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2・宇宙(そら)の亡念 後編

 





時間は暫し遡る。

 

強い意志を持って単独行動を取ったゼンは、翌日――


「うわめっちゃ暇」

 

――いきなりだらけていた。

 

さもありなん。宇宙での航行はそのほとんどがオートメーション化されている。何かがなければ乗員はチェックだけですむ。つまりやる事がない。

居住区画で思いっきり全身を伸ばし、ストレッチを行う。身体がなまりそうだった。鍛えに来たはずなのに鈍ってどうするとゼンは少し己の行動を後悔。


「けどま、考える時間はあったな」

 

宙にぷかぷか浮いた状態で手を後頭部で組み、ゼンは考える。

これまでの人生、出会ってきた人々。そして、相対してきた敵。

長くない経験の中ふれ合ってきた人間たち。そのほぼ全てと――

 

自分は、決定的に違う。

 

一言で言えば“欲望。”何かを成し遂げるために必須であるそれが、自分にはない。

 

例えば萬。彼はもがき足掻きながら戦い続けている。己の中の強迫観念と自身の意志を貫かんがために。それは元々彼自身が望んだ事ではないが、積み上げてきたものがそこから逃げ出す事を許さない。藻掻けば藻掻くほどがんじがらめに捕らわれてはいくが、だからこそ強い。

 

例えば弦。彼はただ高みにいたる事だけを考えている。きっと彼の見る頂はまだ遙かに高いところにあるのだろう。ただひたすらに己を鍛えあげる事に邁進し、そして己の力だけで昇り上がることに拘らない。悪鬼羅刹と呼ばれようが一歩前に進むために全てを利用する、その飽くなき向上心は彼に確たる強さを与えている。

 

例えば鈴。彼女は己を目的のための手段と捕らえている。己の護りたいもの全てのため、自身を刃――ただの道具と見定める事に躊躇しない。ゆえに進んで道化と化すし、いくらでも仮面を被って取り繕う。迷いがない、戸惑いがない。だからこその修羅。血に狂う剣鬼という本性に見える一面すらも、彼女にとっては仮面の一つに過ぎないのだろう。

 

例えば蘭とその従者たち。恐らく彼女たちが一番欲深い。彼女たちは己を組織の一部、道具として自覚しながらもただ一人の男――萬のために全てを投げ出す覚悟を持っている。いかに困難であろうと二兎を獲てみせる。矛盾し相反するがそれを成し遂げようとするその気迫は他の追随を許さない。多少暴走気味ではあるが。

 

彼らほどではないが、共に戦ってきた者達は大なり小なり何かを成し遂げるために戦おうとする者達ばかりだった。それは敵にも言える。

 

かつて戦った無人兵器群の操り手。かの存在は自身のためではなく他の何かの力になろうと必死だった。ただそれだけのために鍛えあげられた精神と技量。その圧倒される意志の力をねじ伏せる事ができなければ今の自分はここにはいない。

 

そして……あの漆黒を纏った指揮官。

 

狂戦士。そうとしか表現できない存在。彼はただ戦いが好きで、戦争が好きで、強者と相対するのが好きなだけだ。

純粋と言って良い。ただそこに在りたい、その快楽をもっと味わいたい。それだけのために己を鍛えあげ、学び、辣腕を振るう。誰よりも戦う事が好きだから、誰も至れない頂へたどり着いてしまった孤狼。後に残るのは無限の渇望。ここで、この頂で“自分と遊んでくれる”存在はいないのか。それだけを求めて冷静に災厄を撒き散らす狂った魔神。


それら強くあろうとする存在に比べ、ゼン・セットには“何もない。”力を与えられ、それを磨き上げた。その行為、その課程、全て他者に用意して貰ったもの。強さを望んだこともなく、戦いの果てに望むものも何一つ存在していなかった。

