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Love Comedy

 そんな、日々だった。


 四月になり、新しい生活が始まった。私は私服ではなく紺色のブレザーを着て、赤いランドセルではなく黒い鞄を背負い、中学校に通い始めた。入学式の日、空はちょっと綺麗すぎるほどに綺麗な青色だ。卒業式の日にはぐずぐずしていたくせに。校舎は小学校よりも大きく、桜の花びらがお祝いの紙吹雪のように舞い散っている。


 小学校が同じ人は少ないし、その人たちとも大して仲がいいわけではないので、クラスの割り当てを見て一喜一憂することもなく教室に足を踏み入れた。周りの席の人たちはみんな小学校も同じみたいで、最初から仲良さそうに話をしている。私は一人でただ黙っていた。


 入学式と自己紹介の時間が終わったあと、右隣の席の三浦君が話しかけてくれた。彼は背が高くて優しそうな人だ。


「藤井さん、『水族館のパンダ』が好きなんだって?」


 私が自己紹介のときに好きだって言った漫画の話だ。ちゃんと聞いてくれていて嬉しい。


「うん、三浦君も?」


「実はそれの実写版に出てる二階堂聖也の実家が、うちの近くにあるんだよ」


 新しいクラスメイトとの大事な初会話だ。私はできるだけ愛想を良くする。


「へぇ! それでそれで!?」


「え、いや、それだけだよ……」


「あっ、そうだよね……」


 いけない、いけない。三バカ以外の人と話すときにも、三バカみたいな面白さを期待する悪い癖がついてしまっている。私はとりあえず謝っておいた。


「あはは、ごめん。前の学校、変なこと言う人ばっかりだったからつい」


 すると、私の前の席の原田さんがこちらを向いて会話に加わった。


「へぇ、どんな人なの?」


 原田さんはロングストレートの髪がとても綺麗だけど、見た目のイメージとは違って、自己紹介ではかなりはっちゃけている印象だった。私も何か面白いことを言わなきゃ。


「えーと、ストーカーやってる女の子に難癖つけられてラブラブ裁判で決着を着けたり」


「ラブラブ裁判って何!? その話面白そう!」


 予想以上に食い付かれてしまい、「しまった」と思った。それによく考えたら、他の人にぺらぺら話していいような内容じゃない。


 私の右斜め前の席の根岸君という、髪がツンツンしたちょっとチャラそうな男子もこっちを向いた。


「はは、そりゃこいつの話なんて霞むわ」


 三浦君を指差して笑っている。


「うるさいなぁ」


 三浦君は口を尖らせる。私もうっかり余計な話をしてしまったものだ。これ以上盛り上がってしまう前に終わらせることにした。


「こ、この話は長くなるからまた今度に……」


 と、この場はなんとか乗り切ることができたのだが、私はなぜか原田さんに気に入られてしまい、放課後も途中まで一緒に帰ることになってしまった。


「ねぇ、ラブラブ裁判って何なのか教えてよぉ」


「う、うーん……」


「あ、ラブラブと言えば、うちのお姉ちゃんもそうでさぁ。彼氏の話ばっかしてくんの。ねぇ、私たちもいつか彼氏できるかなぁ」


「まー、そのうちできるんじゃないかな」


「ねぇねぇ、根岸か三浦だったらどっちがいい?」


「えぇ……」


 既に彼氏がいるとは言いづらい。そう、山田は私の彼氏なのだ。でもまだ慣れないし、彼氏という実感はそこまで湧かない。大好きだけど、山田はあくまで山田というカテゴリーの存在だから。恥ずかしいから未だに下の名前で呼ぶこともできないでいる。


 返答に困っていると、原田さんは私の鞄に付いているドーナツのキーホルダーに触れた。もちろん山田からのプレゼントだ。


「これ、可愛いね。どこで買ったの?」


「あぁ、それはクリスマスに貰ったやつで……」


 そう言いながら、またしても「しまった」と思った。


「えっ、クリスマスってもしかして彼氏とか? もういるの!?」


「そういうのじゃないからー!」


 そういうのだけど。


 という感じで早速友達もできて、中学校生活は順調なスタートを切った。


 第一週目から塾も始まった。最初の受講日、私は家で私服に着替え、塾には早めに到着しておいた。少人数制で、小さめの教室が五つあるところだ。白い壁の部屋にホワイトボードと、二台の長机がL字の形で並べられている。他の受講生はまだ来ていない。私は六つある椅子のうちの一つに腰を下ろし、ふうっと息を吐いた。


 学校、友達、塾、それに部活も何をやるかこれから決めなきゃいけない。どれも新鮮で刺激的なんだけど、やっぱりどこか物足りないような、心にぽっかりと穴が開いているような自分もまた存在してしまっている。小学校までは、学校というものがほとんど日常の全てだった。だから、それがすっかり様変わりしてしまって少し寂しい。


 結局、春休み中に私と三バカが再び揃うことはなかった。山田は一緒に遊びに行ってくれたけど、他の二人は予定が合わなかったとか何とかで。たまに集まることはできるかもしれないけど、やはりあの頃のようにいつでも会えるというわけではないのだ。何度も山田の家に電話するのは迷惑になっちゃうから、次に話すのは週末に彼と会うときと言ってある。


