第三章 2
空の中空域を一機の飛行機械が飛んでいる。複座型の機体。前部操縦席には水地の姿、後部座席にはリュウガの姿。
しかし見慣れた二人が乗っているのは、見慣れたいつもの使役機ではない。
「さすが速度性能を重視しただけあって高速安定性はすごいですね」
「はい! わたしもそう思います!」
後部座席からの声に、自分も使役機にそれなりに乗りなれてきた水地が答える。
二人の操る見慣れぬ機体。
アレックスが巨大輸送機で運んできた荷物の正体がこれである。機械神アノニマスを運用する操士たちの下へ新型機が送られてきたのだ。
リュウガの駐屯所は水地と言う見習いが増えて操士が三人となっていたので、基本的には使役機に乗っての行動が常である操士のために三人目用の機体として配備された。
最新鋭の機体であるので普通は主任であるリュウガの新たな専用機とする処であるが、色々と未知数の部分も多いので三人で交代で乗って先日まで様子を見ていた。
そして本日、完熟運転は終了したと判断して前から予定していた水地との散歩――ではなく小旅行にリュウガは出かけてきた。もちろんただの遊びではなく、基本は新型使役機の高速高高度飛行の試験飛行である。
ちなみにキュアは留守番である。いつ何時水の巨人が現れるか分からないので機械神操士が全員機械神の下から離れるわけにはいかない。操士という職に長大な自由時間があるのはそう言う理由になる。機械神と共にあるからこその永い時間。だから今回は使役機が二機に増えたからの限定的な小旅行の実現になった。
「もっと、速度出してみましょうか」
「良いんですか?」
「せっかくの高速機ですからね、どこまで出せるのかやってみましょう」
普段使っている使役機の訓練では、水地はとにかく速く高く飛ぼうとがんばっている。
そして彼女にはそういった高速飛行に天性の才能があるのではないかとリュウガは思っていた。同じように何度も同乗している副操士に訊いても「私もそう思う」とキュアも同意権だった。
今度新たに配属になる新型使役機は高速性能を重視した機体であると、主任操士であるリュウガは前から説明をもらっていたので、ならば水地ならば相性が良いのではないのだろうかと、こうした試験飛行と言う名目の遠出を計画していたのだ。
「自分が出せる限界まで出しても良いですよ」
リュウガが後部座席から言う。
「もしミズチが気絶しちゃってもわたしがなんとかしますから」
「……なんか、ありがたいようなありがたくないような」
なんだか気絶前提でやるのも間違った方向にがんばっているように思う水地だが
「でも……やってみます!」
水地は今まで7割程度のところで止めていた速度調整用操縦桿を限界いっぱいまで押した。
「――うぉ!?」
肺の中の空気が一気に抜ける間隔。体が座席へと押し付けられる。
「ぐ……ぐぐ」
7割が10割になっただけだと言うのに、その増加分の3割がとんでもない差に感じる。
後ろのリュウガは大丈夫なのか……そんなことを気にする余裕すら消し飛んだ。もう「わたしがなんとかします」と言う言葉を信じるしか……と、思考したのを最後に水地の視界は真っ暗になりその直後意識が途切れた。
「……ぅ、ん」
水地は顔を撫でる心地より風と、体を包み込んでいる心地好い温かさの中にいた。
なんだろうここ。できればこのままでいたい。
そんな優しさの中にいた水地はその幸福な気持ちのまま瞼を開くと、その先には遠くを見つめる主任操士の精悍な顔があった。
「あ、気がつきました。やっぱり黒視症になっちゃいましたね。無理をさせてごめんなさい」
気がついた水地の顔を見下ろしながらリュウガが微笑む。
「あ……リュウガさん、わたし――」
水地はいつもよりリュウガの顔が近くにあるのは変だな――と思っていると、自分は背中と膝裏を支えられて相手に持ち上げられている姿勢であるらしいのを知った。それはつまり
「!?」
水地はリュウガに抱きかかえられていた。
「おひめさまだっこーっ!?」
絶叫の水地。
