3・世界はこの手の中に 前編
南米、某所。
未だに原生林が残る広大な大地。その一角に、他の区域と厳重に隔離された区画があった。 半径100キロに満たないほぼ円形の区画。広大な大地に比べればごく一部であるがそれなりの面積があるその場が隔離されているのは理由がある。
自然発生した次元の歪み。偶然にも他の世界に繋がったそれはただそれだけでも危険ではあるが、それ以上にそこから迷い出る存在が問題であった。
異世界の、魔獣。地球の自然環境では決して誕生しないそれが、時折前触れもなく訪れ、あるいは住み着いて近隣を脅かすという事態が起こったのだ。
放っておけば生態系はおろかその地の文明にも多大なる影響を与える生きた脅威に対し、地球政府は周囲に緩衝地帯を設け、幾多もの結界で覆い、立ち入り禁止区画として外部からの干渉を禁じた。
魑魅魍魎が闊歩し、特殊結界と内包する時空の歪みによって広大な迷宮と化したジャングル。
いつしか人はそれを、迷宮の森と呼ぶようになった。
「……という場所にあのおばかさんは乗り込んだわけだが」
深く溜息を吐いて、萬は頭を振る。
南米にあるGOTUI駐留基地の一つ。海に面し港を持つそこにブレイブは停泊していた。
赤道からさほど離れていないこの地域は、半年前の侵攻では激戦区であった。しかし政府軍最大の基地が存在し相応の戦力を保有していたとあって、現在では大幅に巻き返したと言って良い。激戦の爪痕こそ残っていたものの復興は急ピッチで行われ、かつての落ち着きを取り戻しつつある。
しかしその反面、戦力補充と復興以外の部分には手が回らない面も出てくるわけで、特別管理地区とは言え迷宮の森周辺の管理がずさんになってしまうのはある程度仕方のないことではあった。
まあ以前から武者修行を気取る武術家や、一攫千金を狙う密猟者などが隙を見て侵入していたりはしたのだが、ほとんどの場合は帰ってこられない。ゲームなどとは違い、実際の魔獣は生身の人間が生半可な腕前や武器などをもってして立ち向かえる相手ではないのだ。
そんな場所に乗り込むのは自殺行為以外のなにものでもないだろう。常識的に考えれば。
「その程度じゃウチの大将は死なねっすよ?」
「うんオレもそう思う」
無邪気とも取れるしゃらりとした言葉に、これまたあっさりと言葉を返す萬。目の前にはショートカットの少女の姿。ジェスターと情報を共有し自己進化したハーミット。その端末の人型形態だ。それはいい、それはいいのだけれど。
「で、そんな危険極まりない場所だと、なおかつ主がぴんぴんしてるだろうと分かっていて……“その格好”はなんのつもりだ」
眉を顰めてハーミットの格好を上から下まで眺める。一言で言えば探検家スタイル。背中には何が詰まっているのかぱんぱんになったリュック。
どう考えても行く気満々だった。
「ふ……連絡待ちなどまどろっこしいという事っす。どうせ大将は修行に夢中になってって連絡なんぞすぽーんと忘れてるに決まっているっす。ならばこっちから呼びに行くしかないっしょ。おいらなら大将の居場所分かるし、この身体は端末っすから失っても惜しくはない……」
すごん。端末の損失などどうという事はないと言おうとしたハーミットの頭に拳骨が落ちた。今の萬の拳は霊体にすらダメージを与える。ゆえにTEIOW端末といえど当たれば多少なりとも痛覚を感じるのだ。
「ふおおおおお! 頭が割れたかのように痛いっす~!」
多少どころではないあまりの痛さに床でのたうち回るハーミット。こいつ頭堅えなとこっそり拳を撫でながら、萬は憮然と言い放つ。
「異世界の魔獣ナメんな。こっちに一般的に居着いてるような生易しい連中とはわけが違うぞ? 霊子的なダメージを喰らわしてくるヤツはおろか遠距離で式神越しに呪いかけてくるヤツとか一端魂の匂い覚えられたら延々とストーカーしやがるヤツとか卵生み付けようとするヤツとか触手とか。端末だから何とかなるなんて甘い事は考えるな」