己の技量を磨き、研鑽し、高みを目指してはいる。だがそれは仕事だからだ。サラリーマンがパソコンの扱いを学ぶのと何ら変わりはない。

“ただ生きている。”戦場にあるのはそれ以外の道を知らないからに過ぎない。そして、それを疑問に思う心すら、存在していないと思う。

鈴のように自らの意志で道具となっているのではない。ただの兵器と同じ。そうなるべくして生まれたからそうしている。人が見れば哀れむかもしてない。嫌悪感を抱くかも知れない。それを痛痒として感じるという感覚そのものがゼン・セットには存在しないのだ。

完全なる異端。理解はできてもならばどうするかという解決策は浮かばなかった。むしろなんの問題があるのだろう。とりあえずはそれなりに人生をこなしているのに。そう言うふうにすら考えてしまうのだ。


「これは確かに……危険だよなあ」

 

自嘲の笑みを浮かべて、ゼンは空中で寝返りを打った。

 

戦場にある事が呼吸をするかのように当然である兵士。ただの一兵士ならば箸にも棒にもかからない存在でしかないが、生憎ゼンは違う。仮にもGOTUIを担う一角、一騎当戦なる一人なのだ。端から見ればとんでもない危険人物。目ざといものならば排除することを考えてもおかしくはない。

それは面白くないなと、ゼンは鼻を鳴らす。別に長生きするつもりはないが、不本意な死に方をするのは望むところではない。さりとて今更逃げ出したり、目立たないように行動するなどできるはずもなかった。はてさてどうしたものだか。彼は宙に視線を向けたままとりとめもなく考え続ける。











「……お゛?」

 

いつの間にかついうとうとと船をこいでいたゼン。その目がぼんやりと開き、冬眠から醒めた熊を思わせる動きでもぞもぞとスーツのチャックを閉め、ヘルメットを被り、コクピットへ続くエアロックへと潜り込む。

シートについて顔を上げればすでにいつもの調子を取り戻し、ざっと計器類とモニターに目を奔らせ機体状況をチェックする。緊急事態が起こったわけではない。しかし、ゼンの感覚は何かを察知していた。


「残留思念が多い。はっきりとしたことは分からないな」

 

だが逆に言えば、この思念の密度の中で自分に感じさせるほどの何かがあるという事だ。 己の能力を少しだけ解放する。思念の密度が濃いこの空域でそんな事をすれば、たちまちに不快感が襲ってくるがそれにかまっている暇はない。吐き気を抑えつつ感覚を広げていくと同時に索敵。

濃く澱む思念の海。泥水の中を手探りで進むように感覚を広げていく。レーダーに感はなし。不自然なまでに何も捉えられていなかった。


「こりゃあ何かあるって言ってるようなモンだ……っと?」

 

不意に引っ張り込まれるような感覚。大体の当たりを付け、レーダーの方向を絞り感度を上げる。

突然そこに現れたかのように感。カメラを向け、彼方の影を捉える。最大望遠でモニターに映ったその姿を見て、ゼンは呆れと感心が混ざったような複雑な表情で呟く。


「これはこれは随分と用意のいい。……おあつらえの舞台じゃないか」

 

モニターに映るのは巨大な岩塊。明らかに人間の手が入った、建造物の鉄骨があちらこちらから突き出ている小惑星。

でかでかとマーキングされている文字は掠れているが、確かにOR‐J11と読める。

それは過去に破棄された資源採掘用の小惑星……を密かに改装し、非合法の特殊能力開発研究施設としたものであった。

政府軍の一部のタカ派が推し進めていた計画に沿って研究を重ねていた悪意の城。そして――

 

ゼン・セットの生まれ故郷である。


 









港湾施設は辛うじて原形を留めている程度。動力などは完全に死んでいたが、手動のエアロックはまだ生きていた。それは一応内部に空気は満たされているという事だ。

簡単にチェックをしてみると、十分に呼吸が可能な酸素濃度を保っている。うち捨てられたはずの施設であるならばおかしいどころの騒ぎではないが。


「どうにもサービスが行き届いてるね。ご招待にあずかり恐悦至極ってか」

 

