者どもの数は、半分も減らんじゃろうて……
それにそこまで強大な魔法は1日に1回しか使えんわい」
「わかっておるわい。言ってみただけじゃ」
「……それに、黒幕のために温存しておきたいしのぅ。
しかし、いつもの勘はどうしたのじゃ?
外れたかいのぅ?」
「……勘は注意せよと警告しておったわい。
注意したつもりじゃった。ただ…それ以上の脅威だっただけじゃ」
その時、魔法士の声が聞こえた。
「コンドル、用意できました!」
リアンヌは魔法士に叫ぶ。
「光じゃ! 急げ!」
光属性防御魔法をかけられたコンドルが金色の光に包まれた。
「飛ばせ!」
金色のコンドルは黒い霧に触れ――――――――
落ちなかった。
黒い霧の中で金色の光が飛び回っている。
それを見たリアンヌは叫ぶ。
「魔法士隊! ただちに全員へ光属性の防御魔法をかけろ!」
「はっ!!」
リアンヌは美しい顔をゆがめ、ニヤリと笑った。
「反撃開始じゃ」
しかし、リアンヌは気づいていなかった。
黒い霧の中で飛び回っていた金色の光が落下していくのを――――