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9年後の答え合わせ

最終話です

 母親と兄が出勤してから、大慌てでリビングと俺の部屋を片付け、コーヒーメーカーをセットしているとチャイムが鳴った。

「朝からごめんね、昨日寝てないんでしょ、大丈夫?」

「全然、3徹までなら大丈夫。コーヒー入れるけどミルクと砂糖は?」

「ありがとう、ブラックのアメリカンでお願いします」


 コーヒーをテーブルに置く手が緊張で震えていることは江東も気が付いているだろうけれど、抑えようがない。江東も固い表情のまま話を切り出す。


「ええと、まずはこっちの事情から説明すると、諦めたのは沙川から逃げること」

「え?俺から?」

 追いかけたつもりはないんだが。

「まあ、あくまでこっちの事情なんで、私が勝手に逃げていただけで。沙川はお母さんのこともあるし、地元志向だからここを離れられないでしょ? でも私は自分の家から逃げたかったから、沙川とは一緒にいられないし、もう実家の荷物全部処分して二度と戻らないつもりで今回帰省したわけ。で、荷造り用のガムテが切れたから買いに出て、沙川に会ったのが昨日」

 コンビニのガムテは高くないか、と普段なら突っ込むが今は保留。

「以前からさ、声とか歩き方とか、なにかしら沙川に似てる人とばっかつきあってたんだけど、今の彼氏は似てるところがないから、もう沙川のことは吹っ切れたのかと思ってたんだ。でも、昨日沙川と話してみて、性格っていうか、考え方が彼氏とあまりにもそっくりで驚いた。で、やっぱり沙川に似てる人だから好きになってたんだ、ってわかっちゃって、昨日別れた」


 待て、情報量が多すぎる。


「彼とはまだ直接話していないけど、ずっと地元に好きな人がいるってことは言ってたから、別れるのに問題ないと思う」


 それは、俺のことなのか?


「多分、このままこの気持ちを封印して、ほかの誰かと結婚しても、10年、20年後にもし沙川に会ってしまったら、私は全て捨てて、沙川を略奪してしまうと思う。私はいいとしても、それは沙川に悪いと思って」


 話に追いつけない。なぜ俺が略奪される?


「で、そうなる前に、あきらめてちゃんと向き合っておこうかと思って」


 江東の中では道理なのかもしれないが、俺には飛躍が過ぎる。


「ちょっと待て、時系列に沿っていこう。高1の夏に会えなくなった原因は確認済みとして、その後だ。お兄さんとはどうなった?」

「高2からは別居していて、DVはもうない」

「じゃあそこで俺に連絡くれなかったのは?」

「沙川といたら実家から出られないと思ったから、っていうのと、摂食障害を知られたくなかったから」

「お兄さんがいなくても実家はダメなんだ」

「まあ、親も大概だったからね」

「成人式で連絡くれたのはどうして?」

「会いたかっただけだよ」

「でもすぐにブロックされた」

「あの後、摂食障害が一気に悪化して、無理ってなった。今は落ち着いたけどね」

「昨日会ったことでは悪化しなかったの?」

「しなかった。デブ猫でもいいって言ってくれたからかな。それから、ちゃんと向き合う、って決めたからかも」


 ちょっと安心。


「じゃあ次、向こうの彼氏のことはおいといて、今日こうやってうちに来てくれたってことが、なんで江東の実家から逃げるのをやめたってことになるの?その繋がりがよくわからないんだけど」

「沙川と一緒にいたいなら、私が京都から戻ってここでやってくしかないよね? 沙川が地元を出ることはないだろうし」

「いや、そんなことないけど。親と江東だったら当然江東を選ぶよ?」


 しまった、つい本音がもれた。うわ、恥ず!


「え、そうなの?」

 江東は深い意味に受け取らず、ただ単に地元を出てもいい発言、ととらえているようなので、慌てて話を続ける。


「うちの母親、長男教だから兄貴に面倒見てもらうのが当然と思ってるし、俺もマザコンじゃないし、そこまで地元にこだわってないよ」

「でも、実家と絶縁とか、沙川のお母さんにはわかってもらえないでしょ? 実家同士がこんなに近いし、会わせないわけにもいかないだろうし、絶縁してたらお母さんに誤魔化しきれないよね」


 親族というか、姻族としての話になってる? 気が早くないか? いいっちゃいいんだけど。


「まあそれは確かに、うちの親にしてみれば理解不能かもな」

「で、昨日一晩考えて、実家とは完全に縁を切らなくてもなんとかやっていけるかも、って思い直した。兄とは無理だし絶縁だけど、母親は最近、”やっぱり頼れるのは女の子ね”みたいな都合のいいこと言ってきてるしね」