びしりと指を突きつける。よくは分からないが酷く実感のこもった言葉だった。纏ってる雰囲気がとんでもなくおどろおどろしい。
半年前の戦いのおり次元の歪みの中へと吹っ飛ばされた萬は、その後時間と空間の狭間を彷徨いいくつかの世界を巡ったという。その放浪の中でなんだか酷い目にあったようだが、聞きたいような聞きたくないような。ブリッジに詰めていた留之姉妹以下のスタッフたちは、後頭部にでっかい汗を一筋流した。
「ともかく下手に動くのは禁止だ。最低でもあの迷宮の中で真っ当に動けるチームを選抜するまでは話にならねえ。ついでだから部隊の訓練を兼ねて高湿地、密林地帯でのミッションをシミュレートさせる。結果如何によってはすぐにでもチームが組めるだろうが期待するな。最低でも3日待て」
ハーミットにそう言い聞かせて端末を起動、留之姉妹を呼ぶ萬。
「そういうわけでだ、交代で半舷休息を取らせた後生身とマシンの両方でシミュレーションをやらせる。基本データはオレとジェスターで組むからミッションパターンの構築を頼む。できるだけ手厳しく、な」
『かしこまりました』
「残りのスタッフは24時間3交代制で待機。この辺は安定しているとは言え前線からそう離れているわけじゃない。何かあったらいつでも動けるようにしておいてくれ」
『了解!』
なかなか堂に入った指揮官ぶりで指示を飛ばす。なんだかんだで与えられた仕事はちゃんとこなしているようだ。
指示を飛ばしながらちらりとハーミットの方を見る。床をのたくった挙げ句にブリッジの隅で膝を抱え横倒しになりしくしく泣き声を漏らすその姿は正直鬱陶しい。萬は一つ溜息を吐いて、彼女に向かって話し掛けた。
「いつまでいぢけてやがる。生身のシミュレーションにゃお前も参加するんだ、とっとと用意しとけ」
「へは!?」
萬の言葉に目を丸くして飛び起きるハーミット。端末のモニターに目を落し彼女の方を見向きもしなくなった萬は、あくまでさり気ないふうを装って言葉を続けた。
「迎えに行きたいんだろうが。だったら証明して見せろ、それだけの実力があるとな」
その言葉に目を丸くしていたハーミットだったが、しばらく経ってから意味が飲み込めたらしく、ぱあっと瞳を輝かせて華も綻ぶような笑顔を見せた。
「あ、ありがとうございますっす! がんばるっす!」
ぶんぶんと2、3度米つきバッタのようにお辞儀してから、ハーミットはブリッジを飛び出していく。
どどどどどがっどがんどんがらがっしゃんどたどたどたきゃーなどと騒がしい音が遠ざかっていき、萬は再び深い溜息を吐いた。そうしてからふっと何かに気付いたように視線を上げる。
ブリッジに詰めるスタッフ全員が、唖然とした表情で萬の方を見詰めていた。
「な、なんだよ」
後頭部に汗を流してちょっと腰を退かせながら萬が問う。唖然としたままだったスタッフたちは、その表情のまま揃ってぽつりと言葉を漏らした。
『生のツンデレって、初めて見た……』
「マテやオイ」
今のどこがツンデレだとツッコミを入れようとする萬だったが、その前に自身の横に異様な気配を感じてしまう。
いやな予感を感じながらも仕方なくゆっくりとそちらに視線を向けてみれば、なぜか鼻血を流しながらハンディカメラを構えるはっちゃけ姉妹の姿が。
「萬様の……萬様の生ツンデレ……」
「こ、これで、しばらくの間おかずには困りませんな……」
ハアハアと息も荒く恍惚とした表情を見せる馬鹿二人の態度に、三度溜息を吐きながら萬は言った。
「……もうどうでもいいから仕事してくれ」
3日後。迷宮の森の探索を行うアタックチームが複数結成され、それらは早速迷宮の森へと挑んだ。
その中に、やたらと陽気な雰囲気の一団がある。
「ふ~●わら~ひ●しが~、鉈構えてガンつける~♪ 通りすがりの~野生動物に対して~、鉈構えてガンつける~♪」
先頭に立ち呑気に替え歌なんぞを歌っている少女の姿をした人工知能端末。
「………………」
無言の南米ラテン系。その手は、ちゃかぽこちゃかぽこ木魚だかなんだかよく分からないものを保持し調子っぱずれな唄に合わせて叩き続けている。
