第一章 まっしろい一歩
高空を一隻の船が飛んでいた。
空飛ぶ船、それを表すようにその艇体中央からは一対の羽が伸びていて、そこにはけたたましい音を永続的に響かせる発動機が左右合わせて6基ある。それだけの重装備が空を飛ぶための力を搾り出している。艇体後部は尻尾状に先細りに伸びて、先端には細かい動きを司る補助翼が左右と上の三方に付いている。
飛行艇と呼ばれる空の船。発動機に直結された6枚のプロペラを回し、航路の終着へとその巨体を急がせていた。
「……」
艇内の窓際の客席の一つに一人の少女が座っている。ずっとへばりつくようにして硝子の外を見ている。それこそ彼女はこの飛行艇が宙に巨体を躍らせた時から、ずっと外を見ていた。
当初は長時間の空の旅で船酔いなども覚悟したが、そんなものを感じている暇すらなかった。目に映る光景全てが新鮮で、ずっと外を見ているだけで時間が経っていた。
少女の故郷である街は情報過密都市と言われるだけあって様々な情報に溢れかえっているけれども、それは知識として入手できる間接的なものでしかない。
情報としては感じられるけど、実際に見た光景にはやっぱりかなわない。
「外の世界って、こんなに凄い場所なんだ」
出発してからもう見飽きるほど見たはずの空と海に向かって、星野水地は改めて呟いた。
「なんか、あっという間に着いちゃったーって感じだなぁ」
飛行艇などの空路にも窓口を開いている港町に水地は降り立った。
自分の目的地はここから更に10キロほど離れた場所にあるので、そちらの方の方角はどっちだとキョロキョロしていると
「あ、うわぁっ、こっから見える!?」
水地はいきなり目的地を見つけてしまった。
遠くの方に人の姿をしたものが見える。
豆粒ぐらいの大きさだが、今いる場所から豆粒ぐらいの大きさで見えるとは、それは実際に目にしたらとてつもない大きさであると言うことである。
「あれが……機械神」
この港町にも時を知らせる鐘楼は立っている。それは見上げるほどの大きさ。町を目指してやってくる者に対する目印にもならなければならないから、港を構えた町などに建てられる鐘楼は一際大きい。大体100メートル近い大きさを持って建設される。そしてここから見えているあれも、多分この町の鐘楼と同じか、それ以上。
「あんなものが動くんだ……」
彼女が生まれ育った街にも様々なものが雑多に存在したが、流石に100メートル前後の動く人型の物体というものは無かった。
水地はいきなりの驚きと興奮を感じながら、町中へと進みだす。
「さぁーて、どうやってあそこまで行こうか」
とりあえず自分が住んでいた街での主要交通機関であった列車と同じようなものが無いかと探してみたが、その手のものが発着する駅のようなものは見つけられず、それでも列車が走るレールを辿れば見つけられると思ったが、鉄で出来た線路自体を発見できなかった。
次に乗り合い車的な走行機械の停留所があればと思ったが、その手の類の地面を自力で走る機械が走っているのすら見ていない。キャタピラを履いた車体の前面にブレードを着けた均土機のようなものは見たが、それが人を乗せて遠くまで運ぶ機械ではないのは判る。
やはりここは馬車みたいな風情のあるもので行くのか――とも思ってみたが、馬もいなければ牛もいない。ラクダもいない。飛馬なんかももちろんいない。
後ろには港があるが目的地は内陸なので船は進んでいけない。乗ってきた飛行艇も海面や湖面がなければ着水できないので、目的地には大きな湖がないのだろう。あれば最初からそこへの到着を指示されたのだろうし。
「やっぱり……徒歩?」
乗り物の類が無い(もしくは見つからない)のであれば歩いていくしかない。目的地がここから10キロと言うことは歩いていくには3、4時間はかかる計算になる。この港町に到着して、太陽が中天に昇ってからだいぶ経つ。乗り物を探すのに結構時間を食ってしまった。ここに到着した時点でそのまま徒歩で向かったならまだ日が昇るうちに着けただろうけど、今から歩いて行ったら到着は夜になる。
「まぁ直ぐに来てとも言われなかったし、ここで一日過ごしても良いよね」
さすがに始めての場所で夜の行動は控えたいので、今日はこの港町で一夜を明かさなくてはならない様子。
「とりあえず一休みしようかな」
細い路地を歩いていた水地は町並みの間にぽっかりと空いたスペースを見つけた。ここはちょっとした広場になっているらしく、そこかしこにベンチが置かれていた。水地は誰も座っていない一つを見つけるとそこの右隅に腰掛けた。
「ふぅ」
鞄を下ろして一息つく。しばらくここで休憩していこうと思う。飛行艇に乗っている時は感じなかったが、やはり長時間空の上で揺られて疲れが溜まっていたらしい。到着直後の乗り物探しも疲れた。だから宿屋探しは少し休憩してから。
「……」
