決意
それから一ヶ月。
リリーさんとの組手にも慣れ、戦績は五分五分にまで上がった。随分と人間離れした動きも出来るようになってきた。
そして今日も日課となっているリリーさんとの組手をやっているわけで―――
「今日は俺の勝ちですね」
そう言って倒れているリリーさんを見下ろす。
決まり手は背負い投げ。あくまでカウンターとしてだが、それなりに使えるようになってきた。
対等な力をつけたからわかることだが、リリーさんは力で押す癖があるよだ。男の俺よりも力があるため掴みあったら勝ち目がなくなる。なので避けつつ好機を探る。これが勝つための道筋の一つだ。
「今日は終わりにしますか?」
「そうだな。時間もいいところだし」
「じゃあ夕飯の当番お願いしますね」
リリーさんは「わかってるわよ」と愚痴る。最近では一日の組手で負けた数が多い方が夕飯の当番というルールができていた。
ちなみに今日の戦績は五十戦中二十七勝二十三敗だ。ぎりぎり勝越せた。
「これで三連敗かー…」
少し悔しそうに笑うが、どこか喜びも感じられた。
「師匠、リリーさん。お話があるんですが……」
夕飯を食べ終え、三人で談笑していた席で俺はそう口を開いた。
真剣な顔で言葉を発したせいか二人とも話をやめ、俺の方を向いてくれる
「実は……旅に出ようかと思いまして…」
前々から考えていたことだ。俺の目標は女神様に頼まれた魔王の討伐。言い方は悪いが、魔王を倒す力をつけるため、この家に厄介になっていた。しかし、ここで全てを見たつもりにならず世界を旅したいとも思うようになったきた。修業なら旅をしながらでもできる。
女神様や魔王云々の話は伏せ、二人に理由を話した
「ふむ。それもいいだろう。世界に目を向けるのはいいことだ」
「私も賛成はする。寂しくなるがな…」
案外、二人ともすんなり納得してくれた。もっと色々言われたり聞かれたりするかと思っていたのに。
「それで?いつ行くつもりかね?」
「明日にでも行こうかと」
「明日!?急すぎない!?」
「準備はしていたので…」
「なるほど。準備が整っているなら大丈夫だね」
依頼を受け、コツコツとお金をためて旅に必要になりそうなものはあらかじめ買っておいた。何が必要なのかわからないので少々荷物がかさばったが。
「それで?どこに向かうつもりかね?」
「ナキナイムに行こうと思ってます」
街で買い物をしているときに商人からオススメの街を聞いたとき、ほとんどの人がナキナイムがいいと言ってきた。なんでも海のある町らしく漁業が盛んらしい。まあ、修業の話も本当だが正直なところ魚を食べたい。この街は海から遠いせいで魚なんかは鮮度が落ちるために届かない。この世界に来てから魚食べてない。魚食べたい。白米付きで。
「ナキナイムか。馬車で十日ほどだったか」
「馬車はどうする?」
「護衛の依頼を受けようと思います。アテがあるので」
アテというのは商人のカーランさんのことだ。ヒューマンエラーに襲われていたところを助けて以来、店に通わせてもらっている。ナキナイムに行くまでの護衛を探していたようなので、その依頼を受けさせてもらった。
「私達は、もうしばらく滞在する予定だからお別れかな」
そういえば師匠たちも各地を旅しているんだっけ。またどこかで会えるかもな。
それから話も終わり自室に戻る。この部屋も今日で最後か…。殺風景な景色は相変わらずだけど思い出みたいなものはあるな。
明日からは文字通り知らない世界で知らない場所を旅する。地球にいた頃は考えもしなかったことだ。十五の子供が勝手かもしれないがここは異世界。自由だ。
魔法も格闘術も程度はわからないが使えるようになった。俺の力がこの世界でどれだけ通用するか試すにもいい機会になりそうだ。
もう夜も深まりベットに入ろうとしたとき―――
「レンヤ、起きてるか?」
扉の向こうからリリーさんの声が聞こえた。
最後の日だし話でもあるのだろうか。
「起きてますよ。今開けますね」
扉を開け、リリーさんを中に迎える。
月明かりだけで判然としないが、表情は暗んで見えた。
「どうしたんです?こんな夜中に」
「……ちょっと、話したいことがあってな」
「話…ですか……。とりあえず座ります?」
「いや、このままでいい」
そう言い俺に向き直るリリーさん。さっきまでの暗んだ表情ではなく、一点を見つめる決意を感じる表情で。
「最後に相手をしてもらいたい」
「相手…ですか?」
街から届く僅かな灯りと、月の光だけがこの場を照らしている。
俺とリリーさんは今、自宅の庭で向き合っている。
「相手って組手のことだったんですか…」
「ん?他に何がある?」
「いや、なんでもないです…」
夜に男の部屋に来て、相手をしてほしいなんて言われたら、さ…。変なコト考えても仕方ないっていうか。
あの後、動きやすい服に着替えさせられ半ば無理矢理に連れ出された。
「えっと、ルールはいつもと同じでいいですか?」
「いや、今回は少し変えさせてもらう。いつもは急所などへの攻撃は寸止めにしてきたが、今回はなしだ」
「え?それって…」
「ああ、殺すつもりできていい」
殺すつもりでって、そんなことできるわけ……。