「そういうわけで、我々はこの帰還が絶望的な迷宮に足を踏み入れたわけです。この先に待ち受けるのは果たして何か。阿鼻叫喚驚天動地な展開は、この後すぐ!」
あらぬ方向に向かって実況らしきものをぶちかましている謎の東洋人。
「いやあの……なにこの状況」
そしていつもの調子を出さずにドン引きしている地中海系移民。
語るまでもないことだが、厳密なはずの選抜の結果なぜだかライオット小隊の野郎どもは一緒くたでチームを組まされ、さらにそこにどう考えてもお荷物にしか思えないハーミットが加わるというゆかいなチームが結成されてしまったのだ。元の経験値か高かった上に萬との関わりが深かったせいか、この三人の野郎どもは異常なまでにサバイバル能力が高い。機動兵器が入り込めないような地帯の捜索にはうってつけだと選抜されたのも頷けない話ではないが……そこにハーミットが入り込んでるのはなぜなのだろう。
お目付役、なのか。ライアンはそう感じたが、実際のところ本気を出せばハーミットの能力は彼らなど足元にも及ばない。ただ生き残るだけならば、恐らく生還率は萬と五分だ。
それでも萬が彼女の行動を諫めたのは、万が一にも“彼女が他者に奪われるような事態になる”のを恐れたからだろう。GOTUIの技術の粋を尽くして作り上げられた存在とは言え、他者の介入を絶対に防げるというわけではない。もしも洗脳系の技術で支配権を奪われてしまったら目も当てられないことになる。
……という前提があっても、結局“己の出せる手札の中で最高の面子をつけて送り出す”萬は甘いとしか言いようがないが。
そんな事情とは知らない当人たちは、いつものノリで探索へと加わった。で、この状況。やたらと呑気なハーミットに引きずられたか、ユージンとフェイの二人が妙にテンション上がっている。ユージンの手にある木魚とも楽器ともつかないアレはどっから出したのか、そしてフェイは一体どこに向かって実況中継しているのか。しょうもない疑問は尽きないが、どうせ本人含めて誰にも分かりはしない。
「なんつーか……染まってきたなあ、俺ら……」
今回に限り常識人的な思考を残しているライアンが呟く。端から見れば多分いつもの自分だって似たようなものなのだ。ここまでテンション上がってるかどうかは疑問だが。先にテンション上げたものの勝ちという事なのか。勝ち負けの問題ではないがなんとなくそんな事が頭をよぎってしまう。
「しかしアレだな、こんなに騒いで大丈夫なのか?」
さすがに少し心配になって、実況が一段落したらしいフェイへと問うライアン。一仕事やり終えたといった感じにいい表情を見せているフェイは、上機嫌で問いに答えた。
「昔からよくいうでしょ、山で熊とかの襲撃を防ぐためにはわざと騒いだり音を立てたりしながら歩くといいって。敵地ってわけでもないし、陰気に探すよりはマシってね」
「ジャングルにゃあ熊はいないと思うが……まあ、野生動物なら似たようなものか」
例え相手が魔獣の類であっても、相応に警戒心はあるはずだろう。であればこんな馬鹿馬鹿しく騒いでいるような連中にわざわざ手を出すほど酔狂でもないはずだ。それに生息範囲だって広域に渡っているわけだし、結界によって迷宮と化しているこの地での遭遇率はそんなに高くないと……。
がさり。
『あ』
目の前に現れた“それ”の姿に対し、一言だけ声を発して4人の動きが止まる。
熊だった。
なんか異様にでかかった。
おまけに前足が4本あったりした。
「ゴアアアアアアア!」
『どっひええええええ!』
瞬時に転進。さすがに鍛えあげられたGOTUIの戦士たち。逃げ足は一級品である。
「なんでジャングルに熊いるんだよおお!?」
「えーと! あれはっすねヨツデグマっつって本来寒い地方の生き物らしいんすけど時空の歪みは生態系とか関係なしで生き物が迷い込んだりするんすよおまけに暑い気候のせいで大概凶暴化してるって話っすうううう!!」
「聞いてないぞ先に言えよ!」
