運動会②
遠回りをしながら校庭まで戻るはめになった藤井。すると前方からクロがやって来て、声をかけられた。
「翔太を見なかったか? この辺りで見たという目撃情報があったんだが」
「あいつは珍獣か何かなの。山田ならこの先で会ったわよ」
「おお、サンキュー」
藤井はふと思った。矢島が自分のことを好きだというのは嘘だったし、山田もあんな調子だし、やっぱり黒田も怪しいと。
クロが藤井のことをはっきり好きと言ったのは、三人揃って告白をしたときだけだ。ツンデレだか何だか知らないが、彼の気持ちを今一度確かめるいい機会だと思った。
「ねぇ、ちょっといい?」
「何だ?」
「黒田って結局、私のこと好きなんだっけ? そうじゃないんだっけ?」
「えっ!? す、好きなわけねーだろ」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
藤井は驚くわけでも悲しむわけでもなく、普通に受け入れた。
「いや、ちょっと待て」
「何よ」
「好きじゃないこともなくなくない?」
「なんでアンタが疑問形なのよ!」
「好きかどうかは、季節や天気、体調によっても変わるから何とも言えん」
「そんな話、初めて聞いたわ」
「そういうものなんだ」
「ふーん。で、今日はどっちなの? 好きなの? 好きじゃないの?」
クロは少し考えてから、ゆっくりと言葉を選ぶような調子で言った。
「……そこまで好きではない」
「そう。まあいいわ、呼び止めてごめんね」
「おう……」
藤井はクロの横を通り過ぎ、クロもそのまま歩き出す。
そのときだった。近くで物音が聞こえたような気がした。後ろを振り返るが、クロは気付いていないようだ。まあきっと矢島か何かだろうと思い、藤井も気にしないことにした。
昼休みが終わり、運動会のプログラムは佳境を迎える。六年生が全員参加する騎馬戦も行われた。そして最後の競技を残した時点で、一位は青組、二位が赤組、三位は黄色組となっていた。男女別に行われる三色対抗リレーで、男女ともに赤組が一位になれば逆転優勝できるという点数差だ。
クロと藤井は既に待機場所に移動していて、クラス一同は固唾を吞んで見守っている。
やがて男子の三色対抗リレーが始まった。前半は抜きつ抜かれつのレースであったが、次第に青組が優勢になり、赤組がそれに続く形となる。しかし、アンカーである六年生の番で戦局が変わった。クロが少しずつ差を縮め、なんとか逆転して一位になったのだ。
「ギャハハハ! バーカバーカ!」
スポーツマンシップの欠片もない高笑い。折角勝ったのに、先生に注意されてしまう。
男子のリレーでは赤組が勝利した。嬉しい反面、藤井にはプレッシャーが重くのしかかる。優勝できるかどうかが、女子のリレーにかかっているのだ。しかも男子と同様、低学年から順番に走るので、アンカーはもちろん六年生の藤井だ。赤いハチマキを締め直し、気合いを入れようとする。
そして、最後のスターターピストルが鳴らされた。始めから青組が一位で、二位の赤組との差は徐々に開いていく。一年生、二年生、三年生……と順番にバトンが繋がれ、自分の番が近づくにつれて藤井の動悸は苦しいほどに強くなっていった。
五年生が走り始めたところで、六年生の三人も立ち上がって待機場所からレーンに向かう。そのとき、隣にいた人が突然藤井に向かって言った。
「あなたには絶対負けない」
青組の走者が、小さな声だけどはっきりとした口調でそう言った。驚いてそちらの方を見たが、知らない子だった。小柄でショートヘアー、顔立ちは整っているが、どことなく陰もあって人形のようだ。彼女は確かに「あなたには絶対負けない」と言っていた。リレーで一位になりたいとか、チームを優勝に導きたいとかではなく、ただ藤井個人に勝ちたいという意志が感じられた。他のクラスのよく知らない子に何か恨まれることでもしただろうか。身に覚えは全くないが、今は気にせず競技に集中しなければならない。彼女ももうこちらを見てはいなかった。