リュウガは、限界値まで速度を出してやはり黒視症になり直後に気を失ってしまった水地をそのまま後部座席からの操縦で、ここまで運んできた。目的地についても未だ目を覚まさない水地を介抱と言う名目で横抱きにしていたという次第。
「ミズチは小さくて細くて軽くて抱き心地が良いですね。なんか猫でも抱っこしてる気分です」
「褒められてるのかそうじゃないのか良く分からないですけどとにかく恥ずかしいです!」
水地は思わずじたばたしてしまう。リュウガも落としてしまう訳にもいかないのでそのままであるが
「……あ」
思わずリュウガの方とは反対の方向に顔を向けた途端、水地の目にその光景が飛び込んできた。
「……ここって」
リュウガに横抱きにされていた恥ずかしさで分からなかったが、目の前に広がる風景を見た時、水地の口から言葉が消えた。
「……」
リュウガの首にしがみついた姿勢のままその光景に見入る。リュウガも水地を横抱きにしたまま静かに見る。
「……」
リュウガは水地の気持ちが落ち着いたのを知ると、彼女のことをそっと下ろした。水地も高いところから降りれなくなった猫が助けられたように素直に従うと、そのままリュウガの隣に並んだ。
「……」
リュウガから下ろされた水地は、改めて自分の普段の目の高さの事実として、目の前に広がる光景を見た。
椀状にくり貫かれた風景がどこまでも広がっている。自分たちは外円の縁の部分に立っているが、反対側の縁の部分はあまりにも遠くで霞んで見えない。窪んだ底の部分は地表から数キロはあるのだろうと思う。
「ここがはじまりの場所」
水地がそうやってこの光景の全体を何とか把握した時、リュウガがそう告げた。
「ここが……はじまりの場所」
水地が同じ台詞を口にする。リュウガが口にしたのとは違う意味で。
機械神操士となった時、なぜ操士や機械神そのものが必要とされたのかを、水地もある程度は知ることになった。だからこの場所の意味もなんとなく知っている。
一番始めに水の巨人が出現した場所。それがこの場所。全てのはじまりの場所。
「もうこの世界には必要ないはずだった機械神たちの眠りを覚まさなければならなくなった場所」
詠うようにリュウガが告げる。
水の巨人がこの場所に始めて現れた時、当時の人類には待ったく対処する手段が無かった。
そしてそれが現れる以前から、浮き水と呼ばれるものが世界の各地に現れるようになっていた。一辺が20メートルほどもある正直方体の浮遊する水の塊。
人々の不安を煽るように頭上を浮遊するそれは、数日もしくは数週間の後に変化し、ある物は颱風へと変わりある物は竜巻へと変わり、その場所にあった木々も町並みも人の生活する環境を根こそぎ剥ぎ取っていった。浮き水とは水災を巻き起こす温床となる物だった。
そして浮き水によってもたらされた災害に見舞われた当時の人々は、何かとてつもない災厄が訪れる前触れではないかと考えた。あのような人智を超えたものが現れたのは何かの警告じみていたからだ。そしてその後、とてつもない災厄は本当に現れた。
とある国のとある地方に水の巨人は現れた。浮き水のように町中の上空に現れることはなかったが、周辺の町や村は大混乱となったのは否めない。
浮き水の時以上の災厄が巻き起こるのは容易に想像できた。だから人々は水でできた巨人の現れた場所から極力遠くへと逃げた。
そうして人々が水の巨人が殆ど見えなくなるくらいの遠くに逃げた時、それはやってきた。天空を突き破って流れ星が落ちてきた。いやそれは、普段見ることができる流星の比喩を超えた大きさ。月が丸ごと落ちてきたのではないのか。実際には全長数十メートル程度のものであっただろうが、それでも天を貫いて黒き星の海から落下してきたそれを目撃した人々はそう思った。
空から落下してきたもの――彗星と呼ばれる氷の塊は、水の巨人が立つ場所を直撃した。
轟音。震動。爆発。例えようがないほどの音と例えようがないほどの揺れ。大地を引き裂く破壊。遠くからそれを見ていた者たちも、足元をすくわれるほどの揺れがやってきた。
世界は今日で終わってしまうのか。それほどの光景が現出した。