「正に森の中で熊さんに出会ったわけだねこんちくしょう!」
「あほなこと言ってる場合かああ!」
自業自得で窮地に陥る4人。
この後、何とかしてヨツデグマを退ける事に成功するのであるが……。
もちろんその先の苦難はこの程度では済まなかった。
お約束からは逃れられないのである。
さて、ライオット小隊の中で唯一探索行に参加できなかったターナはと言うと。
「ふっ! はっ!」
夜の帳が下りた訓練用グランドの端っこで、空を裂く音と共に呼気が漏れる。
右手にオートマチック、左手にナイフ。ストリートダンスを思わせる動きでそれらを振るっているのは、ジャージパンツにタンクトップという姿のターナ。
決してサバイバル能力が低いわけではないのに探索メンバーに加われなかったのは、ひとえに他の連中の平均レベルが高かったからである。全体的な技能はともかく並より少し上程度などここでは平均にもなれない。かてて加えて今回の目的地は人外魔境。彼女では力不足と判断されても致し方のないことであった。
その事に不満を覚えるでなく、彼女は黙々と訓練に打ち込んでいる。力不足は承知、それに不服を唱えている暇があれば力を補うべく努力する。根が真面目な彼女はそうやって自身を高める事に専念していた。
訓練のスケジュールが消化され夜の帳が落ちた後にも、彼女は自主的な訓練を繰り返していた。しかし、今やっているそれは訓練で教わる格闘術とは違うものだ。曲芸のように銃とナイフを振り回し舞い踊る戦闘武術。名前はない、誰が編み出したかも定かではないそれは……。
「ふゅっ!」
短い呼気を最後に、ナイフを振り抜いた姿勢で静止。しばらく彫像のように留まっていた彼女は大きく息を吐いた。
途端に汗が一気に噴き出し、疲労感がのしかかる。無心に舞い続けて小一時間は経っただろうか、少し張り切りすぎたかと荒く息を吐きながらターナは自己批判。この辺で切り上げてシャワーでも浴びるかとフェンスの金網に引っ掛けておいたタオルを手に取ろうとした――
「見事なものだ。美しく、力強い。まるで深雪を割って咲く花のよう……」
――ところで軽い拍手と共に気障な台詞を投げかけられ、一瞬にして収めたナイフと銃を抜きはなち、台詞を言い終わる前に声の主へと突きつけた。
「……だっ、って…………思っただけなんですが……」
額に当てられた銃口と首筋に突きつけられた刃に対して、冷や汗を掻きつつ引きつった表情で両手を挙げるのはカンパリスン。その姿を確認して「なんだアンタか」とぶっきらぼうに言い放ってターナは得物を収めた。
「だ、誰か分からないのに武器突きつけられたのかいボク!? できればその、ちゃんと確認して……OK、もう言わない。言わないからそれ引っ込めて」
再び突きつけられた刃先に怯え、言いかけた文句を引っ込めるカンパリスンだった。見事なへタレである。
「ふん、人の事覗き見しておいて文句を言おうなんてずうずうしいヤツだね」
「別に覗き見してたわけじゃあないんだけど……まあいいか」
どうにもいつもの調子が出ないなあと、戸惑いを覚えるカンパリスン。今まで回りにいた女性とは全くタイプの違うターナに対してどう振る舞えばいいのか、距離感を計りかねているようだ。
そんな事などつゆ知らず、タオルを手にとって汗を拭うターナ。その目がふと、カンパリスンの腰に提げてあるものを捉えた。
「……なんだよそりゃ」
「え? ああ、これかい」
がちゃりと腰ベルトの金具を外して手に取られるそれは、鞘に入った剣。日本刀ではない、フェンシングのサーベルとも違う、古めかしいデザインの長剣であった。
鞘から少しだけ刀身を覗かせる。幅広く、分厚いそれは日本刀などとはまた違った鋼の輝きを見せつけていた。
「ツヴァイハイダー。大昔の剣士が使っていた両手持ちの剣さ。こいつがボクの得物だ」
剣道やフェンシングなどと違い、かつて西洋の剣士たちが振るっていた技は最早ほとんど残されてはいない。しかしごく僅かではあるが、細々とそれを伝えている者達は存在していた。そのような変わり者の一人が、カンパリスンの師である。もっとも剣の技を教えてくれと頼み込んだのはカンパリスンだったが。