そうやって落ち着いてみると、乗り物を探している最中には気づかなかったこの町の雰囲気を良く見ることができた。
大きな石を加工したり、硬く焼いたレンガを積み上げてこの町の殆どは出来ている。
石造りやレンガ造りの町並みも、自分の故郷ではあまり見かけなかったものだ。地震や台風の多い街なので、この手の積み上げる形の建築方法では居住が無理な場合が多い。しばらくすると災害の影響で崩壊してしまうから。
一体この港町はいつぐらいからここにあるのだろう。出来てから百年――いや、千年ほどは経っているのだろうか。そうやって百年千年単位で町並みが保存されていくのも今まで生きてきた故郷ではあまり無かったことだ。常に新鮮であることと引き換えにして、居住空間においては古き物質の補完は困難な場所。
「……」
そうやって落ち着いて古風な町並みを見ていたら、今度は空腹を感じてきた。
「でもご飯……の前に、今夜の泊まるところだよね」
お腹も空いて来たけれど、とりあえず長旅を考えてビスケットの類は鞄に入れてあるのでなんとか大丈夫。問題は宿泊先だ。いきなり野宿はちょっと辛いぞ。
「……?」
そう水地が今後の行動を考えていると、自分の座っているベンチの反対側の空いているスペースに誰かが座ってきた。
他にも誰も座っていない空いているベンチはいっぱいあるのだが、なぜこのベンチなのだろうと水地は思う。
もしかしてここはお気に入りの場所なんだろうか? だったら邪魔して悪いことをしたな……そんな風に思いながらなんとなく相手の横顔を窺うように見ると――
「!?」
あまりの衝撃に水地は思わず大きく目を見開く。
一目で隣に座ってきた者は女の子であるのは判った。身長的には自分と同じくらいの背丈だと思う。
しかしそれは本当に女の子と呼んでいいのかどうかは判らない。何しろその女の子の表面は硬質な素材で出来ているのだから。
(自動人形だ……始めて見ちゃった)
機械神操士になろうと決めた時から、自分が生まれ育った街の外の情報を知るようになり、その中には少女の形をした人間大の人型機械がいるというのもあって、水地も知識としてはその存在は知っていた。自動人形――オートマータの総称で呼ばれる少女型機械。
しかし情報としては知っていても実際に目にした時の衝撃は計り知れないのは、ここまで旅をして来て感じた通りだ。
横から見た彼女の顔には、瞳の下から顎にかけて一本の線が通っている。ここからだと右側しか見えないが多分両頬にあるはず。髪の毛に関しては髪の毛に似せて造形されたものが髪として乗っている。首から下は服を着ているので良く分からないが、服の裾から出ている手首は顔と髪と同じ素材で出来ているらしいので、体全体が硬質の素材で作られているのは間違いないだろう。
そうやって水地が機械の彼女のことを見ていると、相手が不意に首から上を水地の方に可動させた。
「うわぁっ!?」
硝子で出来た綺麗なブルーの瞳と目が合ってしまった水地は思わず声を上げてしまう。
「ご、ごめんなさいジロジロ見ちゃって!?」
物凄く申し訳なさそうに、水地はぺこぺこと頭を下げる。しかし彼女の方は注視されていたのも声を上げられたのも特に意に介していないのか、何事も無かった様に再び体の正面へと頭部を向けた。自分自身が水地を確認するのは水地の方へ頭部を向けた一瞬で済ませたらしい。
「あの……オートマータ、さんで、良いんですよね?」
彼女の固有名は分からないので総称で呼んでみた。それを聞いて機械の彼女は首を上下に可動させる。こくりと頷いた――のだろう。
「オートマータさんはこの町の人ですか?」
こうして隣になったのも何かの縁だろうと水地は話し始めた。彼女はそれに対して首を左右に可動させる。違う――の意だろう。
「オートマータさんは何かの用事があってこの港町に来たんですか?」
会話は成立するらしいと判断した水地はもう少し彼女と話したいと思い、話を進めた。それに呼応してオートマータの頭部が上下に動く。
「わたしも用事があってここに来たんですよ」
水地はオートマータが話を聞いてくれるような雰囲気であるのを感じると、なんとはなしに話し始めた。
「わたし、機械神の操士になりにここへ来たんです」
水地も同じように顔を前に向け町並みを見る。
「わたしが生まれた街って色々なものがあって、本当はあの街から出ないでも良いくらいなんですよ。実際に8割から9割くらいの人は一生あの街から出ないで生活するらしいですけど」
足元をスッと小さな影が走り去った。何かと思うとそれは猫だった。「やっぱり猫はどこにでもいるんだな」と、自分の故郷にも多くの猫がいたのを思い出して少し郷愁を感じた。
「自分が生まれ育った街。ほんの少しだけ未来を進んでいる世界、そう教えられました」
隣に座った機械の彼女は水地の口から紡がれる言葉を静かに聞いている。機能を停止しているようにも見えるが「聞いている」というのは何となく水地にも分かった。
