尾ひれがついたうわさ
「もういーかーい?」
「もういーよー」
義也は大きな声で返事をした。藪のうしろにちぢこまって身を隠す。ドタドタと足音が遠くへ去っていった。きっとオニ役の雅史だろう。
――よし、これならおれが一番隠れていられそうだぞ――
八百神社はそこそこに広い神社だったが、いつもじめっとした雰囲気で、参拝客もほとんどいない。しかし、隠れる場所がたくさんあるので、子供たちにとっては格好のかくれんぼスポットなのだった。
「光彦、みーつけた!」
雅史の声が聞こえてきた。どうやら一人見つけたらしい。義也はへへっとほくそ笑む。
――こっちは藪のうしろくらいしか隠れる場所がないから、普通はあっちに隠れるもんな。おれも多分、あっちを先に探すだろうし――
うまく雅史の裏をかいたことで、得意になっている義也だったが、首筋に冷たいものがふれてビクッと身を硬くする。
「ひゃっ!」
思わず声をあげてしまい、あわてて口を押える。まさかと思い、恐る恐る空を見あげた。
――マジか――
さっきまで晴れていたはずなのに、いつの間にか暗い雲が空をおおっている。どうやらさっきのは雨粒だったらしい。しかし、まだ本降りにはなっていないようで、パラパラと、いや、パラぐらいしか降ってきていない。これで出ていったら、せっかく裏をかいたのにバカみたいだ。
――もうちょっとねばるか――
首を引っこめて、義也は鼻をこすった。さっきから甘ったるいにおいがする。それにかすかに生臭いにおいも。
――昨日のゴミでも捨てられてるのかな――
昨日は縁日だったのだが、さすがの八百神社も、お祭りの日は人出でにぎわうのだ。義也は昨日食べたイカ焼きの味を思い出し、一人でほほえんだ。
「どうしたの、ぼうや? なにか楽しいことでもあったの?」
突然耳元で声が聞こえたので、義也は思わず飛びあがりそうになった。口をしっかり押さえて、小さな肩をふるわせる。
「ぼうや、どこにいるのかしら? 隠れていないで出てらっしゃい。お姉さんと遊びましょうよ」
空耳であってほしいという義也の願いは、一瞬にして打ち砕かれた。再び女の人の声がする。それとともに、甘ったるいにおいがむわっと鼻に流れてきて、義也はえずきそうになった。
――まさか、これ――
八百神社は、子供たちのかくれんぼスポットだが、夜になると肝試しスポットに早変わりする。事実、夏休みになると八百神社の駐車場には、見慣れないバイクがたくさん止まっていたりするのだ。隣町の高校生や大学生がよく来るし、もちろん地元の高校生なんかもよく肝試しに来る。しかし、大人たちはそんな若者たちに、口を酸っぱくしていっていることがあった。
――八百神社では、夜にかくれんぼしてはならない――
もしも夜にかくれんぼすると、どこからか声が聞こえてきて、言葉巧みに隠れ場所から誘いだそうとするらしい。だが、もし隠れ場所から出てしまうと、その人は神隠しにあってしまうともっぱらのうわさだった。
――でも、どうして? 今は夜じゃないのに――
ぎゅうっと頭をかかえて、少しでも小さくなれるように縮こまる義也だったが、再び声が聞こえてきた。今度は女の人の声ではなかった。
「おーい、義也? 早く出てこいよ、そろそろ帰るぜ!」
――雅史だ――
胸の中にうずまいていた冷たい霧が、急速に晴れていくのを感じて、義也は大きく息をはいた。助かったのだ。そして立ち上がって声を返そうとして、すんでのところで義也は口を押さえて身をかがめた。
「あら、今なにか音がしなかったかしら?」
あの女の人の声だ。ガチガチと歯を鳴らしながら、義也はうわさの続きを思い出していた。
――聞こえてくる声は、どんな声でもまねることができる。だから、自分の知っている人の声をまねて、油断させて隠れ場所から誘いだそうとする――
顔がほてって、息が苦しくなってきた。それなのに震えは止まらず、夏なのに寒さで足ががくがくする。またもや声が聞こえてきた。
「義也、どこだよー? おーい!」
――だまされるものか! バケモノめ――
くちびるを痛くなるほどにかみしめ、義也は声がもれないように口を手で押さえつける。鼻で息を吸うたび、あの甘ったるくて生臭いにおいがしてくる。吐きそうになるのを懸命にこらえて、義也は雅史らしき声が遠ざかるのを祈り続ける。と、まさに恵みの雨といえるだろう。ぽつぽつと、そして一気にザーッと、夕立が降ってきたのだ。雅史が声を張り上げた。
「おい、義也! くそっ、あいつ、先に帰りやがったな! もういいや、おれたちも帰ろうぜ! ぬれちまうよ」
捨てゼリフとともに、ご丁寧に足音まで声まねしている。しかし、その足音の音も遠ざかっていき、雨が地面をたたく音だけになって、ようやく義也は大きく息をはくことができた。
「助かったぁ……」
まだがくがくしてうまく立てなかったが、それでも義也は起きあがる。藪から顔を出して、そして上半身裸のお姉さんと顔を合わせた。
「ヒィッ!」
「うふふふ、やっとで顔出してくれたぁ。まぁ、かわいい坊や。お姉さんと遊びましょう」
ずるずると、なにかを引きずる音が聞こえてきた。ガチガチと歯を鳴らしながら、義也はお姉さんの下半身に目をやり、再び悲鳴を上げた。
「あ、ああ、あ、足が……」
「うふふ、どうしたの? そんなおびえちゃって。本当に、食べちゃいたいくらいかわいいわねぇ」
お姉さんの半身は、魚の尾ひれだったのだ。その尾ひれをくねらせるように動かして、すばやく義也のすぐとなりに近づき、義也の肩を抱く。甘ったるく、そして生臭いにおいが鼻を犯し、義也はその場で思い切り吐いた。
「あらあら、うふふ。こんなに緊張しちゃって。でも大丈夫よ。すぐになにもわからなくなるから」
「ど、どど、どど、ど、ど、どう、どうし、どうし……」
「なあに? どうしたのかしら?」
「こ、ここ、声、声が、さっきの、さっき、さっきの、雅史、声……」
「あぁ、さっきの男の子の声のことかしら?」
お姉さんに聞かれて、義也はコクコクとうなずく。お姉さんが義也の前で身をかがめた。
「そうよねぇ。だって、うわさじゃ、どんな声でも声まねできるっていってたし、さっきの男の子の声も、きっとわたしがまねしたはずよねぇ? ……でも、残念でした。あなたが聞いたうわさ、それ、尾ひれがついていたのよ」
義也の目が大きく見開かれる。その反応を楽しむように、お姉さんは二股に分かれた舌をぺろりとした。
「そうよ、うわさには尾ひれがついていたの。……人魚だけにね」
雨と生臭い潮のにおいでむせかえる境内に、義也の悲鳴がこだました。
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