ラブコメの波動
日々の帰り道。それは、知らず知らずのうちに心理戦が繰り広げられている場でもある。仲のいい人であれば同じ帰り道で出くわしても自然に一緒に帰ることができるし、全然仲良くない人なら一緒に帰らずにスルーしてもお互い全く気にならない。しかし帰り道が同じ方向で、会話はするけど一緒に帰るほどではない人と顔を合わせてしまうと気まずい思いをすることもある。そういう人とは接近しないように、帰るタイミングや歩くスピードを調整しなければならない。社会人になっても必要なこのスキルは、実は小学生のうちから鍛えられているのだ。
藤井はいつも一人で下校している。だが冬の日の帰り道、学校の敷地沿いにある道路で宇田川と出くわしてしまった。
「あ……」
もう十二月が始まった。外はすっかり寒くなり、宇田川はブラウンのコートを着込んでいる。歩くのが遅いので、気付かぬうちに追い越そうとしていた。彼女もこちらを見て、完全に目が合ってしまう。
宇田川は別のクラスだから、会うのはラブラブ裁判のとき以来だ。二人で何を話せばいいのか分からず、曖昧な笑みを浮かべながら早歩きで追い抜いて行く。すると、彼女も小走りになって追いかけてきた。
「藤井さん、一緒に帰ろうよ」
「えっ、いいけど」
宇田川から誘われるとは思っていなかったので、少し驚く。ラブラブ裁判では激しい言い合いを繰り広げたというのに。
すると、宇田川が察したかのように切り出した。
「この前はごめんなさい。あたしのせいであんな面白いことになってしまって」
宇田川の方は大して気にしていないどころか、面白エピソードだと思っているようだ。
「私は大丈夫だけど、あれから黒田とはどうなったの?」
「特に何も変わんない。あとストーカーはやめた。裁判で負けたらやめる約束だったから」
「そうなんだ」
クロからも宇田川に関する話は聞いていない。二人が両想いだということは明らかになったが、そこから何も進展していないのだろう。
「藤井さん、下の名前は何て言うの?」
「え? 結奈だけど……」
「じゃあ、これからは結奈って呼ぶ」
「えぇっ!?」
藤井は同級生から下の名前では呼ばれていない。対して宇田川は不思議な子だが、相手が敵じゃないと分かればかなりフレンドリーになれるようだ。嬉しいやら恥ずかしいやら。
「私のことはウダちゃんって呼んで。友達からはそう呼ばれたいから」
「呼ばれてる、とかじゃなくて願望なんだね……。ていうか、私も友達にしてくれるの?」
「もちろん。私と同じくらい高い恋愛レベルで話ができるのは結奈くらいだもん」
「そんなこと言われても、好きな人ができたことすらないよ」
「山田君はどうなの? 結奈のこと好きだって話だったよね」
「どうって言われても……」
翔太は言っていた。藤井には自分以外の人を好きになってほしくないし、自分のことを好きにさせてみせると。ここまで言ってくれたのだから、藤井も彼のことは好きになってあげたいし、そうしなくちゃいけないとは思っている。
宇田川はため息を吐いた。
「はぁ、うちの旦那もあれくらい堂々としていればいいんだけど」
「いつ結婚したのよ……。でもウダちゃんって、今までも全然黒田と話してないよね? 違うクラスだとしても一度も見たことないもん」
「だって恥ずかしいじゃない。ていうか、この前どさくさに紛れてクロ君に好きって言われたから、もう顔を直視することもできない」
「高い恋愛レベルとは一体……」
「クロ君とはあれから何も変わらないし、私も山田君に乗り換えようかな」
「は? 何言ってんの? 勝手なことしないでくれる?」
「急に真顔になるのやめて? めちゃくちゃ怖いから」
藤井はハッと我に返り、わざとらしく両手を頬に当てた。
「やだ、私ったら何言ってるのかしら……」
「今更殺気を消しても手遅れだよ。結奈、やっぱり山田君のこと好きなんじゃない」
「私は別に好きじゃないけど、彼が私のことを好きって言っているから、あくまで彼の気持ちを尊重してあげているだけだよ」
「あなたも面倒くさい女ね」
そこまで話したところで、帰り道が分かれる地点まで来た。
