第四章 2
翌日。
「……確かに、高いところではあるけれど」
旧使役機の前部座席の中に水地の姿はあった。既に台車からも外れて一旦地面に着地している状態。水地は上部ハッチも閉めているのでいつでも飛行可能である。
そう、これが高い所に行くための準備なのだ。しかしこの使役機に乗ったまま空から見るという訳ではない。
『アニィの頭の横に大きな六角形の部品がついてますよね、そこに登って見ます』
昨日の夕食後のコーヒーを飲んでいる時間にリュウガにそう告げられて、水地は口の中に含んでいたものを思いっきり吹き出してしまっていた。
まさかアニィに登って見るとは夢にも思わなかった。確かに機械神アニィは高い場所だ。何しろこの町の鐘楼よりも高いのだから。
そんな理由なので今使役機に乗って待機しているのは、アニィの頭部まで移動するためなのだ。
「準備は出来たか?」
そう言いながら後部座席に乗ってきたのはキュアだった。とりあえず使役機は二人乗りなのでこれで定員である。リュウガは新型使役機で一人で行くのかと思っていると、主任操士は水地とキュアが座席に収まっている機体の上にひょいっと飛び乗り上部に上がってしまった。
「よし、出発だ」
準備完了だと後部座席からキュアが声をかけるが
「ちょちょちょまってください!? 運転するのわたしですよね!?」
余りのことに操縦を思わず運転と言ってしまう水地。
「この使役機は二人乗りだ。三人目が乗ろうというのなら上に乗るかどこかに掴まるしかあるまい」
「たしかにそうですけど!?」
常識的に考えてある程度の高空を飛ぶ飛行機械にそんな乗り方はしない。しかしこの二人には常識と言うものがあまり通じないのも水地はこの駐屯所にやって来てから随分と学んだ。
「でもわたしが始めてここにやって来た時は三人で操縦席に乗ったじゃないですか!? また今回もキュア先輩の膝の上に乗せてください!?」」
「お前は私の脚部は固くて渋い顔をしていたじゃないか?」
「今はそういう問題じゃないです!」
「まぁちょっと飛んでアニィの上に降りるだけだから、ぎゅうぎゅう詰めになるよりは良いだろう」
「わたしがよくないです!」
「今ここでお前が背面飛行を披露しても、リュウガはどこかに掴まったままで落ちることは無いと思うが」
「そうかもしれませんけど!?」
こんなところで機体をひっくり返したら自分の方が目を回してしまうのではないかと思う水地である。
「早くしないと機械使徒が来ちゃいますよーっ?」
そうしてキュアと言い合いをしていると、機外からリュウガの促す声も聞こえてきた。
「……はい」
その声を聞いて「もうしょうがない」と、半ば諦めの境地で半分は気合を入れて水地は操縦桿を動かした。軽い震動の後に使役機がふわりと浮かび、ゆっくりとそのまま上昇していく。
水地の操縦ではこのように垂直上昇中はまだ機体が左右のどちらかに傾いでしまうが、それでは上に乗っているリュウガが転げ落ちてしまうのでないかと、細心の注意をはらって機体を浮かせる。
そうやって冷や汗をかきながら使役機をアニィの頭部の更に上まで上昇させると、機体を下ろすべき場所を確認した。
アニィの後頭部の更に後ろには背嚢部分の上部に小さな甲板状の部分がある。今朝使役機の搭乗前にそこに下ろすようにと予め説明を受けていた。
「失礼しますねアニィ」
一応そう言って声をかけると、水地はそこに使役機を下ろした。降着したのを確認すると水地は浮遊用の操縦桿を元に戻す。ゆっくりと発動機の音が静まっていき機体が静止する。
「ふぅ」
水地が手の甲で額の汗を拭う仕草をする。別に大げさな仕草でもなく、本当に汗が吹き出した。手の甲にべっとりとついている。
「大分上手くなったな」
水地が見せた腕に後ろから声がかかる。
「はい、毎日お二人が練習に付き合ってくれるおかげです」
