第六章 3
駐屯地そのものに水の巨人が現れる。
それは今まで無かったことだ。
水の巨人が現れそうな場所のちょうど中間の地域に駐屯地は決定されるので、今まで駐屯地そのものに水の巨人が現れることは無かったのだ。
だから町の住人も安心して機械神を受け入れてきたのだが、その安心が壊れる日が訪れてしまった。
「……」
リュウガは椅子から立ち上がるとそのまま窓際まで向かって窓を開き、何の前触れもなく外へと飛び降りた。
「えっ!?」
自分も急ごうと椅子から立った水地は思いっきり声を上げてしまう。
「驚いている場合ではない」
突然のリュウガの行動に驚きを隠せない水地を、キュアもゆっくりと椅子から立ち上がりながら冷静に制す。
「リュウガはああした方が使役機に早く乗れると判断したまでだ。お前は階段で良いから急げ! リュウガに続け!」
「……わたし、ですか?」
本来ならば副操士であるキュアが同乗するのだが、なぜ見習いの水地に出番が回ってくるのか。
「私が走っては周りに与える被害が大きい。今は一刻を争う。だからお前が乗れ、急げ!」
機械神が駐屯する町そのものに水の巨人が現れた。対峙する者がいる場所そのものに現れたのならば、遠くから接近して対処すると言う通常の用法が無効になっている。いったいこの状態からどうすれば良いのか。とにかく急いで機械神をまずは起動しなければならないのは確かだ。その為には動きの遅い自分はこの局面では足手まといだとキュアは自己判断する。無理に急いで床などを踏み抜いては二次災害を起こすだけだ。
「は、はい!」
水地もキュアの真意を悟り部屋を飛び出して階段を駆け下りた。あっという間に見えなくなった小さい背中。
「頼むぞ」
キュアも通常の歩行速度なりに急ぎ、二人の後を追う。手紙を持ったまま。
「リュウガさん!」
階段を飛び降りる勢いで駆けてきた水地は使役機の方へ急ぐ。
一足先に後部座席に乗り込んでいたリュウガの手により既に暖機はすまされていた。直ぐにでも飛べる状態。
「ミズチ?」
飛び乗るようにして機首に上がりそのままハッチを開いて中に潜り込んだ水地を見て、リュウガが軽く驚きの顔を見せる。
「キュア先輩が自分が走っちゃ被害が大きいからわたしに行けと!」
要点だけの水地の言葉では説明不足ではあるが、キュアとは長い時間を過ごしているリュウガは、彼女がこの状況では自分の自重が不測の事態を起こしかねないと水地に行かせたのを理解した。
「了解ですミズチ、使役機を出して」
キュアが任せたのならば自分も彼女に任せるだけだ。水地はそれに値するだけの成長を見せているはずだから。
「はい!」
水地はいつでも飛べる状態となっていた使役機の下部台車との接合をまずは解除した。本来なら台車に乗ったまま格納庫から外に出すのだが、今は地面を走っているその時間も惜しい。
台車から外れた使役機はほんの少しだけ機体を浮かせて前に進みだした。機体上部が天井に擦りそうになるが、今日まで多くの練習を重ねてきた水地は機体を傷つけることなく外へと出した。水地の操縦技術はもうそこまで上がっていたのだ。だからこそキュアも彼女を行かせたのだろう。
完全に格納庫外へと出た使役機はそこで改めて飛行形態へと変形し機械神の下へと向かう。
「――!?」
空に舞い上がりアニィの肩口の辺りに一旦浮遊して状況を確認しようと思った時、水地とリュウガはその光景を見た。
アニィは既に対峙している。
アニィの全高の五倍くらいの位置に、水の巨人がいる。
いや、この状況を正確に表すならば、水の巨人は既に機械神と対峙している。
アニィは全く動いていない。まるで向こうの方から機械神へと対峙しに来たように。
「――今日はなんだか普通の状態じゃない」
リュウガが思わずそう呟く。
「……」
後部座席からの声を聞く水地は無言。リュウガよりも遥かに経験の浅い自分では言葉すら出てこない。とりあえず定位置ともいえる機械神の右膝斜め前に使役機を下ろし、浮遊形態へと変形させるのが今の水地にできる精一杯。
「リュウガ」
いつの間にか使役機の下へと到着していたキュアが主任操士に声をかけた。
「私もここへ到着するまでに色々な判断を考慮してみたのだが」
キュアもいきなり機械神の目の前に現れた水の巨人を見上げながら言う。
「今回水の巨人が現れたのには明確な理由があるように思う」
(……明確な理由?)
キュアの話を聞いていた水地は同じ言葉を頭の中で繰り返す。
水の巨人がこの世界に現れること自体は、水の巨人自身では制御できない。一番始めに現れた自動人形はそう語った。
自分の力では出現すら制御できない筈なのに、今は明確な理由がある?