「じゃあ、あたしはこっちだから」
「うん、じゃあね」
「またねー」
宇田川は手を振って去って行った。雨が降って地が固まったのだろうか。二人の間に、三色対抗リレーやラブラブ裁判のときのような緊迫感はすっかりなくなっている。六年生の二学期になっても新しい友達ができたことに、藤井は鈴の音のような嬉しさを覚えるのであった。
次の日の帰り道、藤井は校門まで一人で歩いていた。だが校門から出て右を向いたとことで、とんでもないものを目撃してしまった。なんと宇田川が翔太と一緒に帰っているではないか。彼女には昨日釘を刺したばかりだというのに。
翔太は校門を出て右、クロと矢島は左という下校ルートなので、翔太はいつも一人で帰っているし、校門までは三人で行くということもしていない。だから他の人にも付け入る隙はある。
校門の陰に隠れて様子を伺う。はらわたはぐつぐつと煮えくり返っている。
「この浮気者め……」
「おいおい、何で翔太と宇田川が一緒に帰っているんだ?」
後ろを振り向くと、目の前にクロがいた。
「きゃああ!」
矢島も一緒だ。二人も藤井の後ろに隠れるようにして、翔太と宇田川のことを見ていた。
「もう、びっくりさせないでよ」
「藤井、あれはどういうことだ? 何か知ってんのか?」
「そんなの、私の方が訊きたいわよ」
すると矢島が提案した。
「面白そうなので尾行しましょう。僕とクロは逆方向になりますけど」
藤井とクロは無言で頷き合い、翔太と宇田川を遠くから観察することにした。
小学校低学年くらいまでならともかく、高学年にもなって男女で一緒に帰るというのは冷やかしの対象にもなるし、なかなか勇気がいる。つまり、本当にカップルでなければこんなことはしないと解釈することもできるのだ。実際二人で歩く翔太と宇田川は、遠目には仲睦まじい関係のようにも見えた。
「なんか距離近くない? あれこそラブラブ罪で引き離すべきよ」
藤井が口を尖らせると、矢島が冷静に指摘した。
「その場合、翔太と宇田川さんが両想いだと認めることになりますけど、いいんですか?」
「いいわけないでしょ!」
「ですよねー」
矢島は大人しく話を聞いているように見えるが、他人事なので笑いを堪えるのに必死なだけだ。そして、藤井の不満の矛先がクロに向かう。
「ていうか、黒田がしっかりしないからウダちゃんが他の男に行っちゃうんじゃない! 女の浮気は転職活動だって本に書いてあったわよ!」
「わけ分かんねぇこと言ってんじゃねー!」
「いいから早く抱いてあげなさいよ!」
「お前がやれ!」
ぎゃあぎゃあと言い合う二人。矢島は「もう面倒だから、やっぱりクロと藤井がくっつけばこの話終わるんじゃね?」と思い始めていた。
そこで、ふいに宇田川が翔太の腕に触れた。
「今山田に触ったわよ、あれはもうレッドカードでしょ!」
さっきからずっと心中穏やかではない藤井。すると、矢島がメガネの位置をクイッと直して言った。
「監督はこう言っていますが、どうでしょうか? 解説の黒田さん」
「難しいところですね。宇田川が何かのジェスチャーをして、うっかり触れてしまったようにも見えました。わざとでなければレッドカードになりません」
「アンタはどっちの味方なのよ!」
こんな風に三人で騒いでいるうちに、翔太と宇田川は十字路で別れた。藤井と宇田川で帰るときより、別れる地点が早いようだ。
「ここまでのようですね」
「ま、何だったのか明日翔太に訊いてみるか」
どうやらクロはそこまで深刻に考えてはいないようだ。しかし藤井は怒りを通り越し、少し落ち込んでしまっている。二人はそれを察し、そっとしておいてあげることにした。
「それじゃあ、僕たちも帰ります」
「じゃあな、藤井もそんなに気にすんなよー」
「うん、ありがと。じゃあね……」
クロと矢島は踵を返し、もと来た方向へ去って行った。クロがジャンケンで負け、矢島のランドセルも持たされている。一人になると余計に寂しさが募っていくのを感じた。
私のことが好きだって言ってたくせに……。
みんな帰って周囲に誰もいなくなったあとも、藤井は翔太が帰って行った方角をじっと見つめていた。