人々はとにかく逃げ惑った。とにかく遠くへ、遠くへ。どこに逃げて良いのか分からないし、どこへ逃げても同じなのかもしれない。それでもとにかく遠くへと逃げた。
轟音と震動と爆発は、一応それで収まった。しかし世界は昼でもうっすらと暗くなってしまっていた。彗星の落下による爆発で巻き上げられた土砂は、一年ほど世界中に降り注ぎこの星を暗くした。
想像を絶する災厄。あの水の巨人は世界を滅ぼしに来たのか。
そしてこのままの時間が進んで行っていたのであれば、水の巨人とは災厄を起こす悪の存在として人々に認知されていたはずである。
だが、そうはならなかった。ひとつの存在が、水の巨人も悪意を持って現れるものではないと、人々に説くことになる。
彗星の大激突からかなりの時間が経って、ある程度落ち着いたと判断した人々がこの地はどうなったのかと確認しに来た。
何もなくなっていた。衝突の中心にいた水の巨人は元より、近隣にあった町や村、山並みや川、そして大地すらもなくなっていた。直径にして10キロ、深さは最大で2キロ以上の陥没ができていた。これだけの土砂が消失して天に巻き上げられたのだから、世界がその塵でしばらく暗くなってしまったのは、当時の成り行きだった。
そうして10キロメートルもの巨大なクレーターとなってしまったこの地を唖然として見下ろしていた人々は、円周の縁の一つに一人の少女が佇んでいるのを発見する。少女の体は機械でできていた。
一番最初の自動人形。未来の世界でそう呼ばれるようになった存在が、その時に現れた。
機械でできた少女は何を想い何を考えてその場所に現れたのか。
今分かることは、何もできない当時の人々に様々な大切なことを教えてくれたと言う事実。
水の巨人はなぜ現れたのか。
水の巨人はなぜ彗星を落としたのか。
水の巨人への対処手段はどうすれば良いのか。
水の巨人とは、かつてこの星そのものに宿っていた意思の成れの果て――残留思念のようなものだと機械の少女は語った。星そのものの意思は終鐘戦役の時に消えてしまったが、この星を守らなければと言う想いのカケラは大地に染み込むように残ったとされる。
水の巨人がふらりと現れたのはこの世界がどこまで治ったかを見に来たから。そしてそれは自分の力では制御できないらしい。それは人間が夢を見るのと同じように。人間は自分の見る夢を操ることは不可能。
水の巨人が自らできることは、相手の向きに合わせて自分の向く方向を変更すること、そしてもうひとつは彗星を降らせること。水の巨人は自らの意思ではこの二つしかできない。だから自ら消え去るために、その唯一使えた消える方法でこの世界から居なくなった。とてつもない被害を守るべき星に残して。だから水の巨人自身もこんなにも大地を傷つけてしまったのを悔いていると言う。
そして水の巨人が再び現れたらどうすれば良いのか。
かつてこの星を守った機械仕掛けの巨神がこの地の底に眠っている。この機械神たちを発掘し、水の巨人へと対峙せし者とせよ。そうすれば水の巨人も自分以外にもこの星を守れる力を持った者がいると判断し、彗星を使わずとも消えることができるだろう。機械神が発掘され目の前に立っても、水の巨人は対峙はしているが自分は傍観しているだけであろうと言う。もし自分が暴走してしまったら止めてもらえるようにと。それでももしもの場合は、機械神に秘められた力ならば水の巨人に彗星をぶつけるほどの壮絶な方法ではなく、それ以外の方法で水の巨人を消すことはできるだろう。何しろこの世界を助けられた程の力があるのだから。
機械仕掛けの少女はそう語った。
もしかしたらそれは虚言なのかも知れない。しかし水の巨人の力を目の当たりにした当時の人々は機械の少女の言葉に従うしか道が残されていなかった。
そうして世界中で機械神の探索が行われた。それ以前にも各地で巨人にまつわる伝承は伝わっている地域が多かったので、最初の一機は比較的容易に見つかったらしい。
しかしそこからが大変だった。何しろ頭頂高は100メートルはあり全備重量も10万トンを超える。発掘も簡単ではない。機械神自身に動いてもらわなければ移動も不可能だろう。