「もちろん本気で殺すわけじゃない。殺す気でやれというだけだ」
「いや、それでも…」
「お互い回復魔法が使えるから遠慮はいらない」
だからって……。一度決めたら曲げないとこあるよな、この人。
でも、女の人に手を上げるってのは気が引けるよな…。
「レンヤはこの先の旅でそんな考えのつもりでいるのか?」
「いや、そんなことはないですけど…」
自分の命が危険に晒されるかもしれないときに、そんな甘い考えはいらない。そう決意はしている。
「だろう?なら、その考えが少し早くなるだけだ」
「………わかりました」
「ありがとう。私の我儘を聞いてくれて。あと魔法もなしだぞ」
今日で、これで最後かもしれないんだ。最後のお願いだと思えば。
改めてリリーさんと向き合う。
お互い構えらしい構えはしない。何度も戦っているんだ。手の内や癖なんかは知り尽くしている。いかに相手の裏をかけるか、それが鍵になりそうだ。
「…懐かしいな」
不意にリリーさんが言葉を漏らす。
それにつられ、俺もつい肩から力が抜ける。
「いきなりどうしたんです?」
「いや、つい二ヶ月のことを思い出して」
二ヶ月というと、俺がリリーさんにこてんぱんにされた日か。
「あの時のレンヤは私に手も足も出なかったのに、こうも強くなって」
「はは。リリーさんの教えが良かったからですよ」
実際、リリーさんが教えるのがうまいのか?と聞かれたら答えに悩む。教えるのが下手というわけではなかったが、リリーさんは感覚派なとこがある。そんな人の説明を全部理解できたかというとそうでもない。だけど理解しなければならなかった。なぜならリリーさんは理解したことを前提で組手をしてくる。理解できなければヤラれるから無理矢理にでも頭と身体で理解してきた。
「さて、遮って悪かった。続けよう」
「はい」
思い出話で緊張が解けてしまったが、改めて身を引き締める。
雲が月の光を隠してしまう。街から漏れる僅かな光では相手の輪郭を捉えるのがやっとで。気づいたときにはリリーさんは動き出していた。
直線に、一本の線で。つい二ヶ月前に俺が負けたあのパターンで仕掛けてきた。
もちろん受け止めるわけにはいかない。力では勝てない。何回も何回も痛いほどに味わってきた経験から横に跳ぶ。当然、リリーさんも追うように方向をずらす。距離は当初より半分ほど、さらに縮められる。手を伸ばしても届く距離ではないが、動きはリリーさんのほうが早い。このまま間を長くは保っていられない。
「どうした、避けないのか?」
「そうしたいのは山々なんですけどね…」
話しかけるとは随分と余裕なようだ。
今はまだ話せるだけの距離があるからいいが、あと数秒もしたらその余裕もなくなりそうだ。
「そろそろいく、ぞっ!」
飛んでくるのは突きのように鋭い一撃。右腕で放たれたそれの狙いは左肩。
よくその体勢からそれだけの技がだせるものだ。
俺は右足をつき、体を半回転させ突きを避ける。
避けられたリリーさんの胴はがら空きになるかけだが、この人にそんな隙はない。
元から全力で繰り出したわけではなかったのだろう。そのままの体勢で今度は裏拳が飛んでくる。さすがにこれを避けることはできないので腕を盾にし防ぐ。まあ、まさに万全の体勢ではない一撃だったのでダメージはゼロ。
「いい判断だがこれは防げるかな?」
そう言いリリーさんは裏拳を防いだ腕を掴み、そこを支点とするかのように回転する。ちょ!そんなのあり!?人間の動きじゃない!
突然のことに驚いた俺はつい踏ん張ってしまい、きれいに回転される。そのまま回転の勢いは早まり俺の背に膝が決まる。
「かはっ……!」
「ほう…やるな」
すごい衝撃だ。人間から受けた衝撃とは思えない。咄嗟に受け身を取らなければ今ので終わっていたな…。しかしリリーさんはまだ俺の腕を掴み空中にいる。すぐに次がくるかもしれない。
「う、らぁぁぁ!」
「おっ、と」
力任せに腕から振り払う。人間一人、片腕で振り払うのは正直キツイが根性でなんとかする。そうしないとずっとターンを譲ったままになる。
リリーさんが着地する前に駆け出す。いくらリリーさんでも空中で完全な防御をするのは無理だろう。背中がとてつもなく痛い。どっかしらの骨にヒビでも入っていそうだ。
「今度はこっちの番です!」
「それはいいけど。背中庇いきれてないぞ」
誤魔化せるレベルの痛みじゃないからな。終わったらすぐに回復魔法をかけてやる。
地面まであと一メートルと少しといったところで間合いに入った。左足でしっかりと踏み込み、右足で確実に仕留める。
待ってましたと言わんばかりに空中で身をよじるリリーさん。
恐らくカウンター辺りを狙っているんだろう。
「甘いよ!」
「……それはこっちのセリフですよ」
読めた動きに対処するのはそんなに難しくない。カウンターかできないようにワンテンポ、ひと呼吸遅れて蹴りで捉える。
「…ッ!!」
チッ!当たりが弱かった!すぐに追撃を―――
「えっ?」
なんだ?景色が遠のいていく。比喩なんかじゃなく本当に景色が遠のいている。さっきまでそこにあった木がだんだんと小さくなっていく。
―――あぁ、そういうことか……。
ゴンッ!という鈍い音と共に俺は意識を失った。