初雪と初恋
一月の中頃、六年生は卒業文集に載せる作文を書いた。テーマはこの学校での思い出。前のクラスでの出来事を書く子や、六年間のことを少しずつ書く子もいるが、大抵の子は現在のクラスの思い出について書き綴っている。藤井もまた、今の気持ちを素直にしたため、提出した。
そしてとある休日、翔太は起床してすぐに窓の外を見てみた。すると雪が積もっているではないか。まるで町の景色が白いクレヨンで塗られたみたいだ。雪は昨夜から降っていたが、今は止んでいて青空が広がっている。藤井も誘ってみんなで雪遊びをしたいと思った。
お昼前の時間まで待ってから、まずクロの家に電話をかけてみた。
「もしもし」
「もしもし。おう、翔太か」
「雪積もったから、今日みんなで遊ばないか?」
「ああ、悪い。今日はこれから家族で出掛けるんだ」
「そっか。じゃあしょうがないか。また今度な」
「おう」
クロはダメだった。用事があるなら仕方がない。めげずに矢島の家にも電話をかける。
「もしもし」
「もしもし」
矢島が出た。
「今日外で遊べないか? クロは来られないんだけど」
「あー……」
矢島は少し考えてから答えた。
「僕は今日、爪を切ったりペットボトルのラベルを剥がしたりするので行けないんです」
「おう? なんかよく分からんが頑張れよ」
「はい、頑張ります!」
矢島もダメだった。あとは藤井しかいない。二人だけで遊ぶという話では来てくれないかもしれないが、とりあえずダメ元で電話してみることにした。
「もしもし、山田といいます」
「あらあら」
藤井の母親が出た。
「結奈さんはいますか?」
「あら~」
よく分からない返事のあと、受話器の向こう側で藤井が喚く声が聞こえた。
「もしもし」
藤井に替わった。母親は藤井に怒られたみたいだ。
「おおう、大丈夫なのか?」
「大丈夫、気にしないで」
「今日雪積もったから外で遊べないかなと思ったんだけど。あ、でもクロと矢島は来れないから無理して来なくても――」
「いいよ、一緒に遊ぼう」
翔太が話し終える前に藤井は即答した。
「えっ、いいの!?」
「当たり前じゃない。意外だった?」
「いや、全然! 行こう行こう」
それから、待ち合わせの場所と時間を決めて通話を終えた。翔太はふと夏休みの出来事を思い出す。カブトムシのサナダマルが死んで落ち込んでいたときも、藤井に電話したら駆けつけて一緒にお墓を作ってくれた。今回も、二人しかいなくても遊びに付き合ってくれて、「ありがとう」って百回言いたい。
午後になり、翔太と藤井は近所にある広い公園に集合した。翔太が元気よく拳を上げる。
「よし、頑張って作るぞ!」
「作るって、雪だるまのこと?」
「ふっ、雪だるま作りたいなんて、藤井はお子様だなぁ」
やれやれという風に両手を上げる翔太。藤井はちょっとイラッとした。
「アンタにそんなこと言われる日が来るなんて思わなかったわ……。じゃあ、一体何を作るのよ?」
「雪の街だ!」
「んなもん作れるか!」
「何ーっ! そんなこと言う奴はこうだ!」
翔太は足元の雪を掴み、藤井に投げつけた。
「きゃっ。やったなー!」
なし崩し的に雪合戦が始まった。しばらくの間キャッキャと雪玉を投げ合っていると、誰かが近づいて来た。それに気付いた翔太が声を上げる。
「あっ、虫のおじさんだ!」
夏休みに夜の林で出会い、サナダマルをくれたおじさんがいた。寒いのでジャージではなく、上下セットの青いウインドブレーカーを着ている。
「おお、君たちはいつぞやのリア充キッズじゃないか」
「りあじゅう……? おじさんは公園で何してるの?」
「冬は虫も冬眠してるから、休みの日には蛹や卵を探したり眺めたりしてるんだよ」
「へぇ、おじさんはやっぱり凄いな!」
おじさんを尊敬の眼差しで見る翔太。藤井は色々とツッコミたかったが、グッと堪えていた。
そこで翔太はまた夏休みのことを思い出した。
