黒き花崗岩
片手間にふわりと書きました。ありとあらゆる言葉選びや表現に拘りましたが、特に意味があるわけではありません。
雨の降らない日が続く年だった。
僕は太陽に焼かれたアスファルトの上を自転車で走っていた。家を出たばかりなのに、じわりと汗が滲んでくる。特に激しい運動でもないのに息が弾み始めた。じっとりとした空気が粘っこく絡みついてきて、無条件に苛々する。
信号を待つためにブレーキを握ると、ホイールが甲高く鳴いた。
「灰島!」
名前を呼ばれて振り返ると、短髪の少女がこちらを見ていた。日に透けて赤茶けた髪と黒目がちの目がどことなく活発そうである。日焼けの始まった肌はつやつやとしていた。
「…白」
白崎百瀬、友達のひとりだ。
「何処行くの?」
「黒川のところ」
百瀬は黒いリュックを背負っている。特に行き先があるようには見えない。
「お前も行く?」
「行く」
百瀬は即答すると僕の自転車の後ろに乗った。
「二ケツかよ」
「バレなきゃセーフ。ほら」
百瀬の腕が僕の腰をしっかり抱えたのを確かめてペダルに足をかける。古い自転車がガタガタ鳴っても、百瀬は何も言わなかった。
坂を下ってすぐに霊園がある。僕が自転車を停めると、百瀬は後部から飛び降りた。
霊園は住宅街に囲まれた大きくないもので、不釣り合いに大きな楓の木が空を覆う涼やかな場所であった。
百瀬は先に霊園の中をまっすぐ進むと、楓の真下にある艶々とした花崗岩の墓石の前に屈んだ。僕もそれに倣って屈む。
黒川家之墓。彫り込まれた文字はひどく湿って見える。
黒川光。昨年の春に病死した。白血病であった。本人は最後まで笑っていたが、心中の恐怖は死後に見つかった彼の日記に綴られていた。光は骨髄移植のドナーが見つからないまま、やせ細って逝ってしまった。
光は元々勉強が得意で、少し大人びたところがあった。そんなところを僕たちは好ましく思って一緒にいたのだが、光はやはり僕らよりも先を歩いて行ってしまった。
「光、おはよう」
百瀬はただそっと呟いた。
僕は百瀬が長い間光に好意をもっていたことを知っている。そして少なからず光も百瀬を好ましく思っていたはずだ。そして僕は長い間それを妬んでいた。
「白」
百瀬は目を閉じた。光と会話しているのだろうか。
僕は光の墓を見上げる。そよ、と風が吹いた。
光はいつだって涼しげに微笑んでいた。僕の中にあった嫉みの火を涼やかに眺めているように思えたことが何度もある。あの目は一体何を見ていたのだろうか。
気がつくと百瀬はいなかった。僕は慌てて周りを見回してみた。
「白!白!」
返事はない。百瀬は勝手にいなくなるような奴ではない。不自然だ。
僕の背中を冷たい汗が滑った。首の後ろからぶわりを汗が噴き出す。
「白………」
僕は光の方を振り返った。依然として艶々としている。
「……連れていかないでくれ、頼む。そんな奴じゃないだろ…」
遠くで鳥が鳴いた。鳥の種類には詳しくないので何かはわからない。
僕は待った。じっと待った。ため息が出た。
「お前が頼んだんだろ。忘れてない。黒川、お前が言ったんだ。白を守れって。なんでお前が、」
そこで喉が熱くなって、締め付けられた。言いたいことは山ほどあるのに、次が出て来ない。息が止まるのによく似た感覚だった。ぐっ、と拳を握って、歯の隙間からふーっ、と息が漏れる。
「…頼むよ。俺をこれ以上、惨めな気持ちにさせないでくれ」
風がさあっと吹いた。俺は光に手を押し当ててから、軽く拳をぶつける。それから目を閉じて、ゆっくりとしゃがみ込んだ。何も考えなかった。ただひたすら、百瀬と光の名を呼んでいた。声はもう出なかった。光が僕から声を奪っていたからだ。
光はわかっているはずだ。あんなに賢い奴だったんだから、わからないはずがない。
強い風が吹いた。楓の木がさあっと揺れている。僕は目を開けずにいた。
不意に砂利を擦る音がして、ようやく目を開けた。赤茶けた短髪が立っている。僕は目を細めて、ゆっくり息を吐き出した。
「また来るから」
僕は光をぽん、と叩いて背を向ける。百瀬も僕に倣った。
「帰ろうか」
どちらからともなく、手をつないだ。罪悪感のようなものが風にかすれた。