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「お疲れ様でしたーっ」
元気を振りしぼって挨拶する後輩に、私もお疲れ、と答えながら片手を上げた。ぴょこんと小兎のように頭を下げて、彼女たちは熱気の覚めやらない体育館から次々と出ていく。
「也実先輩、まだやるんですか?」
ひとりでボールを手にした瞬間、背後から声がかかった。振り向かずともわかる、鼻にかかったアニメ声優みたいな声は二年の桂だ。この間の大会で私たち三年が引退したのを機に副部長の座についている。小柄ながら、その見かけとは裏腹の超攻撃型のフォワードだ。
「うん、なんか消化不良って感じでね」
言いながら二、三回ドリブルしたボールを両手で支えシュートした。ボールは奇跡的な弧を描いてゴールに吸いこまれる。ナイスシュート、と、桂が一回手を打つ。
「先輩って練習時のスリーポイントは絶対はずさないし、この間の地区大会ではシュート成功率八〇パーセント越えてましたもんね。そこが大学のスカウトの目に止まったってことか」
いいなぁと甘えたように桂が首を傾げる。
彼女の言う通り、私は高校三年の夏休みにしてすでに進路が決定していた。だから余裕こいて未だに部活に顔を出せているわけでもある。勉強は苦手だから大学への進学は諦めかけていた。専門学校を物色していたところへ降って湧いたようなスカウト。そのおかげで、落ち零れのこの私が一躍羨望の的となった。なんでもバスケで大学に行く奴は開校以来初らしくて、私はまるで一昔前の上野のパンダ並の扱いだ。正直戸惑ってもいる。
だからこうして誰よりも練習に打ち込む。
手伝いますよ、と、桂が突然ボールを投げて寄越した。それをばしっと受けとめ、素早くシュートする。
そのとき、指先にふっと涼しさを感じた。
同時にさぁーっという静かなノイズが耳鳴りのように汗ばんだ全身を取り巻いた。不意に流れてきた微風に誘われ顔を外に向ける。
開け放たれた体育館の重い入口が切り取るのは、真夏の炎天下の揺らめくような明るい日差し。
そしてそれをさわさわと洗っていく整然とした響き。
「あ、雨」
かわいい声が広い体育館にこだまする。あまりに明るすぎる世界に違和感を覚えて、私は首を傾げて入口に近づく。
目を外界に注いだ。空は薄い水色。太陽は燦々とした白。そして降り注ぐ糸のような雨は、無色な上にすべてを映した不思議な色。
「天気雨だぁ」
桂の幼い感想が耳に響く。まるで本物の子どものようだと思った。たとえばそう、十年も昔の、おかっぱ頭で痩せっぽちで、目だけが異様にでかくて、水玉のサッカのワンピースを着た、おてんばざかりの少女みたい。
その眩しい感傷の中に、淡い輪郭が浮かんでいた。白い顔で一重の目を細めて笑う、消え入りそうなくらい静かな、優し気な女性。
(蕗さん―――)
唐突にその名が唇をついた。あの日、天気雨が通り過ぎるのと一緒に姿を消した、私の年若い叔母。
それはひと夏の思い出と呼ぶにはあまりに悲しい出来事だった。あの頃の風景も匂いも、すべてが遠くなりかけているけど、彼女のことだけはきっと忘れない。
あのとき降った天気雨のことも一生忘れない。