1/5
はじまり
序章部分になります
「結婚するから」
久々に鳴った携帯電話の向こうから、戸惑いがちな声がそう言った。
数年ぶりにかかってきた、母からの電話。
「そう」
それだけを返した。他に言葉はみつからなかった。
「今、どこにいるの」
「同じよ。前言ったでしょ、あの住所と同じ」
「……そう」
沈黙が落ちる。静かな息遣いだけが電話越しに聞こえる。
「……帰ってこない?」
躊躇いながら、母はそう投げかけてきた。散々迷ったような、そんな気配が感じられた。
「たまにはご飯でも食べに帰ってこない? お盆も近いし……」
「無理よ、休めない」
勢い込んで話す言葉を、突っぱねる。
「あ、ええ、そうね……なら、休みが取れたら」
母の声が落胆の響きを帯びる。
罪悪感に、ちくりと胸が痛んだ。
「いつでも帰ってきて。連絡くれたら近くまで迎えにいくから」
ふと目を上げると、少し開いた窓が目に入った。夏のぬるい風に翻る、薄手のカーテン。その先に広がる青空を透かし見て、
「……とれたらね」
言って、電話を切った。
「言い忘れたな」
おめでとう。
その言葉が、出てこなかった。