第11話「悪魔」
ピチョン……
水滴の落ちる音。
冷たい水滴が頬を伝う。
「……うっ……」
目が覚めた。
あれ……
ここは……?
起き上がろうとしても動けない。いや、動かない。
あれれ……
なんで?
もう一度起き上がろうと力を込めた瞬間、体中に激痛が走った。
「あ……あひ……ひいい……」
全身を襲う痛みで思い出した。
自分の身に起きた惨劇を。
その瞬間吐いた。
「げぶ……えほっげほっ」
ボクの体は……
左ひざには穴が開けられ、もう立つことはできない。
右足首から下は、まるで靴下を脱がされたみたいに肉がない。
かろうじて足の骨同士を繋ぐくらいには肉が残っている。
太ももは小さな爆弾がすぐそばで破裂したように肉がはじけていて、
肉の間から骨が見えてた。
脇腹はドリルで何度もえぐられた。
右手の指はグシャグシャになってる。ピクリとも動かない。
左腕のヒジは本来とは真逆の方向に曲がっている。
顔も…口のまわりの肉が剥がされ、歯茎がむき出しになっている…
拷問の中、自分の体が壊されていくのを見ていたんだ。
いや、見せられたんだ。
だから、目だけは無事だった。
西野さんに怖がられちゃうな……
おかあさんも嫌がるかな。
カノンはどうだろう……
醜悪な魔族の中にいたんだし、慣れてるかな。
ダーツさんはどうだろう……
背中をバンっと叩いて、男らしくなったじゃねーかって言ってくれそう。
フフフ……
カザリさんは引いちゃうだろうなぁ……。
ネロさんは……
タイラーさん……
きっと思い直して、助けに来てくれる……
そうに違いない。
そうだよね?
頬に暖かいものを感じた。いつのまにか泣いていた。
まだ涙が出るんだ……と他人事のように思っていた。
地獄だった。
魔物どもがクラスメイトを惨殺した時より、
魔族の城にさらわれ、偽物とばれたら殺されるとビクビクしてた時より、
友達の谷口くんが料理として出された時より、
イービルベアーと死闘を演じた時より、
そしてそれ以上に恐怖を感じた大男からのリンチ……あれよりも。
あんなものは大した事なかったんだ。
真の恐怖……そして真の地獄を味わった。
知らなかった……
この世にこんな地獄があるなんて。
同じ人間からただのおもちゃのように扱われた。
どんなに泣き叫んでも、どんなに許しを乞うても、
それはただ、ガイコツ老人を喜ばせるだけだった。
体が削られ、えぐられる痛み。
それは麻酔なしで手術をしているようなものだ。
だけど……手術なら麻酔がなくても治療だ。体を治すための行為だ。
拷問は体を少しずつ壊していく……
体が……心が……少しずつ死んでいく。
鉄の塊が体をえぐるたび、ボクは少しずつ死んでいく。
耐えきれない痛みで狂いそうになっても、狂う余裕すら与えられないほど、
間断なく鋭利な苦痛が襲ってくる。
終わらない痛み。
この世には痛みしかなかった。
何度も何度も、殺してくれと頼んだ。
ただ死にたい。
それだけが望みになるほど……死ぬことがこの世の最高の救いだと願うほど、
死にたかった。
痛みから逃げたかった。
ピチョン……
水滴がまた落ちる、
あれから……どれだけ時間が経ったんだろう。
いつになったら死ねるのかな。
あと1分? それとも2分?