ゼンは当然のようにヘルメットのシールドを上げる。まるで何者かが彼をここに誘い込んだかのような物言いだが、本人はそれをおかしくも思っていない。ここまでお膳立てが整っているのであれば確実に何者かの意志が介入している。それは確信だった。

ホルスターから銃を引き抜きスライド。必要ないような気もするがこういうのは気分だ。どうにもホラーじみてるけどねと苦笑しながら歩を進める。

 

空気が汚れているわけでもないが、すえたような匂いがする。研究が打ち切られ施設が破棄されたのはもう10年近く前だ。いくら研究を重ねてもゼン以外に成功例がなかったのだから仕方がない。予算だけを喰って成果が現れぬとあれば、それは自然な流れだった。

自分が予定通りのスペックを発揮した時の研究者たちの騒ぎようははっきりと覚えている。それまでの努力がやっと実ったと、らんちき騒ぎを数日繰り広げたのだ。その後軍に“出荷”されるまで、ゼンは実験を繰り返しながらもそれなりに優遇されながら日々を過ごした。

 

しかしそれ以外の人間はどうなったのかと言えば。


「こっちが居住区で、こっちが第2実験区画……覚えてるもんだ」

 

無重力に身を任せるような愚は犯さず、ブーツ裏のマグネット機構を利用して一歩一歩慎重に歩を進めるゼン。もちろん全ての動力は死んでいるのだから、隔壁などは手動で開かなければならない。無闇に動けば余分な体力を消耗してしまう。しかしゼンは迷いも躊躇もなく朽ち果てた施設内を進む。

やがて辿り着いたのは、ひときわ広く造られた区画。そこに転がっているのは、ほとんどフレームだけになった旧式の人型機動兵器数体。

 

実機訓練施設。機動兵器との適応訓練という名の名目で、実験体同士に殺し合いを行わせていた忌まわしい思い出しかない場所。

 

ゼン以外の実験体は、正しくモルモット程度の扱いしか受けていなかった。なぜ基本スペックは同じはずなのに想定された性能を発揮できないのか。その要因を探るため、様々な非人道的実験か繰り返し行われ、実験体たちは次々と命を落していく。元々クローニングや受精卵の増殖などによって大量生産が可能だった彼らはいくらでも取り替えが効く存在だと研究者からは認識されていた。そもそも良心的な何かが残っているならばこんなところにいるはずもない。

 

そのような考えを持つ人間が、優遇しているとは言えゼンに何もさせないわけがなかった。

 

能力の低い、破棄対象となった実験体たちを噛ませ犬にした、戦闘技術や暗殺術の訓練。己の兄弟とも言える存在を、ゼンは殺しまくっていたのだ。

良心の呵責も罪悪感もなく、ただ機械的に血にまみれ己の技術を磨いた。その全ての記憶は、はっきりとゼンの中に残っている。


「そりゃあ……恨み辛みも重なろうってもんだよな」

 

ふん、と鼻を鳴らし肩を竦めるゼン。その視線の先には――


『クスクスくすくすクス……』

 

――薄ぼんやりとした暗がりの中、俯きぞっとするような忍び笑いを漏らす、血まみれの子供たちの姿があった。


 









う~んう~んと唸り声が艦内に響く。

艦の四方八方、外壁に面した様々な場所で外部に向かって何やらぶつぶつ呟きながら脂汗を掻いている人間たちがいる。

こう書くとなにやら怪しげな雰囲気が漂っているような気がするが……。


「実際怪しいよな見た目」

「だまんなさいよ気が散る!」

 

精神集中が途切れ術式が霧散する。その事に腹を立ててパトリシアは背後に陣取っていたライアンに向かって噛み付いた。

仮設遊撃大隊にもいくつか魔道兵の部隊が配属されている。例に漏れずそのメンバーはほとんどが萬たちの顔見知り。となればこの女が関わっていないはずがない。


「で、どーよ。かなり無理してたように見えたが?」

「アンタね……」

 