「騎士とか憧れてたものだからね。子供っぽい話だけど」
たははと照れ笑いしているカンパリスンを見て、なんでェコイツこういう顔もできんじゃねえかと意外に思うターナ。ただのイヤミで気取った三枚目とか思っていたのだが、わりといいヤツなのかもしれない。
「アイツとは、ちょっと違うけど……」
我知らず呟いてから、はっと自身の言動に気付く。
「あ、アタシは誰と比べてるんだこれじゃまるで意識しているみたいじゃないかいや違うアイツは仇でアレでダメだぞ!?」
「お、お~い、帰ってきてくださ~い」
頭抱えて怪しい独り言をぶつぶつ言い出したターナに、カンパリスンは恐る恐る声を掛ける。そこではたと我を取り戻して、ターナは姿勢を正しこほりと咳払い。誤魔化すように口を開く。
「なんでもない。……ところでアンタ“ソイツを使える”のかい?」
ターナが指し示したのはカンパリスンが腰に戻した剣。一瞬考えるが、彼女の意図に気付いたカンパリスンは肩を竦めつつ答えた。
「それなり……ってところかな。こんなもの他に使う人間なんて……ああ、異世界のほうならいるか。ひけは取らないと言いたいところだけど、正直どうだか」
かつての彼なら自信満々で答えたであろうが、今の彼は高みというものを知り、身の程というものをそれなりに理解している。内心相応の自負はあるが、かといって他者と比べて頭一つ秀でていると思うほどうぬぼれてもいない。
そんな彼の答えに対し、ニヤリと笑みを浮かべてターナはこう提案した。
「ならひとつ……お相手願えないもんかね? いつも相手してる馬鹿どもが探検隊に引っ張り込まれて暇してたんだ」
ゆらりと、蛇が鎌首をもたげるように金網から身を離す。完全にやる気になっているようだった。
ボクが来る前からかなり動き回っていただろうに元気だなと内心舌を巻きながらも、彼もまたゆらりとグランドに足を踏み入れる。どのみち彼も自己鍛錬のために来ていたのだ。ただ一人闇雲に剣を振るうよりは――
「――誰かと相対した方が、訓練にはなる、か」
呟きつつすらりと剣を抜く。刀身の途中から爪のような返しが出ているデザインの剣、ツヴァイハイダー。それをなれた様子で危なげなく振り回してから、カンパリスンは構えを取った。
「ドイツ流古式剣技、カンパリスン・アブ・ジクト。お相手仕ろう。……流派をお聞かせ願いたい」
その問いに、ナイフと銃を抜き交差させるように構えてから、ターナは答えた。
「ターナ・トゥース。流派はない。強いて言うなら……」
台詞の途中で身を屈め、跳躍するように駆け出しながら、彼女は吠えるように言い放った。
「“アタシの兄貴が使っていた技”だ!」
刃と刃がぶつかり合い、激しい音と火花が散る。
じゃりんと火花が散り、刃が弾き飛ばされる。
その勢いを殺さずに後退。すぐそばを掠めるように後ろから模擬弾が飛来し目標へと向かう。しかし。
「っ!」
すでに目標は予想位置より移動。いや、正確に言えばこちらの懐に潜り込んできている。
右手に持つナイフが一閃。それを回避する――いや、“回避させられた”と気付いたときには左手の銃が脇腹へと押し付けられていた。僅かな体勢の崩れ。そこをつかれた。
二連射。防弾防刃性能を持つ衣服の上から模擬弾が肋骨を軋ませ、メイド服に包まれた身体が吹っ飛ぶ。その下をかいくぐるように、執事服を纏った影が低い体勢で疾走する。
床すれすれの、足下を刈り取るような回し蹴り。危なげなくそれを飛び越える目標に向かって両手のオートマチックを乱射――する直前で強引に床を蹴りその場から飛び退く。一瞬前まで己の身体があった空間を模擬弾が貫いた。一瞬だが空中では回避行動を取ることができない。それを理解していた目標は跳ぶと同時に先手を打っていたのだ。
着地と同時に体勢を立て直したメイド服が迫る。同時に床を蹴って執事服が迫る。
交錯は一瞬。
