第2話 偶然の出会い
アシュラが瞼を開くと目に飛び込んできたのは真っ白な天井だ。
次に視線だけを素早く動かして現状把握を行えば、周りは薄いカーテンによって囲い込まれており、自分がいる場所も外がどうなっているかも全く分からない。
だが、身体に巻かれた包帯と着せられた病衣、清潔なベッドに寝かされていることから治療中である事は理解した。
「ここは……何処だ」
目に入った情報だけで判断すれば寝かされている場所は病室の様にしか見えない。
だがアシュラには自力で治療施設や病院に入った記憶は一切なく、それは意識を失う前の記憶も同じである。
ならば、考えらえるのは漂流中であった自分を第三者が発見して治療を施したのだろう。
それだけ判断出来ればアシュラには十分だ。
一先ずアシュラは上体を起こして身体の感触を確かめる。
腕を伸ばし、手を握り、回す動作を行えば僅かな痛みを感じるだけで動かすには問題はなく、それは下半身も同じである。
救助された後に適切な治療を受けられた事も大きいだろうが、アシュラは自分の悪運が尽きていない事に感心した。
「……さて、どうする」
問題は此処からである。
身体問題無い事を確認した以上、何時までもベッドに寝ている訳にもいかない。
しかし、治療中である自分が勝手に動き回るのは治療を行った主治医としては困るのではないかとアシュラは考えたのだ。
だが、アシュラの悩みはカーテンを開いて現れた相棒の姿を見た事で直ぐに解決した。
「アシュラ、目を覚ましたようだな」
アシュラの視線の先にいるのは、宙に浮かぶ長方形の物体に二本の簡易的な機械椀が付けられた随伴型の小型支援機体。
宇宙一般に広く普及している機体であり、本来であれば親しみを持てるように女性の声が聞こえて来るのか通常の仕様である。
だが、アシュラの相棒であるナラクが操作する機体から聞こえて来るのはしゃがれた老人の声である。
同じシリーズの小型支援機体を持つ他の使用者からすれば違和感がある声だろうが、アシュラは慣れたものである。
寧ろ、ナラクが女性の声を発したらパーソナルデータの何処かに異常が発生したかと疑う程だ。
「ナラク、此処は何処だ? お前が警戒していない事から安全だとは分かるが、場所を教えてくれ」
「まず、前提として此処は敵地ではなく<サセスタコロニー>に向かう輸送船の中だ。漂流中であった儂らは機体ごと回収され、お前は直ぐに治療を受けた」
「そうか、運は尽きていなかったようだな
ナラクによって安全だと保障されたアシュラは無意識の内に入れていた力を抜いた。
可能性が低いとしてもアシュラの頭の片隅では宙賊に捕まった場合も想定していたのだ。
だが、仮に宙賊に捕まり、拠点に連行されたのであれば、これ程手厚く治療される事はないだろう。
それどころか、どうすれば後悔と苦痛を最大限に与えながら怨敵が悶え苦しみ続けるかに頭を悩ませる連中なのだから。
「ああ、漸く目を覚ましたのかい」
そんな物騒な事をアシュラが考えていると、ナラクの後ろから白衣を着た主治医らしき女性が現れた。
その姿は、病院でよく見る医者の姿と何ら変わりはない女医ではあるが、頭上から生えた二本の角がアシュラの判断を狂わせた。
「お前が寝ている間に面倒を見てくれた先生だ」
「ありがとうございます。お陰で九死に一生を得ることが出来ました」
「いいのよ。広い宇宙で助け合いは必然よ」
アシュラに気安く返事を返した女医は長い銀髪を後ろで括った赤い瞳を持つ妙齢の女性。
そして、言葉だけで判断するのであれば目の前にいる女性は医療者として素晴らしい人物だと判断出来ただろう。
そんなアシュラの悩みに気が付いたのか、或いは慣れているのか女医は自身に生える角を指してアシュラに問い掛けた。
「私達、<ストレイツ>に出会ったのは初めてかい?」
「不躾な視線を送ってすみません。多種多様な人種が住むコロニーでも見かけた事が無かったもので」
「仕方ないよ。此処まで来る<ストレイツ>は宇宙でも珍しいのは事実だ。それに<ヒューマン>とは、この前まで争っていたからね」
肉体的に<ストレイツ>と<ヒューマン>にある違いは角と尻尾の有無である。
それだけであれば、大した違いは無いように思えるが両者が決定的に異なるのは統治体制であった。
