逢瀬の時
*
「まったく、困ったものだな」
「そうですね」
逃げ行く様はなかなかに笑えたが、やはり気分の良いものではない。何度こんな事を繰り返せばいいのか。
「寝よう」
私は害虫が消え去った事を確認し、再び和室に戻り寝転がった。
おそらくまたああいう輩は現れるだろう。その度こうするしかない。
こういった廃屋が心霊スポットとして弄ばれるのは、残念ながらある事だ。それに、自分だって偉そうな顔は出来ない。
「あなた様とは大違いです」
彼女が横で囁いた。
「どうかな。長くここに留まっているという点では、確かに違うかもしれないが」
私がここを訪れたのは全くの偶然だった。
職を失い、住む場所も失い、あてもなくなった私はホームレスとなり世間を彷徨った。
そんな折にこの場所を見つけた。最初は気味が悪いなと思ったが、中に入ってみれば掃除をすれば十分に住めそうな環境だった。
住居としてはすっかり死に絶えた空気を纏っていたこの場所を、私は住まいとして使わせてもらう事にした。
住めば都とはいったもので、なかなかに快適な場所だった。道端で寝るのに比べればはるかに幸せな環境だった。
「何をなされているのですか?」
そして、彼女が現れた。現れたとは言っても、実際に私の目に彼女の姿は見えていない。
ふいに聞こえた声に私はひどく驚いた。空耳かとも思ったが。
「ここにおります」
と続いた声で、超常的な存在を確信するほかなかった。
頭がおかしくなったのかとも思ったが、それにしてもはっきりとした声音だった。
それでいて寂しそうな声だった。
理解が及ばぬままに、私はひとまず勝手にこの場を借りている事を詫びた。
「いいのです。私はもうこの世におりません故」
ああ、こんな事もあるのかと私は恐怖よりも感心に近い思いだった。
そして私は改めてここに住まう事にした。
適当に食料をあさり、自分の家の様に寝食を過ごした。
「また、帰ってこられますよね?」
なんとも妙な感覚だった。幽霊に帰りを待ち焦がれられるなんて。
「帰ってくるよ」
不思議な同居生活だった。
どうやら彼女にとって私の存在は一つの救いだったようだ。男に捨てられ、自殺し、この地に縛られた彼女にとって、無限に続く寂しさを払う者として。
そして私にとっても彼女の存在は救いだった。全てを失った自分にこんな風に優しく接してくる存在は、もう生きた人間にはいなかったからだ。
幸せだった。だが願わくば彼女をこの目で見たい。それが私の望み。
「出来るなら、こちらの世界でちゃんとお会いしとうございます」
それが彼女の願い。
「ならば憑りついて殺してもいいぞ」
そう言うと彼女は、そんな酷い事は出来ないという。
ならば自殺でもしてみようかとも言ったが、私のわがままでそんな事をさせるわけにはいかないと言って死なせてくれない。なんとも優しい幽霊だった。
「じゃあ、君には会えないのか」
すると。
「あなたが生を全うすれば、もしくは」
私はどうやらなるべく生きた方がいいようだった。
ならば心配ない。
死した彼女の存在は、既に私の生を支えているのだから。
私の横に彼女の存在を確かめる。
「待ってますから」
彼女を馬鹿にする輩を許さない。ここは私達の世界だ。
健気な彼女の想いと、私の願いが叶う日はいつになるだろうか。
その日まで、私は今感じられる幸せを噛み締めながら生きていくつもりだ。