図星を言い当てられた事に内心ちょっと動揺しつつ、パトリシアは頭を振った。通常の索敵手段ではゼンの痕跡が未だ辿れず、萬たちは魔道兵を動員して魔術的な捜索も平行して行っていた。その成果は残念ながら今のところ現れていない。


「まあ萬も上手く行けば儲けもの程度にしか考えてねえんだから、無理してもしょうがねえぞ? 訓練程度に思って力抜けや」

「手を抜くのは性分に合わないのよ」

「“本命”はまだ機が訪れてないって言ってるようだぜ。……ほらよ」

 

軽く言ってドリンクのパックを放る。危なげなく受け取って封を切り、喉を潤しながらパトリシアは問うた。


「で、アンタは何こんなところで油売ってんのよ。喧嘩売りに来たってんなら買うわよ?」「誰かさんが不必要に頑張ってんじゃねえかと思って茶化しに来たんだよ。俺の出番はまだしばらく後だしな」

「ふうん……。(ヤバ、ちょっと嬉しいかも)って、違う違う」

 

こっそり小声で本音を漏らしてから慌てて自分で否定する。そんなパトリシアの様子をにやにや笑いながら見ていたライアンの表情が、不意に引き締まった。


「冗談は抜きでだ、あんまり力を消耗するような真似は止めておけ。いざって時に動けないようじゃ困る」

「……どういう意味よ」

 

少し残念に思いながらも、同じように真面目な顔となってパトリシアは聞く。ライアンは一瞬周囲に目を配って、囁くように言った。


「“新入り連中”だよ。上はやけにあっさりと受け入れたようだが、なんの対処も考えねえってのは不用心すぎる。一応萬……暫定司令代理には具申しておいたが、現場レベルでもいざって時に動けるようにしておいた方が良い」

 

派手な機体を持ち込んできたかの連中の事を思い浮かべてパトリシアは得心を得る。まあ確かに、あっさりしすぎているとは思うが……随分と用心深いことだ。

この馬鹿も少しは考えるようになったのだなあと、ちょっと感心してしまう。そんなことをおくびにも出さずに、パトリシアは頷いた。


「分かったわ。ウチの隊の連中にも伝えておく。……アンタも気を張りすぎるんじゃないわよ」

「お前さんほどにゃあ頑張らないさ。じゃ、頼んだぜ」

 

ひらひらと手を振りながら去っていくライアン。その背中を見送って、パトリシアは溜息を吐く。


「確かに万が一ってのはあるかもね。…………まあ頭がアレだから可能性は低いけど」











「いえっくしょい!」

 

宇宙の端っこで、盛大なクシャミの音が響いた。


「むう、風邪かな?」

 

ヘルメットのシールドを上げハンカチで鼻のあたりを拭うのはカンパリスン。丁度偵察の順番が回ってきていた彼は、ブロウニングも完熟訓練も兼ねて出撃していた。

 

ナイトブレイドからおっぽり出された彼とその取り巻きの一部は、ついでとばかりに一部の機体や資材をちょろまかしてGOTUIへと下った。やたらとバイタリティ溢れる行為だが、前もって切り捨てられることを予測していたからこその行動である。もっとも以前のカンパリスンであったらば考えつきもしなかった行動ではあったが。

 

一度味わった完膚無きまでの敗北。それはカンパリスン・アブ・ジクトという人間に確実な変化を与えた。

 

最初は、雪辱を果たすため。あの紅い機体を駆る男に一矢報いてみせる。その事だけしか頭になかった。

資質はある。そう自負していたし、敵対していた男もそれは認めていた。ならば鍛えあげる。技量、知識、戦術、経験。全てにおいてあの男を凌駕してみせると、ただがむしゃらに貪欲に。精力的に動き続けてみた。

