第14話「神の声」 ☆
挿絵がまたありますです。どうぞイメージ補完にお役立てを。( ^ω^)v
「おや……」
意外そうな声を上げたのは、この部屋の主。
磨き上げられた白亜の大理石の柱は美しく、毛足の長い真っ赤で豪奢な絨毯が
床に敷かれている。部屋の壁際、その中心には、まるで生きているような
精緻で美しい女性の胸像が飾られている。
いや……それは本当に生きていた。その証拠にかすかに呻き、震えている。
そして胸像の左右の壁には巨大な絵画。
左の壁には天国、そして右の壁には地獄が描かれている。
豪華な家具も置かれ、高価な調度品が並べられている。
イスもテーブルも、丹精な彫刻が施されている。
部屋の主は中央に置かれたイスに腰かけ、天井をじっと見つめている。
「だから注意しろとアレほど念を押したのに……」
美しい女性のような顔をしているが、その声は低く、重厚感があるバリトンだ。
悪魔の紳士ルーシー。
光彩のない漆黒の目が、今は片方だけ無くなっていた。
肩をすくめ、しばらく考え込む。
「しかし、この黒い霧は一体……」
彼はそうつぶやいた後、天井を見つめたまま動かなかった。
カケイドの城内は混乱していた。
今日は【カケイド誕生祭】。
本来なら街中に楽しげな声が響き渡り、人々の歌が聞こえたはずだ。
魔族との戦争で建物の大半を失った城だが、今は復旧されていて、
それどころか以前より巨大で堅牢になっていた。
魔族が再び攻めてきても耐えられるように、街の周辺を囲う城壁も
天に向けてそびえ立つように大きく、強固になった。
テルスターク王国の一番北にある領地がカケイドだ。
カケイドは魔族領に隣していて、つまりこの街が最前線への生命線である。
戦争になった場合、籠城しても食糧の貯えは1年は保つ。
北の地には魔族たちがはびこっているため、この街には熟練兵が
配されているだけでなく、強力な冒険者たちも多数集まっている。
護衛や討伐の仕事があふれるほどあり、名を上げるため、一攫千金を求めて
やってくる者が絶えずいる。
しかし、今その街は静まり返っている。
いつもは人々の喧騒で賑やかなその街中を歩く大多数は……死者であった。
「謎の黒い霧に、崩壊した勇者教団の神殿……
それだけでなく、街の人々もかなりの数が謎の消失」
禿げあがった頭をかきむしる。
カケイドの領主、ラゼム・エレハイム。
年齢は40代後半で、金の刺繍が施された黒のジャケットを身に着けている。
ここはラゼムの執務室で、今はそこに伝令兵ともう一人、
魔導師ファージスがいる。
「……黒い霧の中から死体が現れ、それが歩いている……と?」
領主ラゼムは信じられないといった表情で、目の前にいる伝令を睨む。
「はっ! 間違いありません。アクスエル騎士団長より、そう報告せよと!」
「なぜ死体とわかる?」
「はっ……頭が骨だけになっている者や内臓をひきずりながら歩く者が
確認されており……」
「ああ、もういい……わかった」
ラゼムは頭痛がし、思わずうなる。
「下がってよい」
伝令は敬礼し、退出する。
ラゼムは大きくため息をつき、眉根を揉む。
「15年前の、あのおぞましい戦いがまた起こるのか……?」
魔導師ファージスがラゼムに慰めの言葉をかける。
「ま、そりゃそうじゃ。魔族どもは滅んだわけじゃないからのぅ。
いつこうなってもおかしくはなかったのじゃ。
いやぁ、気の毒だのぅ」
なぜかまったく気の毒そうに思っていないしたり顔で言われ、
ラゼムは露骨に嫌な顔をする。
だがすぐに魔導師ファージスへ笑顔を向ける。
「しかし、偶然ファージス様に立ち寄っていただけて助かります」
「はぁ……ワシ、運ないのぅ…なんでこんなタイミングで……
お前の汚い顔を少し見ていくか…なんて思わなければ良かったわい。
そういや、今日の星占いで、汚い男に注意♪ って出ておったわい……」
ラゼムの額に一瞬青筋が浮くが、ひきつりながらもすぐ笑顔に戻る。
魔導師ファージスはこの国でも有数の魔法使いで、1000年生きてるとか、
実は仙人になっているとか、人間離れした噂がいろいろある人物だ。
そして領主たるラゼムは知っている。その噂のほとんどが真実であることを。
どんな魔法を使っているのかわからないが、見た目は20代の若者にしか見えない。
茶髪を短く刈りこんでおり、若干タレ目で大きめの瞳は青色だ。
それなりに整った顔立ちで、美形……の部類に入れたくはないが、入ってしまう。
「まぁ、冗談はさておき……この事態どう思われますか?」
「冗談じゃなかったのじゃが……まぁよい。
黒い霧は……
ワシも見たことも聞いたこともない」
「は?」
驚きの顔を隠せないラゼムだった。
こんな妖怪じじぃが知らないことがあるなんて……
とは思っても口に出さなかったが。
「黒い霧から死体が歩いて出てきたということじゃが……
行方不明者も大勢いるとの話じゃったな?