レースは依然として青組が一位だ。自分の席で応援している翔太が、不安そうに矢島に言った。
「もうすぐ藤井の番だ。大丈夫かなぁ」
「大丈夫かどうかは分からないです。が、藤井さんの走りは……美しいです」
青組の五年生が六年生――謎のショートヘアーの子にバトンを繋ぐ。それから遅れて藤井もバトンを受け取り、物凄い勢いで走り出した。
藤井は思った。黒田が逆転できたんだから私もできる。私は黒田からもバトンを受け取ったのだ、と――。
先頭の青組までまだ結構な距離がある。だがしかし、藤井のスピードは走者の中で圧倒的だった。そして、ただ速いだけではなく、矢島の言う通り彼女のフォームは綺麗だ。陸上をやっているわけでもないのに、正しい姿勢でスピードを出すことができている。
見る見るうちに距離が縮まっていく。会場は大盛り上がりだ。あとは、ゴールまでに追いつけるかどうか。青組の子の背中が目前まで迫り、今まさに追い抜こうとするところで二人はゴールした。遠目にはどちらが勝ったのか分からない。
藤井は立ち止まり、激しい鼓動を感じながら荒く呼吸を繰り返した。ゴールする瞬間、横に並ぶことができたと思う。が、そこまで自信はない。息を整えながら、判定を待った。
そして、実況係に結果が伝えられる。
「一位は、青組です!」
アナウンスが校庭中に響き渡り、青組の児童たちは大喜びする。得点ボードの数字がすぐに差し替えられ、青組が優勝であることが示された。
藤井は失意のあまり、目の前に霞がかかったような感覚に陥った。喧騒が遠くに聞こえる。
もちろん優勝できなかったのは藤井一人のせいでは決してない。でも真面目な彼女は、自分があともう少しだけ速ければ優勝できたはずだと責任を感じずにはいられなかった。しかも、この種目に立候補したのは他でもない自分自身なのだ。
申し訳が立たず、クラスメイトのもとへ戻る足取りも重い。だがそれでもとぼとぼと歩き、自分のクラスのエリアへ着くと、誰に向かうでもなく独り言のように言った。
「ごめん、私のせいで赤組優勝できなかった……」
黒田が折角一位になったのに、私がその頑張りを無駄にしてしまった。私が立候補なんてしなければ優勝できたかもしれないのに。これが、私たちの最後の運動会だったのに――。
藤井は思わず目を伏せ、後悔の念に駆られた。
だがそう思ったのも束の間、誰かが励ますように彼女の肩に手を乗せる。驚いて目を開けると、そこにはクロがいた。藤井より背の低い彼が手を伸ばし、ニヤリと笑いかけていた。彼はクラスメイトの誰よりも早く藤井のもとへ来たのだ。
「何言ってんだ、藤井が一番速かったじゃねーか。だから優勝は藤井だろ」
「えっ……」
クロの言葉が呼び水となり、心配そうに藤井を見ていたクラスメイトたちが一斉に集まってきた。クロはあっけなく引き離され、彼らは次々に藤井を激励した。
「そうだよ、藤井さんの追い上げ凄かったよ! 私感動しちゃった!」
「一番頑張ったのに、藤井ちゃんのせいなわけないじゃない!」
「優勝できなかったのは三バカが借り物競争でふざけたせいよ!」
「うるせーブス!」
「わははは! 黒田も頑張ったぞ!」
クラスメイトたちは笑ったり励ましたりの大騒ぎだ。翔太と矢島も一緒になって藤井に声をかける。その中心にいた彼女も始めは呆然としていたが、氷が柔らかな羽毛に包まれ溶けていくように、徐々に顔を綻ばせていった。
「ありがとう、みんな……」
藤井はクラスメイトたちを見回してお礼を言う。そして最後に、後ろの方へ追いやられたクロに視線を送り、少し照れくさそうに微笑みかけた。クロもつられて、柄にもなく無邪気に笑い返す。
こんな風にして、藤井たちの最後の運動会は幕を閉じたのであった。