「その生まれ育った街にいて、その街を動かすために働けば、多分特に不自由の無い生活を送れたのだと思います。でもわたしはどうしても外に飛び出したかったんです」
水地が続ける。聞き手の彼女が全く喋らない――喋る機能が付いていないのかどうなのか不明だが――ので独り言のようになってしまうが、故郷を出てから色々思うことはあっただろう水地は気にせずに吐露を続けていた。
「どうしても機械神操士になりたかった。わたしの生まれた街ではいっぱいの情報があっていっぱいの出来事が起こるけど、でもなぜか水の巨人は現れないし浮き水だって出ないし機械神もいない。だからいくら探しても機械神を操る操士という職業になる方法なんて普通は出てこないし、そもそも機械神も水の巨人もそんなものがいることすら殆どの人が知らない」
遠くの方の人のいないベンチで先ほどの猫が丸くなっていた。まだ日のあるうちに寝ておくつもりなのだろう。
「でもわたしはどうしても機械神操士になりたかった――ううん、水の巨人に逢いたかった……そっちの方が気持ちとしては大きいですね」
水地が空を見上げる。故郷の街は凄く高い位置にあるので、そこから出たら他の場所で見る空は遠くに感じるのかと思ったらそんなことも無かった。やっぱり空はどこで見ても大きくて広い。
「あの時感じた想いをどうしても傍でもう一度感じたかった。そしてあの『困っている』と言う気持ちをどうにかできるのなら、その方法はどこかにないものかと探したかった」
その方法がこの世界に存在するのならば、諦めなければいつか想いは叶う。どこかで誰かが言っていた。そして自分の生まれた街の外には確かに機械神操士になる方法があって、自分はそれを見つけることができた。
「……」
水地がどうやって機械神操士になる方法を見つけられたのかをこれから話そうと思っていた、その時
「……?」
なんだかひんやりとした感触があった。寒気がするというわけでもなく、心地良い冷たさというわけでもない。湿気が急激に増えたような気もするが、故郷の夏場で感じた重くのしかかるような湿り気では無い。それでいて水分が急激に集まっているのを感じる。
気になって丸くなっていた猫を見ると、危険を察知したのか既にベンチの上は空になっていた。何かが近づいている、何かが現れようとしているのは間違いないらしく
「み、水の巨人だ!?」
猫を見習ってどこかに今のうちに非難するか――そう思った水地の耳殻を誰かの叫び声が貫いた。
「水の、巨人……?」
水地も思わずその名を呼ぶ。そして立ち上がりながら辺りを見回すと
「……いた」
町外れの向こうに水の柱が屹立していた。
地面から二本の柱が並んで直立し途中で合わさって太い一本の柱になっていて、更にそれが上に伸びた途中から、横から一本ずつ細い柱が垂れ下がっている。水の巨人。記憶の中にある巨大な姿。
「あの時見たのと同じ……だ」
それは本当に現実に見たのか、夢で見たのか、それとも異世界につながる入口に入ってしまってそこで見てきた光景なのか。今となってはもう思い出せない場所で見た光景。でもその思い出だけはしっかりと心の中に刻み込まれている光景が、今目の前にある。
そして今自分がいるこの世界この瞬間は、現実だ。
鐘楼の鐘が鳴り始めた。危険を知らせている。あれも現実に鳴っている鐘の音。
「まさか機械神操士になる前に水の巨人に遭遇しちゃうなんて」
なんという運命の悪戯なのだろう。いや、機械神操士になろうと思った瞬間から、水の巨人を中心にして回る巡合に取り込まれていたのなら、これは必然で起こった結果なのかも知れない。
「……あ、動いて、る?」
水の巨人が現れたのなら、その相手となる存在も現れる。そして相手となる者も、この場所から見えている。水地は水の巨人がいる町外れの更に向こうに小さく見えていた人の形をしたものを再度確認すると、それが此方に向きを変えたのが分かった。
向きを変えたということは、こちらに向かってくると言うことだ。水の巨人に対峙する者として、その役目を果たすために。
「機械神が、やってくる……」
まだ見習いとしてすら着任していない自分だけれども、もう機械神操士として働く覚悟はできている。だから機械神が水の巨人と対峙するためにやってくるのなら、自分もその場所へ行かなければ。
「オートマータさん!」
水地が機械の彼女に言う。体を重そうに静かに立ち上がらせている途中だったオートマータは頭部を水地の方に向けた。
「また機会があったらお会いしましょう! わたし行かなきゃいけないんでこれで失礼します!」
ずっと話を聞いていてくれた機械の彼女に水地は頭を下げると、鞄を掴んで飛び出した。水の巨人が現れた町外れに続く道を探して走る。
「……」
一人残された機械の彼女は体を完全に立ち上がらせると、彼女もまたどこかへ向かうために歩き出した。