第一章 2
「……はぁ、はぁ」
水地が水の巨人の下へ急ぐために走っている。
どうやって抜ければ町外れに出れるのかは分からなかったが、目標となるものが常に見えているので何とかなりそうだった。それでも複雑に入り組んだ道に入り込んでしまったりして、そこから抜けるのに苦労した。自分の故郷にも迷宮のように複雑怪奇な地下通路もあるので多少複雑な道は慣れているが、やっぱり始めての町では勝手が違う。
そしてずっと見えているその目標。
この港町に立っている先ほどからずっと鳴りっぱなしの鐘楼よりもそれは大きいと思う。そんな大きな人の形をした水の塊が、体を構成する水を迸らせ水を蠢かせて立っている。
凄い。
記憶の中の水の巨人も強く記憶に残るくらいだから凄いものだと思っていたけど、生で見た迫力はやっぱり凄い。
そして立っているだけで凄いものであるなら、その内に秘められた力を発揮したならばとんでもないことが起こるのも容易に想像できる。
だから早く対峙する者に来てもらわなければ。
水の巨人の更に遠くを見ると、豆粒ほどだった機械神の機影が徐々に大きくなっているのが分かった。耳を澄ませば歩く轟音も微かに聞こえる。走っているから分からないけど、軽い震動も既に起こっているのだろう。
自分がこのまま向かって何をできる訳じゃないけど、とにかくその場所へ行かなければ。
「……」
しかしここから水の巨人を見ていても、あの時感じた「困っている」という思いは今は感じない。距離が遠いからだろうか。やはり近づかなければ分からないのか。
水地は走りながら町の住人たちの行動を見ていたが、みんなそれぞれ思い思いの行動をしている。家の中に避難しようとする者もいれば、そのまま外でお茶を飲むのを続けている者もいる。慌しく洗濯物を取り込んでいる者もいれば、窓から布団を干そうとしている者もいる。
水の巨人が悪意を持って現れるわけではないのを、外の世界の者たちは全員知っているのだ。だから慌てても仕方ない。それに本当に暴走してしまったら、例えどこに逃げても無駄なのも分かっているのだろう。だからみんな落ち着いて行動している。
しかしそれでも水の巨人の下に行こうとする者はいない。これからやってくる機械神の邪魔にならないようにと、節度ある行動を取っている。
そんな風にして避難する町の住民たちに逆らうように町の外へ行くのは少し申し訳なかったが、自分はまだ見習いですらないにしても機械神操士なのだ。
そうやって走っていると道路の先の視界が開けてきた。ようやく町外れに続く出口に来れたらしい。
「きゃっ!?」
町を出た瞬間水地は一際大きい揺れに巻き込まれて思わずつんのめってしまった。
「あいたたた……」
肘と膝を軽く擦り剥いてしまった。水地を転ばせた震動は断続的に続いている。機械神がもうそこまでやって来ている証拠だ。
水地はハンカチを出して傷口を軽く拭くと、少し涙ぐみながら立ち上がった。町の向こうを見るともう機械神がかなり近い距離まで近づいている。水地はハンカチをしまうと鞄を持ち直して再び走る。
「……?」
その時、水の巨人に変化が起きた。町の方を向いていたと思われるその姿が蠢くように不定形になると、今度は近づいてくる機械神の方を向くように再び人型へとなった。振り向くことは出来ないけれど、形を変えて相手に正面を向けることはできるらしい。
そうして相手を迎え入れる準備が整ったちょうどその時、相手となる者も到着した。
「……はぁ、はぁ……やっと着いた」
水の巨人と機械神がお互いの身長の5倍くらいの距離をもって対峙したのと同時に、水地もその場所へと何とか辿り着いた。
「これが……機械神」
その身の丈は100メートルあるという鋼鉄の巨神。様々な機械を組み合わせて作られていると思われるその体は、商館とか塔とかそんな大きな建物の比喩の次元を超えていて、まるで要塞だ。そして実際にその用途に使うのであろう砲塔なども各所に見える。元々この巨大な人型機械はその様に使うことを目的として作られたのだと言う。
その動く要塞とも言うべき機械神の方を改めて見ると、あの時と同じように使役のための飛行物が機械神の手前に浮いているのが分かった。その飛行物は定位置ともいえる右膝斜め前辺りで停止すると、その身を変え始めた。両翼に当たる部分の先端が下方に向かって折れ曲がる。そして尻尾状に伸びていた機体後方も下の方へ折れる。どうも先ほどの形は移動に適した形であるらしく、水の巨人の目前へと到着した後は、浮遊しての静止に適した形へと変形するらしい。