 三バカとウダちゃんは誰と誰が同じクラスになったのかな。それともバラバラになっちゃったのかな。もし私も同じ中学で、黒田とウダちゃんが同じクラスになっていたら、めちゃくちゃからかったり応援したりしていたと思う。そして私は――。


 いや、やめよう。みんなとまた同じ学校になれたら本当に嬉しいけど、それは意味のない想像だ。彼らと学校で日々を過ごすことはもうないのだ。私がこれから同じ時間を過ごしていくのは、元気な原田さんとか、チャラそうな根岸君とか、優しい三浦君とか、そういう人たちなんだ。


 私は今、新しい私になっている。新しい制服を着て、新しい学校に通い、新しい友達と出会う。そしてまだ数日しか経っていないのに、今までの自分というものが物凄いスピードで遠ざかろうとしている予感があって、それがちょっと怖い。


 クリスマス会はまたやってくれるのかな。三人で本当にバレンタインチョコをたかりに来てくれるのかな。私はあいつらの言っていたことをまだ忘れていない。けどそういう思い出が、いつかお互いの新しい学校生活によって上書きされちゃうんじゃないかという不安もある。


 独り白い壁のがらんどうの部屋で過ごしていると、あの頃の思い出がより綺麗に浮かぶ。まるで長い間観ていた喜劇の記憶のように。


 そう、みんなで楽しい劇をやっているようでもあった。あんな奇跡的なバカどもはなかなかいない。ああでも、山田にはお芝居なんてできないか。


 私はあいつに言いたい。この塾でだって、これから色々な人と出会っちゃうんだから、ちゃんと私のことをつかまえていて。私と結婚するって言ってくれたことも、忘れてないからね。


 瞼を閉じれば、三バカと過ごした日々の記憶が蘇る。毎日みんなで話して、笑って、楽しかった。私は愛おしいバカどもの声を頭の中で再生する。


 あれ?


 すると想像上ではなく、ドアの向こうから聞き覚えのある声が聞こえた気がした。そう思った瞬間、ドアが開いて他の受講生が中に入ってきた。


「ギャハハ、また同じクラスかよ」


「ギャフンと言わせてやりましたね!」


 学ランを着た三人の男子。小さいマッシュルームヘアーと、ノッポのメガネと、それから……私の彼氏。


 突然の出来事に私は言葉を失い、呆然としてしまった。どうしてこいつらがここにいるんだろう。


 そんな私をほったらかしにして、三バカが立ち話を始める。黒田が山田を小突きながら言った。


「翔太は勉強頑張らないと、他のクラスにされちまうんじゃねーか?」


「うん。僕、藤井のためなら頑張れるよ」


 そう言って、山田が優しい顔でこっちを見る。フリーズしていた私は鼓動が強く脈打つのを感じた。そろそろ何か言わなきゃと思い、口を開く。


「え……てか、なんで塾に学ランで来てんの?」


 動揺のあまり、割とどうでもいいことを訊いてしまった。


 すると矢島が「もちろん、見せびらかしたいからです!」と言って、メガネを指でクイクイ動かした。ウザい。


 山田は「ねぇ藤井、誰の学ランが一番カッコイイと思う?」と目を輝かせる。アンタに決まってるでしょ。


「全員同じだろうが!」と黒田がツッコむ。やかましい。


 無音だった部屋が一気に騒がしくなる。まるで旅の劇団でもやって来たかのようだ。


 こいつらの声を聞けば聞くほど胸が温かくなり、嬉しさがじわじわとこみ上げてきて、私は何も答えられなくなってしまった。すると矢島が、私が本当に訊きたいことを察して説明してくれた。


「みんなで同じ塾に行こうって考えたのは翔太ですからね。文句は翔太に言ってください」


 黒田も「まあ、うちの母ちゃんは喜んでたけど」と、口元に笑みを浮かべる。


 それから山田が私に向かって腕を突き出し、ピースサインをした。


「サプラーイズ」


 そう言ってニコッと笑う。してやられた。塾についてはあまり詳しく話したことなかったけど、そういえば山田が桃太郎のふりをして遊んでいたときに、この塾のチラシを見ていた。春休みに集まらなかったのも、きっとこのサプライズのための布石だったのだ。演技なんてできないと思っていたけど、私の彼氏も少しは成長したってことか。


「あははっ」


 思わず声に出して笑ってしまった。こいつらがどうして今私の目の前にいるのか。そんなのは分かりきっていることだった。


「ここまでするなんて、アンタたちってやっぱり……」


 とんでもないバカだ――。


 そう言おうとしたけど、言葉を呑み込んだ。三バカがニヤニヤと笑っている。そして私の口をついて出たのは、同じ意味でありながら別の表現だった。


「アンタたちって、ホントに私のこと大好きなんだから」


 本当は泣きそうなくらい嬉しいのに、零れてくるのは笑顔だけだ。私は今、新しい日々に胸を膨らませている。


 これから、どんな恋の喜劇が始まるのだろう。

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