彼女の片恋8年目まで
鬱展開ですが、なるべく短くしましたのでお付き合いください。
私は兄のオマケだ。
コンクールで表彰されても、学年トップをとり続けても、母は二歳上の兄しか見ていなかった。
父は子供に関心がなかった。私も父には関心がなかったけど。外面のいい父は、母のことはサンドバッグだとでも思っていたのだろう。そんな家からさっさと出たい、それだけをずっと考えていた。
学校は楽しかった。頑張ったら評価してもらえた。明るく振る舞えば、相応の態度を返してもらえた。能力があったからいろんな女子に頼られ、求められる役割を演じて、いつの間にか委員長キャラになっていた。そんな明るく正義感あふれる人間じゃないのに。
でも沙川は、オタクな私も、いじられキャラの私も、全ての私を肯定してくれた。
沙川といる時の自分が、一番好きだった。
だから、学年トップが続いたという理由から初めて兄に殴られた中1のあの秋、つい、沙川に「好き」と言ってしまった。行動力のない奴だから、返事は期待していなかったけど。
ヤンキー女子達に勉強を教えてあげたりしていたら妙に懐かれ、つるむことが多くなると、沙川とは距離ができてしまった。なんとかしたくて、本を借りるのを口実に話すだけでなく、偶然を装い放課後に通学路で待ち伏せた。沙川の下校パターンは把握していたし。
でも中3でとうとう目を合わせてもらえなくなったから、悲しいけど待ち伏せもやめ、中学が終わった。
だから、高1の夏、手紙をみつけた時は、また友達として会えるのか、と喜んだのに。
手紙に目を通すと、トイレに駆け込んだ。
胃の中の物を全部吐いた。
ずっと好きだった、って、今更何よ?
全部我慢して、家を、地元を捨てるために高校3年間耐えるって決めたのに、なんで〝楽しい高校生活〟に引き戻そうとするの? なんで地元に、沙川に私を縛ろうとするの?
張り詰めていた糸がプツリと切れた。
沙川の手紙が、それから続く摂食障害の始まりだった。
お断りするしかないと知ってたのに、やっぱりどうしても会いたくて、悩んだあげくOKの返事をしてしまった。
久々に沙川に会ってあの頃のように話をして、浮かれて喜びが顔に出てしまったのだろう、帰って来た私を見て兄がキレた。
「なにヘラヘラしてんだよ!」
気がつくと部屋の隅まで吹っ飛んでいた。じわじわと頬と、壁にぶつけた後頭部が痛みだした。
これまで、父親にバレないように、顔を殴ることはなかったのに。
こんな顔、沙川には見せられないし、こんな私は沙川の好きな私じゃないし、私の好きな私でもない。
ごめん、やっぱりもう会えない。
沙川には酷いことをしてしまったが、予定通り、家を出るためひたすら耐えることにしよう。摂食障害というオマケまでついてきたけど、仕方ない、これも含めて私だ、耐えてみせる。
私の好きな私になるために。
その年の冬、兄はお金で入れる地元の医学部に進学を決め、暴力は落ち着いた。春には大学近くで一人暮らし(掃除洗濯は母)を始めたから、殴られることもなくなった。
さあ、ここからだ。
いい成績だと兄が荒れるので、手を抜いていたテストに全力を出し、朝から晩まで学校に居座って自力で勉強した。
”地元の大学ではもったいない”と高校から言ってもらえるまで成績を上げたら、次は大学選びだ。
東京は物価が高いし、地元から近すぎる。T大は勉強も大変らしいし、バイトの時間がとりにくいかも。K大の方が、勉強も楽みたいだし、仕送り無しでもなんとかなるかな。京都は遠いから帰省の頻度も減るだろうし。
そうして私はK大に進学した。
寮生活ということもあって、摂食障害は落ち着いてきた。ストレスで吐くこともあったけど、1年の終わり頃には、宴会で食べ過ぎてもすぐに吐ける便利な体質、くらいに思うようになった。
後ろ姿が沙川に似ていたり、爪の形が似ていたり、そんな人にばかり惹かれた。女子率1割くらいだったから何もしなくてもモテたし、沙川を忘れられるかと思って付き合ってみたけど、やっぱり一番は沙川だった。
摂食障害のことを伝えると、「俺が支えて、治してみせる」と意気込むのがもう、無理だった。そういうの求めてないから。私はあんたの自尊心を満たすための可哀想な女じゃないから。あんたにどうこうできるくらいなら、とっくに自分でどうにかしてるっちゅーの。
で、そろそろ会っても大丈夫かな、と思い、成人式の日に連絡してみたんだ。
結論。
まだ無理でした。
改札で別れてからもう、ずーっと涙が止まらなかった。ごめんだけど、速攻で連絡先をブロックした。
新幹線で吐くのも迷惑だし、4時間耐えて寮に戻ってから胃を空にした。何一つ消化されずにそのままの形で出てきた食べ物を見て、正直すぎる胃に笑ってしまった。4時間何してたんだよ、働けよ、胃。
翌日、私が不在の時に寮に電話があったようだ。
”サガワさんから電話ありました”
という伝言が入っていた。
あの受け身で行動力の無い沙川が、寮の電話を調べてかけてくるなんて、奴も必死だな。
めっちゃうれしかったよ。
でもごめん、まだあかんねん。
まだ、笑って会うのは無理やってん。
そんな日が来るのかどうか知らんけど、な。
摂食障害も、沙川への気持ちも、もうずっとこのままなのか、と諦めていた3年の秋、付き合うようになった先輩がいた。
沙川に似たところはなかったけど、ただ側にいてくれる人だった。
摂食障害のことも、「タバコやパチンコみたいなもん、趣味の問題やろ」と言ってくれた。いつの間にか嘔吐の頻度が減っていた。
地元に好きな人がいる、とは伝えていたけど、
「そんな会ったこともない奴のこと知らんし」
と言ってくれていた。
4年になり、大学院進学、すなわち学生寮の退去を控えた私は、「一緒に住まない?」と言ってくれた先輩の言葉に揺らいだ。
その夏、私はもう地元には帰らないと決め、沙川の手紙をはじめとする実家の荷物を処分するために、最後と決めて帰省した。
摂食障害については、個人の体験に基づいていますので、”こんなものじゃない”と思われる方もいらっしゃるでしょうが、ご容赦ください。