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 蕗さんは母の年の離れた妹で、その頃、私にとっては祖母にあたる人や伯父一家と一緒にその村で暮らしていた。私は夏休みになると祖母の家に一人で遊びにやられては、厳格な祖母の目を恐れつつ、豪快な伯父や明るい伯母に可愛がられ、従兄弟の彰や由希と真っ黒になるまで転げ回って過ごしていた。祖母の家はその昔庄屋をしていたとかで、戦後の農地改革もどう乗り切ったのか莫大な田畑や山林を所有したままであり、田舎とはいえその権勢は衰える気配がなかった。その頃すでに伯父にすべての権利が譲られてはいたけど、祖母の発言は一家の法とされていた。

 その祖母の命令で、蕗さんは高校を卒業してもまだ家にいた。頭の固い祖母の「女に学問はいらない、職もいらない」という考えの元、この家に生まれ育った女の子は皆高校卒業と同時に花嫁修業がスタートし、数年の後見合いで嫁ぐのが暗黙の了解になっていた。現に私の母も十九で父と結婚し、この家を出ている。

 蕗さんは早生まれなので、私が八歳の夏に遊びに行ったとき、まだ十八だった。その当時私は彼女のことを大人の人なのだと思っていた。だからそんな人が私たちの遊び相手になってくれることが嬉しくて、始終彼女につきまとっていた。蕗さんは色白で柔らかそうな肌をしており、瞳も大らかな一重で、撫で肩の体系には浴衣や着物がよく似合った。物静かな人で、しゃべっても蚊が鳴くような、細い、消え入りそうな声をしていた。性格もいたって温和で、伯父に声をかけられても伯母に褒められても祖母に叱られても、いつだって笑っているような泣き出しそうな、不思議な表情をしていた。

 家では伯父が「蕗」と呼び捨てにする以外は、祖母もお手伝いさんも出入りの庭師さんもご近所さんも皆が「蕗さん」と呼んでいた。なので私も彼女のことをそう呼んだ。「蕗さん」と呼びかけると「なぁに」と、あの笑っているような泣き出しそうな白い顔で返事をしてくれた。私は彼女が大好きだった。

 滞在中の私には、南側の十畳くらいの座敷があてがわれていた。つまりは彰も由希も夜になるとそこにそわそわとやってくる。

 夜毎蕗さんが「さぁもう寝ようね」と言いながら座敷に蚊帳を吊ってくれた。それは三人分の布団がすっぽり収まるくらい大きな物で、薄い青の透けた地に菖蒲のようなまっすぐな葉と蛍の絵が刺繍されていた。垂れ下がった生地の端を私と由希は身体に巻きつけて束の間お姫様ごっこに興じた。蕗さんが「アラビアの王女様みたいね」と褒めてくれた。

 けれどそんな姿をひとたび祖母に見つかると、とげとげしく注意された。

「なんですの行儀の悪い。あんたたち、蚊帳はそうやって遊ぶものやありません。蕗さん、あんたはええ年して子どもに正しいことのひとつも教えてやれんのですか。まったく本家の娘とは思えんわ。ええですか、あんたがいつまでもそんな風やと私が恥をかくんですよ」

 夏でも着物の衿をぴっちり着つけて汗ひとつかかない、気丈な人だった。実の娘や孫に対してもこんな態度を崩さない。私はこの祖母が苦手で、顔を合わせれば決まって何かしら小言をくらっていた。蕗さんは母親であるこの人に注意されているときもこの人が去った後でも、いつだってあの表情をしていた。

「ごめんな、蕗さん」

 真っ先に彼女を気遣い謝るのは彰だった。少し気弱で、いつも年下の私や由希に振り回されていて、祖母に言わせれば「跡取りのくせに情けない」この長男は、自分が悪いわけでもないのに、こんなときはすぐ先頭に立った。今にして思うとどこか虐げられがちな蕗さんに自分と同じ匂いを感じていたのかもしれない。彰がそんな風なのに、私と由希は自分のせいで蕗さんが怒られたことが悲しくて、謝るどころか一言もしゃべることができなくなってしまった。そんな私たちの頭をぽんぽんと撫でて、蕗さんは「さぁお布団に入ろうね」と優しく私たちを促すのだった。



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