ラブラブ裁判①
宇田川のことを知らない翔太が吞気な声で言う。
「おう、遅かったな。みんな帰っちゃったぞ。その子は誰だ?」
対照的に、藤井とクロは驚いたような表情で宇田川を見ている。
「どうして宇田川さんが……」
状況が理解できない三人に向かって、矢島は言い放った。
「これから、みんなで裁判ごっこをしましょう」
藤井は首を傾げる。
「裁判ごっこ?」
「はい、クロと藤井さんを裁く裁判です」
「ちょっと、私たちが一体何をしたって言うのよ」
「あなたたちには今、ラブラブ罪の疑いがあります」
「何その罪!?」
「要は両想いってことです」
藤井は宇田川の方を見た。彼女と初めて会ったのは運動会の三色対抗リレーだ。他のクラスのよく知らない人にいきなり「あなたには絶対負けない」と言われた。修学旅行のときには藤井の宿泊部屋に来て、藤井の恋愛事情を根掘り葉掘り訊こうとしていた。そして今、藤井とクロが両想いだと難癖をつけている。不可解な一連の行動が一本の線で繋がり、ようやく藤井にも察しが付いた。
「宇田川さん、もしかして黒田のことが好きなの?」
「そういうこと」
「心配しなくても、私と黒田は両想いなんかじゃないわよ」
「それをはっきりさせるための裁判なの」
「うーん、もし私たちがそのラブラブ罪とみなされたら、どうなるの?」
「今後のラブラブを禁ずるわ。一緒に遊んだり、お話をするのもダメ。クロ君は私の運命の人なんだから」
「ふぅん……。それで、裁判ってどうやるの?」
今度は矢島が質問に答えた。
「僕と宇田川さんがチームになって、クロと藤井さんのラブラブ罪を証明するので、二人は反論してください」
「なんで矢島はそっちの味方なのよ」
「面白そうだからです」
「アンタはそういう奴だったわね……」
「翔太は裁判長です。最後にどちらの言い分が正しいのか判決を下してください」
「責任重大だな。どうして僕が裁判長?」
「他にやることがないからです」
「あっ、そう……」
クロと藤井の組、矢島と宇田川の組に分かれ、夕暮れの教室の中、向かい合う形で立った。教卓には裁判長の翔太がいる。
「それじゃあ、さっさと始めるわよ」
「藤井さん、なんだか余裕ですね?」
「いや、まあ……」
藤井には勝算、すなわちこんな裁判ごっこはすぐに勝てるだろうという自信があった。
「では始めましょう。名付けて、ラブラブ裁判!」
「まんまね」
裁判が始まり、藤井が確かめるような口調で言った。
「要するに、黒田は私のこと好きじゃないって宇田川さんに分かってもらえれば、納得してくれるのね。そういえば宇田川さん、そっちのチームが負けたらどうなるの?」
「そしたら、クロ君へのストーカーをやめるよ」
「それは負けなくてもやめなさいよ……」
矢島が仕切るように質問を切り出した。
「それでは、まずクロに確認します。あなたは藤井さんのことが好きなんですか?」
この質問は問題ないと藤井は思った。真偽はともかく、クロは藤井なんか好きじゃないと普段から言っているのだから。ツンデレだろうが何だろうが、いつも通りに喋ってくれればいいだけだ。宇田川が教室に来てから、クロが一言も喋っていないのが不穏だが。
分かっているわよね、とクロに視線で訴える。
「俺は藤井が好きだ」
クロのはっきりとした声が響き渡り、教室が静まり返る。戦いの火蓋が切られた。
「ちょ、ちょっと!」
「まあ、最後まで聞けよ。俺は藤井が好きだが、藤井の好きな人ではない。よって、ラブラブ罪ではない!」
「って、宇田川さんが白目剝いてる!」
自分から告発したものの、クロ本人の口からはっきり言われるとやはりダメージがあったようだ。
「宇田川さん、この裁判が終わるまで耐えられるのかな……」
心配している藤井をよそに、矢島の方がクロに反論した。
「ふっ、そう来ると思いましたよ。けど甘いですね」
「何だと?」
「クロが気付いていないだけで、実は藤井さんもクロのことが好きなのです!」
今度は藤井に向かって問い掛ける。
「どうですか、藤井さん?」
「うっ……」
藤井は言葉に詰まった。本人の前で「好きじゃない」と改めて言うのは申し訳ない気がしたから。
「藤井、俺に遠慮する必要はねぇ。はっきり言ってやれ」
クロに促され、藤井は頷く。そして、矢島と宇田川に向かって堂々と言い放った。
「べ、別に黒田のことなんか好きじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!」
