1.海辺の街のキャンパス
「寒ぶっ!」
同級生の飯島くんがウィンドブレーカーのファスナーを上まであげる。天気はいいけど、海風が強い。強い風が吹くたびにキャッキャ言ってるお嬢様たちがいて、いい加減大人になりなよ、と思ったりしてしまう。
これから新入生向けに、サークル活動の紹介をするんだけど、私たち「現代史ジャーナル」の出番はほぼ一番最後。なのに参加サークルは10:30に集合なんて、無意味すぎる。
「三上ちゃん、読み原稿用意してる?」
「ううん、別に。大丈夫だよ、3分くらい」
現代史だの、ジャーナルだの、こんなお堅い名前に浮かれた新入生が興味持つ可能性はゼロに近いし、そもそも、自主ゼミの紹介が始まる頃には、お腹を空かせた連中はとっくにいない。会場はきっとガラガラ…… なんか、やる気でないよ。
「今日さ、ミーティングが終わったら飲みに行かない? みんなで」
飯島くんの誘い方はなんかイヤだ。自分が誘ってるくせに、わざわざ「みんな」とか言って、警戒心を解こうとするのがミエミエで嫌い。
「行かない。せっかくの火曜日は家でのんびりしたい」
それはホント。毎日のように学習塾でのバイトで、結構疲れてる。録りためたバラエティ番組でも見ながら笑いたい…… って寂しい女かな。
「残念」
「福島さんとでも行きなよ。あの人なら暇だよ、きっと」
と、そんな話をしていたら、学生部の担当者が拡声器で呼び出しをかける。
「受付けしま〜す。今日の注意事項を確認して、名札を受け取ったら、ちゃんと見えるところに貼り付けて下さいね〜。
それから、毎年デモンストレーションで講義室を傷付けるサークルがありま〜す。今年は見つけ次第弁償してもらいますからね〜」
去年はテコンドーの連中が調子に乗って壁に穴をあけた。そのことを思い出した参加者が笑っている。
「それでは、説明者は大講義室の横、302と304を開放しますから、そこで待機して下さ〜い。くれぐれもそこで酒盛りしないこと〜」
いるんだよ、まったく。何かイベントがあるとそれを口実にして酒盛りする奴ら。
受け付けを済ませると、控室に入る。顔見知りも多いけど、特に気になる人もいない。ふと、去年の今頃のことを思い出してみる。内田さんから紹介された福島さんと初めてあったのは今頃だった。そうそう、鶴川さんがおこなった現代史ジャーナルの紹介を、福島さんと並んで聞いたんだった。
「ねえ、飯島くん、あなた、去年のサークル紹介聞いてたの?」
「ううん。僕はチラシみて、直接ミーティングに参加した。あの時は6人くらいいたよね。みんなすぐ来なくなったけど」
「なんで辞めちゃうのかなぁ」
「そりゃだって…… 日頃はお堅い書物読んでるだけだからな」
「だけど、必ず議論するじゃない? それって楽しくない?」
「いや、もちろん僕や三上ちゃんは楽しいけど、嫌だっていう人も多いよ。むしろ、大嫌いという人の方が多そうな気がする」
「そう…… じゃあサークル紹介なんかしても意味ないかもね」
そうなのだ。なんだか知らないうちに紹介役を押し付けられたものの、地味なサークルをどう案内したところで、加入者の数なんか知れてる。
ふと窓から隣の講義棟を眺める。新入生たちはそこでガイダンスを受けている。中庭の向こう側にある講義棟には、大勢の新入生が大人しく聴いている姿が見える。
「学部の方に引っ越したんでしょ? どこ?」
飯島くんがまた話しかけてくる。2年生になると大抵の下宿生は学部のある入り江の東地区に移る。そこまでは周知だけど、それ以上は言いたくない。特に彼には。
「お宮のあたり」
「ん? ちょっと遠くない?」
「う〜ん、ちょっと運動不足だから、あえて」
それは言い訳で、ホントは学部近くを避けた。プライベートがなくなるのは目に見えていたから。
「どんなとこ? また女子学生専用?」
「う〜ん、まぁ、そんなとこ」
明らかなウソだ。あんな堅苦しいとこ、絶対イヤだ。
「女子はそういうとこがいいよね」
昭和男か、お前は! と言いたくなるのをぐっと我慢した。
「飯島くんは通学が楽になる?」
一応社交辞令で質問したが、ホントはど〜でもいい。にもかかわらず、彼は一生懸命説明を始めちゃった…… 相槌打つのも面倒だよ。
そのうち、話題はあちこち飛んで、新入生の話になった。
「三上ちゃんの後輩って何人くらい?」
「高校の? さぁ、10人くらいかなぁ。わかんない」
「そっか…… でも、そのくらい少ないと逆に誘いやすくない? 入学者が数少ない学校だと、後輩は先輩頼るでしょ?」
なんだよ、自分とこは毎年100人以上進学してくるって自慢かよ。
「え〜っ、それイヤだ。過去とは決別したい」
「決別したい過去か…… なんだか意味深だな。何があったか教えてよ」
「…… うるさいよ」
聞き逃せや! まったく彼は面倒くさい。私の顔にはハッキリ、お前ウゼえ! って書いてあるはずなのに、彼はまったく気が付かない。なんで? 成績はいいのに、頭は悪い。こういうヤツはマジでキライ。
あ〜ぁ、カワイイ、ジャニーズ系の後輩入んないかな。ジャニーズ系じゃなくてもいい、なんとなく自分の言うことを100パーセント聞いてくれて、ニコニコしてる子だったらいい。あっ、でも、そこそこカワイイ顔してないと嫌だな。オッサンみたいなのは勘弁。コイツみたいに、顔の長いのも勘弁。福島さんみたく、チビも勘弁。クシャクシャの癖っ毛で、シュッとした顔で、できたら目尻がちょっと下がってて、鼻のちっちゃい子。ダメなんだよな、鼻がゴツいヤツは。キスのときに圧迫感ありそうで……
「何見てんの? 新入生?」
気づいたら講義棟からバラバラと新入生が出始めていた。そんな妄想にピッタリな後輩がいる、なんて、無駄な妄想は止めて、現実に戻ろう。
「向井がさ、どうしても女子学生を最低1名は勧誘してくれって、アハハハ、あいつと宮代さんはそんなリクエストばっかだよ、困ったもんだ」
彼らふたりはマトモだよ! その言葉が喉元を過ぎて、ホントに口先の間際で零れそうだったけど、ようやく飲み込んで、私は席を立った。
「出番にはまだ早いよ!」
「わかってる! コーヒー!」
飯島くんの話し相手に疲れた私は、自動販売機のある中庭に出てみた。いるいる! 新入生。フレッシュだなぁ。女の子が強引に手を引っ張ってるのもいて、なんとなく微笑ましい。たった1年で、なんであのフレッシュさを失っちゃったかな……
私は温かいブラックコーヒーを両手で包み込みながら、新入生の姿をいつまでも眺めていた。
この物語は『ラギ〜Lagi〜』を三上涼音目線で描き直したものです。登場人物や設定については描写を省いており、伝わりにくいことがあります。