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雨はいっときグランドを叩いたかと思うと急速に弱くなり始めた。あがりそうですねぇと桂の声高な呟きが聞こえる。
あの日、なかなか戻らない蕗さんを、大人たちはバスもとっくになくなった夜になってようやく心配し始め、探しに出かけた。ちょうどその頃、祭の後片付けをしようと、庭師の老人も例の男を探し回っていた。けれど二人の姿は狭い村のどこにもなく、翌朝になっても帰ってはこなかった。
バスの運転手が二人を隣町の駅まで乗せたことを証言した。彼らは一緒に逃げたのだと村人たちは噂しあった。そうでなければ蕗さんが黙って家を出る理由がないし、男がお金も受け取らず村を離れることはないだろう、と。けれど運転手はひとりかぶりを振った。あれは連れ合いには見えなかった、バスの中でも別々に座っていたし、降りるときも男は小銭をスマートに払っていたが、女性の方は一万円札しか持っておらず、両替に苦労したから、と。一万円なんて大金どうしたのだろうという疑問には伯父がすぐに答えを見つけた。蕗さんが高校を卒業したとき、祖母に内緒でこっそり二十万円を祝いとして工面してやった、と。蕗さんの部屋からそのお金だけが消えていた。
祖母は反狂乱になって周囲に当たり散らした。警察にも届け出て必死に探したけれど、二人の行方はとうとうつかめなかった。
その年の冬、あれだけ元気だった祖母が心臓の発作を起こして呆気なく死んだ。春にはダム誘致が村議会で正式に採択された。
時は流れ、私が夏を過ごした思い出の場所はもう水底に沈んでいる。地図上にすら残っていない村は、もうそれぞれの心の中にしかない。
蕗さんは駈け落ちをしたのだと言われている。でもたぶんそれだけじゃなかった。あの日天気雨さえ降らなければ、彼女は未だに私たちの傍にいたような気がする。あの村も、ダムの底に消えることはなかったような気がする。
蕗さんは「気まぐれ」に魅かれていた。形通りの生活、用意された未来、それらすべてがつまらないものに思えて、ひとり夢を見ていた。彼女は夢の中でだけ自由でいられた。だから取るに足らない現実はほかの人たち、祖母や伯父夫婦や私たち子どもに、くれてやっていたのだ。
ところがあの日、余所から男が流れてきた。都会の学生で、自由な身体と意志を持った同年代の存在に、蕗さんは魂を揺さぶられた。そんな折祖母が私たちの気まぐれを諌め、結果、蕗さんの目はさらに外へと向けられることとなった。そこへあの天気雨だ。祭の日で誰もバスになんか乗らない。偶然とはいえ雨足というカモフラージュ、そして太陽と雨というあまりに気まぐれな取り合わせ。蕗さんはそこに自分の理想を見たのかもしれない。
蕗さんが本当にあの男を好きだったのか、今でも一緒にいるのか、私にはわからない。ただ蕗さんの選んだ気まぐれは、彼女を幸せにしてくれたと信じたい。あの日雨に打たれながらも彼女の言葉通り私が引き返したのは、心の奥底からそう願っていたからなのだから。
私はあれから大きくなった。何気なくバスケを始め高校を選び、今に至っている。それを気まぐれと蕗さんなら笑うかもしれない。
私の未来はまだこれから続いていく。大らかな両親にすべてを応援され、なんの制約も持たない私はいつだって自分で自分の道を決めるだろう。ときによく考え、ときに気まぐれに。きっとどちらも悪いことじゃない。
(私にもわかるよ、蕗さん―――)
薄くなった雨の先に、あの日蕗さんが纏っていたのと同じ、七色の虹が見えた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
小学生視点にしては大人びた世界観になってしまったかもしれません。でもこれはこれでひとつの作りとして受け止めていただければ幸いです。