周囲の人間はそれを止めようとも、諫めようともする。あなたがそんな事をする必要はないと。輝ける未来が待っているのに、些末なことに気を取られてはいけないと。それに耳を貸さなかったのは、結局のところただの意地だ。中にはもしかしたら本心から心配してくれた人間もいるかも知れない。しかし当時のカンパリスンからしてみれば、その全てが自身の邪魔者にしか見えなかった。

 

やがて周囲からは、一人、二人と声を掛ける人間が減っていく。結局最後に彼の回りに残ったのは、物好きな一部の部下数人だけ。自身の人望などなく、立場だけで人々は周囲に集まっていたのだとカンパリスンは悟る。

 

だがもうそんな事はどうでもよかった。もののはずみで後ろ盾と縁を切りGOTUIへと転がり込んだのは良い機会だ。“ヤツ”も帰ってきたことだし、間近で存分に学び、そして追い抜く。

 

彼は本質的には何も変わっていない。ただ、目標ができただけだ。


「もしかして誰か噂しているのかな? まさか時折どこかから刺し貫くような視線を感じるのは……やはり人気者は辛いという事なのか。美しさは罪だね」

 

彼は本質的には何も変わっていない。やっぱりどっかあほの子だった。


 









ゆらゆらと、忍び笑いを漏らす子供たちが迫る。

対峙しているゼンは――


「悪趣味だな」

 

――不快そうな顔で、そう吐き捨てた。


「おまけに芸がない。まあここしか知らない籠の鳥ならば仕方がない、か」

 

まるで動じていない。己がここで何を行っていたか、それが分かっていてなお、彼はなんの痛痒も感じていなかった。

平たく言えば、彼はすでに開き直っている。当時はただひたすら生き延びるために事を成していただけだし、罪悪感に押しつぶされそうになっていた時期もとうの昔に通り過ぎた。正直、何を今更と苛立ちさえ覚えている。


「わざわざこんな地球近海までご苦労様だよ。地球の引力にでも惹かれたかい?」

 

嘲るように言う。目の前の子供たちは答えない。ただ笑い声はぴたりと止まった。

分かり易い。単純にして純粋、ゆえに強力な思念の残滓。ゼンが相対しているのはそう言う存在だ。かつて己が手にかけたもの、そうでないもの。夢も希望もなく、ただ家畜のように食い尽くされ朽ち果てていったものたちの残り香。ただ怨念だけでこの場を維持し、そして機会を伺いゼンを呼び寄せたその執念は驚嘆に値する。

 

だがそれだけだ。


「自分を呼ぶならここを出て行く前か、せめて罪悪感に打ち拉がれていた頃にしておくんだったね。今の自分じゃあ……ご要望には応えられそうにない」

 

最早過去に対して動揺するような事はない。なぜならば、ここで手にかけたより遙かに多くの人間を葬り去って生きてきたのだから。

人を討ち、それによって糧を得る修羅。それが今のゼン・セットという存在だ。元々そのように造られ、そのように育てられ、そのように生きることを求められた。そこに己の意志はない。しかしその生き方に迷いもない。

ある意味ゼンはすでに完成している。ただ過去を叩き付けるだけでは彼を揺るがすことなどできはしなかった。

 

だが、“それで終わっていては意味がない。”ゼンは嘲るような表情のまま、人差し指を立ててくいっと挑発してみせる。


「悔しいかい? 恨めしいかい? だったらぶつけてみろよ。お前たちの、全てを」

 

その言葉を合図にぶわりと闇が広まる。幼子の姿をしていた存在が、その本性を現したのだ。

憎悪と怨念で形成された、高密度の思念。それが雪崩のように一気にゼンの元へと迫り来る。それに合わせてゼンは――

 

己の能力を全て解放した。

 










「! 来たか!」

 