それは生贄も数えられて……いやこの話は良い。
とにかく、まさかと思うがの。その死体どもは……」
「ま……街の住人……ですか?」
「………」
魔導師ファージスは返事をしなかったが、ラゼムには肯定であるとわかった。
黒い霧の正体は依然不明…
歩く死者たちがまさか街の住民とは夢にも思わなかったラゼムだった。
「あとは、勇者教団の神殿が襲われた…というのも、もちろん無関係では……」
「この世界の者で、教団に攻撃を仕掛けるものがあるとするなら……
魔族しかおるまいて」
「ですよねぇ……」
長い間魔族からの攻撃がなかったせいで、自分が在職中に戦争はないだろう…
ラゼムが漠然とそう思っていたのは確かだ。
それに1000年も生きてきた爺さんが知らないという黒い霧。
頭痛しかない。
対処がまるで思いつかない。
とりあえず偵察だけはさせたが……
死者には騎士団を当たらせればよいだろう。動く死体なら問題なく対処できる。
しかし霧に対してはどうしろと?
魔導師ファージスが分からないものには対処しようもない。
その時、城内が静かになった。
先ほどまで執務室にまで聞こえていた喧騒が小さくなっている。
代わりに歓声があがる。
「やっと来たか……」
ラゼムはほっと息をつく。
ノックの音が響き、ラゼムは間髪を入れずに入室を許可する。
執務室に入ってきたのは、一見この場に似つかわしくない少女だった。
まっすぐ伸びる腰まである金髪。
美しいが、まだ幼さの残る顔立ち。
白のマントを羽織り、白の鎧を全身にまとう。
カケイドの女神……と称賛される美少女がそこに立っていた。
年の頃は小学校高学年程度だろうか。
幼き頃に神の声を聴き、数々の奇跡を起こしてきた少女。
15年前、カケイドの悪夢と呼ばれた東の魔神がいた。
東の魔神は魔王軍の将軍とも言われている。
恐るべき強さをほこり、数千の騎士の命が魔神の手によって散っていった。
魔王軍撤退の後もカケイドの東の地にとどまり、たった数百の軍勢だけで
カケイドを苦しめてきた存在だった。
その後何年も悪夢は続き、人間は疲弊していった。
あのままではカケイド領も魔族の手に落ちていただろう。
そんな時、たった5人のパーティーを率いて魔神に挑み、勝利した少女。
齢8歳にして英雄になった、勇者の再来とまで呼ばれた彼女。
その名は――――
「リアンヌ・ダーク、到着いたした」
領主ラゼムは、この幸運を神に感謝する。
魔導師ファージスと同じく、つい先日まで彼女はこの街にいなかった。
リンガル領主の救援要請により、テルスターク王が勅命を下したのだ。
リンガル領シルバ大森林の支配者、魔獣王カイザンとの闘いに赴いていた。
カイザン討伐とまではいかず、逃げられたものの、大きな損害を与えたらしい。
魔獣王カイザンが再び攻めるにせよ、部下を多数失い、魔獣王自身も
大きな傷を負ったことで、再侵攻は当分ないだろうとの判断から、
彼女のカケイドへの帰還が決まった。
そして約1年ぶりにリアンヌ・ダークがこの街に帰還したのだ。
魔導師ファージスとカケイドの女神リアンヌ・ダーク、
この2人がいれば、未曽有の事態もなんとかなりそうな気がするラゼムだった。
「で、ハゲ。状況はどーなっておるのじゃ」
領主ラゼムの額に再び青筋が浮かぶ。
「リ……リアンヌ。私はまだ髪があるんだ。ハゲではないぞ?」
「往生際の悪い髪じゃな。ワシが滅ぼしてやろうぞ。
では、龍滅ざ……」
リアンヌが剣を抜き、ラゼムの残りわずかな髪に斬りかかろうとした。
「やめてくれ!!」
半ば本気で残り少ない髪を刈り取ろうとしたため、ラゼムは慌てて叫ぶ。
リアンヌは魔導師ファージスの愛弟子だ。
ファージスの下で修行するうちに口調がそっくりになった上、
性格も生き写しのようだ。
(せっかくの美少女なのに……
なにが女神だ……ただのひねくれたガキじゃないか)
と、心の中で思っても口には出さないラゼムだ。