と言いつつも、機外にリュウガが生身を晒して乗っていたのには、たまらなく緊張した水地である。いざとなればキュアが操縦を助けてくれるのだろうが怖いものは怖い。これも水地に操縦の際の度胸を着けさせるための一環だろうが。普段は優しいのだがこういう場面では素で鬼のように厳しいのが、この二人の先達の特長である。
先に下りたキュアに続いて水地も機体から降りる。
「わっ」
少し飛び降り気味で機体から出ると着地の時に姿勢を崩してしまった。
「気をつけて」
水地が機体から降りるのに体制を崩すのを予め分っていたのかどうか不明だが、たまたまそこにいたリュウガが体を支えた。
「すみませんリュウガさん」
「うん、気をつけて」
リュウガは完全に水地が姿勢を直すのを確認するまで彼女の体を支えていた。そして大丈夫だと知ると体を離し、先に進んでいるキュアの後を追って、アニィの後頭部甲板から前の方――頭部の方に向かって進みだした。アニィの胸部から上の頭部周辺も平屋の民家ほどの大きさがある。各所に付けられたタラップや梯子を使って二人は進んでいく。
水地も遅れないように着いていこうとする。
(なんでリュウガさんは気をつけてを二回も言ったんだろう?)
今日は随分と心配してくれんだなと思いながら、二人と同じように近くの梯子を掴んで一歩目を登った時
(――って、あ)
そこで改めて水地は気づいた。自分が居るのはとんでもなく高所であると。
使役機に乗って甲板に着地するまで気づかなかったが、ここは機械神アニィの頭部の更に上なのである。思わず強く吹いた風に水地は足を震わせた。
「ま、まってくださいっ!?」
水地が慌てるようにして二人に追いつく。この辺りはまだ入り組んだ構造なので周りが囲まれているから良いが、先を進む二人は更に上部の開けた場所まで進んでいる。
「あ、あんなとこまでいくんですか……」
それを見て泣きたくなってきた水地である。
「……この顔の両側についている大きな部品は何ですか?」
ようやく二人に追いついた水地が、何とか怖さを紛らわそうと、今自分が登ってきた物の正体を訊く。
「これは排炎器と呼ばれる部品です」
水地の質問に前を進むリュウガが答えた。
「はいえんき……?」
リュウガが説明する。
機械神の頭部の両側には六角柱を横倒しした部品が据えつけられている。
これは終鐘戦役時にエンドベルと対峙した時、そこから発せられる凄まじい熱をここから吸引して緩和させるための排炎器と呼ばれる部品であり、前面の六角形の開口部分から高熱を吸収する。そして腹部の部分にも同じような六角の部品があり、この三箇所を吸炎口と呼ぶ。
取り込んだ高熱は機械神の体内で防御磁場を作り出すための力へと変換され、それでも余った高熱は頭部両脇の吸炎口の後ろにある長方形の開口部から猛烈な炎となって吐き出される。この上部開口部を排炎口と呼ぶ。
エンドベルは辺りをすべて発火させる灼熱を常に発していたとされていて、その力を封じ込めるために逆に相手の力を利用して防御磁場を作り出し、その領域の中で機械神は戦っていた。
「……そんなすごい装備なんですね」
ちょうど排炎口の縁の脇を恐る恐る歩きながら水地が言う。排炎口のある排炎器の更に横にはまだ機械神の肩があるので機体の一番の端では無いのだが、それでも怖いものは怖い。時折吹く強い風にあおられて体の姿勢が崩れるのを、縁の部分に掴まって必死に耐える。
「……」
水地はそれでも少し興味本位で首を伸ばして覗いてみると、魚を飼育する生け簀くらいの大きな長方形の窪みの奥に、何層にも重ねられた開口部があって一番底は蓋のような物が被さっていた。機械神の一番上部の部分なので日の光が当たって中も良く見えるが、水地にとってはなんだか良く分からない機械の塊でしかない。