皇帝を頂点とした帝国という旧き政治体制が基本である<ストレイツ>と民主主義を前提とした議会制民主主義である<ヒューマン>。
仲良くする事は難しいが、それでも宇宙の隣人として最低限の友好は築いていた。
だが10年前に始まった戦争で両者の外交は途絶し、<ストレイツ>と<ヒューマン>は互いに敵視する様になった。
しかし、戦争自体は勝者不在の痛み分けのまま終戦を迎え、今は友好関係の再構築を行っている最中である。
そんな経緯もあり、アシュラが拠点を置いているコロニーでは<ストレイツ>を見た事が無く、知識でしか存在を知らなかったのだ。
「さて、目を覚ました直後に申し訳ないのだけれど、幾つか聞きたい事があるの。貴方が噂の<宙賊狩り>で間違いないのね?」
「そうだ。既に傭兵ギルドに照会は行っているだろう?」
アシュラが所属する傭兵ギルドは宇宙各地で需要が絶えない傭兵の安定雇用と公的な身分保証の為に誕生した宇宙規模の組織である。
<宙賊狩り>として活動しているアシュラも傭兵ギルドに所属しており、先に起動したナラクが照会に立ち会っているのであれば直ぐに判明するだろう。
何より、救助をしてくれた相手に身元を偽装する必要がアシュラにもナラクにもない。
しかし、女医は治療をした<ヒューマン>がアシュラである事は疑っていないが、その声に驚きがあったのも事実だ。
「ええ、だからこそ驚いているのよ。噂の傭兵がこんなに若いなんて想像していなかったから」
<宙賊狩り>と巷で呼ばれるアシュラ。
二つ名で呼ばれる傭兵には相応の功績を積み上げた実績があるが、<宙族狩り>の二つ名に関しては宙賊に対する苛烈な攻撃性から来ている。
何故なら視界に入った宙賊は基本皆殺しであり、小規模な物であればHWすら使わずに生身で事務所に突入して壊滅させる程に宙賊を敵視しているのだ。
その名声は一般的なコロニーに留まらず、宙賊界隈においても有名だ。
だが、肝心な<宙族狩り>の顔写真といった個人情報は名声と反比例するかのように知られていなかった。
だが女医の目の前にいる<宙賊狩り>の素顔は大人しい青年であった。
目の前にいる人物によって宇宙の藻屑となった宙賊は数知れず、ある意味で危険人物であると頭では理解していても恐怖は感じられない。
身体こそ鍛え上げられてはいるが、全身がサイボーグ化されている訳でもなく、顔も黒髪に赤いメッシュが入ること以外に目立った傷もない。
歴戦の傭兵という凄みを感じられず、ニュースで話題になる様な残虐さとは程遠い世界に生きる一般人にしか見えないのだ。
「此方にも事情があっての事だ。それで通してくれ」
顔が知られていないのは単にアシュラがギルドに顔写真を掲載していないからだ。
傭兵ギルドに所属する傭兵の殆どは顔写真を公開しているが、別に強制ではないので宙賊を狩る事を最優先にしていたアシュラは顔写真を伏せ、常にマスクを被って活動をしていた。
それは身元の特定に繋がる情報を極力排除するためであり、宙賊の監視を避ける為にでもあった。
そのせいもあり、多くの人は<宙賊狩り>の姿を想像するしかなく、巷では筋骨隆々の野郎説や妙齢の女性説などの話のタネになっていた。
「それで救助と治療に掛かった諸々の費用なのだが……」
「その辺は儂から話を既に通している。それで支払いに関しては輸送船の艦長でもある社長から提案があるらしい」
「ええ、社長は直接貴方と話したいと言っていたわ。だから目が覚めた直後で悪いけれど、彼女に会ってもらえるかしら?」
「問題ない。貴方がしてくれた治療のお陰で身体に大きな問題はない。準備が出来次第、直ぐに尋ねよう」
女医が伝言を終えて離れると、アシュラはベッドから降りて傍に畳んで置いてあったパイロットスーツに着替える。
本来であればしっかりとした礼服を着るべきなのだろうが、持ち合わせがないのだ。
そして着替え終わったアシュラは、一足先に艦内の構造を知ったナラクに先導する形で輸送船の中を進んで行った。
「中々大きな船だな」
「ああ、中古船ではあるがしっかりと整備されている。まだ設立して間もない会社ではあるが信用は出来るだろう」
「社長が誠実な人である事を期待しよう」
「そうだな。それと、着いたぞ」
ナラクの先導で社長室に辿り着いたアシュラは傍にあった端末に触れる。
