第9話「教団」
「くはぁ! うめぇ……この1杯のために生きてるわぁー」
ダーツはジョッキになみなみと注がれたエールを一気に飲み干した。
ここは酒場【アティーナの導亭】
夕方も近くなって、仕事終わりの市民たちで酒場が賑わってきている。
4人掛けのテーブルに金髪男のダーツ、戦士のタイラーが2人並んで座っている。
ダーツの前にはエールを水のようにごくごくと飲んでいる忍者のカザリ。
その隣には豆ばかりを食べているエルフのネロ。
カザリはダンっとジョッキをテーブルに叩きつけた。
ジョッキをあおる度に口から出るのはため息と……
「アギラぢゃぁん……」
アキラの名前ばかり、やけ酒だ。
ため息の理由をダーツはあえて聞かない。
カザリの口から出る言葉が雄弁に物語っているからだ。
「カザリ、お前な……恋する乙女かよ」
うるっと瞳を潤ませ、またエールをあおる。
「ア、アギラぢゃぁん……」
グスグスっと泣いている。
何を聞いてもアキラちゃんとしか発しないカザリ。
(重症だな、これは……)
ダーツまでため息をついた。
エルフのネロがダーツをじろりと睨む。
「まぁ、今だから言わせてもらうが……
なんであの2人の護衛を引き受けたんだ?」
あ? とダーツはネロに返したが、あの2人がアキラとカノンを
指すのはわかっている。
戦士のタイラーもネロの意見にうなずき、腕組みをしネロの言葉を引き継ぐ。
「うら若い女性と子供の2人だけの旅なんて怪しすぎだ。
まぁ、魔物が化けてたわけじゃなかったが。
しかし……あれは厄介ごとを抱えてるぞ?
そんな危険なことになぜ首を突っ込んだんだ。
お前らしくもない……
リーダーとしても失格だ」
ダーツは不機嫌そうな顔をした。
「いや……別に……」
頭をボリボリかき回し、ふてくされたように話はじめる。
「アキラがさ……
俺がカノンに短剣を突きつけた時、あいつ震えながら拳を握って、
しかも涙まで浮かべてよ…俺と戦おうとしたんだ。
…まぁ、魔物ならとっくに正体現してるだろうし、ああ、こりゃ人間だわーって
確信して短剣引っ込めたんだけどな。
その時は一言謝って去ろうと思ったんだよ。
魔物じゃねーってことは、ワケありの方だって俺も分かったからな」
眉根を寄せて下唇を突き出し、不快げな顔のままダーツはエールを飲む。
ふぅと一息つくと、まじめな顔になった。
「あいつの目だ……
今にも発狂し、心が壊れそうな目をしてやがったんだ」
「ふん、それはお前があの子たちを脅したからだろ」
ネロがツッコミをいれる。
ダーツはエールをあおりながらしぶい顔をした。
「まぁ、あの2人に何があったのか知らねぇ。
だけどよ……
危険な森を女と子供の2人で旅しなきゃいけねぇほど、
追い込まれてたってことだろ。
そんな子たちをそこまで怖がらせてしまったんだ。
さすがに……ちょっと……な。
どうせ俺たちもカケイドへの帰りだったし、護衛くらい引き受けて
詫びたかったんだよ」
ダーツは両手をバンッ! とテーブルの上に叩きつけ頭を下げた。
「皆、迷惑かけてすまねぇ!
お前らが甘いと思うならリーダー下ろされても仕方ねえ」
ダーツは頭を再びあげると、グビグビとエールをあおりだす。
タイラーがダーツの背中をバンっと叩いた。
「お前にまだ人の心があったとはな!」
「……ま、雀の涙くらいはダーツにも人の心ってもんが残ってたらしいな」
「好き勝手言いやがって……俺も人の子だぞ」
「アギラぢゃぁぁん……グスグス……」
ダーツは泣きっぱなしのカザリを見て呆れる。
「とりあえず、しばらく仕事はできねぇな……
まずカザリの心のケアからはじめねぇとな」
「グスグス……おじっご……」
うなだれたままトイレに立ったカザリを眺め、ネロもタイラーも
これは仕方ないなとエールを飲み干した。
しばらくしてカザリが帰ってくる。
その顔が幽霊でも見たかのように青ざめている。
そしてカザリに連れられてきた少年を見てダーツはぎょっとする。
血の気がなくなり、死人のような顔をしたアキラがそこにいた。
アキラは焦点の定まらない目をキョロキョロさせる。
その目がダーツの顔を見て止まった。
「ダ……さ……?」
「ダ……ダーツさん?」
「ダーツさん!?