「ごめん、おじさんに貰ったカブトムシ死なせちゃった」
「ああ、いいっていいって。ていうか、冬まで生きてたら逆にびっくりだよー」
おじさんは陽気に笑った。
「そういうところは結構サッパリしてるんだな」
「自由研究だったんだっけ? 標本にでもしたの?」
「ああ。それでさぁ、藤井と」
「ああー!」
藤井がいきなり大声を出して翔太の話を止めた。一緒にカブトムシのお墓を作ってあげたことが、今になって急に気恥ずかしくなったのだ。あのとき翔太が言っていた通り、まるで小さな子みたいだ。それに、あの日のことは自分にとっても特別な思い出だから、あまり他の人にぺらぺらと喋ってほしくない。
話の腰を折られた翔太が不思議そうに藤井を見る。
「どうした藤井」
「その話もいいけど、折角来たんだからもっと雪遊びしようよ」
「そうだ、雪の街を作らなきゃいけないんだった」
「そもそも雪の街って何なのよ」
すると、状況を理解したおじさんが話に加わった。
「うーん、雪祭りみたいなのは無理だけど、かまくらくらいなら作れるんじゃないかな」
「かまくら!?」
翔太は目を輝かせ、おじさんは親指を立てた。
「おじさんの家、すぐ近くなんだ。シャベルとか持って来るからちょっと待ってて」
「ありがとう! おじさんって不審者だけど、いい不審者だな!」
「ハハハ、任せてよ」
おじさんは得意げな顔をして、一旦帰った。藤井はツッコむのを堪えていた。
おじさんがシャベルを取りに行っている間、手作業で雪をかき集めようとしたが、やはりなかなか進まない。ほどなくしておじさんが戻って来たので、三人でシャベルを一本ずつ持ち、公園の隅でかまくら作りを始めた。
雪を盛ったり固めたりを繰り返して小さな雪山を作っていく。高さは一メートル五十センチ弱になった。部屋となる穴を掘る作業はおじさんがやってくれて、二人はおじさんが掘り出した雪を片付けていった。
適当なところで内側の壁も固め、かまくらが完成した。翔太はそれを見て、率直な感想を言った。
「やったー! でも、中はあんまり広くならなかったね」
「まあ、素人が作ったらこんなもんだよ。君たちなら二人で入れるけど、おじさんじゃ一人しか入れないかな。んじゃお先に」
おじさんは子供のように我先にとかまくらの中へ入っていく。覗いてみると、かまくらの中で中年男性が体育座りをしていた。
「中はどう?」
「ああ、凄くいいよ! 卵の中の虫の気分!」
例えがシンプルに気持ち悪い。翔太は思い出したように言った。
「そういえばおじさん、今日初めて虫ジョーク言ったな」
「冬の間は虫もあまり活動しないからね。虫ジョークはなるべく自粛しているんだよ」
「こだわりが謎すぎる」
おじさんは土の中から這い出る虫のように緩慢な動きで出てきた。
「よっこらせ」
「よーし、次は僕たちの番だな。藤井も入るだろ?」
「うん!」
翔太が先に入って座り、藤井もそれに続く。中は外より少し暖かい。おじさんが覗くと、小学生の男女が仲睦まじく狭いかまくらの中で座っていた。
「おお……尊い……」
なぜか二人に向かって手を合わせるおじさん。それから名残惜しそうに言った。
「おじさん、用事があるからもう行かなきゃいけないんだ。あとは二人で遊んでて」
「そっか、おじさんサンキューな」
「ありがとうございました」
そう言って、藤井もおじさんに手を振った。
おじさんが帰り、翔太はかまくらの中で藤井と二人きりになった。中は狭いから彼女との距離が近い。ドキドキしていると、藤井の方から話を始めた。
「スノードーム、作れたね」
「えっ?」
どうしてここでスノードームの話が出てくるんだろうと思った。
「おっきなスノードーム」
「あ……ああ!」
翔太はなんとか理解できた。このかまくら自体が大きなスノードームみたいだということだ。
「へへっ、私たちはスノードームの中の飾りだよ」