最初の機械神の発掘作業に入った時、機械の少女が再び告げた。
「今の時代で機械神の乗り手を探すことは容易ではないだろう。だから外部から動かすことになる。この星には劫火鉄装という機械神建造以前に作られた機械がある。機械神も自分よりも古い機械ならば従うだろう。劫火鉄装を発見し私の下に持ってきてくれ。そうすれば使役の機械としての改装の方法を伝えよう」
こうして人々はその言葉を信じて新たなる機械の発見にも向かうことになる。
劫火鉄装そのものは、龍樹帝国の跡地とされる場所に一機だけ保管されていたのが見つかった。龍樹帝国とは終鐘戦役時に機械神そのものを作ったと伝承に残る帝国の名であり現在は機械神を管理する為に復興された組織の名。劫火鉄装自体は皇帝直属の親衛隊用かもしくは皇帝が自ら乗り込んで使うためにずっと残されていたものが見つかったらしい。
こうして使役機として改装を終えた劫火鉄装とこの時代での始めての機械神操士が揃い、機械神は眠りから目覚めることになる。
発掘された機械神は操士の指示により立ち上がり、その身を何千年何万年ぶりかに日の光の下へと晒した。
そしてようやく当時の人々が水の巨人への対処手段を揃え、まだ多く残る疑問を機械の少女に問おうとした時、彼女は姿を消していた。
まだ機械神は多く眠っているし、劫火鉄装も数多く土の中にある。後は自分たちで未来を切り開け――そう言うことだったのだろうと、全てを教えてくれた機械の少女に人々は感謝し、少女が消え去る直前に残した言葉を思い出した。
「それでも、いつまでも機械神に頼っていてはいけない」
「水の巨人が、まだ自分以外にこの星を守れるものがいないと判断した時、これと同じ光景が広がることになります」
リュウガが再び詠うように告げる。
「もし、水の巨人が再び彗星を落としてしまったらどうするのですか?」
それを訊くのは物凄い怖さがあるが、見習いとはいえ機械神操士となった自分は知っておかなければならないことだろうと、水地は訊いた。
「機械神――わたしたちのアノニマス以外にも、この星には複数の機械神が同じ目的で発掘され、同じ目的で役目についています」
リュウガが説明する。
「もし水の巨人が彗星を落としてしまったら、機械神はその身に与えられた武器を使い全力を持って破壊する。機械神の機体に終鐘戦役の時代と同じだけの超武装が施されたままなのはそのためです」
ある者は自ら黒き星の海に飛び出して自らの膂力で粉砕し、ある者はこの地上から武装兵器の全力を持って撃ち砕く。そして今の時代となっては、そんなことが出来るのも機械神だけ。
「終鐘の戦いが終わって何千年も何万年も経っていてなお、この世界はその時に守ってくれた者たちに守られている。機械神に、そして、星の意思に」
「……」
水地に言葉はなかった。確かにそうなのだ。
「ずっとずっとこの星を見てきて、守ってきて――もう、休ませてあげなければいけないのに、人間たちはまだ星の意思を休ませてあげられない」
星の意思そのものは終鐘戦役の時に倒すべき相手と共に消えてしまった筈なのに、消えずに残った小さなカケラは何時までもこの星を守り続けている。
「どうすれば星の意思を休ませてあげられるんでしょう」
今まで黙って聞いていた水地が思わず口を開いた。星の意思を休ませる――本当に消え去ってしまったなら、対峙する者である機械神も必要なくなる。水地はそれによって自分の仕事を失うが、それが一番良いことであるのは水地にも分かる。
「それを見つけるためにわたしたち機械神操士はいます」
リュウガの簡潔な答え。仕事を無くす為の仕事。矛盾する行為。でもそれが一番の答え。一番の成すべきこと。
そうだ、その為に自分はここにいる。そしてここに来た。自分の生まれ故郷を飛び出して外の世界へ。
あの時感じた「困っている」と言うのはそう言うことだったのだろうか。
本当にこれがあの時感じた気持ちの真実だとは直ぐに決められないけど、でもそれに限りになく近いのは事実。
憧れを持って選んだこの職業だけど、これからはもっともっと真摯に取り組まなければと、水地は改めて心に誓った。