ブリッジに飛び込んできた“そいつ”の様相に事態を悟り、萬は確信を得て大きく頷く。

艦を進めるごとに残留思念の乱れが酷くなり、捜索は困難を極めていた。だがそれがここにきて大きく流れを変え始めている。恐らく動きがあったのだろうと思ってはいたが。

どっちだと尋ね、指し示された座標のほうに探査の手を集中させる。同時に艦の転進を命じ、最大戦速で真っ直ぐ進ませた。

ただごとではなさそうだ。鬼が出てくるか蛇が出てくるかは分からない。だが。

 

萬は彼方に語り掛けるように呟く。


「ここでへばるアンタじゃないだろ。ゼン・セット」


 









人間の声とは思えない、絶叫。ほとんど無制限に周囲の思念を感知するゼンの能力。それが完全に解放され、彼は今怨嗟の濁流に晒されていた。

 

いたいイタイいたい痛いイタイ痛いいたい痛いクルシイ苦しいくるしい苦しいやめてごめんなさい死んじゃうお前が死ねどうしてなんでこっちにくるなおクスリはいらないおくすりちょうだい血が血が止まらないなんで生きているたすけていいこにしてますからいじめないでどうして助けてくれなかった僕の右手はどこ目が見えないよう無理ですダメデスできませんごはんを食べさせて下さい私たちは死んでしまったのにうごかないうごかないよあしがなくなっちゃったがんばりますがんばりますからでんきはながさないでくださいなんでお前だけが死にたくない死にたくない死んじゃえよ生きたい生きたい生きたかったのに僕が私が死んでしまったのはお前のせいだお前一人のためにみんな死んだお前が殺した殺して殺して殺して殺して殺すコロスころすコロス殺すしねシネしね死ね死ねお前の命をよこせ!

 

苦痛というのも生易しい、死そのものを叩き付けられていると言っても過言ではない感覚。ゼンは絶叫する。胃の中のものを全てぶちまけ、それでも足らずに血反吐を吐き、のたうち回り、四方に身体を叩き付け、全身を掻きむしりながら獣のように吠え続ける。

無限とも思われる時間、常人ならばとうの昔に発狂しているような思念の渦に晒され続けるゼン。さらに能力を解放している今の彼がどれほどの苦痛を味わっているのか、想像を絶する。こうなる事は予測できていたはずだ。ならばなぜ、彼はその道を選択したのか。

自身の身体が傷付くのもかまわず、彼はのたうち回り続ける。延々と続くかと思われていたそのぶざまな舞踏は、やがて緩やかになり、そしてついに力尽きたのか宙に横たわる。

 

びくり、びくりと痙攣するように震える身体。くか、と呼気が唾と共に吐き出される。限界を超え精神が崩壊したのか、否。呼気は続けて吐き出されていく。それは徐々に大きさを増し、ついには音声となって響き渡っていく。


「かは……はは……ははは、あはははは!」

 

雄叫びのような笑い。狂ったようにそれを吐き出し身をよじる。見開いた目は狂いを写さない。いや、狂気をも内包した、どす黒く強い何かを湛えている。


「これだ! これだよ! 自分おれに足らなかったものは! いや、“忘れ去っていた”ものは!!」

 

ぎらりと歯をむき出す。四肢に力が籠もる。心を食いつぶすような闇の中、それでも然りと自我を確立させゼンは立つ。

 

そうだ、この地獄で己は何も感じていなかったわけではない。思念を感じ共振する能力ちから、それを持っている者が相対する人間の心を理解できないはずがないのだ。

意識してしまえば苦痛だから、捨てた。押しつぶされる前に、放り出した。そうでなければ生き残れなかったから。周囲の人間は気付かなかった。ゼンの兄弟たちは完成しなかったのではなく、“完成しているからこそ己の能力に押しつぶされてしまったのだと。”

 

出て行く前に気付けば壊れていた。罪悪感のある頃なら耐えられなかった。だが今なら分かる。“コイツらは自分だ。”切り捨てた、忘れ去っていた、死に物狂いで生き抜こうとしていた自分。あがき続ける無力な子供だった。