暗闇に目が慣れてきて、周りが少しずつ見え出す。
ここに来るときに見かけた牢屋の中にいるのが分かった。
かすかに聞こえてくるうめき声。
向かいにある牢屋に……人間がいた。
あれを人間と言っていいなら……だけども。
まだ生きているのが不思議な肉塊。
だけど生きている。
その肉塊がかすかに動くことから生きていると分かる。
そして呻く。
ボクと……同じ事をされたんだ。
もしかして、今のボクって……あんな感じに見えるのかな。
顔が動かせないから、自分の体が見られない。
それは救いなのかもしれない。
見たら正気じゃいられない。
いや、いっそのこと正気を失った方がいいのかもしれない。
地の底から響くような、サビた鉄のきしむ音が牢屋中にこだまする。
拷問室の扉が開く音だ。
ボクの全身は一瞬で総毛立ち、体が勝手に震えだした。
カツコツと足音が牢屋の中で木霊して聞こえる。
あのガイコツ老人が来たんじゃないかと悲鳴を上げた。
だがそれは、かすかなうめき声にしかならなかった。
来ないで……来ないで……
ボクの牢の前で足音が止まり、扉が開かれた。
そいつはガイコツ老人じゃない。
かなり太っていて、目が糸のように細い。
茶色の皮エプロンを付けていたが、赤黒く変色して汚れている。
糸目はバケツを床に置いた。
なんだこいつ……何の用があって来たんだ。
やめて……ボクに近寄らないで! と哀願するも、それは言葉にならず、
ただの唸り声にしかならない。
そいつはボクになにか液体を塗りだした。
「あああああが……ががが……ぎひぃぃ」
殺してくれ……
痛い……痛い……痛い……
「おい、ピーター。何をいまごろ消毒しているんだね」
体が震えだした。
気がつくとガイコツ老人がそこにいた。
逃げなきゃ……
だけどまったく体が動かない。動こうとするたびに激痛が走る。
それでも動いた。必死で……死に物狂いで。
一生懸命逃げてるつもりだったけど、もぞもぞと動いただけに過ぎなかった。
「こりゃターケン様。えへへ……ちょっと用事がありまして」
「ふん、まぁよい。そいつを部屋に連れてきなさい」
「へい」
え……まって……
部屋って……まさか、あの部屋!?
ウソ……もう終わったんじゃないの?
だって、ボクもう死ぬよ?
きっと数分もしない内に死ぬんだよ……
だからほっといて……お願い……
もう地獄に連れて行かないでぇ。
早く来てダーツさん! お願い!!
ねぇ、なんで来てくれないの!?
本当にボクを見捨てたの!?
嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
西野さん! おかーさん!
ねぇ……なんで助けに来てくれないの!?
こんなにボク……苦しんでるのに……
これほど助けを求めてるのに。
……お前らおかしいんじゃないの?
ピチョン……
水滴の落ちる音。
目が覚めた。
ここで目覚めるのは何度目だろうか……
10回目? いや11回目?
おかしいな。なんでまだ生きてるの?
声が聞こえる。
うん? なんだ……遠い……ところから……
違う。すぐそこだ。
「捕まえたときは、こんな肉だるまじゃなかった気がしますが。
かなりの美少女だったような……
三日会わざればうんぬん……と言いますが、まさにその通りですね。
ホホホホ」
誰?
見覚えのある白いローブを着た中年の男。
ああ、そうだ……
あの日、ダーツに裏切られて…こいつに売られたんだ。
檻に入れられ、ここに連れて来られて地獄に落とされた。
ダーツ、ネロ、タイラー、カザリ……
憎いやつらを思い出す。
「いやぁ、意外と長持ちしてましてね。
私としては嬉しいのですよ。
ですが、まだ魔族の本性を出してくれないのです……しぶといですね。
ニコラウス様、どうされますか?」
ガイコツ老人のターケンも一緒にいた。
白いローブの中年、ニコラウスは顔を背けてローブの裾で口元を覆っている。
「しかし臭いですね。
まぁ、それは良いです。
このくらいの肉だるまなら、勇者様もお喜びになるかもしれませんね。
魔族の本性を出していないのが残念ですが」
は?
勇者?
勇者がこんなことを……こんな残酷なことをさせているの?
魔族相手なら、ここまでしてもいいのか?
いや、他の牢屋を見ればわかる。
ここにいるのは人間だけだ。
ターケンも言っていたじゃないか。夢は魔族の拷問だと……
つまり人間しか拷問したことがないんだ。
人間が人間に、こんな恐ろしいことをしている。
しかも、それをさせているのは勇者。
ねぇ、お前ら人間なんじゃないの?
なんでこんなことができるの?