そして浮遊形態になった飛行物の機首にある操縦席の上が開くと、そこから人が腰から上の辺りまで体を出した。
「……綺麗な、ひと」
水地が思わず呟く。
長い黒髪を垂らした女性がそこに姿を現した。彼女がこの機械神の操士であるらしい。
水の巨人の出現によって発生した気温差によって常に吹いている風に髪をなびかせながら、機械神と共に彼女はずっと相手を見ている。穏やかな表情の中にある精悍さ。
美麗な女性に使役された機械仕掛けの巨神が、水で出来た巨人と対峙する。まるで物語の中のような光景。
あの時見たと思っていた光景は実は幼いころに読んだおとぎ話の一つを、実際に見た光景と思っていただけなのかもしれない。
でもそれが空想のものだったとしても、今実際に目の前には二体の巨人が対峙し、使役する女性も実際に其処にいる。
「……」
このとてつもない光景は一体いつまで続くのかと思っていると、水の巨人の体が透け始めた。
「え?」
そうしていくらもしないうちに全てが消えてしまった。
「え? もう終わり?」
意外なあっけなさに思わず水地はそう言ってしまう。そういえば自分をこんな場所まで来させた始原の力である「困っている」と言う気持ちを感じなかったのも今気付いた。
鳴り続けていた鐘楼の鐘も止まった。多分その鐘楼の上から誰かが確認していて、水の巨人が消えたのが分かったのだろう。
鐘が鳴り止むのと同時に飛行物に乗っていた女性は何事かの操作をした。彼女は早期の終了には特に驚いた表情は見せず、相変わらずの落ち着き払った顔のまま。そして彼女の操作によって使役の機械は再び飛行のための姿へ変わると、地面へと降下してきた。
「あ、降りてきた……って、こんなにも早く消えちゃったからってぼーっとしてる場合じゃないよ! わたし行かなきゃ!」
このまま機械神を連れて帰っていくのかと思っていた水地は、思わぬ早期終了の展開に最初は気づかなかったが、操士の彼女が下に降りてきて何事かするのであれば、到着の挨拶に行かなければ。これから長い時間を共に過ごすことになるのだから。
「あ、あの!」
再び息せき切って走った水地は、ちょうど黒髪の女性が使役の機械から降りてくるところに間に合った。
「はい」
地面に降り立った彼女が返事をする。ささやくようなしっとりとした声。顔も美人だが声も美人だ。その声に水地はドキッとしてしまう。
しかしもっともドキッとしてしまったのは彼女の身長だ。黒髪の女性は物凄く長身の女性だった。180センチはあるのではなかろうか。機械神や水の巨人と比べるのも失礼だが、150センチ台半ばの水地ではその二つと同じくらい見上げるような上背だ。
しかしその長身もこの穏やかな雰囲気の女性にとっては彼女の美しさを増長させているようにも見えて、水地は正直に羨ましいと思った。
「わたし今日から機械神操士としてお世話になる星野水地です!」
水地はそう自己紹介しながら一礼した。
「あなたがそうだったんですね」
操士の女性も水地に合わせるように軽く頭を下げる。
「わたしはリュウガ・ムラサメです」
自分のことを見上げる水地に向かって女性が自分の名を告げた。
「いつもだったら水の巨人と機械神が対峙する時は普通の人は誰もいないはずなんですけど、女の子が一人いるのが見えたから何かあったのかなと思って降りてきたんですけど、そうか、あなただったんだですね」
リュウガと名乗った女性が、自分が機械神を連れてそのまま帰らなかった理由を説明した。
「はい! 今日からよろしくお願いします!」
「えーと、うちのキュアにあなたを迎えに行かせたんですけども、あれ? 会ってないですか?」
「キュア……さん、ですか?」
どうも自分には迎えが来ていたらしいと水地は今更ながらに教えられるが、そんな人物が果たしていたかどうかと思っていると
「……」
先ほど出会った自動人形――オートマータが町の方からこちらに向かって歩いてくるのが見えた。やはり中が機械で埋まっているからかその細い体には似合わないような重々しい足取りで近づいてくる。
「あ、オートマータさん!」「キュア、そこにいたんですか?」
近づいてくる機械の彼女を呼ぶ二人の声が重なった。
「きゅ、キュアって、え?」
そのリュウガが告げた名前に水地が驚いているうちに、オートマータは彼女の隣に並んだ。
「キュア、彼女のことを見つけられなかったんですか?」
「ずっと、一緒にいた」
リュウガが訊ねると機械の彼女はそう簡潔に答えた。
