第六章 4
「――ぅく、……く」
高空を使役機が限界ギリギリの速度で飛行している。
「ぐ……」
水地が何とか首を下げて下を見る。
操作台の中央部には電探が据え付けられており、その円形硝子にはずっと光点が二つ映っている。中心に映っているのは自機の使役機、その先に映っているのが目的地の町。
キュアが入力してくれた通りに使役機はある程度自分の力でその機体を目的地へと向けてくれている。だから迷うことは無い。しかし機体の細かい機動は自分の仕事だ。とにかく安定させ、とにかく速く機体を進める。それが今自分に出来る仕事。
高速で飛んでも周りに被害を与えない高度まで達した時、水地は徐々に機体の速度を上げた。
はじまりの場所を見に行った時はいきなり全開に入れてそのまま加重に耐え切れず気を失ってしまったが、今回の飛行では徐々に徐々に、少しずつ調整して操縦桿を押し込んでいた。そして無理だと感じたら一端引き戻す。そう言うことが出来るくらい水地は成長していた。
その意味ではリュウガの同乗により無理が出来たあの時は、確かに彼女の中に大きな経験となって残っていたのである。
「……――」
そして今は最高速を続けている。慣れてきた体が機体限界に追いついた。
しかしあと何時間こうしていれば良いのか。
「……ぅ」
水地が再び下を見る。
町を目指す光点が少しずつ近づいてくるのだけが幸い。
自分は確実に近づいている。もう少し、もう少しの辛抱。
「……」
その町はもうすぐ夕暮れを迎えようとしていた。
何事も無く始まり、何事も無く終わる一日。
その何気ない日々の一つとして終わるはずだったその最後。逢魔が時がそのものを連れて来た。
「……?」
町の住人の一人であるその少女は、オレンジ色に染まるその空の向こうに何か見えたような気がした。
鳥か? と思ったが、気づいた瞬間からそれは徐々に大きさを増していた。空の遠くに微かに音が聞こえる。キィーンと言う何かの発動機が高速で動く音。
「飛行機械?」
こんなところを空飛ぶ機械が飛んでいくとは珍しいなぁと思って見ていると、その機影がかくんと姿勢を崩すのを見た。
「!?」
まるで墜落するかのように急激に高度を落とすその姿を見て、少女は思わず駆け出した。
「たいへん!」
自分が何が出来るか分からないけれど、今気づいたのが自分しかいないのであれば行くしかない。墜落してそのまま爆発してしまったらどうにもならないが、もし乗っていた人が外に投げ出されていたのなら助けてあげなければ。
「――!」
少女が路地や家並みを抜けて町の外に出た瞬間、目線の遠くで大きな音がした。何かがぶつかる音に、何かが地面をこする音。
その飛行機械はほぼ墜落に近い形で町外れへと着陸していた。機体そのものや周りの地面からしゅうしゅうと湯気やら煙が上がっている。
爆破する気配は無い様子。何とか着陸には成功したらしい。
少女がとりあえずの安全を確認すると、操縦席らしき部分が開いて人が顔を出した。
「女の子……――!?」
その女の子が地面に降り立った途端、崩れるように座り込んだので慌てて近づく。
「だいじょうぶ!?」
少女が近づいて目の前にしゃがむと、飛行機械に乗ってきた女の子が力が抜けたようにゆっくりと顔を上げた。あどけない顔。自分と同い歳くらいなのだろうと思う。
「あの町に住んでいる人ですか……」
女の子が喘ぐように口を開いた。
「うん、そうだよ。そんなことよりだいじょうぶ」
「わたし、機械神操士の星野水地と言います……」
心配する少女の言葉を区切るように飛行機械に乗ってきた女の子――水地は自分の名を告げた。
「……操士さん?」
機械神操士と言う仕事はもちろん少女も知っているが、自分と同い年くらいの女の子がそれをやっている事実にやはり驚いた顔を見せる。
「この宛名の人に会いたいのですが……」
その機械神操士の女の子は服の隙間に手を入れると、一通の手紙を取り出した。宛名を見せる。
「それ、私のばあちゃんの名前だ」
見せられた手紙の表面を見て、少女が即答する。
「ほんと、ですか……」
まさかいきなり血縁である者に会えるとは。これで直ぐにでも役目を果たせる。
「今おばあさんはどこに――」
そう思った水地が「――いるんですか?」と続けようと思った水地に少女の言葉が重ねられた。
「死んじゃった、10年前に」
「……え?」
突然なぎ払われた言葉に、水地の心は引き裂かれた。目の前が真っ暗になる。
そんな……これでは役目が永久に果たせない。
一体何のためにここまで無理をして来たのか。これでは使役機をそのまま目的どおりに使って、機械神と共に対峙していれば良かったのではないのか? 今もあの駐屯地の町はどうなっているか分からないのに。
「ばあちゃんは死んじゃったけど、ばあちゃん自身はこの町にいるよ、まだ」
戻るための体力すら削がれた気分だった水地に、そんな言葉がかけられた。
「いる……? まだ?」
「うん」
当惑の水地に少女が告げる。
「もう喋れないし、どこへも行けなくなったけれど、ばあちゃん自身はまだこの街にいる」
少女は立ち上がりながらそう言う。
「行こう、ばあちゃんのところへ」
そして差し出される手。
「……はい」
水地はその手を握ると少女にも力を貸してもらって立ち上がった。
一体なにが行われるのか、一体どこへ連れて行かれるのか。しかしもう、帰還以外の選択肢が見つからない水地は従うしかない。