「めちゃくちゃツンデレっぽくなってるじゃねーか!」
「ハッ、つい……」
復活した宇田川は動じることなく言葉を返す。
「無駄よ、藤井さん。藤井さんがクロ君のこと好きっていう証拠があるの」
「な、何よそれ……」
「今からそれを話してあげる。裁判はここから!」
不敵な笑みを浮かべ、話を始めた。
「第一の犯行現場は運動会よ」
「犯行言うな」
「あたしがいつものようにクロ君をストーキングしていたら、体育館裏であなたたちがばったり会ったところを見たの」
「さらっと恐ろしいことを言うんだね……。それで、会話の内容を聞いたってこと?」
「離れたところから見ていたから、ちょっとしか聞こえなかった。でも藤井さんがクロ君に、自分のことが好きなのか問い詰めてたのは確かよ」
それは事実だ。そして、藤井はあのとき謎の物音が聞こえたのを思い出した。特に気にしていなかったが、あれは宇田川が隠れていたのだ。
「あれはそんなつもりじゃ……」
「普通、好きでもない人にそんなことを質問したりしないわ」
「うぅっ……」
どうやって反論すればいいのか分からない。何も言えずにいると、宇田川は話を続けた。
「第二の事件は修学旅行よ。ここで藤井さんはかなり大胆な犯行を行った」
「大胆な犯行?」
「なんと、洞窟の暗がりの中でクロ君に抱きついたの!」
「えっ」
一体何の話だと思い返してみたら、一つだけ心当たりがあった。鍾乳洞の階段のところで水滴に驚いて足を滑らせたが、前方にいたクロに掴まって立ち止まることができたのだ。
「だ、抱きついてなんかいないわよ! 滑ってぶつかっただけ!」
「後ろから両手で触っていた! サッカーだったらレッドカードで退場だよ!」
なぜかサッカーボールと同列に語られるクロ。藤井はげんなりした。
「まさかあのときも見られていたなんて……」
「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているものなの」
「ごめん、ちょっと何言ってるのか分かんない。第一、宇田川さんは別のクラスでしょ。こっちのクラスの方に来られるわけないわ」
「前にも言わなかったかな? あたしは影が薄いから、ちょいちょいいなくなっても誰も気付かないのよ」
「得意顔で言わないで、余計悲しくなるから!」
「とにかく、次が最後の犯行よ。第三の事件は――」
宇田川は修学旅行のお土産売り場で起こったことについて話そうと思っていた。クロに話しかけるチャンスを矢島が作ってくれたが、たまたま近くにいた藤井に先を越されてしまったこと。
しかし、それについて咎めるのは思い直した。話しかけるのを躊躇していた自分の弱さが招いた結果でもあるからだ。
「やっぱり、この話はやめた」
「そう……?」
藤井は不思議そうな顔をしたが、宇田川は仕切り直すように言った。
「とにかく、藤井さんの犯行は以上よ。やっぱりクロ君のことが好きだとしか思えない。これは不倫よ不倫!」
「そ、それくらいのこと――」
藤井はそこで言葉を詰まらせる。
「それくらいのこと……何かな?」
それくらいのことは山田とだってしている、と言おうとした。翔太とも一緒に出掛けて、カブトムシのお墓を作り、夕焼け空の下で一緒にスノードームを見たことがあるのだから。でもなぜか、その話をするのが急に恥ずかしくなってしまった。それは他人においそれと話してはいけない特別な出来事で、思い出すと胸の奥で聞いたことのない音が響いた。
仕方がないので、別の話をすることにした。
「それくらいのこと、矢島とだってあったわ。私からお祭りに誘ったんだもの」
矢島も藤井のことが好きだというのは嘘だった。でも本人以外でそれを知っているのは藤井だけだ。
「な、何ですって……」
「それくらい、友達なら普通よ。ええと、こういうの何て言うんだっけ……。あ、そうそう、本に書いてあったわ。この三人は、私のキープ君なのよ!」
藤井はニュアンスをよく理解していない言葉を叫び、矢島と宇田川が白目を剝いた。翔太はキープ君の意味を知らずにポカンとしている。
「キープ君って何だ?」
「あとで教えてあげます。それより、ここで一つ言っておかなくちゃいけないことがあります」
矢島が何やら不穏なことを言い始め、藤井は身構えた。
「まさか……」
「僕も藤井さんのことが好きだと言っていましたが、あれは嘘でした。ごめんなさい」