それから暫くすると機械的なシステムボイスと共に扉が開く。
社長室の中は<ストレイツ>が好む古風なインテリアで統一され、全体的に落ち着いた雰囲気がある。
だが、部屋の中で一番に目を引くのは部屋の主である社長であり、奥にある机に座る一人の女性だ。
「ようこそ<宙族狩り>。私はウェンディ・ヴァルダロス。この輸送船<テスラ>の船長兼社長をしている」
「傭兵ギルド所属のアシュラだ。救助並びに治療を行ってくれてありがとう」
アシュラの目の前にいるビジネススーツを着た女性も<ストレイツ>であり、頭上には二本の角生え、またズボンからは長い尻尾が見えた。
アシュラよりも身長は少しだけ低いが女性としては高めであり、女性の魅力が溢れた豊かなスタイルである。
そして背中に流した銀髪と赤い瞳が特徴的な美女であり、アシュラを治療した女医と少しだけ顔つきが似ていた。
「無事に助かった様で何よりだ。だが病み上がりにはきついだろうから、其処にあるソファーに座ってくれ」
女性の勧めもあり、アシュラは社長室にあったソファーに座る。
社長室は応接室も兼ねているのか、アシュラは高級ソファーから返って来る程よい反発感に心地良さを覚えながら、対面のソファーに座った女性に視線を向けた。
「さて、君の隣にいる相棒であるナラクさんから事の経緯は聞いている。ずいぶんと無茶をしたようだね」
「する必要があったからだ。だが無茶を通したせいもあって今の私達の懐事情は余り良くない。後日纏まった金額が入金される手筈になっているから支払いは待って欲しい」
個人で宙賊の組織を相手にするのは普通に考えれば不可能であるが、アシュラは一般的な常識を懐に貯めていた大量の資金を放出する事で覆した。
無論、大規模な宙賊組織と戦うには元手となる資金以外にも多く物が必要ではあるが、金の力が占めていた割合は大きい。
そのせいもあり、今のアシュラ達は有体に言って金欠状態であり、漂流状態から救助した個人団体に支払える治療費の持ち合わせが一切ないのだ。
「その事に関してはナラクさんから聞いている。私も君から無理に金を取り立てるつもりはない。だが治療費の代わりと言っては何だが、君に依頼したい事がある」
「既に知っていると思うが俺の専門は宙賊狩りだ。仕事内容によっては期待に添わない結果もあり得る」
「その事に関しては此方も理解しているよ。君に任せたいのは宙賊からの護衛だ。私は11時間前に資源衛星地帯行われた売買に参加して、大量の希少鉱物を買い付けた。そして今は契約をしたコロニーへ運送している最中だ」
「成程、この船は宙賊にとって美味しい獲物だ」
電子マネーが普及した現代において、後ろ暗い仕事を生業となる宙賊は正規の電子マネーの利用が困難である。
その結果として、宙賊界隈では希少鉱物やレアメタルが古代文明の金と同じ様に貨幣としての役割を担っていた。
そういった事情もあり、宙賊からの輸送船護衛は傭兵にとってありふれた仕事であり、アシュラもまた多くの護衛を経験してきた。
そんなアシュラから見ても希少物資を大量に積んだ輸送船は丸々と肥え太った獲物に違いいない。
常に飢えた宙賊であれば、口から涎を垂らす程のご馳走に見えるだろう。
「依頼内容は理解したが、其方の方でも子飼いか、傭兵かは分からないが護衛戦力は雇っているだろう?」
「ああ、勿論子飼いの戦闘部隊もいるか、この宙域に入ってから嫌な予感が続いてね。現有戦力で不安を感じているんだ」
「予感か、気のせいではないのか?」
「残念だけど、私の勘はよく当たる。それに、この勘で宇宙を彷徨っていた君を見つけ出したんだ。それに護衛戦力に欠員が生じていてね。短期間ではあるが護衛部隊に一時的に加わって欲しい」
「そうか……」
傭兵にとって勘というのは簡単に無視できるものではなく、アシュラ自身も自身の勘に助けられた事が何度もある。
だからこそ、目の前の女性からの依頼を気のせいだと言って付き放つ事がアシュラには出来なかった。
「了解した。依頼を受けよう」
少しだけ悩んだアシュラは最終的に社長の依頼を受ける事にした。
護衛部隊が戦闘で負け、宙賊に船を拿捕されればアシュラとしても困るのだ
何より、虫の様に湧いて出て来る宙賊を狩るのが<宙族狩り>なのだから。