「肩貸すね」
少し歩くと少女は水地の腕を自分の肩に乗せて支えた。
「その差出人の名前、じいちゃんの名前だね」
水地が持ったままの手紙をちゃんと良く見せてもらった少女が言う。
そういえば差出人と届け先の人物は同じ名字なのを水地も改めて知った。
「私はじいちゃんにはあったことないけど、ずいぶん前に遠い町まで新しくできる町を作りに出かけたまま帰ってこなかったってばあちゃんは言ってた」
「……」
駐屯地としている町の建設中に起こった地震。その揺れの中へ巻き込まれた一人に、この手紙の差出人もいたのだ。水地はそれを思うと言葉が出なかった。
「着いた、ここだよ」
疲労も足されて静かなままの水地を連れた少女は町の中にあるとある場所へと着いた。
囲いを抜けて中に入ると静謐した空気に包まれる。地面には何個もの名前が刻まれた石が埋め込まれていた。
「お墓……」
水地が思わずこの場所の名を言う。
「ばあちゃん、じいちゃんから手紙届いたよ」
少女は宛名に書かれた名前と同じ名が刻まれた墓石の前に来た。10年前にこことは違う場所へと行ってしまった祖母がいる場所。
少女の祖母が今いる場所。生き物としての役目を終えて大地へと帰る場所。そして完全に土の中に溶けて無くなったら、新しくここへやってくる者のために墓石すら外されて、最後には誰も居なくなる場所。人として生まれてきた生き物が最後の居場所とする場所。
少女は姿勢を下げると肩を貸していた水地を下ろした。水地は力尽きたように再び座り込む。少女も両膝を突く姿勢でしゃがんだ。もう汚れてもどうでも良い。
「……」
水地はずっと持っていた手紙を差し出した。墓前に供えればいいのか、少女に渡せばいいのか。もう水地には分からないのでとりあえず出した。
「ばあちゃんの孫として、この手紙を開けさせてもらいます。良いね」
少女は祖母の墓石にそう告げると、次に水地の方を見た。
「はい」
水地も配達してきた者としての役目を果たすために、見届け人として頷いた。水地の手から少女の手へと手紙が渡る。
少女が封筒上部の封を破く。中には折りたたまれた便箋が一通。少女は空になった封筒を膝の上に載せると便箋を開いた。
「じゃあ私が代わりに読むから良く聞いてるんだよ、ばあちゃん」
少女はそう言うと、手紙を読み始めた。
「――前略
今まで恥ずかしくて手紙など書く気にもなれなかったけれど、この前子供が生まれたと伝えられ手紙ぐらいは出さないとと思い筆を取りました。
生まれたのは娘なんだってね。おめでとう、そしてお疲れさま。
僕はその子が生まれる瞬間には立ち会えなかったけれど、いつでも君の側には、気持ちだけはいたつもりです。信用してくれませんか。でもずいぶんと君の下から離れたままだからね、それも仕方ないか。
でも僕がいなくても、どんな時も一人では無いんだと、そう思って欲しい。
そして君も、気持ちだけは僕の側にずっといる、そう思っていて欲しい。君が故郷の地でそう思い続けていてくれるのならば、僕はいつまでも遠く離れた場所でも元気に仕事が出来るから。
何かたくさん伝えたいことはあったと思うけれど、元々文才が無いので、上手く文字にできないのを許して欲しい。
もう直ぐまとまった休みが取れる予定だ。その時は娘の顔を見に帰るつもりだ。もちろん君の顔もな。
それでは、元気で――」
遠くで働く夫が、愛する妻とまだ見ぬ娘のために贈った言葉。
何の飾り気もない、それでいて家族に対する気恥ずかしさの詰った、心のこもった言葉の愛。
「……ぐす」
隣で聞いていた水地は大粒の涙を零していた。顔をべしょべしょにしながらそれを聞いていた。
「……じいちゃん、お手紙ありがとう。大丈夫だよ、ばあちゃんはじいちゃんのこと、ずっと想ってたよ。それはばあちゃんが死ぬ時までずっと一緒にいた私が保証する。だから、安心して」
読み終えた少女が、夫からの便りをずっと待っていた妻の気持ちを伝えていた。少女も泣いていた。
「ばあちゃん、『うちのおじいちゃんは、ほんっと手紙の一通もよこさないで勝手に居なくなっていきやがった』っていっつも嘆いていたけど、ちゃんと一つだけ書いてたんだね。届くのがちょっと五十年ほど遅くなっちゃったけどさ」
そして、まるで本当に祖母がそこにいるように語りかけている。
「でも、じいちゃんはちゃんと出してたんだから、天国でもしじいちゃんに再会できたら、じいちゃんのことは許してあげてね」
彼女は丁寧に手紙を折りたたんで再び封筒に収めると、泣いたままの水地の方を向く。
「うちのじいちゃん、遠くに行ったまま帰って来れなかったけど、あなたのおかげで、ばあちゃんに対する想いだけは帰って来れた」
少女もまた、止まらない涙を拭いながらそう言う。
「ありがとう、操士のミズチさん。うちのじいちゃんの想いを、ここまで運んできてくれて」
水地はその言葉に首を横に振る。
「わたしもおじいさんの気持ちをちゃんと奥さんに届けられたお手伝いが出来て、わたしの方こそ、ありがとうです」
そう、こんなにも綺麗な気持ちに触れることができた。水地も本当に心の底から感謝したい気持ちだ。
「私、こんなに泣いたの始めてかも。涙が、止まんない」
「わたしも……止まらないです」
二人はどちらかともなく近づくと、お互いの体を抱きしめあってお互いを涙で濡らした。