「そう?」
「は、はい、オートマータさんはずっと一緒にいてくれましたけど……」
リュウガの問いに水地は正直に答えるが
「というか喋れたんですねオートマータさん!」
この少女の機械が実は自分を迎えに来た使者だったのも驚きだが、それ以上にちゃんと会話できることの方が水地にはびっくりだった。さすがに口は動かない構造らしいので人間がベントリロキズで喋っているような状態であるが、ちゃんと声は出ている。リュウガに負けず劣らずの綺麗な声。機械音声なので綺麗で聞き取りやすいのは当たり前なのかもしれないが。
「あなたがずっと嬉しそうに喋っているので相槌の必要はないと判断し自分の会話機能は停止させていた」
「そんな……」
そんな風に言われてしまったら物凄く恥ずかしい。水地は思わず顔を赤くする。
「あのままあなたが会話を続けていてある程度時間が経ったら私たちの駐屯所の方へ連れて行こうと思っていたが、水の巨人が出現してしまったので計画が無効となってしまった。あなたは出現直後に走っていってしまったので追いつくのが難しかった。私たちオートマータは普段は高速で走らないから」
「な、なんかすみませんでした」
水地も水の巨人が出た時にあのままじっとしていれば、キュアの方でもっと効率の良い対策を立ててくれたのかもしれない。しかし水地にとってはあんな状況で静観しているだけなんて無理な話に違いない。
「じゃあ、オートマータさんがキュアさん?」
その質問にキュアと呼ばれた機械の彼女が首を上下に可動させる。
「彼女の名前はキュアノスプリュネル。フルネームで呼んでもいいけど、でもいざって時に舌を噛んじゃ困るからやっぱりキュアって呼んだほうが良いと思います。そして彼女は機械神副操士」
リュウガが説明する。
「キュアさんも操士だったんですね!?」
リュウガの説明に水地の驚きが続く。
「じゃあわたしの先輩じゃないですか! キュア先輩って呼んでいいですか?」
「どうぞご自由に」
「あともう一人紹介しないと」
興奮気味の水地の気持ちを冷ますようにリュウガがしっとりとした声で言う。
リュウガが後ろに振り返りながら顔を上へと向ける。水地もつられて見上げる。キュアも頭部を上へと可動させた。
そこには鋼鉄の巨神の姿がある。水地がここへ来た理由そのもの。
しかしここから見上げても一体なにがなんだか分からない。60メートルほど上空に拳がぶら下がっているので何とか巨大な人型だと分かるが、元々それすら知らないものが見上げたら、本当にこれが一体何なのか全く分からないだろう。それほど巨大なものだ。
「でも紹介するにしても、この機体の本当の名前はまだ不明なんですけどね」
「ふめい?」
「この機体もこの星に作られた機械神の一機。でも一体何番目に作られたものなのかはまだ分かっていない」
詠うようにリュウガがいう。
「だから今では古い言葉で名も無きという意味のアノニマスと呼ばれています」
「アノニマス……」
それがこの機械神の名前。自分がこれから共に生きていくことになる、機械仕掛けの巨神の名。仮の名前ではあるけれどそれが今の彼の名。
「でもわたしたちは更に縮めてアニィと呼んでますけど」
水地はその愛称を聞いたとき少し笑ってしまった。
「ずいぶんと可愛い名前になっちゃうんですね」
「良く言われます」
リュウガも軽く苦笑しながら答えた。
それで気分が和んだのか、水地もようやく肩の力が抜けてみんなと接せられるような気がしてきた。
「水の巨人ってあんなにもすぐ消えてしまうものなんですか?」
少し緊張感が取れてきた水地が気になっていたことを訊いた。機械神が到着し、そして水地がその場にようやく辿り着いた後、いくらもしない内に水の巨人は消えてしまったように思う。
「今日はちょっと特別みたいですね」
「特別?」
やはりこんなにも早く消えてしまったのは何か特殊な条件があったらしい。
「水の巨人はあなたに挨拶しに来たのかも知れない。遠くから遙々機械神操士になるためにやってきた女の子とは一体どんな娘なのだろうと」
「――え!?」
その特殊な条件とはなんだろうと水地が思っていると、いきなりそんなことを言われた。
「挨拶って……水の巨人には意思があるんですか、ちゃんとした!?」
自分がそんな風に扱われてしまったことより、そっちの方が気になって思わず声が大きくなってしまった。自分が「困っている」と言う気持ちを殆ど感じなかったのもそれが理由だったのだろうか?
