世界七不思議っ子は、今日も魔空間に迷い込んでいました。
「フォルト、フォルト、フォールトー!」
「……そんなにまくし立てなくても良いのに……」
審判台から下界を見下ろすと、へなちょこ弾道の勢いの無さが見て取れる。テニス歴が浅いことは考慮しても、自由落下と大差ない。
裕樹が入っているテニスサークルは、過疎の集落より人口密度が低い。幽霊が名を連ね、まともに活動しているのはサークル長を(居眠りしている間に押し付けられた)裕樹と、気勢だけは一人前の歩美だけだ。
限界集落サークルの利点としては、コート一面を占有できることだろうか。絶望的にテニス支持者が入学しなかった世代であるので、邪魔は入らない。
「……もう十本、いくよー!」
「宣言はいいから、早く入れろー!」
大学のサークル見学で知り合った歩美は、全くの初心者。振り抜いたラケットが彼方へ舞うくらいには、ダイヤの原石の原石であった。一か月という月日が経ち、ようやく『練習』というスタートラインに立っている。
このサークルに、まともな経験者はいない。春先にテニスへ打ち込んでいた上回生は、煙となって消えてしまったのだ。風の噂で『テニスサークル』の名を冠した飲み会ばかり催していると聞いたが、スポーツには目もくれないらしい。
ラケットを天空に突き刺す歩美のサーブフォームは、世界のトッププロを転写した出来栄えだ。繰り出される球の速度が月とすっぽんになる訳が分からない。
袖の短い、桃単色のユニフォーム。申し訳程度に、大学のロゴが胸ポケットに刻まれている。薄いグレーの短パンは、見栄え点を狙っていない。根っからのスポ魂女子である。
歩美(と裕樹)だけが、テニスサークルの面目を保っていた。
『テニスサークル』と名乗ると、漏れなく怠惰な第一印象を抱かれる。友達作りにおいて、マイナスから始まるのは痛い。
それでも脱退が脳をよぎらないのは、歩美の成長記録が微笑ましいからだった。
……飲み込みが早すぎて、追いつかないんだよ……。
手出しのボールに掠りもしなかった歩美が、一か月でお手本のスイングを出来るようになった。打球は力なくお辞儀してしまうのだが、サーブ以外ならコートに入る。……サーブが一向に入る気配を見せないのは、七不思議の一つである。
歩美のラケットが、空中に置かれたボールの斜め上を擦った。前方への推進力を受け取ったボールは、空気抵抗と争って山なりの軌道を描く。
ボールの回転は、知識の薄い裕樹にも肉眼で捉えられた。軸が揺れることなく、地球が自転するように正確な時を刻んでいた。
「……ああ、もう……。さっきの、絶対入ったと思ったのに……」
歩美の地団駄に、頭を殴られた。スロー映像に裕樹が見惚れている間に、彼女のサーブはネットに捕らえられていたのだ。
……なんで、完璧なサーブからゴミのような打球になるんだよ……。
からかう言葉も喉にこみ上げてこない。フォロースルーまでは動画内で躍動するサーバーと寸分たりとも狂いが無いのだが、実演される軌道はいつも失速してしまう。
「……裕樹くーん、今の完璧だったよね? 入ったよね?」
「サッカーじゃないんだよ……」
彼女は、飛び込む競技を間違えている。ネットに吸い込まれる事は、本来球技の一瞬にとって名シーンとなることが多い。……テニスを除いて。
それでも、裕樹は歩美の軌跡を見届けたい。
呪いに縛られて成果が得られなくとも、彼女はレベル上げをして戻ってくる。一昼夜で歯が立たない敵であっても、目から闘志の炎が消えることがない。
今の歩美も、そうだ。
「これ終わったら、球拾いだよー! 座ってばっかりじゃ、運動不足になっちゃうぞー?」
「言われなくても」
入学式で眺め通した桜も散り散り、新緑へと生え変わる季節。同色で目立たなかった歩美のピンクも、くっきりと縁立ってきた。
彼女は、休憩も挟まずにサーブを打ち込み続ける。見学会の茶色がかった長髪は、汗が吹き飛ぶサッパリした短髪に代わっていた。
ーーー遅れながらにして、裕樹の青春が始まっていた。