「この手紙に込められた想いが、強烈な気候の歪みを今まさに起こしているのではないだろうか。そして水の巨人はその歪みに反応して現れた。私に内蔵された感覚器ではそのように感じられる」
現代の時代を生きる自動人形の一体は、その謎に対しそんな答えを告げた。
機械であるから正確に判断し、そして人と同じ心を持つ落ちてきた者である彼女がそう判断したのだ。確度は高いし、ほぼ間違いは無いのだろう。
「そ、そんな……じゃあどうすれば」
「届けるんです」
今まで黙っていたリュウガが口を開いた。
「この手紙を、一刻も早く」
この手紙に込められた想いを解き放たなければいけないのであれば、それが唯一の方法。
「もし、機械神が対峙する以外に水の巨人を消す方法があるのならば、それをなすべき」
リュウガが静かにそう告げる。
手紙とはそこに書かれた言葉を伝え、文字として刻まれた想いを運ぶもの。
ここで発見されたこの手紙に込められた役目が果たせず、それが元となって歪みが生じているのならばその役目を果たせればこの手紙が発生源となってる歪みは、多分消える。そして歪みが消えたのならばそれに誘われて現れてしまった水の巨人も消えるかもしれない。
(……いつまでも、機械神に頼っていてはいけない)
最初の自動人形が姿を消す前に残した最後の言葉。リュウガから教えられた言葉を水地は心の中で繰り返した。
ならば、機械神が対峙する以外に水の巨人を消す方法があるのであれば、それは――
「キュア」
リュウガは後部座席の上部ハッチを開くと下で待機する副操士へと声をかけた。
「ああ、心得ている」
キュアはそう言いながら前部座席の方を見る。
「ミズチ、使役機を一旦着陸させてくれ」
「……あ、――は、はい!」
これから一体なにを行い、そしてその為に何の準備をしなければならないのか全く分からない水地は、キュアの指示を受けて再び飛行形態へと可変させると使役機を地上へ降ろした。
キュアは着陸した使役機に体を重そうによじ登らせ、水地がハッチを開くのももどかしように自分で開いて中に上半身を潜り込ませた。
「……」
水地はキュアの硬質な胸がいきなり覆いかぶさってきて少しびっくりしたが、体をちぢ込ませて彼女の作業の邪魔にならないようにする。キュアは水地の体の上から操縦装置の釦群を使って何事かの情報を機体へ入れている。
「この手紙の届け先の位置は入力した。舵取りはこの使役機そのものがやってくれる。空の上で迷うことはない。後はお前がとにかく早く飛ばし、高速飛行中の機体を安定させ一刻も早く目的地に辿り着くだけだ」
「お前って……わたしが?」
その言葉に当惑する水地の後ろでは、リュウガが既に機外に出ていてハッチを閉めて飛び降りた処だった。キュアもそれを確認すると再び重い体をゆっくりと地面に下ろした。
「水地、その使役機を使い、手紙を届けてきてください」
機首の右横に来たリュウガが言う。
「でもこの使役機が無くなったら機械神は!?」
「だいじょうぶ」
水地の叫びをリュウガ静かに優しく制す。
「機械神も、そして水の巨人も、悪さをするためにいるわけじゃない。なしえたいと言う強い想いがあれば、かならず力を貸してくれます、両方とも」
「……」
「それに私たちは二人とも重いからな。どちらか乗っていては重しになるだけだ」
まだ躊躇を見せる水地にキュアが言う。
「……わたしは150キロもないですよ」
「だが、その半分はあるだろう」
二人の残る理由は他にもある。主任操士と副操士が残って使役機なしでもこの状況を乗り越える。そしてそんな状況では操士としては経験の浅い見習いがいてもどうにもならない。しかし、だからこその水地に与えられた役目。そして多分――水地しかできない役目。機械神操士になろうと遥々遠い地からここまでやってきた、新しい風の彼女だからこその役目。
「……わたし……行ってきます!」
もうやるしかない。水地も水地で覚悟を決めた。新しい風が本当の風になって想いを運ぶ。
「新型使役機の速力なら半日――いや、限界まで速度が出せれば更にその半分で着ける距離だ。今はこの機体とお前の速さに懸ける」
速力を重視して試作されたこの機体。その力を出し切れば目的地に速く到着できる。
そして速く速く飛ぼうとする水地の気持ち。この二つが重なればなんとかなるかもしれない。
「でもね、ミズチ」
しかしキュアの言葉に付け加えるように、リュウガが言う。
「一番してはいけないことは、水地が無理をしてこの世界からいなくなってしまうことです」
命を懸けたとしても、その結果が残された人々を悲しませる結果にしかならないのであれば、もっと他の手段を考えなければならない。誰もいなくならない結果を。全ての物が無事に終わり、変わらない明日を迎える。それが一番のなすべきこと。
その言葉にキュアも頭部を小さく上下に可動させた。的確に情報を伝えようとする彼女も、心の奥では同じ気持ちだ。
「――はい」
キュアと、そしてリュウガに向かって、水地は強く頷く。
「リュウガ、これを渡してくれ。私の腕では長さが届かん」
キュアがそう言いながら持ったままだった手紙をリュウガに差し出す。
「さっき入力していた時に渡せば良かったのに」
そう言いながらリュウガはそれを受け取る。
「すっかり忘れていた。私も製造されてから大分経つからな。リュウガに似てきた」
「お互い随分と長く生きすぎましたね」
リュウガはそう言いながら「ミズチ」と、上に声をかける。「はい!」と呼ばれた水地が改めて顔を出す。
「頼みました」
長い腕を伸ばしそれでも少し足らなかったので背伸びをして、それを水地の下へと届ける。
「……はい」
水地も前部座席から上半身を乗り出すようにして腕を伸ばしてそれを受け取った。渡された手紙から伝わってくる二人の想い。
「……」
水地は座席に戻ると服の釦を少し外して胸の奥へと手紙を仕舞った。服の上から軽く触れその存在を再度確かめると、上部ハッチを閉めた。
「――行ってきます!」
水地が操縦管を引き、機体を浮遊させる。
「……あ」
機体が上昇する一瞬、機械神の踵部分に設置されているあのポストが目に入った。あの中へこの手紙を入れたならば、集配を担当する自動人形は己の全力を懸けて届けに行くだろう。これはそれだけの想いの詰まったもの。
でも今は、それを、自分が、全力で。
「……うん」
使役機は二体の巨人の周りを一周旋回して機体を目標の方向へ機首を向けると、そのままの勢いで飛び出した。
(行ってきますアニィ――そして、水の巨人)
最後に対峙し続ける者たちに別れを告げると水地は使役機の速力を上げた。