「さぁ? どうなんでしょうね?」
リュウガはそう言いながらキュアの方へ少し微笑を見せながら顔を向けた。話を向けられた形になったキュアは特に何もせずそのまま停止している。この二人は何か知っていそうな雰囲気だが、今は語るべきではないのだろう。
「でもこうやって水の巨人が出現してくれたおかげで、このアニィが直接あなたを迎えに来れる機会を作ってくれたのは事実」
確かに水地が到着したこの港町に水の巨人が現れなければ、アノニマスと言う名も無き機械神はここへは来れなかった。そういう意味では本来だったら迎えに来たキュアだけだったはずのここに、機械神も含めた全員が集まれたのは水の巨人のおかげだ。
そういう考え方もあるのか――水地は素直に感心してしまった。
「もしかして二人は結託しているんですか?」
リュウガが機械神の頭部を見上げながら軽く悪戯気味に聞いてみるが、もちろんアニィは答えない。
「そろそろ、帰りますか」
そんなキュア以上に答えてくれないアニィを放っておいて、リュウガが帰還を促した。
「これは二人乗りなんで、あなたはキュアと一緒に使役席の方に乗ってください。わたしが操縦しますから」
リュウガがそう言いながら自分が操縦してきた使役の機械の機首の一部を開いた。そこは彼女が出てきた場所の前部にあたる。
「わたしと一緒だとぎゅうぎゅう詰めになっちゃいますからね、わたし背が大きいので」
リュウガはそう言いながら前部操縦席の方に乗り込んだ。「荷物をくださーい」とリュウガが手を出したので「は、はい」と水地はその長い腕に自分の鞄を預けた。
それに続いてリュウガが先ほど降りてきた方の席へと今度はキュアが入っていく。キュアが頭部だけを出して「早く」と促してきたので「はい!」と水地もそれに続く。
機首の部分に乗って中を覗くと、キュアの座る座席の手前に操縦桿や計器の類が据え付けられているのが見えた。こちらの席でも操縦そのものはできるらしい。しかしそれに比例してやっぱり狭い。ひと一人乗るのがやっと。リュウガと一緒だったならどちらかの体が外にはみ出してしまうかもしれない。
「じゃあ失礼します」
水地は慎重に体を中に入れると、先に席についているキュアの膝――というか太腿の上にお尻を乗せた。
「ハッチを閉めて」
「は、はい」
キュアの指示を聞いて、始めはどうやってこれを閉めるのだろうと思ったが、手の届く位置にレバーがあったのでそれを掴んで引っ張るとハッチが動いた。そのまま完全に閉める。
「……」
そうやって中に落ち着くと、今度はお尻に感じる硬さが気になってきてしまった。
「堅いのは、少し我慢」
「そ、そんなだいじょうぶです!」
水地の気持ちを察してかキュアがそんな風に言うが、実際にキュアの太腿が座るのに適していない硬度であるのは事実。
まぁすぐ到着するだろうからこれくらいは大丈夫と、少し体を支えさせてもらうために、水地はキュアの首の辺りに抱きついた。
「しばらくの間失礼します」
「気にしない」
水地のおことわりの言葉にキュアは彼女らしい返事。
リュウガは軽く後ろを向いてそんな二人の姿に微笑みを見せると、自分もハッチを閉めて正面を向いた。
「じゃあ帰りましょう」
リュウガはそういいながら使役の機械を浮遊させた。使役の機械がしばらく進むと、後ろから轟音が聞こえ始めた。アニィも帰るのだ。そして水地も。
(始めて行くのにそこへ帰っていくというのも、不思議な気持ちだな)
そしてその不思議な気持ちが、水地はなんだか凄く嬉しく感じていた。
「今日からよろしくお願いしますお二人とも、そして」
水地はそう言いながら後ろへ振り返りながら顔を上に向けた。そこにはハッチがあって外は見えないが、その先の更に向こうの遥かな高い場所には後ろをついてくる機械神の頭部があるはずである。
そこへと告げる相手の名を呼ぶ声。
「アニィ」