ここからその排気の炎が噴出したらわたしなんか消し炭どころか一瞬にして何も無くなってしまうのだろうなと思いながら、先を進む二人に続く。
前部吸炎口と上部排炎口の間には何も無い平たい部分がある。リュウガは当初からこの場所を見学席と決めていたようで「よいしょ」と腰を下ろした。先を進んでいたキュアは既にその場に腰を落ち着けていた。
「……あ、あの」
排炎口の縁に掴まったまま腰が引けている水地が申し訳なさそうな声で言う。
「こっから先に進めません……」
半分涙声で窮状を訴える。
前部吸炎口の縁の部分が少し上に出っ張っているので、そこが柵代わりになっていて少しは安心できるが、両側には何も無い。良くこんな所に平然と座っていられるなと水地は思う。
「やはりお前はそこまでが限界か」
頭部を水地の方に可動させながらキュアが言う。
「ここで限界でじゅうぶんっす……」
思わず後輩口調になってしまう水地。
「ミズチ」
自分はこのままここに掴まったままで良いと思っていた水地に主任操士から声がかけられた。
「わたしの体に掴まっていいですよ」
そういって水地の方に手を差し出すリュウガ。
「い、いいんですか!?」
水地が足が吊って溺れている時に命綱を投げてもらったような声を出す。
水地はかなり情けないへっぴり腰のまま四つんばいになると、正に命綱なリュウガの手まで這って行く。決死の思いでその手を掴むと、リュウガは水地の体を引っ張り込むようにして、キュアと自分の間に招き入れた。それは二人の間に置いて柵が無くても怖くないようにと先達のさりげない優しさなのだが、水地はそれにも全く気づかない様子で、リュウガの腰へとしっかり抱きついた。
「ほら、そんなに下の方に抱きついていたらこれからやって来る機械使徒が見えないですよ?」
「……は、はい」
しばらくそうやっていて少し落ち着いたのか、水地はリュウガに抱きつく部分を少し上の方にして、自分も上半身を立てるようにした。それでも腕ではなく胴の部分に抱きついたままなのが水地の怖さを現している。リュウガはくすぐったいのか少し苦笑気味である。
「私もそれだけの熱い抱擁を受けてみたいものだな」
それを見たキュアが半ばあきれた声で言う。
「わたし、手を伸ばしてくれたのがキュア先輩でも同じくらい抱きついていたと思います」
藁をも縋る思いなのだ。相手がキュアであっても全く同じ勢いで抱きついていたに違いない。
「私は硬いから抱きつき心地は良くないぞ?」
「それでも良いです! その時はヒビぐらい入れます!」
それを聞いてリュウガは思わず笑ってしまった。キュアも固定された表情の下で笑っているに違いない。水地は結構な勢いで打ち込みをこなす女の子なのだ。相手がキュアだったならその胸郭に本当にヒビを入れるくらいの勢いで抱きついていたに違いない。
「……」
水地も自分でも何を言っているのか良く分からない発言のおかげか、ようやく周りの状況を見れるだけの余裕が出てきた。キュアが座る方の更に先を見ると、アニィの頭頂部が少しだけ見えているのが分った。多分全部見えていても、余りにも大きすぎてその全容は上手く把握できないだろう。
水地も使役機に乗って遠くから同じ高さで見てもいるのでその形状は把握しているが、人の様でもあり蛇のようにも見える不思議な意匠である。
アニィの頭部の大きさだけで、以前まで住んでいた実家くらいの大きさがあると水地は思う。そしてそんな大きな頭のてっぺんだけを見ている。言い方を変えれば上から見下ろしているとも取れる。変な気分だ。いつもは下から見上げても殆ど見えないと言うのに。
「――来たな」
遠くを確認していたキュアが突然告げた。リュウガがキュアが見ていた方に顔を向け、黙考していた水地も同じようにその方向を見る。
東の方角の地面から、土煙が上がっているのが見えた。