ガイコツ老人ターケンは、丸々太った糸目のピーターに命令する。
「これを箱詰めしなさい」
「へい、しかしこいつも早く死ねば良かったのにねぇ。
ここよりも地獄に連れていかれるとは、同情しちゃいますね。ハハハ」
信じられなかった。
ここより地獄って!?
そんなの……ありえない……
嫌だ。やめくれ。
もう嫌だ。ほんとに嫌なんだ。
糸目のピーターがボクの耳元でささやいてきた。
「いいこと教えてやるよ。
お前、今から勇者様の飯になるんだ。
噂だけどさ、勇者様に食われた奴は死なないままらしいぞ。
胃の中で消化されても意識は無くならないし、苦痛もそのままだってさ。
お前はさ、永遠に消化され続ける地獄に行くんだ」
ボクを……食う?
人間が人間を食うのか?
ねぇ、お前らってほんとに人間なの?
なんでこんなヒドイことできるの。
人間ってなんだっけ……
こんな残酷なことをしないやつのことだっけ?
ワカラナイ……
こんなヒドイことするやつってなんだっけ。
ワカラナイ……
なんだっけ……なん……
ああ、そうだ。悪魔だ。
恐怖と絶望と悲しみしかなかった心に……今は……
なにかが心の中で湧きあがる。
これは……
あれ、悪魔って……
あの異形のやつらだっけ?
あれ?
おかしいな……
あいつらボクになにかしたっけ?
湧きあがる。何かが心の奥底から噴き出そうとしている。
カノン……悪魔だよね……
あれ?
ダーツ、ネロ、カザリ、タイラー……人間?
あれれ?
ワカラナイ……ワカラナイ……
噴き出す……なにかが……
糸目のピーターがボクの体に触れ、激痛が走る。
ボクを持ち上げ、勇者のもとに運ぶために持ってきたのであろう木箱の中へ、
ゴミ箱に捨てるようにボクを入れようとするが
血で手が滑り、ボクを床に落とした。
「っっつっ!!!」
あまりの激痛に意識が飛びそうになる。
「ああ、きったねぇなぁ……」
「これピーター。私の芸術に汚いとはなんだね!
しかもコレは、勇者様の食事なのだぞ。
ちゃんと箱に入れなさい」
コイツラって、なんだっけ……
人間? あれぇ?
あれれれれれ。あれれえええええ!?
あああああああああれれれれれれれれ!!!!?
うぅ、心が沸騰する……
ううううううう……
ああああああああああああ!!!!
心の絶叫は、そのまま声となってほとばしり出た。
「ああああああああああああ!!!!!!!!」
ガイコツ老人のターケンが驚いた。
「な、なんですか!?
ううん? 肉団子の声?」
白いローブの中年ニコラウスも驚きの声を上げた。
「なんと……この状態で……まだ声が出せるのか。
勇者様も、これはお喜びに」
心が荒れ狂う。
怒り。
それをさらに超えた憤怒。
憎い……コロス!
お前ら絶対にコロシテヤル!!
「ああああああああああああああああああああ!!!!!!」
絶叫はさらに大きくなっていく。
白いローブの中年ニコラウス、そしてガイコツ老人ターケン。
太った糸目のピーターが驚愕でこわばっている。
ボクがの体が勝手にガタガタと揺れる。
うう、苦しい。
なにか、なにか、この世に出てはいけない何かが出てくる。
「なんだ……あれは……肉団子から黒いもや……?」
「もしや、魔族の本性!? ついに!! ああ、ピーター!
今すぐソレを拷問室へ持っていきなさい!」
「いや、気持ち悪いですって!」
ボクは手を…もはやほとんど骨しか残っていない手を、天に向かって伸ばす。
そうだ……そうだよ……ボクはなぜ忘れていたんだろう……?
ずっと……ずーっと……
はるか昔からそうだったじゃないか。
ボクの味方は……
「アステリアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
心の底から噴き出た思いを叫んだ。
そして気がつく。
なんでアステリアをボクの味方だと思ったんだっけ……?
