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祭の櫓は毎年神社の前の広場に組まれる。
二日前になると村の若い男たちが総出でその作業を始める。高い櫓のてっぺんには村の宝とも言うべき祭太鼓が乗せられ、その太鼓の音に合わせて、村人は櫓を囲み踊りを踊る。それが夏祭の前夜祭だ。
翌日は神社の御神体である刀が公開される。神主がそれらを前に祝詞を捧げ、村人たちもまたそれに頭を下げる。なんでもその昔、源平合戦に敗れた平氏の落武者がこの村の祖先にあたるそうで、源氏の手の者が残党狩りを行なった際、その刀を持って戦い、無事生き延びることができたらしい。信憑性はどうかしらないけど、古式ゆかしい風習を見学しようと集まってくる観光客もぽつぽついた。
青年もその口なのだろうと、皆に思われていた。人なつっこい由希が「あの人何しに来たが」と周りの大人に聞いて回った結果、そういう答えが返ってきた。
「なんでもの、夏休み使うてあちこち歩きよるがと。先々で日雇の仕事見つけてな。村ん来たのも隣町で聞きつけたけんらしいわい」
「まぁ今年はダムのせいで若い衆が祭そっちのけやけんなぁ、儂らみたいな年寄りには櫓に祭り太鼓あげるんはきついしのぉ」
「ほんでもあの若いんはよう働くの。見込みがあらぃ」
前夜祭が明日にも迫って、自然と熱気も高まってきたのだろう、どうかすると閉鎖的になりがちな年寄りたちの間で、力があり、黙々と働く青年は期待を集めたらしかった。
三時頃になると蕗さんが祖母の命令で冷たいお茶とお菓子を持ってやってきた。
「ご苦労さんです、お三時にしてください」
「やぁみんな、本家の蕗さんが来たぞい」
荷物を抱えた蕗さんに駆け寄ると、彼女は額に汗を浮かべていた。彰が包みのひとつを、私が水筒を受け取って神社に取って返す。
「ほら、おまえさんも降りといでや」
庭師の老人があの男に声をかけた。男は組みかけの櫓の中程に上っていた。
「ここを結んでから」
低いけれどよく通る声で彼は答えた。手には縄がある。
老人はそれ以上無理強いしなかった。自分も境内に戻って仲間内の休息の輪に加わる。
蕗さんは持ってきた紙コップに次々お茶を汲んでいた。それをお菓子とセットにして私たちが配って回る。
老人たちはしばらく談笑していた。自分の取り分をすっかり食べ尽くした私たちは、そのうち境内の黒光りする床の上をぱたぱたと走り始めた。
追いかけごっこをしながらふと外を見遣ると、炎天下の広場にまだ中途半端な櫓があった。男はまだその半ばにいる。
そしてそこから少し離れた、境内へ上る階段の傍に、蕗さんが立っていた。彼女は世話をした老人たちでも騒がしくしている私たちでもなく、櫓の方を見ていた。つまりはそこに貼りついた男を見ていた。
男は手を動かすことに夢中ならしく、こちらを見下ろしたりはしなかった。逆光になるその表情からは暗くて何も読み取れない。
蕗さんの位置からも男の顔などはっきり見えるはずがなかった。それでも彼女は瞳を逸らさなかった。その目にはこれといった変化も見当らなかった。いつも通りの、笑っているとも泣いているともつかない不思議な表情。
そしてその視線を一身に浴びる男は、もしかすると蕗さんに気づいているのかもしれなかった。あまりに自然体なその仕種がかえって不自然だった。そして相変わらずはっきりしない男の今の表情は、蕗さんと同じ色をしているのかもしれないとも思った。焦りでも戸惑いでもない、強いて言うなら、彰が蕗さんに謝る寸前に見せる、何かを嗅ぎ当ててうかがうような色。
男は蕗さんが帰り出す頃にようやく降りてきた。空の荷物を抱えて鳥居の方へ戻りかけた私たちと無言ですれ違ったけれど、二人は一度も視線を合わせようとはしなかった。