藤井は嬉しそうに微笑んでいる。
「ははは」
「あっ、でも約束したスノードームもちゃんと作ってあげるからね」
「うん。サンキュー」
会話が途切れる。次は何を話そうか考えていると、再び藤井が白い息とともに囁いた。
「ねぇ」
「うん?」
「私と一緒にいて辛くなったりしないの? 私、山田のことは好きじゃないとか言っちゃったのに」
藤井にあの日の話をされたのは初めてのことだ。でも、もうお互いに辛くはない。翔太は動揺することもなく答えた。
「そうだなぁ……。別に藤井の好きな人になれなくても、藤井と一緒にいるのは楽しいよ」
「そういうものなんだ」
「そう。藤井は僕と一緒にいるの、嫌じゃないのか?」
「そんなことない。私も山田と一緒にいるのは楽しい」
「そうなんだ」
「別の中学になっちゃうのは寂しいけど、それまではたくさん一緒にいたい」
「そうか」
「うん」
「それは良かった」
それだけで話は終わった。しばらくの間何も喋らず二人だけの親密な空気を感じていたが、いい加減にお尻が冷たくなってきたので外へ出た。
翔太はかまくらの方を振り返り、いつもの元気な声で言う。
「よーし、じゃあかまくらを壊すか!」
「壊しちゃうんだ」
「壊すのもかまくらの醍醐味だぞ」
翔太はそう言ってかまくらの上に上り、ジャンプを繰り返した。
「気を付けてよー」
しばらく続けているうちに少しずつ崩れてきて、天井部分が壊れた。かまくらはただの雪の小山に戻った。
続いて小山をできるだけ平らにするため、足で外側にどかし始める。すると藤井もやって来て、一緒に雪を蹴り始めた。リズムを刻むように、ステップを踏むように。向かい合ったり、背を向けたり。雪の粒が舞い、雪を蹴る小気味良い音が鳴っている。藤井が滑って転びそうになったら、手を取って支えてあげた。まるで、舞台の上でダンスをしているようだ。
だが今度は翔太がバランスを崩し、仰向けに倒れてしまった。体がちょっと雪に沈んでいる。それを見た藤井が、いたずらを閃いたかのようにニヤリと笑った。
「えいっ」
仰向けになっている翔太の上で、藤井も仰向けに寝転がる。二人は雪の上で×の字の形になった。
「おい、藤井」
反射的に藤井の体をどかそうとするも、彼女は動こうとしない。
「あはははは!」
透き通るような冬の空に、藤井の楽しそうな笑い声が響き渡る。
中学校に上がれば、それぞれに新たな出会いがあり、新たな恋も始まるかもしれない。だから、卒業したら翔太の初恋は終わり。だけど、卒業するまで初恋は続く。こういう藤井とのあったかい時間が、できるだけ長く続けばいいなと思う翔太なのであった。
次の日の朝、藤井が学校に向かっていると、同じ登校班の五年生の女の子が隣に来て言った。
「ねぇ、ドラマの『好きな人が歯槽膿漏になりました』観てる?」
彼女は期待を込めた目で藤井の横顔を見ている。そして、望まれているのが「観ていない」という答えであることに藤井は気が付いた。この子は、恋をしたことがない藤井に向かって大人ぶって話がしたいだけなのだ。
「観てるよ。面白いよね」
藤井がそう答えてやると、彼女は驚きの声を上げた。
「えっ!? 好きな人できたことないから、そういうのは観ないって言ってたのに」
藤井は愛おしそうな眼差しで前を見たまま言った。
「私には、もう分かるの」
「……ふ、ふーん」
そこで会話が途切れ、地面に残った雪を蹴る音だけが響いた。
雪というものには本来色がないが、粒になることで白色に見えている。いつしか藤井の心に降り始めた初雪も、今でははっきり自覚できるくらいの恋の色に染まっていた。
私の今のこの気持ちが、きっと「好き」なんだ――。
それは大きな喜びや刺激的な昂ぶりではなく、穏やかな幸せに似た感情であった。かまくらの中にいるみたいに温かくて心地がいい。でもこのままだと想いが降り積もって、いつか雪崩が起きてしまうかもしれない。