手ですくった水が指の隙間からこぼれていくように、
確信を持った記憶を、たちまちに忘れてしまった……
そうであってほしいというボクの願望があったんだろうか。
悪魔が……助けに来てくれるわけないじゃないか……
瞼がなくなった目から、涙が流れる……
その瞬間、轟音が鳴り響き、地下牢が揺れる。
何かが爆発したかのようなとてつもない爆音。
地の揺れはさらに大きくなっていく。
「な、なんだ!?」
白ローブのニコラウスが怯えて叫んでいる。
「じ、地震ですか?」
ガイコツ老人ターケンも驚き、きょろきょろと辺りを見回す。
「タ、ターケン様!」
糸目のピーターは激しい揺れで床に倒れた。
牢屋の天井から細かい石粒がパラパラと落ちてくる。
ボクの体にも石があたり激痛が襲う。
ピーターが尻もちをついたまま絶叫している。
みんな、みんな絶叫をあげてる。
ボクが拷問室であげていたソレを、みんな出している。
パニックだ。
このまま牢屋が崩れれば、やっと死ねるかな。
死ねるのか。なんだか嬉しいな。
「ターケン様!
やばい、このままじゃ崩れちゃいますよ!
に、逃げましょう!」
「こ、これ! 逃げるでない! 拷問室に運べ!」
「ターケン様、アホですか!」
ピーターはなんとか立ち上がり、出口に向かって走り出した。
彼が外へと繋がる鉄の扉に手をかけた瞬間……
鉄の扉がはじけた。
鉄の扉とともにピーターもはじけ飛び、反対側の扉まで吹っ飛んでいった。
ピーターは反対側の扉に激突した。全身の骨が砕け、体がつぶれる。
と同時に吹き飛んだ鉄の扉がピーターにぶつかった。
サンドイッチにされた彼はただのひき肉になっていた。
ボクの仲間になったねピーター。
羨ましいよ、楽に死ねてさ。早くボクも殺して。早く……
ガイコツ老人はなにが起こったのか理解できていないのか
意味不明の言葉をつぶやいてる。
「ああ……ピーター……
そっちに行くなら、この箱も一緒に持っていってくれたら……」
白ローブのニコラウスはピーターを見て、それから吹き飛んだ扉側を見る。
「なんですか! 一体なにが!?」
そして、地上に繋がる扉…今はその扉がなくなった入り口から誰かが入ってくる。
立ちのぼる土煙で姿が見えない。
やがて少しずつ煙が晴れていき、そこにいる人物が見えてくる。
ニコラウスは思わずそこにいる人物に声をかける。
「だ、だれですか?」
そこにいたのは……絶世の美女だった。
純白の肌、透き通るように白く長い髪。
しかしその白い肌を覆い隠すドレスは、すべての色を否定するかのような漆黒。
このような場所にはまったく似つかわしくない美女がそこにいた。
彼女は少し首をかしげながら、ターケンたちの方へ歩いてきた。
ボクはその現れた人物を知っていた。
だけど、信じられなかった。
なんで彼女が……
「え……魔族? な、なぜこんなところに……」
ニコラウスは彼女が人間じゃないことに、気がついたようだ。
彼女の頭の左右から燃え盛る炎が角のように伸び、
そして目からも紅蓮の炎がゆらめき、黒いスカートの裾からも
火焔が噴き出している。
それを見たターケンはこんなときでも興奮している。
「ああ、なんと美しい。ぜひぜひそちらの拷問部屋にお招きしたい!」
ニコラウスはターケンを冷ややかに横目で見、こんな時に何を、とつぶやいてる。
「なぜ魔族の女がこんなところに」
ニコラウスはなにかに気がついたのか、目を大きく見開いた。
「まさか、そこの肉団子を探しに……」
肉団子という言葉を聞いた瞬間、彼女の顔が激しくゆがむ。
美しい顔が醜く変形し、口は大きく裂け、その口からは鋭い牙が覗く。
だけど、ボクの姿を見つけた彼女は、また美しい姿に戻った。
美しき悪魔、アステリアは厳かに宣言する。
「アキラ様。お迎えに参りました」