……カノンが! カノンがあああ!」
ダムが決壊したかのように涙があふれ、アキラはダーツに向かって走りだし、
力一杯すがるように抱き着く。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、カノンが……カノンがと何度も繰り返す。
他のテーブルで飲んでいた連中が、何事だ? と怪訝な視線を向けてくる。
カザリはアキラの背中をさすりながら、仲間には出したことがないような
優しい声色で、大丈夫よと何度も声をかけていた。
ダーツは酒場の一番奥、暗がりにあるテーブルをアゴで示した。
ネロとタイラーは席を立ち、ダーツとカザリも奥のテーブルに向かって歩き出す。
この席は聞かれたくない話や分け前について話す時にいつも使っている。
カザリとネロの間にアキラを座らせ、ダーツとタイラーは対面に腰を下ろす。
☆
「なるほどな……」
カノンがいなくなった状況を聞いて、ダーツさんは深刻な表情で考え込んでいる。
そして、いまだ涙で潤むボクの目をじっとのぞき込んできた。
「アキラ、言いたくねぇだろうけどよ。
お前の言えねぇ事情を聞かせてもらいたい。
誘拐かもしれねぇ。他の理由かもしれねぇ。それはまだ分からねぇが。
だがよ、カノンを助けるには……
それにはお前の抱えてるモノがカギになるかもしれん。
わかるな?」
「あっ……うん……」
戦士のタイラーさんがダーツさんを軽く睨んでる。なんでだろ……
ボクの横にいるネロさんも、ダーツさんを非難するように凝視してるけど。
みんな一体どうしたんだろう。ダーツさんと何かあったのかな。
だけどカザリさんだけはボクをじっと見て、やさしく微笑んでくれてる。
カザリさんの目がお母さんのように優しかったからなのかな……
気がつくと抱き着いてた。
女性にいきなり抱き着くなんて、大変なことしちゃった。
それなのに……カザリさんは優しく頭を撫でてくれた。
そっとカザリさんから離れ、微かに残った涙を腕で拭った。
「ごめんなさいカザリさん……」
カザリさんはそっと目を細め、ゆっくりと首を横に振った。
ただ静かに優しく労わってくれるカザリさんのおかげで、だいぶ心が落ち着いた。
ボクはどうすべきか悩む。
事前に用意したウソの事情をダーツさんに伝えても、カノンの捜索には
まったく役に立たない。
でも、真実を言って……信じてもらえるのかな。
いくら人違いでさらわれたといっても、ボクは魔族の城から来たんだ。
もしかすると街から追い出され、下手をすると殺されるかもしれない……
だけどこの旅を通して、いや、お城にいたときからカノンはボクにとって、
かけがえのない大切な人になっていったんだ。
カノンが心配でたまらない。
もし事件に巻き込まれていたのなら一刻も早く助けてあげたい。
どうしよう……どうしよう……
いくら考えても正解が出てこない。
いや、正解はわかってる。正直に言うしかないってこと。
ボクが迷っているのは、ただ疑われて、皆に嫌われることを恐れてるだけなんだ。
その時、ふと頭によぎった考えに我ながらゾっとした。
カノンを見捨ててしまえばいい……
あいつも所詮は化け物の仲間だ。見捨ててしまえば完全にボクは自由だ……と。
頭によぎったぞっとする考えに強烈な吐き気を覚える。
口元を手で抑え、吐き気をこらえる。
涙があふれる……なんてあさましい……
カノンは文字通り命を懸けて、ボクを一生懸命守ってくれたのに。
一瞬でもよぎった考えをどうしても許せない。
ボクはボクを許せない。
決めた。
「ダーツさん……
今から話すことは、信じられないかもしれないけど……」