「お母さんのこと、許せるの?」

「育ててもらった恩はあるから。向こうは私にした仕打ちは忘れてるみたいだけど」

「確かにいじめとかも、やられた方は忘れないけどやった方は覚えてなかったりするもんな」

「あ、でも、私が沙川に酷いことしたのはちゃんと覚えてるから大丈夫だよ」

「それは大丈夫、とは言わないんじゃないでしょうかね?」

「その通りです。謝罪と賠償が必要ですね」


 よし、いつもの江東に戻ってきた。


「高くつくよ?」

「一生かけて償います」

「どうやって?」

「うーん、身体で?」

 ノリで出てきたのに、冗談で流しきれない発言に気づき、沈黙が流れる。

 

 目を合わせられない。

 視線を手つかずのコーヒーにむける。


「…それ、無理だよ。それだと俺、完済認めないから、一生支払いが続くことになるけど、いいの?」


「うん、そうだね。…まあ、望むところよ、って感じかな」


 再びの沈黙。


 これは、

 そういうこと、

 でいいんだよな?


 気まずさに耐えかね、コーヒーカップに伸ばした江東の手をそっと掴む。


 あの頃、ずっと見ていた、小さな手。

 その後、長いこと夢見るだけだったその手を、

 ようやく今、捕まえた!


「あ、えっとあの、ちょっと待って」

 江東がわずかに抵抗する。

「10年待った」

 椅子から立ち上がり、江東の後ろにまわる。

「サバ読まないの、小6じゃまだ出会ってないやん」

 背後からもう一方の手をまわす。

「じゃあ9年」

「中1はあかんやろ」

 おどけた口調と裏腹に、江東が体を強張らせる。

 掴んでいた手を離し、ゆっくりと両腕をクロスさせ、後ろからハグする。

「6年でどうだ」

 昨日、目に焼き付けていたうなじに、そっと頬を寄せる。

 ああ、江東だ。夢じゃない、本当に本物だ。

 彼女の体から力が抜ける。

「なら仕方ないか」

 そう言って彼女は俺の腕の中で目を伏せた。




 その後、俺は内定先に連絡を取り、所属を東北支社から関西支社に変更してもらった。在宅ワークの多いIT系だから、問題なくことは進んだ。春から京都で一緒に暮らし始め、10kg太ったのは俺の方だったけど。

 俺の兄も結婚が決まり、母親と同居してくれることになった。母にとって長男夫婦との同居はベストな結果なんだろう。

 彼女の実家とも、それなりの関係を続けている。

 そして俺は今でもコンビニに行くとガムテの値段をチェックしてしまう。

 こんなもん、買うやついるのか、と思うが、おかげで今の俺がいる。

 きらした時は、おとなしくコンビニで買ってやることにしよう。



 私がどれだけ沙川が好きだったか、沙川は知らない。

 中学の頃から、お兄さんやお母さんのことまで情報収集して、極秘の”沙川ノート”を暗号で書いていた。さすがに黒歴史すぎて捨てたけど、あれは結構、役に立った。

 麺類が大好きなのに、お母さんの作る麺類はグダグダにのびているとか、ブロッコリーが嫌いでケチャップが好きなお子様味覚なことも知ってたから、あの日、ナポリタンで勝負できたし。

 大学に入ってからも、SNSをやらない沙川の周辺を調べまくって、沙川の動向をチェックしていた。バイト先はどこか、とか、いつどんな彼女がいたのか、とか、だいたい把握していたのは、我ながらストーカーだと自覚している。

 でもさすがに7年間で2回しか話してないから、思い出補正が入ってると思ってたのに、

「会ったことないやつに嫉妬しない」って言われた時は動揺した。先輩と同じセリフだったから。

 やるな、私。

 ちゃんと沙川の性格わかってて、似たような男選んでるやん。

 摂食障害のきっかけが沙川の手紙だったことも言ってない。一緒に暮らし始めてから嘔吐が減っていったのはなんとなく知ってるだろうから、それで十分だろう。今はもう吐くことも無くなったし。

 多分、一生言わないと思うけど、これまでのことを残しておきたくて書いてみた。

 もうすぐ生まれてくる子どもには、恥ずかしいから見せることはないだろうけど、孫くらいには読ませて、おじいちゃんはこんな素敵な人だったんだよ、と自慢したいかも。


 そして、私が死んだら、棺桶に入れてもらおうかな。

 今でも大切に持っている、あの時の沙川の手紙と一緒に。


お付き合いいただきありがとうございました。

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