謎の死者の集団に勇者教団の神殿の崩壊、そして黒い霧の発生……
確かにカケイドの悪夢以来の危機に対処するには、カケイドの女神リアンヌと
魔導師ファージスが揃っているのは、この上ない僥倖だ。
しかし2人を接待しなければならないラゼムは、確かにカケイドは救えても、
その代償として大事な毛髪は心労で救えないかもしれない……
という考えがふと頭をよぎった。
「……なるほろ。厄介なのは黒いはむほむほむはむだな」
リアンヌが腹が減ったというので、急いで執務室へ食事を持ってこさせた。
彼女は悠々と昼食をとっている。
「口に物を入れたまま喋るのは、どうかと思うぞ……」
「ごっくん。
で、黒い霧のことじゃが、触れた者はおるのか?」
「いや、死者の大群が黒い霧の近くにいるからな……まだいない」
「ふむ、で、黒い霧は街中に広がっているとのことじゃが……
現在どのような状態なのじゃ?」
「うむ……」
ラゼムは机の上に街の地図を広げる。
リアンヌとファージスが地図を覗き込む。
「北のここ、商業区より北はすべて黒い霧に包まれている。
城門を超えた先まではわからないが、おそらくだが、門を超えた先にも
広がっていると思われる」
ラゼムが苦い顔をしながら地図の東を指さす。
「そして東の門からはココ、住宅区のほとんどは黒い霧に包まれている」
リアンヌ、ファージスともに、予想以上に霧が広がっていることに苦い顔をする。
「そして西門はまだ黒い霧が少なく、西の住宅区が覆われるまでは
まだ時間があると思う」
「そして街の中心から南は、まだ黒い霧は確認されていない。
カケイド城は中央よりやや南にある。
霧の進行からすると、夜が更ける前までにここまで至るだろうな」
魔導師ファージスは、アゴを指でさすりながらラゼムに質問した。
「では、南の住民の避難はどうなっとる?」
「すでに開始させていますが……隣街のエイジアまでの避難は困難かと。
移動に1週間以上かかりますし、食糧もこの状態では満足に運べません。
第一、エイジア側の受け入れ準備にも時間がかかりますから、
すぐに避難が完了とはいきません。
籠城は検討していますが、まさか突然住民すべてを避難させる事態は
想定外です。しかもカケイド誕生祭で街の人口が増えています」
リアンヌは食事する手をまったく緩めず、もしゃもしゃ食べながらも
真剣な顔で考え込んでいるようだ。
ファージスも苦い顔をして考え込む。
リアンヌがようやく食事を終える。
「ごっそさん。
ふぅ……んじゃ、神さんに聴いてみるわい」
「おぉ! やっていただけますか!」
ラゼムの顔がぱっと明るくなる。
神の声を直接聴くことができるチカラ。
それこそがリアンヌが女神と崇められ、カケイドの悪夢と呼ばれた
東の魔神を退けた力の源泉だ。
リアンヌが執務室の天井に向かって手を振る。
そして片手を耳に添え、ふんふんとうなずいている。
しばらくすると、また天井に向かって手を振る。
「わかったぞ」
「え!? 今の神託なんですか!?」
初めて神託を受けるところを見たラゼムは、あまりに意外な仕草に
驚きの声を上げる。神託というからにはもっと厳かな儀式を想像していた。
「えええ……神様、どんだけフレンドリーなの……」
思わずツッコんでしまい、ラゼムはしまった! という顔をして口元を抑えた。
リアンヌにジト目で睨まれた。
「まぁよい。神が仰るには、この神殿崩壊の犯人と黒い霧を出しているやつは、
同じグループじゃと言っておられる」
「ほう……なるほど。
やはり一人ではないのですな……」
「で、そやつらは、今ここにおるらしい」
リアンヌが街の地図の一画を指さす。
そこは北門付近にある大広場だった。
「なるほどのぅ。
黒い霧が一番立ちこめている場所か。道理ではあるな」
魔導師ファージスがうんうんと顔をうなずかせている。
北の大広場、そこには……
ダーツたちがいつもパーティーの集合場所にしている酒場、
アティーナの導き亭がある。