ダーツさんはボクが話すと決断するまで、じっと待ってくれていた。
まわりの皆も強制もせず、急かすこともなかった。
この人たちならきっと大丈夫……
信じてみよう。
☆
ジャラ……
「皆さん、大変お疲れ様でした」
豪華な刺繍が施された白いローブを着た中年男が、ねぎらいの声をかけてくる。
他にも中年男が色々言ってきたが、ダーツの耳には入っていなかった。
ダーツは幼い頃を思い出していた。
強い戦士だった父、優しくいつも明るい母。
しかし平和な時間は永遠には続かず、魔族との戦争が始まった。
戦士だったダーツの父親もその戦争に参加した。
絶対返ってくるとダーツと母に約束をして。
ダーツが父親と別れた日から3度目の春を迎えた時、父親は帰ってきた。
ダーツが朝の日課の水汲みのために家の外に出ると、そこに父がいた。
無残に解体された父親が。
内臓はひとつひとつバラバラにされ、手足も関節ごとに丁寧に分解されている。
しかし血管も神経も、傷一つ付いていなかった。
……父親はまだ……生きていた。
痛みに呻き、苦しみ、そしてダーツを見つけると父親はダーツに頼んだ。
殺してくれ……と。
ダーツは叫んだ。その叫びを聞いた母親が驚いて外に飛び出してくる。
愛する夫のあまりにも変わり果てた姿に絶叫する母。
そして、悪魔が母の前に現れた。
悪魔は父を指さし、ここに帰りたいと願っていたので連れてきましたと言った。
母は逃げろと必死に叫ぶ。
そして悪魔は始めた……母の解体作業を。
夫婦お揃いですね。と笑う悪魔。
ダーツは母親の解体を凝視していた。
思考はマヒし、逃げることすら忘れ、ただ呆然と見ていた。
解体作業を終えた悪魔は、ダーツを見てこうささやいたのだ。
家族3人でいつまでもお幸せにね……と。
ジャラ……
ダーツの目の前には鉄の檻が置かれている。
カザリ、ネロ、タイラーが、汚いものを見るように鉄の檻を睨みつけている。
いや、その中のモノを……
ジャララ……
檻の中にいるのは、鉄枷をつけられ、鎖につながれたアキラだった。
アキラは呆然とした顔でダーツたちを見回す。
自分の現状が理解できていない顔だ。
その顔を見てダーツがアキラの顔に唾を吐きかけた。
「ちっ!」
檻の外には白いローブを着た中年男が数名と銀色の鎧をまとった物々しい騎士が
10人近くいる。
さらに体の大きい屈強そうな男が4人ほど。
檻は屈強な男たちの手で荷馬車に乗せられた。
「ダーツ……さん……カザリさん……」
震える声でダーツたちの名前を呼ぶアキラ。
「ネロさん……タイラーさん……」
タイラーは檻を激しく蹴りつけた。
ガシャンと大きな音が響く。
アキラはびくっと怯えて檻の奥に逃げてしまった。
ダーツはあまりの怒りで気が狂いそうになる。
「まさか魔族の仲間だったとはね……
くそがっ! まんまと騙された!」
アキラを睨んだままのネロがダーツへ吐き捨てるように言う。
「だから警告したんだ。怪しい奴らだってな!」
カザリも怒りの目でアキラを見ている。
「……許せない。悪魔も、その仲間も、全部殺してやりたい!
私が直接手を下さないのは、もっと苦しませるためだ!
苦しめ! 苦しめ!」
アキラは怯えた目でダーツたちを見ていた。
「では、これで失礼しますよ」
ガタっと音がして、アキラを乗せた荷馬車が動き出す。
「勇者教団はあなたたちの働きを決して忘れません」
白いローブの中年男がダーツたちに謝意を示す。
荷馬車が去っていく。
どこに連れていかれ、何が待っているのか、ダーツたちは知っている。
だが、誰一人として、アキラの運命を悲しむ者はいなかった。