そして、全てが静止する。
メイド服の左腕のナイフは執事服の喉元に。
執事服の右手のオートマチックはメイド服の眉間に。
それぞれが反対の手に持つ得物は、二人の間に立つ目標の両手に押さえつけられていた。さらに言えば絡むように押さえつけている両手の得物は、それぞれの胸元に押し付けられていたりする。
本来ならば前後から目標を抑えるはずだった二人は、あっさりと返り討ちにあっていた。
「……身体強化なしならまあ、こんなモンか」
呟くように言って二人を解放する目標――萬。訓練は終わりだとばかりに得物を収める萬に対し、対峙していた留之姉妹は深々と一礼した。
「お見事。予想以上に腕を上げられましたね」
「強化術式を使用せず我らを征する領域に踏み込まれましたか」
「ドーピングにゃあ変わりねえよ。それに“痛覚が半分以上死んでんだ”、多少の無茶はできる」
常に治療術式が働いている今の萬は、身体的な回復力がかなり向上している。蓄積するはずの疲労も軽減されているのだ。強化術式が働かなくとも優位を保てるのは変わりがない。それに無理を押したときに感じる苦痛も感じにくい。これはどちらかと言えば身体の機能が一部消失しているという事なのだが、場合によっては優位に働く。もちろん萬はそれを最大限に生かすわけだが。
とにかく以前と比べ、格段に技量が向上している。かつては逃亡一辺倒であった二人に対しても、互角以上に渡り合えるようになっているのだから。もちろん二人だって成長しているが、萬はそれを上回ったと言うことだ。
命を削り生き延びてきたのは伊達ではない。
それでも、それだけの強さを手に入れてなお、萬は不服そうに顔を歪めている。
「不安、でございますか?」
萬の表情を見て、はずみが遠慮がちに問うた。それに当然だろうと答えを返す萬。
「ある程度の領域になりゃあな、対峙した相手の底も頂点も見える。自分との差もな。……この綱渡りで“あの化け物”とどこまでやれるか。不安の一つも湧いてくるってもんさ」
萬が仮想的としている存在は、言ってみれば底なし沼に青天井。底が伺えず、上は遙か雲の上。そうとしか感じられない。今まで互角に渡り合えたように見えたのは、相手がまだ自身の狂気を抑えていたからだろう。そもそもスペックでは完全に上回っていたはずのリンゲージドライブが発動したバンカイザーを押さえ込んでいた時点で明らかにおかしい。化け物というか変態の領域だった。
無論今の萬は以前とは比較にならないし、バンカイザーだって変質している。だがあれは、あの化け物は、“萬が長々と積み上げてきたものをあっさりとひっくり返す存在だ”。油断も隙もできるわけがなく、慢心も安心もできるはずがない。
「唯一の救いは、こっちにも似たような化け物が三匹ほどいるってことだが……」
はてさて一人目はともかく後の二人はどこまで伸びるかねと、不安と期待をない交ぜにした心持ちで、萬は天を仰いだ。
「にゃああああああ! なんでみんなこっち追いかけてくるっすかあああ!?」
「ヘンな歌歌うからだろう!」
「あの木魚が悪かったんじゃないか!?」
「おめーがおかしな実況なんかするからだ!!」
一体どういう経路でこうなったのかは定かではないが、地響きを立てて無数の魔獣と追いかけっこをしている4人。口々に責任のなすりつけ合いなんぞをやっているが、そろそろ余裕がなくなってきている。
ちいしかたがねえとライアンは虎の子の手榴弾を懐から取りだし、やれやれ仕方がないなあとフェイは懐から秘蔵の手榴弾を取りだし、こんな事もあるんじゃないかと思っていたユージンはこっそり持ってきた手榴弾を懐から取りだした。
それを一斉に後方へ投げようとしたところで、誰かの足がかちりと何かを踏んだ。
『え゛?』
それが“誰かさん”の仕掛けた地雷だったと気付く前に。
4人は追いかけてきた魔獣の群れ諸共爆発に吹っ飛ばされる。
結果的にこの出来事のおかげで彼らは任務を達成することになるのだが、もちろんその事を感謝するはずもなかった。