ならば受け入れよう。完成しているが、真っ白なジグソーパズルに色を付けるために。ゼンは手を伸ばす。全てを食い尽くすがごとく。全てを抱きしめるがごとく。


「さあ、もっとだ。もっと自分の中に来い! 自分の心を塗りつぶせ! 憎悪を怨念を渇望を、掴みたくても掴めなかった明日を望む欲望を! 自分に足らない全てを埋め尽くすために!」

 

咆吼する。思念が殺到する。それを全て飲み込みながら、ゼンは不意に優しげな表情を浮かべた。


「その代わり、連れて行ってやる。お前たちが望んでいた明日へ。戦いの果てにある、何かの元に」

 

生きて、生きて、生きて、叶える。その誓いを胸に、思念の渦に飲み込まれながらゼンはゆっくりと目を閉じた。

 

捜索を妨害する残留思念が消え去ったのは、このすぐ後である。


 









目が覚めて真っ先に映ったのは、柔らかく光を放つ白い天井。

そしてくしゃくしゃになった顔でぼろぼろ涙を零すツインテールの可愛らしい少女の姿。


「……天国には縁がないと思っていたんだけどね。可愛らしい天使様のお出迎えとは痛み入るよ」

「冗談いってる場合ですかあ! ホントにホントにホントに心配したですよおおお!」

 

わんわん泣きながらしがみついてくる少女の頭をぽんぽんと撫でながら、ゼンは病室の入り口付近で斜に構えた笑みを浮かべている男に問うた。


「で、なんで“ワイズ”がこーなってんの?」

「ウチの相棒のデータを勝手に読みとってバージョンアップしたってよ。健気じゃねえか」

 

からかうように答えて、萬はにい、と笑みを深めた。


「前より凶悪になってんぜ? 悪い方向に悟ったかい?」

 

問いに答えるゼンもまた、凶暴な笑みを浮かべる。


「いんや、“過去を食い尽くしてきた”だけさ。これが自分おれだ」

 

憎悪も怨念も全て飲み込んで、さらにその上で絶望に捕らわれず生き抜こうとする意志。凄味はあったが無機質に近かったゼンの気配が、溶鉱炉のような重みと熱さを秘めたものへと変化していた。それを確信して萬は背を向ける。


「今はゆっくり養生してくれ。出番はすぐにでも来るからな」

 

もっともゆっくりできればの話だがと、萬は内心舌を出しながら去っていく。それを見送ってやれやれと息を吐きながらベッドに倒れ込もうとするゼンだったが――


「何寝ようとしてるですか! どれだけ心配したか心配したか心配したか理解してないですねでしょう! 分かりました貴方に散々利用された挙げ句捨てられてからこのワイズがどれだけ打ち拉がれ嘆き悲しみ絶望の日々を送ったか画像付きでじっくりたっぷり知らしめるです! 覚悟はいいですかなくてもやるですよさあ! さあさあさあさあ!」

「え? なに、ちょ、もの凄く人聞きの悪い事を並べ立ててるのワイズ! 傷というか精神に触るから少し落ち着いて下さいませんか!?」

 

容赦のない相方の行動にしどろもどろになるゼン。

 

きっと自身は気付いていない。

 

その表情はかつての薄っぺらいものではない、人間味溢れるものだったという事に。










次回予告っ!






迷宮の森。異世界の怪異が顕現するその地において爾来 弦は己を研ぎ澄ましていた。

弱肉強食の理が蔓延る中、彼は何を見て、何を掴むのか。

次回希想天鎧Sバンカイザー第三話『世界はこの手の中に』に、フルコンタクトっt!








こんなにダークだったのかゼンの過去。

いや自分で書いてて驚いた。


あっさり解決した空気なのは多分筆者が重いのに耐えられなかったから。






今回戦闘はないけどBGM、One Niguht Carnival。



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