月光/痛惜
シェスを切り捨てたのは、国の方だ。
だからシェスも、国を捨てることにした。
けれど、全く心残りがないと言えば、嘘になる。
一つ目の心残りは、五つ年下の弟――ジェネルエスのことだ。
両親のことはどうでもいい。
彼らもシェスを切り捨てた人たちだから。
シェスが捕らえられて、父はすぐにシェスをティエル家から除籍したらしい。
ティエル家には何の関わりもないと潔白を主張して、王家はそれを受け入れた。
実際にシェスは学院入学以来実家には戻っていなかったし、手紙のやり取りも滅多になかったため、寛大な判断が下されたようだ。
ティエル家は聖女の生まれない期間が長く、貴族としての力は徐々に落ち込んでいる。中央に何か仕掛けるような余力はない、という点も考慮されたようだった。
シェスの断罪直後というあまりにも早い除籍だったようだが、父はそうするだろうと予想できていたから、傷つきはしなかった。
シェスに神聖力があるという事実を、家のために散々利用してきた父の手のひら返しに、呆れはしたけれど。
そして母はおそらく、そんな父に賛同するばかりであっただろう。
シェスが神聖力を宿していると分かった時も、彼女は結局、ティエル家のために聖女としてしっかり務めるようにと言うだけだったから。
ジェネルエスはそんな両親に似ず、思いやりのある少年へと成長していた。
両親からは姉弟として関わることを歓迎されなかったシェスだったが、こっそりと弟と交流していたのだ。
弟は弟で、シェスとは違う苦しみを抱えていた。
唯一の後継である彼への両親の期待は重く、自由を全く許されないような毎日で、窒息しそうになっていたのだ。
「長男なのだから当たり前」などと言われることも多かったようである。
シェスはそれに、神殿で作った菓子や小物をそっと贈るくらいしかできなかったけれど、弟はそれをとても喜んでくれた。
彼は後継として大事にはされていたけれど、ただそれだけで、シェスと同じように両親からの愛情は得られず、だからこそシェスの純粋な労いや気遣いを嬉しく思ってくれたようだ。
少しでも息抜きになればと、弟が少し大きくなってからは神殿への手伝いに誘うこともあった。
それだけは、両親ともに反対することはなかった――神殿への寄与への反対など、できなかったのだ。
その頃、シェスには既に神聖力があると判定が出ていたので、それも良かったのだろう。
王立学院に入学するまでのわずかの機会ではあったが、弟と気兼ねなく過ごせた時間は幸せだった。
ジェネルエスもシェスを姉として慕ってくれ、シェスが家を出てからも手紙のやり取りを続けていたのだけれど。
――姉が大聖女判定で不正だなんて聞いて、驚いただろうな……。
後継の勉強に励む彼の足を引っ張ってしまうことが、今のシェスには申し訳なくて堪らない。
父はティエル家には問題がなかったと、同情を集めるかして上手く振る舞うだろうけれど、非難の声がゼロになることはないだろう。
弟に苦労をかけてしまうことが、シェスの胸に重くのしかかっていた。
二つ目の心残りは、エヴァジオン家のことだ。
アミティエやサジェスの顔を思い浮かべれば、あんなにも力になってくれた人たちを置いていくのかと、罪悪感で潰されそうだった。
だが、この国に残る選択肢がない以上、今が国を出る最上の時なのだ。
王家と対立している今だからこそエヴァジオン家には厳しい監視がついているはずで、エヴァジオン家も隙を見せないように動いているはずだ。
故に、シェスがいなくなったとしても、罪人を逃がしたと、エヴァジオン家に冤罪がかけられる心配はなくなる。
むしろシェスが忽然と姿を消すことによって、王家はさらに窮地に陥るだろう。
管理体制を責めるところから始まり――、エヴァジオン家の攻勢の追い風になれるはずだった。
――でも、そんなのは、ただの言い訳だよな……。
国を捨てる、ということは。
この国とずっと歩んできたエヴァジオン家にも背を向けることと同じ。
そう考えて、シェスは深い溜め息をつかずにはいられなかった。
それから、最後に――。
「ソル……」
幼馴染の名前を呟いて、シェスは目を閉じる。
彼と二度と会えないかもしれないと思うと、身を切られるようだった。
出会ってからこれまで、ずっと側にいてくれた存在。
こんなことになる前に、逃げようと言ってくれた彼の手を取っていたら、離れずにいられたのだろうか。
いや、とシェスは首を振った。
ソルを巻き込まずに済んだと、そのことに満足しているべきなのだ。
そう思って。
振り切るように、シェスは立ち上がった。
最後の見回りがやって来た後、王城の明かりが最小限になる時刻。
この時を、待っていたのだ。
「……よし」
緊張に高鳴る心臓を宥めながら、シェスは自分に気合を入れるように拳を握り――。
カタリ。
音がして、シェスは肩を大きく震わせた。
そこまで大きな音ではない。
しかし、この脱出というタイミングでのそれは、非常に心臓に悪かった。
月明りしか光源のない独房の中、シェスは体を強張らせながらぐるりと視線を巡らせて――。
「シェス――!!」
床下から飛び出してきた金色に、シェスは跳びつかれた。
「へっ!? はっ!? へっ!?」
「シェスシェスシェス、ちゃんと生きてるよな? 足と手とか、揃ってるよな? うん、なんか、大丈夫そう! あーもう、マジで良かった! それじゃ、攫うから!」
ぺたぺたぺたとシェスの体を触って確かめるのは、まごうことなく、ソルだった。
月明りなどなくとも眩い幼馴染の姿にシェスは絶句し、茫然としている内に彼に抱きしめられ、気が付けば彼女は独房に――いなかった。
ソルがこんな感じですので、次話から少し騒がしくなります。
あと、糖度も上がってゆきます……。